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疑似科学入門 (岩波新書 新赤版 1131) 新書 – 2008/4/22

3.8 5つ星のうち3.8 53個の評価

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2008/4/22)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2008/4/22
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 240ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4004311314
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4004311317
  • カスタマーレビュー:
    3.8 5つ星のうち3.8 53個の評価

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池内 了
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上位レビュー、対象国: 日本

2019年5月9日に日本でレビュー済み
再掲

図書館本

「水からの伝言」が未だ学校現場で使われているという話を聞いて驚き、霊界系スピリテュアルが銭儲けの道具としてTVのゴールデンタイムになる国、ニッポン。
科学が世の中全ての事を解決することは有り得ない事を認識しつつ、科学を名乗り人を騙したり洗脳する行為は許されない。
ニセ科学、似非科学、トンデモ科学、超常科学等の色々な呼び名で語られる反証不可能な事項に関して著者(現総合研究大学院教授、1944生まれ)が疑似科学を3分類して説明する。すなわち、超能力、超科学系の所謂精神世界系のモノ、科学を装いながら科学的データを誤用、乱用するもの。そして3つ目が「複雑系」におけるグレーゾーンに属するような評価の難しいもの(地球温暖化の原因、BSEプリオン説、地震予知等々)。
また3つ目の疑似科学に関しては予防措置原則の応用(例えば地球温暖化の機序は種々言われ議論があるが、二酸化炭素が人的要因で増えているのは確かなのだから、二酸化炭素排出は減らす方向で努力するべきである)を述べる。
終章の「疑似科学の処方箋」がなかなか面白いというか最も重要なポイントではないかと思う。
1.疑似科学は廃れない
2.正しく疑う心
3.疑似科学を教える
4.予防措置原則の重要さ
5.科学者の見分け方
科学が全てを解決できる訳ではないという大前提を知った上でこの5項目を読まれるといかに現代社会が疑似科学に溢れ、メディアに左右され、時に本質を見失っているかが理解できるであろう。
メディアに露出度の高い科学者と名乗る人々がいかに物事を決めつけてYes/Noで話をするか。脳科学にしても新型インフルエンザにしても果たして本当に研究をしている学者がああも簡単に物事を言い切れるものなのか。メディア情報をテレビやネットを通して受け取る側の頭の丈夫さも問われている。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年4月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
疑似科学を3種類に分類し、各々わかりやすい例をあげて解説。
 
※筆者自身も言及していらっしゃる通り、
「予防措置原則」は、これはこれで扱い注意な思想です。
 
予防接種ほどには劇的効果がないだろうけれど、
でも広く読まれてほしい本かな。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年7月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、ニセ科学やトンデモ科学、超常科学とよばれる「擬似科学」の特徴を明らかにし、それに騙されないようにするための方法、見破り方などを紹介する書である。

擬似科学として、本書は3つの領域を設定する。1.占い、超能力、擬似宗教など非合理主義にもとづいたもの。これを利用してヒトを誘い込むパターン。2. 科学として成立している法則を悪用・乱用することでヒトを陥れるパターン。3. 複雑系にあたるもので、原因を究明し得ない、真の原因の所在を曖昧にしてしまうがゆえに、例えば外部不経済(環境問題・遺伝子組換えなど)を生じさせてしまうというパターン。

まえがきにおいて、1・2は個人に帰する問題であり、3は社会通念上の問題であるとしているが、これはおそらく、ひとつの根から生じている別個の問題なだけであって、その根っこの部分を紐とくことができれば、これらの問題を一網打尽にできると考えられる。

評者としては、なぜ、そうした擬似科学が成立してしまうのか、ということについて「ヒトの主観」という観点からは、本書は捉えきれていないように思う。著者は、その自然科学者という経歴からも察することができるように、「客観」が実体として存在する、という立場の人だと思うからだ。

それゆえ、そうした科学をヒトはなぜ信じてしまうのか、それらが、さも客観的に正当なものとして存立しうるのは何故なのか、についての主張が、いまいち、弱いような気がする(ボクが言うなよ、という話はありますが・・・(苦笑))。
すなわち、その構造・メカニズムの解明、そこにかかわる「ヒト」の特徴の把握、などを究明した方が、より深い解決に結びつくのではないかな、と思った。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年7月23日に日本でレビュー済み
決して読みやすい本ではありませんが、科学を学ぶ上で大切なことが書かれていると思います。
恐らく本書の一面で訴えていることは、科学を誰かがすでに正解を出している知識を学ぶ(覚えていく)ものではなく、疑問をもってその答えを見つけていく行為であるということではないでしょうか。
筆者は決して科学が万能であるとも、科学者の言うことを理解できない人を無知、無理解の人とあざけることもしません。むしろ、科学の限界(現時点での到達点)を率直に認め、科学者は日々自分がいかにものを知らないか気づかされるものだと認めています。
某小説に「科学とは何を知っているかではなく、何を疑問に思うかだ」という言葉が出てきますが、本書もこの言葉と同じように疑問をもって、考えることの必要性を訴えています。
小、中、高校では先生が教えたことをそのまま理解することが求められることが多いかもしれませんが、本来科学とは疑問を持つことから始まること、誰かに教わるのではなく、その答えを自分で見つけていく行為であることを改めて気づかされました。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年11月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知人に回覧しました。内容をどうとらえるか、考えるヒントになります。何気ない日常のいろいろなことが本当にどうなのか。これを感じなくなった生活に、アクセントをくれます。
2014年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
三つ星は、5-Starと1-Starの平均値である。以下に記すように本書は、1-Starな面もあるが、それでは失礼だし、5-Starな面もあるが、それではほめすぎであるから、3-Star評価とした。
まず、「あとがき」を読むと、著者は、科学者として(「尊大」は捨てて)「謙虚」な気持ちを忘れていないつもり、のようだから、私もそれを踏まえて、カスタマーレビューを書こう。私は、Ph.D.は持っていないが、大学で物理学の修士課程を終えて、社会へ出て、今は現役を引退して間もなく10年になります。著者と同年配です。しかし、世の主流科学者が名付けた「Pseudo-Science(疑似科学)」のある部分に関しては、それが早晩、「唯物論科学」の土台を崩すかもしれない、否、崩すだろうと確信しています。「唯物論科学」が崩れると、ダーウインの「進化論」も、「Big Bang宇宙論」もしかりです。このように「大言壮語」するからには、たぶん、著者も、この本の多くの読者も、私を「疑似科学」信者と解されるでしょう。私は上記のように、「疑似科学」の在る部分、具体的には、「心霊研究」を、Sir William Crookesと同様に、大変に重要視しています。その具体的根拠は下記しましょう。

「科学」と「疑似科学」の峻別は明確でなければならないとする科学者の見解は、「科学」は、いわば、「組織宗教 (Organized Religion)」と同じであり、その法則(いわば科学宗教の「教義」)に合致しない主張は、「異端」である、とするものである。日本の「心霊研究」者、福来友吉 (1869 - 1952) は最初の「透視実験」(1910年)から3年後、43歳(1913)、東京帝大助教授職の時に、大学から休職命令を言いわたされ、2年後に自動退職。これはまさに、「組織宗教」の異端者に対する「除名、追放(Excommunication)」である。たぶん現在でも、日本で「心霊研究」を実行しようとする科学者は、著名な大学にはいられないだろう。
現在の科学は「唯物論科学」、即ち、我々の世界の全ては、原子・分子の結合により構成される物質の働きによって説明できるであろう、とする考えである。我々の「意識」も脳細胞の働きで生じるもので、そのほかのなにものでもない、と脳細胞の集合、即ち「脳」自身が自分の働きを説明していることになります。これは、著者池内氏が最終頁193で言及している「クレタ島のうそつき」パラドックスと類似のもので、論理的に危ない「自己言及」に相当するものです。

[0] まず始めに、「疑似科学」を糾弾し、世の一般人に知らせて、それが与える悪い影響を食い止めようとする著者の努力は、大変評価します。今は亡き、Carl SaganもMartin Gardnerも同様の目的を持って「疑似科学」を糾弾する本を書いたのでしょう。同様の努力をAmazing (James) Randiもしているようです。私の観点からは、これらの人に共通するのは、皆、「唯物論科学」の信者だろう、と言うことです。私はその「唯物論科学」に疑義を呈しています。
著者は上記の努力を書かれているのですから、私には、それらに反論するつもりはありません。テレビを観て「疑似科学」に騙されるような人は、たぶん、比較的難しいこの本を読まないでしょうから、その様な人を家族に持つ人で、この本を読む人が著者の意図を伝えることは大事なことでしょう。

[1a] まず、著者は第一章(p. 11)で、「ユリ・ゲラーの「超能力」をペテンであると暴いているのは著名な手品師のジェームズ・ランディなのである」と書いている。2014年で67歳になるゲラーは、今日も健在で、たぶん著者やランディの目からは、ペテンを人々に見せて稼いでいることになるのかもしれない。
最近NHK-TV-BS-3チャンネルで、「超常現象に挑む科学者達」というプログラムの再放送の一つを観る機会を得て、録画した。この中に、ユリ・ゲラーの「超能力」は今も健在とする、「スプーン曲げ」の場面が出てくる。これはこの番組を企画したNHKのスタッフ(?)が、特別にゲラー宅を訪ねて録画したもののようである。スプーン曲げと言うよりも、ゲラーが自宅の台所の引き出しから取り出して、手に持った大さじのスプーンの首の箇所を、もう一方の手の指でなでるようにすると、その箇所がまるでゆっくりと溶解したかのようにこぼれ、二つに分断される。もし、破断箇所の金相学的な分析を実行すれば、どのような原因で破断したのかが分かるかもしれない。
同様のことは、昔はやった「スプーン曲げ」に関しても言えることで、ゲラーが「超能力(?)」で曲げたスプーンと、ランディが、例えば、予め曲げておいたスプーンを隠し持って、曲がっていないスプーンとすり替える(これを「Sleight of hand」という)手品のスプーンの変形箇所の金相学的違い比較すれば、両者の違いは判明するだろうし、実際にその様な検討はなされたであろうと、私は推測する。たぶんゲラーの曲げたスプーンの金相は、単なる塑性変形によるものとは異なる金相を示すだろう。

[1b] いやいや、物理学者Freeman J. Dyson (1923- )は、「The Scientist as Rebel」(New York Review Books, 2006)のなかの、最終パート「Personal and Philosophical Essays」の第27章「One in a Million」で、ゲラーとランディの「対決」がサンディエゴの劇場で行われたときの模様を書いている(pp. 324 -325)。Dysonは、このショーに家族とともに出向いている。当時12歳になる娘Emilyは、ゲラーに曲げられるかを確かめるための(スプーンではなく、)古い「鍵 (key)」をもって参加している。ショーは、まずゲラーが多数の観客の前で、不可思議な現象を見せる。この中で、Dysonの娘Emilyがステージに上がり、ゲラーに「鍵」を渡して、見せる。ゲラーはその鍵をEmilyへ返し、「その鍵を手にしっかり握って、離さないように」と注意する。そして、ゲラーは観客に、彼の「超能力」テレキネシスによって鍵を構成する原子の配置換えが起こると説明する。突然にEmilyに向かって、「さて、あなたの鍵を見てみましょう」と言い、Emilyは握っていた手を開く。そこには曲がった鍵がある。

ゲラーのショーの後、今度はランディが登場し、観客に不可思議な現象を見せる。全て奇術によるものだが、タネは明かさない。それが奇術の原則である。タネを明かすような奇術師は、多分に、仲間の奇術師からボイコットされ、不幸な目に遭う。しかし、ゲラーとの対決であるために、Emilyとは別の観客Aが持ってきた「鍵」を曲げる奇術だけは、そのタネを明かした。Dysonが書いている説明の要旨は以下の通り。
まず、観客Aは持ってきた鍵aをランディに渡す。ランディは「それ」をしげしげ見てAに返すが、この時、「Sleight of hand」が行われ、ランディは鍵aとたいへん似た鍵bを返すのである。ここに、aとbの二つの鍵が在ることになるが、ランディは、それらを同時に見せることはしない。二つの鍵が観客に見られたら、その時点でペテンがばれる。ランディは手に隠し持った鍵aの細い部分を、同じ手にさらに隠し持った器具の穴に差し込んで、テコの原理により比較的小さな力で、片手で鍵aを曲げてしまう。もちろんこの間、奇術師の話術でその手から観客の注意をそらし、曲げてしまうのである。さて、次に二回目の「Sleight of hand」が行われる。ランディはAから曲がっていない鍵bを受け取り、再び返すが、その際に、鍵bと曲げた鍵aをすり替えるのである。それを上手にできるランディは、Amazing (驚くべき) Randiと呼ばれている。

くり返すが、ゲラーに曲げられたEmilyの鍵と、ランディに曲げられた観客Aの鍵aの変形部の金相を比較解析すれば、両者の違いが見いだされるだろう。もし著者池内氏がこれを持って、「ユリ・ゲラーの「超能力」をペテンであると暴いているのは著名な手品師のジェームズ・ランディなのである」とするならば、読者の皆さんは納得するだろうか??

[2a] 第一章、P. 24で著者は以下のように書いた:「著名な科学者でもそう(超常現象はあると)主張した人がいた。放電管(クルックス管)の発明者で、真空中での放電現象を研究してナイトにまで列せられたウイリアム・クルックスは、心霊現象に魅せられて「サイキック・フォースなる新しい力まで導入したほどである。・・・(P. 24)」」さらに、著者は、「また、ダーウインと並んで進化論を提案したアルフレッド・ウォーレス、著名な数学者ド・モルガンなども心霊現象の信奉者となった。科学で説明できないと見なすや、十分に吟味することをしないまま短絡的に超常現象にのめり込んでしまったのだ (p. 24)」と結論する。著者は最終章「疑似科学の処方箋」の冒頭で、再度(第一章、P. 24に続いて)、「偉大な仕事をした科学者が心霊術に凝ってしまったことがあるように、魔がさしたように疑似科学に惹かれることもある(P. 174)。」
はたして、そうなのだろうか??

[2b] 私の観点からは、ウイリアム・クルックス(William Crookes [1832-1919])は、それほどにOpen-minded な(偏見のない、心がひろい)科学者であった、となる。著者が上記のようにCrookesを批判するのは、たぶん、著者が「唯物論科学者」であるためであろう。Crookesは、英国ビクトリア王朝時代の科学者で、元素タリウム(Tl)の発見者(1861年)でもある。

[2c] 彼は当時、世に流行していた「Spiritualism」のなかの「心霊現象」を科学的に究明しょうとして、当時有名であった霊媒Daniel D. Homeの「超能力」の正否を、科学的実験で決着しようとして、Homeを相手に、「テコ実験(Lever Experiments)」を実行した(1871年)。Crookesは、実験結果(最初の Lever Experiment)の論文を、英国学士院(Royal Society)に提出した。学士院の長であったG.G. Stokes (「ナビエ・ストークスの流体方程式」で知られるストークス)は、Crookesの論文に幾つかの疑義のコメントを伝えた。コメントに応えて、Crookesは第二の「テコ実験」を、Homeを相手に実施し、その論文を再提出した。
ストークスは、これに対しても疑義を呈するコメントをCrookesに伝え、また、二人の科学者に論文審査をさせた。Crookesは、ストークスともう一人の科学者を実験の傍聴に招待したが、二人とも丁寧にそれを辞退した。最終的には、Crookes論文は受理されずに終わった。

[2d] Crookesは上記の実験結果を本に書いている。「Phenomena of Spiritualism (1874年)」がそれである。この本を読むと、当時(1871年)の実験記録装置が大変に「幼稚」であったことを思い知らされる。第二の「テコ実験」で、霊媒Homeがテコの支点の左側で水槽を介して指を水に浸けて、または、テコに接触せず離れた位置で、「念力」により力を作用し、支点の右側にあるバネ秤を伸ばす時間的変化の結果を、Crookesは、あらかじめススで表面を覆った動くガラス板に記録している。むかし、地震計が振動を記録した方法と同じである。第二の「テコ実験」でHomeが示した「念力」の大きさは、5000 grains (324 gf: 324グラムの質量に作用する重力:疑似ビール「のど過し」一缶の目方は約370グラム)であった。第一の「テコ実験」で記録された「念力」の1/10程度であった。第二の「テコ実験」では、バネ秤に顕れた機械的加重の大きさの時間履歴が、約1分間にわたって記録されている。また、異なる4つの実験の結果が記録されている。
第一の「テコ実験」ではHomeは、テコの支点から左側の位置に、両手で空のマッチ箱と小さな呼鈴を介して、「念力」を加えるのだが、その際、CrookesはHomeの両手で加えられた力学的な力の大きさや方向を測定しなかった(単に、それが小さかっただろうとの観察を書いただけである)。

[2e] 私は、第二の「テコ実験」の最初のケース(このケースだけはニュートン力学で解析できるが、残りの3ケースは、「念力」のaction-at-a-distanceのケースになるため、解析不能)を詳細に解析する少し前に、「魂の目方は21グラム」の、たぶん著者の観点からは同様に「疑似科学」に相当するであろう「実験」(1907年、Duncan MacDougall, M.D.)を解析し、論文にして、米国の主流ではない科学雑誌「Journal of Scientific Exploration」に発表した(2010年)が、同じ雑誌に2012年、次の論文を発表した: Ishida, M. (2012). A review of Sir William Crookes’ papers on psychic force with some additional remarks on psychic phenomena.Journal of Scientific Exploration, Vol. 26, No.1, pp. 9 ' 42。この論文で、ニュートン力学に基づいて、Crookesの「テコ実験」の科学的正当性を主張した。つまり、Homeが第二の「テコ実験」で示した「念力」の時間変化は、ニュートン力学では説明できないと結論した。言い換えると、仮に、奇術師Amazing Randiに、トリックを使って第二の「テコ実験」を再現することを認めたとしても(具体的には、しばしば言われているように、目に見えない透明な糸を使ってテコの左側のバネ秤を引っ張ったとしても)、彼にはCrookesが得たものと類似した結果を再現できないだろう。それは、バネ秤がニュートン力学では説明できない挙動を示しているからである(バネ秤の「振動」挙動になっていない)。上記の[1a, 1b]で記した、ゲラーが曲げたスプーン、鍵などの変形部の金相が、通常の塑性変形によるものと異なるであろうという私の推測と類似している。私は、著者池内氏が警告する「科学で説明できないと見なすや、十分に吟味することをしないまま短絡的に超常現象にのめり込んでしまう」危険を避けるべく、Crookesの実験を十分に吟味して論文を書き、Journal of Scientific Explorationの16名のEditorial Boardは、論文の審査結果を踏まえて、受理を決定した。(具体的には、論文を参照して頂くしかない。)

[2f] 不幸にして、Crookesの「心霊研究」に対する批判は甚だしい。しかし、彼自身は生涯の最後まで、自分の「心霊研究」結果に対しいて疑いを抱いていなかったようだ。Crookesの死後、彼のKatie King「物質化現象」実験(Homeとの実験の数年後)をした女性霊媒Florence Cookは、自身の悲惨な生涯の最後に、Crookesは自分と「不倫関係」があったと述べていることを根拠に、Crookesをさんざんに批判している「心霊研究」否定論者もいる。「神」のみぞ知るであろう。どうやら真の科学者は、「聖人」でなければならないようだ。しかし、近頃のキリスト教を説く「聖人」候補者(?)には、現在のローマ法王も堪忍できない不心得者も多いようだ。

[2g] 上記[1b]で言及したDysonは、同じ第27章の終わりに次のように書いている:”The hypothesis that paranormal phenomena are real but lie outside the limits of science is supported by a great mass of evidence. The evidence has been collected by the Society for Psychical Research in Britain and by similar organizations in other countries. …
I am suggesting that paranormal mental abilities and scientific method may be complementary. The word “complementary” is a technical term introduced into physics by Niels Bohr. It means that two descriptions of nature may both be valid but cannot be observed simultaneously. …
Complementarity in physics is an established fact. The extension of the idea of complementarity to mental phenomena is pure speculation. But I find it plausible that a world of mental phenomena should exist, too fluid and evanescent to be grasped with the cumbersome tools of science (pp. 330 - 331).”

[3] さて、「魂の目方は21グラム」の、米国では社会通念(ミーム)となったDuncan MacDougall, M.D.の実験(1907年)に入ろう。
インターネットの、例えばyahoo.co.jpで、「魂の目方は21グラム」を検索すると、実に沢山がヒットする。不思議なことに、MacDougall, M.D.の実験をまじめに考えた「科学者」はほとんどいない(MacDougallの論文の写しは、米国のyahooで得られるが、タイプし直したものであるために、タイプエラーがあるので注意。原論文は、米国の「心霊研究協会(ASPR)」のジャーナルに投稿された)。2004年、Len Fisherは本「Weighing the Soul」(日本語訳「魂の重さの量り方」、2006年、新潮社、林一 訳)を書いた。Fisherは、1999年のIgNobel Prize受賞者である。彼はこの本で、MacDougallの実験の「誤り」を示したつもりである。彼がこの本の注釈に書いたところによると、この実験を取り上げたのは、心理学者Susan Blackmoreの勧めによるものとある。Blackmoreは1982/1992年に、「Beyond the Body」を書いて、その中で、MacDougallの実験が科学的には「欠陥実験」であると主張している。
最近では、米国の物理学者Robert L. Parkが、“Superstition: Belief in the Age of Science,” (2008, Princeton UP)を書いて、: “In the case of dogs MacDougall found no sudden weight loss at death, a finding that confirmed his religious conviction that only humans have a soul. Misguided research has a way of agreeing with the researcher’s preconceptions.”と主張している。Parkのこの本は著者池内氏の言うGardnerやSaganと同様に、彼等の言う「疑似科学」を糾弾したものである。Parkはこの本の前にも、「Voodoo Science」(2000年)を書いて、「疑似科学」を糾弾している。
物理学者ではないBlackmoreは、彼女なりに科学的な考察でMacDougallの実験の欠陥を指摘したつもりであろう。しかし、Fisherは、MacDougallの実験の欠陥を示そうとして、彼自身の「科学的エラー」を書いている(「死」直後の体温低下が、秤の周りに自然対流を引きおこし、それが見かけの体重減少につながった、という。しかし、もしその様な効果がはかりに影響したとすると、見かけの体重は、減少せずに、増加するであろうからである)。Parkの批判は、全くの「唯物論者」の「先入観」によるもので、何の科学的根拠も見当たらない。MacDougallの実験に対して、「そんな馬鹿なことは起こりえない」と、著者池内氏も言うかもしれない。

[3b] 私は、論文Rebuttal to claimed refutations of Duncan MacDougall's experiment on human weight change at the moment of death MacDougall, Journal of Scientific Exploration, Vol. 24, No.1, pp. 5 - 39, 2010で、ニュートン力学に基づいてMacDougallの実験をシミュレーションして、実験が科学的に正当なものであることを示したつもりである。これまでに本やインターネットでMacDougallの実験を否定的に評価した7つの批判に対して、解析結果に基づいて、定量的に反論した。当時、Journal of Scientific Exploration (JSE)のEditor-in-ChiefのStephen E. Braudeは、この論文をBlackmoreに送って、逆反論を請うつもりだと言っていたが、何もなかった。
米国には、CSICOPという「疑似科学」糾弾組織があって、私が書いたような論文が出ると直ちに反論が出るのだが、最近のCSICOPは、Chris Carterの本、Science and Psychic Phenomena by (2007/2012)によると、SI (Scientific Investigation)を実行する部隊を欠いているようで、何の反論もない。ちなみに、JSEは、Open-mindedな科学誌で、池内氏のこの本にしばしば出てくるUFOに関連する論文も取り上げている。もちろん、論文審査(Peer review)は行われての上での話しである。

[4] 私は最近、Richard Dawkins氏の本「The Greatest Show on Earth (2009)」に1-Starの批判的レビューを投稿した(at amazon.com)。その中で、次のように書いた(英文だが):「「唯物論」を覆す(従って、ダーウインの「進化論」も)最短の現実的な方法は、故Ian Stevensonの主張する「生まれ変わり」論を実証することだろう。」
上記 [1a] で引用したNHK-TV-BS-3チャンネル「超常現象に挑む科学者達」というプログラムのなかでも、Stevensonの「生まれ変わり」論の研究を引き継いだ研究者達(米バージニア大)の研究現状が紹介されている。
「生まれ変わり」論に反論する最後の砦は、物理学の「エネルギー保存則」にあるようだ。それは、Paul Edwardsの “Reincarnation'a Critical Examination (1996/2002, Prometheus Books).”を参照されたい。しかし、[3b]に記した私の論文は、MacDougallの実験が、人間の「生から死へ」(Life-to-Death) の遷移において、まさに「エネルギー保存則」の破れを示しているのだろう、と結論している。ただし、MacDougallの実験が真に正しいか否かは、今後の追試実験に拘わっている。しかし、私は彼の実験が正しいであろうと確信している。それは、「エネルギー保存則」の破れを示していると推定される遷移事象が、他にもあるからである。いずれも「人間」が関わる「心理学的」遷移事象である。OBE (Out of Body Experience:「幽体分離現象」時の体重変化)、Trance-channeling(「霊媒のチャネリング時の」体重変化)、Alternating Personality in MPD(「多重人格者」における、人格の入れ替わり時の体重変化)などである。これらの遷移事象は、心理学を軽視する傾向にある物理学者の盲点であり、また、物理学に疎い傾向のある心理学者の盲点でもある。

[5] 実験は「諸刃の剣」である。それは私の、否、MacDougallの主張を「否定」するかもしれないし、「実証」するかもしれない。現役の研究者が[4]に挙げた実験を実行することに期待したい。今後、10年、いや15年、著者池内氏とともに長生きして、成り行きを見守りたい。

<Added on 31 July 2014>
仮にESPやテレキネシスが我々の仲間の小数の人々が「超能力」として持っていると認めたとしても、多分、我々はその「原理」を「科学的」には説明できないでしょう。それは「超能力」が「唯物論科学」の領域の外にあるからなのでしょう。しばしば人は「そんな超能力の研究をして何のためになるのですか?」との問いを発します。これに対して一部の研究者は、軍事的に、あるいは、犯罪捜査などに、役に立つだろうと言います。これらの研究者は「唯物論科学者」と同じ過ちを犯していると、私は思います。正しくは、我々人間の本質を、我々自身は何なのか、と言う問いに答えを得る上での手がかりになるというのが、「何のためになるのか?」と言う問いに対する答えだと私は思います。
西洋の超心理学研究者は、1930年代にJoseph Banks Rhineがそれをはじめて以来、延々と「超能力」の存在を制御された実験により実証しようと懸命のようです。これに対して、Japan Skepticsや米国のCSICOPの皆さんは、それらの実験の不備を指摘して、超能力研究者の主張を退けます。
私の観点からは、これらの論争は馬鹿げていると思います。2011年に亡くなったインドの聖人Satya Sai Babaさん(1926-2011)のそばで数ヶ月を過ごした経験を書いたHoward Murphet (1906-2004)の本「Sai Baba'Man of Miracles (1971)」やMurphetが書いた経験の一部が収録されたビデオをご覧になれば、論争の馬鹿げていることが理解できるでしょう。私も、これらの本を読み、ビデオを観て、聖書に書かれたJesus Christの物語の有様が目に浮かぶ思いがしました。Satya Sai Babaさんは、我々の時代に現れたJesus Christなのでしょう。
と書くと、皆さんは私がキリスト教信者のように思われるかもしれませんが、そうではありません。実際、私は聖書の物語よりも、Jane Robertsの本「セスは語る」に書かれた歴史上のJesus Christの話しを真実なのだろうと受け入れます。セスは次のように説明しています:(1) 歴史上のJesus Christは、はりつけで殺されてはいない。はりつけで殺されたのは、Judas IscariotがJesus Christの身代わりに立てた、当時多数いたSelf-claimed Christの一人である。(2) 従って、聖書に書かれたJudas Iscariotが30枚の銀貨でJesus Christを売ったという話しは、Judasを「裏切り者」の代名詞に仕立てた作り話である。

と言うわけで、聖書で言われる「贖罪」などという考えは、Jesus Christの死後創られたお話に過ぎない、と言うことになります。
しかし、Jesus Christが、「水をワインに変えた」というほどの「超能力者」であったことは、多分間違いないのでしょう。それは、Sai Babaさんに関する上述したMurphetの本やビデオをご覧いただけると納得出来るかもしれません。Murphetの本やビデオを観ると、Sai Babaさんは、少なくとも二人の「死者」を蘇がえらせたようです。Jesus Christが死者ラザロ (Lazarus)を蘇がえらせた話しは、ルカ書16:19'31に書かれています。
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2012年10月2日に日本でレビュー済み
「疑似科学の社会学」としたかったとあるが、可笑しい。
博士が更新がなく、社会的地位が低く,報酬が少ないことが、
似非科学にかならずといっていいほど博士の裏書きがあることを説明すれば、社会学を名乗ってもいいかもしれない。

経済的な効果と頭の中の論理だけで成り立っているようなので、
社会学はない。

お金の話なら、似非科学の経済学が妥当かも。

「疑似科学入門」は、疑似科学を操れるようになる人を増やしそうで心配。
多くの疑似科学信奉者は、この本に書いてあるような分類は気にしていない。
気にするようになれば、ますます増長しないだろうか。

人の言ったことを信用するかどうかという水準で議論しているところで、科学を議論していないことにならないだろうか。

繰り返し起こることと、
一度しか起こらないこととをきちんと分離して議論しないと、
科学と歴史の区分がつかないかも。
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