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職業としての科学 (岩波新書) 新書 – 2011/1/21
佐藤 文隆
(著)
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科学は大きな転換期にある。社会を巻き込んで突っ走る一方、科学技術立国政策によって科学はリスキーな職業と化し、もはや聖域とも見られなくなった。この巨大な社会資源を生かすために、未来に受け継ぐべきものは何か。宇宙物理学に半世紀携わってきた著者が科学の歴史を縦横に語り、発想の転換を促す。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2011/1/21
- 寸法11 x 1 x 17.5 cm
- ISBN-104004312906
- ISBN-13978-4004312901
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2011/1/21)
- 発売日 : 2011/1/21
- 言語 : 日本語
- 新書 : 240ページ
- ISBN-10 : 4004312906
- ISBN-13 : 978-4004312901
- 寸法 : 11 x 1 x 17.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 219,728位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,037位岩波新書
- - 38,910位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新書版は、肩ぐるしいものではなくなりました。体験的な自伝でしたから読みやすかった。
2024年2月6日に日本でレビュー済み
転換期にある科学という制度
◆知的自由としての科学
科学者精神とは
◆制度科学のエートス:ポパー対クーン
理の系譜
◆知的爽快:国家・教育・アカウンタビリティ
◆科学制度の規模:食っていけるのは何人か
科学技術エンタープライズで雇用拡大を。
◆知的自由としての科学
科学者精神とは
◆制度科学のエートス:ポパー対クーン
理の系譜
◆知的爽快:国家・教育・アカウンタビリティ
◆科学制度の規模:食っていけるのは何人か
科学技術エンタープライズで雇用拡大を。
2016年4月21日に日本でレビュー済み
簡単に言うと、制度としての科学研究、制度としての科学者のことを
歴史を見ながら考えて行こうという本です(^^)
様々な事にも触れられており、楽しく読むことができました(^^v)
気をつけなければならない事は、新書と言えども決して読みやすい本では無い事です(・・;)
佐藤氏は物理学者ですが、物理の論文みたいに、スパスパと議論が進んでいきます。
一行一行を考えながら読まないといけない部分もあると思います。
できれば、傍らに百科事典入りの電子辞書を置いて読む方が良いかもデス。
でも、読む価値はあると思いますよぉ~、頑張って読んで見て下さいp(^^)
歴史を見ながら考えて行こうという本です(^^)
様々な事にも触れられており、楽しく読むことができました(^^v)
気をつけなければならない事は、新書と言えども決して読みやすい本では無い事です(・・;)
佐藤氏は物理学者ですが、物理の論文みたいに、スパスパと議論が進んでいきます。
一行一行を考えながら読まないといけない部分もあると思います。
できれば、傍らに百科事典入りの電子辞書を置いて読む方が良いかもデス。
でも、読む価値はあると思いますよぉ~、頑張って読んで見て下さいp(^^)
2012年1月22日に日本でレビュー済み
読む前は即物的な内容を期待した。学会からの評価、職場での報酬、昇進、個人の充実感などを扱った本かと思った。しかし本書は科学や科学者とは何かという形而上の問題と歴史や社会の中での大学や研究機関の立場に焦点がある。
本書はマッハ、プランク、クーン、ポパーの科学論を対比させて取り上げる。学生時代マッハの力学は異端だと言っていた同級生がいたことを思い出した。プランクは雲の上の人だった。二人に論争があったことを本書で初めて知った。クーンの「科学革命の本質」は昔読んだ。後に読んだポパーには感心したがクーンの思想は疑問に感じていた。本書の米ソの冷戦が背景にあるのではないかという引用は何故クーンがそういう主張に至ったかを理解するヒントになった。
しかし著者の描く図式は単純化し過ぎているのではないかという疑問を感じる。現実はもっとぐちゃぐちゃしたものではないか。著者の佐藤文隆氏は理論物理の人である。美しい理論が魅力的であることには同じ気持ちを抱くが、そのぐちゃぐちゃが大切なのであり理論化を行なう際にノイズと思えることが実は重要という場合も多い。しかし理論家はこう実験家はこうと書く評者も単純化の誘惑に負けているのである。
マッハが人間の認知にまで研究範囲を広げようとしたのは彼が実験家であったからではないかと思う。実験結果から理論式に乗るものを早まって抽出しようとせず、そのぐちゃぐちゃのまま思考を繰り広げてゆくと時に自分が見たものは本当に起こった現象かという疑問にも至る。マッハが原子論をなかなか受け入れなかったのは疑い続けることを途中で止めなかったからであろう。著者のいう素人の科学者にアインシュタインを追加したいが、事実有名な論文三報を書いたとき彼は特許庁の一事務員であった。そのアインシュタインも量子論に懐疑的だった。
著者の主張に所々反発を感じつつも本書をきっかけに科学とは何かをあれこれと考えることが出来た。星を四つに留めたのは新書だから仕方がないのかもしれないが狭い分量で広い範囲を扱っているため印象が散漫になったためである。
本書は第五章で明治維新以来の日本の科学に触れる。その中で印象に残った部分をここに引用させていただきたい。
長岡半太郎の言葉である。「自分は他人のなした後を追うて、外国から学問を輸入し、これを日本人間に宣伝普及する宿志ではありませんでした。必ずや研究者の群れに入りて、学問の一端を啓発せねば男子に生まれた甲斐がない」(p. 113)「男子に生まれた」云々は時代を感じるが今にも通じる言葉と思う。
田中舘愛橘の言葉。「彼らの知らんと欲する所のものは真理である。嘘のない、本統の正味の所のものはどんなものであるか、何事を差し置いても是を知り度い。天が廻って居るか地が廻って居るか其真実の所を知り度いのである」(p. 126)そういう素朴な知識欲が科学を志す原動力だと思う。
本書はさすがに科学の世界の内側にいる人の著書である。たとえその主張に疑問を感じたとしても新たな思索のきっかけになると思う。科学を知っているか知らないかの違いは大きい。
第三章の著者の言葉を引用する。「宇宙はビッグバンではじまったなどという知識は二束三文の価値もない」「価値があるのはなぜそう考えられているか」(p. 83)こんな当たり前のことを何故言わなければならないかが重要である。著者は苦々しく思っていると思う。しかし科学の外側ではなかなかそれが理解されていないのが現実である。
本書はマッハ、プランク、クーン、ポパーの科学論を対比させて取り上げる。学生時代マッハの力学は異端だと言っていた同級生がいたことを思い出した。プランクは雲の上の人だった。二人に論争があったことを本書で初めて知った。クーンの「科学革命の本質」は昔読んだ。後に読んだポパーには感心したがクーンの思想は疑問に感じていた。本書の米ソの冷戦が背景にあるのではないかという引用は何故クーンがそういう主張に至ったかを理解するヒントになった。
しかし著者の描く図式は単純化し過ぎているのではないかという疑問を感じる。現実はもっとぐちゃぐちゃしたものではないか。著者の佐藤文隆氏は理論物理の人である。美しい理論が魅力的であることには同じ気持ちを抱くが、そのぐちゃぐちゃが大切なのであり理論化を行なう際にノイズと思えることが実は重要という場合も多い。しかし理論家はこう実験家はこうと書く評者も単純化の誘惑に負けているのである。
マッハが人間の認知にまで研究範囲を広げようとしたのは彼が実験家であったからではないかと思う。実験結果から理論式に乗るものを早まって抽出しようとせず、そのぐちゃぐちゃのまま思考を繰り広げてゆくと時に自分が見たものは本当に起こった現象かという疑問にも至る。マッハが原子論をなかなか受け入れなかったのは疑い続けることを途中で止めなかったからであろう。著者のいう素人の科学者にアインシュタインを追加したいが、事実有名な論文三報を書いたとき彼は特許庁の一事務員であった。そのアインシュタインも量子論に懐疑的だった。
著者の主張に所々反発を感じつつも本書をきっかけに科学とは何かをあれこれと考えることが出来た。星を四つに留めたのは新書だから仕方がないのかもしれないが狭い分量で広い範囲を扱っているため印象が散漫になったためである。
本書は第五章で明治維新以来の日本の科学に触れる。その中で印象に残った部分をここに引用させていただきたい。
長岡半太郎の言葉である。「自分は他人のなした後を追うて、外国から学問を輸入し、これを日本人間に宣伝普及する宿志ではありませんでした。必ずや研究者の群れに入りて、学問の一端を啓発せねば男子に生まれた甲斐がない」(p. 113)「男子に生まれた」云々は時代を感じるが今にも通じる言葉と思う。
田中舘愛橘の言葉。「彼らの知らんと欲する所のものは真理である。嘘のない、本統の正味の所のものはどんなものであるか、何事を差し置いても是を知り度い。天が廻って居るか地が廻って居るか其真実の所を知り度いのである」(p. 126)そういう素朴な知識欲が科学を志す原動力だと思う。
本書はさすがに科学の世界の内側にいる人の著書である。たとえその主張に疑問を感じたとしても新たな思索のきっかけになると思う。科学を知っているか知らないかの違いは大きい。
第三章の著者の言葉を引用する。「宇宙はビッグバンではじまったなどという知識は二束三文の価値もない」「価値があるのはなぜそう考えられているか」(p. 83)こんな当たり前のことを何故言わなければならないかが重要である。著者は苦々しく思っていると思う。しかし科学の外側ではなかなかそれが理解されていないのが現実である。
2012年6月26日に日本でレビュー済み
著者佐藤文隆さんは湯川秀樹さんの直弟子で京大理論物理学の教授を務めたが、専門分野以外でも幅広く活躍し、難しいことを優しく説く一般向け啓蒙書も数多く出してきた。本書は21世紀の科学が転換期を迎えている中で、理念よりも想像力の源である歴史に執着し、「職業としての科学」にまつわる歴史話を、研究者・学者生活50年に亘るご自身の経験や交友をまじえながら語っている。
科学者と社会の歴史については、同好の士のクラブから始まった英国王立協会350年の歴史をベースに、科学の担い手は啓蒙主義→ロマン主義→専門家と変遷を経て、19世紀後半の国民国家の興隆と制度科学の誕生を描く。そして、20世紀の科学の巨大化(100年間で100倍の規模に)の背景と冷戦崩壊後の転換期の科学者と社会を考察する。
一方、科学者の気風(エートス)の変遷については、20世紀初頭のマッハ対プランク論争、1960年代のポパー対クーン論争を紹介・解説しているが、複雑になる話を興味深い表や図で示しており一とおりの理解はできた。また、日本の科学精神の流れでは三浦梅園や長岡半太郎の独創性へのこだわりに触れ、科学教育や研究に関して「近思録」の知的爽快への共感は、第一線の研究者・教育者であった著者なればこそと感じた。
最終章では、今や巨大な公共財となった科学技術システムの価値増大と活性化について、「科学技術エンタープライズ」(科学技術の様々な分野が一体となって社会に向き合う事業形態)なる概念を提唱し、「雇用拡大」(常人の職業としての持続可能性)を訴える。現在及び未来の日本の科学の在り方を巡る様々な問題―政権交代後の事業仕訳における「世界一でないと何故だめなのか」といった詰問、技術系ポスドクの就職問題、大学独立法人化のもとでの予算の減少と格差拡大等―を考える時、内部の関係者にとっても外部の一般市民にとっても著者の構想は良きヒントになろう。
科学者と社会の歴史については、同好の士のクラブから始まった英国王立協会350年の歴史をベースに、科学の担い手は啓蒙主義→ロマン主義→専門家と変遷を経て、19世紀後半の国民国家の興隆と制度科学の誕生を描く。そして、20世紀の科学の巨大化(100年間で100倍の規模に)の背景と冷戦崩壊後の転換期の科学者と社会を考察する。
一方、科学者の気風(エートス)の変遷については、20世紀初頭のマッハ対プランク論争、1960年代のポパー対クーン論争を紹介・解説しているが、複雑になる話を興味深い表や図で示しており一とおりの理解はできた。また、日本の科学精神の流れでは三浦梅園や長岡半太郎の独創性へのこだわりに触れ、科学教育や研究に関して「近思録」の知的爽快への共感は、第一線の研究者・教育者であった著者なればこそと感じた。
最終章では、今や巨大な公共財となった科学技術システムの価値増大と活性化について、「科学技術エンタープライズ」(科学技術の様々な分野が一体となって社会に向き合う事業形態)なる概念を提唱し、「雇用拡大」(常人の職業としての持続可能性)を訴える。現在及び未来の日本の科学の在り方を巡る様々な問題―政権交代後の事業仕訳における「世界一でないと何故だめなのか」といった詰問、技術系ポスドクの就職問題、大学独立法人化のもとでの予算の減少と格差拡大等―を考える時、内部の関係者にとっても外部の一般市民にとっても著者の構想は良きヒントになろう。
2011年3月13日に日本でレビュー済み
1960年代から研究者の世界を経験してきた著者にとって、現在の科学あるいは科学技術の世界は激動の転換期であるという。眼前の問題を考える上で、本書の多くの部分は科学の歴史に目を向けている。19世紀後半まで科学者という職業は存在しなかったが、当たり前ながら科学上の発見はそれまでもあったのである。
貴族が科学者のパトロンについた時代、科学知識が産業を興し、売り上げが研究費になった時代、そして19世紀後半に政府が研究費をだすようになる時代(現在へつづく「制度科学」のはじまり)。わずか150年前には「政府から金をもらったら科学の精神は駄目になる」と考えられていた時代があったとは驚かされる。
「職業としての科学」の意味の拡大(専門領域で論文を書き続ける論文作家だけを研究者というのではない、という意味で)、科学技術エンタープライズという複合的業界、文化産業としての科学、、、。必ずしも具体的、体系的ではないが、本書で断片的、控えめに披露されているいくつかのヒントから何かを汲み取って想像力を膨らますか、非現実的な絵空事と切り捨てるかは読み手次第だろう。
こう書くと、ここ数年、特に若手研究者に対して押し付けられてきた「研究職にこだわるな」的価値観が連想されるかもしれないが、本書では世代を問わず、もっと広い意味で考察されている点で従来とは一線を画している。
難を言えば、特に中盤の哲学的テーマを扱った部分が分かりづらく、少々苦痛だった。よく言えば読者に媚びないということなのだろうが、もう少し、理解しやすさ、伝わりやすさ、ということを意識しても良かった気がする。本書に流れる思想を考えるとなおさらそう思う。
本書は20年後、50年後の社会の中での科学のありようを考えたとき、非常に示唆に富んでいるように思える。現在の科学界に閉塞感を感じる人、科学(科学者)とはこうあるべきとの思い込みの強い人に特におすすめ。
貴族が科学者のパトロンについた時代、科学知識が産業を興し、売り上げが研究費になった時代、そして19世紀後半に政府が研究費をだすようになる時代(現在へつづく「制度科学」のはじまり)。わずか150年前には「政府から金をもらったら科学の精神は駄目になる」と考えられていた時代があったとは驚かされる。
「職業としての科学」の意味の拡大(専門領域で論文を書き続ける論文作家だけを研究者というのではない、という意味で)、科学技術エンタープライズという複合的業界、文化産業としての科学、、、。必ずしも具体的、体系的ではないが、本書で断片的、控えめに披露されているいくつかのヒントから何かを汲み取って想像力を膨らますか、非現実的な絵空事と切り捨てるかは読み手次第だろう。
こう書くと、ここ数年、特に若手研究者に対して押し付けられてきた「研究職にこだわるな」的価値観が連想されるかもしれないが、本書では世代を問わず、もっと広い意味で考察されている点で従来とは一線を画している。
難を言えば、特に中盤の哲学的テーマを扱った部分が分かりづらく、少々苦痛だった。よく言えば読者に媚びないということなのだろうが、もう少し、理解しやすさ、伝わりやすさ、ということを意識しても良かった気がする。本書に流れる思想を考えるとなおさらそう思う。
本書は20年後、50年後の社会の中での科学のありようを考えたとき、非常に示唆に富んでいるように思える。現在の科学界に閉塞感を感じる人、科学(科学者)とはこうあるべきとの思い込みの強い人に特におすすめ。
2011年3月26日に日本でレビュー済み
科学者という職業が興味の対象を突き詰めて収入を得る夢の職業だった時代は昔の話であり,現在は社会のニーズや国政の方針に大きく影響を受けて研究テーマを考えて,競争的研究資金を獲得しなければならない時代になっています。著者は欧米と日本における歴史を紐解いて,その変遷を示しています。
日本は科学技術創造立国を掲げており,科学技術は国家的なインフラのひとつとなっています。実際,日本における科学者の人口割合は他国と比較して非常に多い。今後も同様の体制を継続するためには,科学者という職業が夢のある魅力的な職業でなければならず,これからのあり方を考える上で,本書には重要な情報がまとめられています。
日本は科学技術創造立国を掲げており,科学技術は国家的なインフラのひとつとなっています。実際,日本における科学者の人口割合は他国と比較して非常に多い。今後も同様の体制を継続するためには,科学者という職業が夢のある魅力的な職業でなければならず,これからのあり方を考える上で,本書には重要な情報がまとめられています。
2011年3月7日に日本でレビュー済み
宇宙物理を専門としながら、大学教育と社会教育への実践として翻訳や啓蒙書を執筆し続ける著者ならではの知的背景を象徴する内容である。本書の目的は、凋落し続ける日本の科学技術研究体制の実情を欧米近代の科学技術史500年を踏まえつつ日本の現状がどのような状態にあるのかを描き出している。
<歴史>を踏まえることで、現状を精緻に描き出せることを実証しながらも、さらに創見に富んだ科学哲学の実践者である科学者と哲学者の思想的位置づけ(マッハとマックス・プランク、ポッパーとクーン)を独創的な解釈(p.99の図)で提示し、刺激に富んだ読み物である。他にも著者の数理学に関する見識と哲学解釈が非常に上手く結びついて、哲学概念を精緻化した解釈も豊かで、19世紀の自然哲学者natural philosopherを髣髴とさせる。日本の物理学界は名文家が多い、著者もその列に収まる。今流行の新書ブームには納まらない名著の誕生である。
<歴史>を踏まえることで、現状を精緻に描き出せることを実証しながらも、さらに創見に富んだ科学哲学の実践者である科学者と哲学者の思想的位置づけ(マッハとマックス・プランク、ポッパーとクーン)を独創的な解釈(p.99の図)で提示し、刺激に富んだ読み物である。他にも著者の数理学に関する見識と哲学解釈が非常に上手く結びついて、哲学概念を精緻化した解釈も豊かで、19世紀の自然哲学者natural philosopherを髣髴とさせる。日本の物理学界は名文家が多い、著者もその列に収まる。今流行の新書ブームには納まらない名著の誕生である。