無教会主義とほかのプロテスタントとはなにが異なるのか。妻と娘を亡くした内村鑑三はそれをどう自分の人生と信仰のなかに位置づけているのかを知りたかった。若松英輔氏はとくに2点目の「死」について語る人だ。
内村は最初の結婚の直後、「不敬事件」で病で倒れた。内村が健康をとりもどしたと同時に妻は亡くなる。結婚生活は2年に満たなかった。
生きる気力や意味を失い、神に祈ることもなくなった。
だがそのうち、「願い」は、自分のおもいを神に届けようとすることであり、「祈り」は神の声を聴くことであると気づく。
祈れないとき−−自分のおもいでいっぱいのとき−−神は、祈れるときに勝る恩寵をもって人間を包む……と若松は記す。恩寵とは、神の国、死の国との回路が開かれることだ。
「余の愛するものは生涯の目的を達せしものなり。彼の宇宙は小なりし、されどもその小宇宙は彼を霊化し、彼を最大宇宙に導くの階段となれり」
「彼」とは亡妻のことだ。彼女は若くして逝ったが、人生の役割を果たしたのだと確信する。
妻の死によって、国・宇宙・神を喪失したかに思えたが、実はそれらとより深く交わるための道程だった。死とは、心の次元においては新たな交わりのはじまりであると内村は実感した。
たしかに、愛する人の死は、人の世を超越するなにかを感じさせてくれる。「何らかの役割」をまっとうして旅立ったのだとは思えるような気がする。
死者の世界は愛する人が待つ「家」である。この世に生きるとは、疲れを癒やす家路を歩くことにほかならない、と内村は記した。
内村はその後再婚するが娘が19歳で死んでしまう。
このときのは「もっともつらき日であると共にもっとも恵まれた日」と感じた。愛する者の死は天の国の距離を縮めてくれる。生者は、死者を感じようとする熱情によって「聖国」からの風を感じる。だからそこに詩が生まれる。詩はたぶん「天の国」の風音を聴くことで生まれる。
普通のプロテスタントは、死者のために祈ることは禁じられているが、無教会派の伝道者たちは死者の臨在を語りつづけた。詩情が豊かであることも、無教会の人々の特徴だという。内村没後、指導的な役割を担った矢内原忠雄も妻に先立たれ、しばしば死者を語った。
我が心は愛する者と共にある、
彼天に召されし後、我が心も天にある。
年経れど、古びず、
いやまさる新しき輝きに、
彼はほほえみつつ天に生きる。
藤井武も妻を喪った。死を「終わり」ではなく「霊性の完成」の道程であると考えた。
死者の「命令」に従うことで内村は「再臨運動」もはじめた。
死別は「肉」の次元においては別離だが、「霊」においては出会いの約束であるという実感をもとに、「再臨の日に、すべての死者は新生する」と信じた。
イエスは姿を消したのではない。私たちの目に「隠れている」だけで、今もこの世を照らしている。キリストの再臨はすでにはじまっているが、人間はそれを認識できていないだけだと信じた。
内村自身も矢内原ら弟子たちも、個々が預言者であらねばならないという自覚があった。若松は内村について「遅れてきたイエスの直弟子である使徒の一人だったのではないだろうか」と記す。
無教会とは、教会という現世の権威を経由することなく、個々の人間が生ける神との交わりを経験しようとする試みだったという。
聖書を「読む」とは、それを字義的に解釈するよりも、言葉をもたらしたキリストと向き合うことだ。同様に、内村の書物を読んでも彼が見つづけたものを見失っては、彼との対話はうまくいかない。人間を超える何かを自らの人生に招き入れなければならないという。
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内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書) 新書 – 2018/1/20
若松 英輔
(著)
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All for God──神の道と人の道、「不敬事件」と妻の死、義戦と非戦、そして娘の死と、激しいうねりのなかを生きたこのキリスト者は、自らの弱さを知るからこそ、どこまでも敬虔であろうとした。同時代の多くの人を惹きつけ、『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』『代表的日本人』等の著作に今も響きつづける、その霊性を読み解く。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2018/1/20
- 寸法10.7 x 1.1 x 17.3 cm
- ISBN-104004316979
- ISBN-13978-4004316978
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商品の説明
著者について
若松英輔(わかまつ えいすけ)
1968年新潟県生まれ.批評家・随筆家.
慶應義塾大学文学部仏文科卒.「越知保夫とその時代求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選.
『叡知の詩学小林秀雄と井筒俊彦』にて第2回西脇順三郎学術賞受賞.
著書─『井筒俊彦叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)
『内村鑑三をよむ』(岩波ブックレット)
『岡倉天心「茶の本」を読む』(岩波現代文庫)
『吉満義彦詩と天使の形而上学』(岩波書店)
『生きる哲学』(文春新書)
『イエス伝』(中央公論新社)
『石牟礼道子「苦海浄土」』(NHK出版)
『言葉の贈り物』(亜紀書房)
『言葉の羅針盤』(亜紀書房)
『小林秀雄美しい花』(文藝春秋)
『悲しみが言葉をつむぐとき』(和合亮一と共著,岩波書店)
『緋の舟』(志村ふくみと共著,求龍堂)ほか
1968年新潟県生まれ.批評家・随筆家.
慶應義塾大学文学部仏文科卒.「越知保夫とその時代求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選.
『叡知の詩学小林秀雄と井筒俊彦』にて第2回西脇順三郎学術賞受賞.
著書─『井筒俊彦叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)
『内村鑑三をよむ』(岩波ブックレット)
『岡倉天心「茶の本」を読む』(岩波現代文庫)
『吉満義彦詩と天使の形而上学』(岩波書店)
『生きる哲学』(文春新書)
『イエス伝』(中央公論新社)
『石牟礼道子「苦海浄土」』(NHK出版)
『言葉の贈り物』(亜紀書房)
『言葉の羅針盤』(亜紀書房)
『小林秀雄美しい花』(文藝春秋)
『悲しみが言葉をつむぐとき』(和合亮一と共著,岩波書店)
『緋の舟』(志村ふくみと共著,求龍堂)ほか
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2018/1/20)
- 発売日 : 2018/1/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 240ページ
- ISBN-10 : 4004316979
- ISBN-13 : 978-4004316978
- 寸法 : 10.7 x 1.1 x 17.3 cm
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- - 646位岩波新書
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著者について
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1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。
2007 年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14 回三田文学新人賞受賞。
2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。
2018年詩集『見えない涙』で第33回詩歌文学館賞を受賞。
2018年、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞を受賞。
2019年、『小林秀雄 美しい花』で蓮如賞を受賞。
著書に『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶応義塾大学出版会)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、『イエス伝』(中央公論新社)『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)『言葉の贈り物』『弱さのちから』(亜紀書房)など。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年2月11日に日本でレビュー済み
内村鑑三は自分の心に大変正直な人間だったように思われます。その彼の心にイエス・キリストという存在がどの様に映っていたのか、一体人生で大切なことは何なのか、「死と悲しみ」をモチーフとする人生の折々の危機点において圧縮・噴出する内村の正直な言葉の数々は、一瞬の火花のように、それを現代の私達にも垣間見させてくれる様に思われます。
2018年11月19日に日本でレビュー済み
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悲しみとはなんだろうか。慈悲という言葉があるように、悲しみには慈しみという意味がある。悲母とは、愛に満ちた母のことだ。悲しみと慈しみというふたつの意味があるのではない。人への慈しみがなければ、その人とのかかわりの中で悲しみは生じない。その人の悲しみを感じなければ、慈しみは湧き出て来ない。
「生者が死者を悼むのではなく、死者が生者を悼み続け、そのはたらきによって生者が支えられている。死者の悼むちからが、生者を支えている。それが内村の実感だった」(p.155)。
死者が生者を悲しむ。しかし、その悲しみが生者を慈しみ養ってくれるのだ。
「彼にとって死者の経験は、祈りの挫折の経験であり、また、その深化の出来事でもあった。愛する者にふたたび健やかなる日を、という祈りは聞き入れられることはなかった。しかし、愛する者よ、永遠なれ、という真なる祈りは、自分が感じているよりもずっとたしかに実現されている、と内村は感じている」(p.156)。
この者を癒してください、救ってくださいとせつに祈ったが、内村の妻は死んだ。神は祈りを聞いてくれなかった。なんと大きな悲しみか。祈りは挫折した。しかし、妻が永遠のいのちにあることを思うとき、それは、なんと大きな慈しみか。祈りは深められた。神とのつながり、妻とのつながりが深化した。
「内村にとって霊性の深化は、苦痛の経験を経ることによって実現される。キリスト者であろうとすることは、可能な限りキリストの苦しみを感じ、生きてみることだと内村は信じている。再臨運動とは、神が苦しみつつあることへの目覚めを強く促す動きだったといってもよい」(p.169)。「内村にとってキリストの道を生きるとは、他者の痛みを『私』の痛みとして感じようと試みることでもあった」(p.170)。
「苦痛」が「慈しみ」と重なりあうとき、「悲しみ」となる。著者が内村を「悲しみの使徒」と呼んだゆえんだ。
「再臨」とは何だろうか。
「福音を信じ得ない者にまでも、贖いの恩寵が光のごとく、万人にあまねくそそがれるとき、それが内村にとっての再臨の日だった・・・再臨のとき、人と神はすでに道によって隔たれてはいない。そこに宗教が入る余地はない。宗教がその使命を終え、消えゆくこと、その実現こそ、内村が自ら使命と信じたことだったのである」(p.180)。
「万人にあまねくそそがれる恩寵の光」こそが「悲しみ」である。それに満ちた世界には、もはや宗教はない。人が神を隔てるものはない。
「無教会」とはこの展望のことではなかろうか。「英語でいうnon-churchというよりも、既存の教会のあり方を超えて、beyond-churchと理解した方がよいように思われる」(p.209)。
「生者が死者を悼むのではなく、死者が生者を悼み続け、そのはたらきによって生者が支えられている。死者の悼むちからが、生者を支えている。それが内村の実感だった」(p.155)。
死者が生者を悲しむ。しかし、その悲しみが生者を慈しみ養ってくれるのだ。
「彼にとって死者の経験は、祈りの挫折の経験であり、また、その深化の出来事でもあった。愛する者にふたたび健やかなる日を、という祈りは聞き入れられることはなかった。しかし、愛する者よ、永遠なれ、という真なる祈りは、自分が感じているよりもずっとたしかに実現されている、と内村は感じている」(p.156)。
この者を癒してください、救ってくださいとせつに祈ったが、内村の妻は死んだ。神は祈りを聞いてくれなかった。なんと大きな悲しみか。祈りは挫折した。しかし、妻が永遠のいのちにあることを思うとき、それは、なんと大きな慈しみか。祈りは深められた。神とのつながり、妻とのつながりが深化した。
「内村にとって霊性の深化は、苦痛の経験を経ることによって実現される。キリスト者であろうとすることは、可能な限りキリストの苦しみを感じ、生きてみることだと内村は信じている。再臨運動とは、神が苦しみつつあることへの目覚めを強く促す動きだったといってもよい」(p.169)。「内村にとってキリストの道を生きるとは、他者の痛みを『私』の痛みとして感じようと試みることでもあった」(p.170)。
「苦痛」が「慈しみ」と重なりあうとき、「悲しみ」となる。著者が内村を「悲しみの使徒」と呼んだゆえんだ。
「再臨」とは何だろうか。
「福音を信じ得ない者にまでも、贖いの恩寵が光のごとく、万人にあまねくそそがれるとき、それが内村にとっての再臨の日だった・・・再臨のとき、人と神はすでに道によって隔たれてはいない。そこに宗教が入る余地はない。宗教がその使命を終え、消えゆくこと、その実現こそ、内村が自ら使命と信じたことだったのである」(p.180)。
「万人にあまねくそそがれる恩寵の光」こそが「悲しみ」である。それに満ちた世界には、もはや宗教はない。人が神を隔てるものはない。
「無教会」とはこの展望のことではなかろうか。「英語でいうnon-churchというよりも、既存の教会のあり方を超えて、beyond-churchと理解した方がよいように思われる」(p.209)。
2018年9月17日に日本でレビュー済み
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内村鑑三の思想と言葉を読み解きながらその生涯を辿った一冊。霊性(信仰に対する態度)を浮き彫りにしていくことで、内村にとっての基督教が見出されていきます。
妻や娘の死の悲しみを内村はどう乗り越えたのか、悲しみを意味あるものと捉えた第2章死者には最も心を動かすものがありました。人間的には不完全だった内村の元を去っていった多くの弟子たち、師弟の数々の逸話も興味深いものでした。
基督教に対する自分なりの信念を持って生涯を貫いた内村。その思想と言葉は世代を超えて我々に訴えかけるものがあることを本書は教えてくれます。著者の胸に迫る文章にも引き付けられました。
妻や娘の死の悲しみを内村はどう乗り越えたのか、悲しみを意味あるものと捉えた第2章死者には最も心を動かすものがありました。人間的には不完全だった内村の元を去っていった多くの弟子たち、師弟の数々の逸話も興味深いものでした。
基督教に対する自分なりの信念を持って生涯を貫いた内村。その思想と言葉は世代を超えて我々に訴えかけるものがあることを本書は教えてくれます。著者の胸に迫る文章にも引き付けられました。
2018年2月16日に日本でレビュー済み
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若松英輔さんの文章が素晴らしい。
内村鑑三の霊性がよみがえり手に取るように表現されている。
はっとして読み返してしまう文章が続く。
若松英輔さんの他の評論を検索して読みだしてしまった。
内村鑑三の霊性がよみがえり手に取るように表現されている。
はっとして読み返してしまう文章が続く。
若松英輔さんの他の評論を検索して読みだしてしまった。
2018年5月4日に日本でレビュー済み
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この本は失敗でした。信仰書だと思い込んで買ったのですが著者が全く別の視点で書いているので2頁位読んでやめました。内村鑑三の著書は何冊も読み同じクリスチャンの大先輩として大きな力を受けています。題名からして気付くべきでした。
2018年1月31日に日本でレビュー済み
「日本的キリスト教」を確立したとされる内村の「霊性」が、いかに普遍的な深みへと達していたのかが、内村と弟子たちとの濃密な交流をたどる中で、とてもわかりやすい言葉で浮き彫りにされていく好著です。
単なる評伝や近代日本思想史ではなく、「今ここ」に生きる私たちにとって、内村の霊性が有する意義が、ありありと浮かび上がってきます。
教科書に出てくる、真面目ではあるがさほど自分とは関係がない人物として内村を見ている人は、本書を読んで、内村という人物が、自分の心に強く訴えかける新鮮な言葉を多く残している人物だということに気づき、魅了されること間違いありません。
岩波新書で最近続々と刊行されてきたキリスト教思想シリーズ(大貫隆『聖書の読み方』、青野太潮『パウロ 十字架の使徒』、赤江達也『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』、徳善義和『マルティン・ルター:ことばに生きた改革者』、出村和彦『アウグスティヌス 「心」の哲学者』、山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』)の掉尾を飾るにふさわしい、長く読み継がれていくであろう渾身の一冊です。
単なる評伝や近代日本思想史ではなく、「今ここ」に生きる私たちにとって、内村の霊性が有する意義が、ありありと浮かび上がってきます。
教科書に出てくる、真面目ではあるがさほど自分とは関係がない人物として内村を見ている人は、本書を読んで、内村という人物が、自分の心に強く訴えかける新鮮な言葉を多く残している人物だということに気づき、魅了されること間違いありません。
岩波新書で最近続々と刊行されてきたキリスト教思想シリーズ(大貫隆『聖書の読み方』、青野太潮『パウロ 十字架の使徒』、赤江達也『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』、徳善義和『マルティン・ルター:ことばに生きた改革者』、出村和彦『アウグスティヌス 「心」の哲学者』、山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』)の掉尾を飾るにふさわしい、長く読み継がれていくであろう渾身の一冊です。
2022年2月20日に日本でレビュー済み
「武士道」といった前近代の共同体倫理の中で自我形成された一人の知性的人間、内村鑑三。その彼が「霊性」と呼ばれる見えない神や霊魂という超越的世界にコンタクトしようとする人の超越論的側面に目覚め、自己の完成された「知性」とその「霊性」のバランスを求め苦闘する物語だ。ただ、内村の場合は旧時代の自我の殻があまりにも強固で、「霊性」は思想に終わり、彼は結局「霊媒者」や「預言者」にはなれなかった。彼ら近代化の第1世代に信を置けなかった次世代の例えば芥川は、旧時代の自我も弱体化し、かと言って「霊性」も受け入れることが出来ずに狂気の中で自死を選んだ。旧時代の価値観をあらかた喪失した現代日本人が果たして内村の人生から何を得られるのか疑問だ。