プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥924¥924 税込
ポイント: 28pt
(3%)
無料お届け日:
3月30日 土曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥924¥924 税込
ポイント: 28pt
(3%)
無料お届け日:
3月30日 土曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥622
中古品:
¥622

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
植民地から建国へ 19世紀初頭まで (岩波新書 新赤版 1770 シリーズアメリカ合衆国史 1) 新書 – 2019/4/20
和田 光弘
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥924","priceAmount":924.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"924","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"iQsjMLnBoQlTzecCxZ7Yf1xFLJZ33DogY5snXW6D6Ngg4T6oxlzu6hYC0r0pTfrL9OnFR56s89y1cb5jXSlhNZBms0mDk0X%2F8S2Fhudo7RsZNpIqzeUnNJSr743Q%2FY5UXUPWKGfgwSs%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥622","priceAmount":622.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"622","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"iQsjMLnBoQlTzecCxZ7Yf1xFLJZ33Dogm6NBPd232ND1Kl%2Fb6w0vZHh%2BkXKpBm5C0ZxklKKndaCK%2B2BSLPfA5wUA2z1JURZbUUyCHoTATedRffDNW%2Fv3vy6UHaDV%2FJev6%2FToce8W1WtKcUuqz4i0qCXf2UReEOkEJUiwRnTLMrnZ7RpM9kA9Rg%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
近代世界においてつねに強い光を放ち、深い影を落としてもきたアメリカという国。最新の研究成果にもとづき、一国史を超える豊かな視座からその歩みを叙述する。第一巻は、先住民の世界から植民地期、独立革命と憲法制定、そして新共和国としての試練まで、初期アメリカの歴史像を、大西洋史や記憶史の知見もふまえ提示。(全4冊)
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2019/4/20
- ISBN-104004317703
- ISBN-13978-4004317708
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 植民地から建国へ 19世紀初頭まで (岩波新書 新赤版 1770 シリーズアメリカ合衆国史 1)
¥924¥924
最短で3月30日 土曜日のお届け予定です
残り9点(入荷予定あり)
¥968¥968
最短で3月30日 土曜日のお届け予定です
残り5点(入荷予定あり)
¥946¥946
最短で3月30日 土曜日のお届け予定です
残り7点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2019/4/20)
- 発売日 : 2019/4/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4004317703
- ISBN-13 : 978-4004317708
- Amazon 売れ筋ランキング: - 76,705位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 416位岩波新書
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカの建国までの激動の歴史が良く分かりました。
2019年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
つい、アメリカは歴史が浅いと思いがちですが、「あとがき」にもあるように合衆国憲法制定からは230年たっており、日本国憲法よりも3倍もの歳月にわたり《連邦と国家を運営し、初代から第45第まで44人の大統領を、憲法二条にもとづいて途切れることなく選び続けてきたこの国は、もはや決して若い国でも、歴史の浅い国でもない》といえるかもしれません。
独立戦争に向かう流れはだいたいこんなもんかな、という感じですが、考えてみれば《寄せ集めの13邦が、当時最強のイギリス軍に果敢に挑んだ戦い》だったという視点は忘れてはならないな、と。イギリスはドイツからも傭兵部隊を送り込んだわけですし、よく勝ったな、と(p.123)。また、最初13州は13の独立した国(邦)という意味のSTATEだった、という視点も大切だな、と思いました。
だから、独立戦争終結後の13州の連合会議に認められた目的は規約改正とされていたんですが、いったん集まると秘密会議にして、一気に憲法制定へ(p.155)という流れは日本の幕末を思い出しました。州(邦)の独立という志向の強い人々にとって、憲法を制定してアメリカ合衆国をつくる話しを秘密会議でやられたというのは、倒幕が終わったらいつのまにか攘夷がなくなったことに驚く尊皇派志士たちの姿を思い出しましたが、いつの時代にも先が見えるのは少数だから仕方ないのかな、と。
初代のワシントン、二代目のアダムズに続き、三代目の大統領となったジェファソンは1782年に妻をなくし再婚することはなかったが、妻が連れてきた混血の黒人奴隷サリー・ヘミングス(写真)と深い仲にあったといわれます。サリーは妻の父ジョン・ウェイルズを同じ父とする異母姉妹で3/4白人。つまり、ジェファソンは亡き妻の面影をサリーにみていたわけです。奴隷制度では、所有する黒人女性との関係は「慣行」とされていました。生まれた子どもは原則奴隷なので、財産も増える仕組みというのはおぞましいかぎりです。
1808年に奴隷貿易が禁止されたのは、ハイチ革命の影響もあるが、黒人奴隷の自然増で米国国内での調達・維持が可能となっていたからだとされています(p.204-)。サリーは6人の子を産み、4人が成人。その中の3人は見かけ上、白人として通り、「ワン・ドロップ・ルール」にもかかわらず白人として生きたそうです(パッシングと呼ばれる)。ちにみに、ハイチを革命で失ったナポレオンは、ルイジアナを維持するよりも戦費調達のため、最初はニューオリンズの購入をもちかけたジェファソンに対し、逆に全体の売却を逆提案したそうです(p.197)。
ジェファソンの子孫たちは1990年代になってDNA鑑定を求めましたが、彼ら全員は弟を含むジェファソン一家の子孫である可能性が高いものの、全容解明は難しいとのことです。しかし、逆にジェファソンとサリーの関係を否定することも難しい、としています(p.204-)。にしても、弟もですか…。ワシントンから五代目のモンローまで、二代目のアダムズを除く4名は南部ヴァージニア出身だったというのは重要かな、と(p.208)。かれらは皆、奴隷制の大プランテーションの経営者であり、そうした所業も無理はないかもしれません。
独立戦争に向かう流れはだいたいこんなもんかな、という感じですが、考えてみれば《寄せ集めの13邦が、当時最強のイギリス軍に果敢に挑んだ戦い》だったという視点は忘れてはならないな、と。イギリスはドイツからも傭兵部隊を送り込んだわけですし、よく勝ったな、と(p.123)。また、最初13州は13の独立した国(邦)という意味のSTATEだった、という視点も大切だな、と思いました。
だから、独立戦争終結後の13州の連合会議に認められた目的は規約改正とされていたんですが、いったん集まると秘密会議にして、一気に憲法制定へ(p.155)という流れは日本の幕末を思い出しました。州(邦)の独立という志向の強い人々にとって、憲法を制定してアメリカ合衆国をつくる話しを秘密会議でやられたというのは、倒幕が終わったらいつのまにか攘夷がなくなったことに驚く尊皇派志士たちの姿を思い出しましたが、いつの時代にも先が見えるのは少数だから仕方ないのかな、と。
初代のワシントン、二代目のアダムズに続き、三代目の大統領となったジェファソンは1782年に妻をなくし再婚することはなかったが、妻が連れてきた混血の黒人奴隷サリー・ヘミングス(写真)と深い仲にあったといわれます。サリーは妻の父ジョン・ウェイルズを同じ父とする異母姉妹で3/4白人。つまり、ジェファソンは亡き妻の面影をサリーにみていたわけです。奴隷制度では、所有する黒人女性との関係は「慣行」とされていました。生まれた子どもは原則奴隷なので、財産も増える仕組みというのはおぞましいかぎりです。
1808年に奴隷貿易が禁止されたのは、ハイチ革命の影響もあるが、黒人奴隷の自然増で米国国内での調達・維持が可能となっていたからだとされています(p.204-)。サリーは6人の子を産み、4人が成人。その中の3人は見かけ上、白人として通り、「ワン・ドロップ・ルール」にもかかわらず白人として生きたそうです(パッシングと呼ばれる)。ちにみに、ハイチを革命で失ったナポレオンは、ルイジアナを維持するよりも戦費調達のため、最初はニューオリンズの購入をもちかけたジェファソンに対し、逆に全体の売却を逆提案したそうです(p.197)。
ジェファソンの子孫たちは1990年代になってDNA鑑定を求めましたが、彼ら全員は弟を含むジェファソン一家の子孫である可能性が高いものの、全容解明は難しいとのことです。しかし、逆にジェファソンとサリーの関係を否定することも難しい、としています(p.204-)。にしても、弟もですか…。ワシントンから五代目のモンローまで、二代目のアダムズを除く4名は南部ヴァージニア出身だったというのは重要かな、と(p.208)。かれらは皆、奴隷制の大プランテーションの経営者であり、そうした所業も無理はないかもしれません。
2019年6月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「かくのごとくアメリカ史においては、原語、でも日本語でも、「国の意味するところは所与でも自明でもない。」(本書ⅹⅵ頁 「はじめに」)と言う問題意識から本書は出発する。
私個人について言えば、高校で受けた世界史授業で、コロンブスの新大陸発見の次には、アメリカの独立革命(独立戦争)前夜の印紙法とかボストン茶会事件あたりまで飛んでしまったようで、独立した国家を打ち立てる事が出来る程に、植民地社会が成長していった経緯については、殆ど知らなかった。
独立時の13州と言えども、ニューイングランド、中部、南部とでは、生い立ちがかなり異なっており、その中で共通の利害を見つけ出し、国民国家への統合を果たして行く過程が、簡潔かつ的確に説明されており、なぜ「合衆国」なのかと言うことが、多少なりとも理解できたように思う。
その過程で取り入れた制度が、憲法、大統領、議会、最高裁判所と言うことになる。そもそも、これらの仕組みがなければ、そもそも国として成り立たないのだ。著者が、愛国歌「星条旗」の誕生をもって本文を終えているのも、統合の為の道具立てを必要としている「合衆国」の性格を示す為であろう。
私たち日本人にとって、国は所与のもので、憲法も、国会も、内閣も、最高裁判所もその後に作ったものと思うのが自然な気がする。君が代、日の丸も、日本と言う国に存在に直接関わるものではないだろう。その意味で、日米の差は大きいと思った。
なお、本書の多岐にわたる内容に触れると長くなるので省くが、著者が意図したと書いている「大西洋史」と言う視点については、現象面の相関に止まり、今一歩の感がしない訳でもなかった。
とは言っても、米国史の素人にとっては、得る所の多い本であることは間違いないと思う。
私個人について言えば、高校で受けた世界史授業で、コロンブスの新大陸発見の次には、アメリカの独立革命(独立戦争)前夜の印紙法とかボストン茶会事件あたりまで飛んでしまったようで、独立した国家を打ち立てる事が出来る程に、植民地社会が成長していった経緯については、殆ど知らなかった。
独立時の13州と言えども、ニューイングランド、中部、南部とでは、生い立ちがかなり異なっており、その中で共通の利害を見つけ出し、国民国家への統合を果たして行く過程が、簡潔かつ的確に説明されており、なぜ「合衆国」なのかと言うことが、多少なりとも理解できたように思う。
その過程で取り入れた制度が、憲法、大統領、議会、最高裁判所と言うことになる。そもそも、これらの仕組みがなければ、そもそも国として成り立たないのだ。著者が、愛国歌「星条旗」の誕生をもって本文を終えているのも、統合の為の道具立てを必要としている「合衆国」の性格を示す為であろう。
私たち日本人にとって、国は所与のもので、憲法も、国会も、内閣も、最高裁判所もその後に作ったものと思うのが自然な気がする。君が代、日の丸も、日本と言う国に存在に直接関わるものではないだろう。その意味で、日米の差は大きいと思った。
なお、本書の多岐にわたる内容に触れると長くなるので省くが、著者が意図したと書いている「大西洋史」と言う視点については、現象面の相関に止まり、今一歩の感がしない訳でもなかった。
とは言っても、米国史の素人にとっては、得る所の多い本であることは間違いないと思う。
2020年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
北米大陸の発見から英領植民地の時代を経てアメリカ合衆国が建国される流れを網羅できる一冊。同胞であるはずのイギリスと何故対立が生まれたのかが理解しやすい。
合衆国史シリーズ第1巻であり、著者は変わるが、これは続編が楽しみになってきた。
合衆国史シリーズ第1巻であり、著者は変わるが、これは続編が楽しみになってきた。
2019年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
従来の通史の著述と、大きく視点を変えるものはないように思えます。
一通りアメリカ史を学んだ者にとって、よい復習にはなりますが、何か、今までと全く違った視点からの刺激を求める場合には、期待に添えない場合もあると思います。
建国時のヒーローたちの人物像までは、一部(トーマス・ジェファーソンと女性黒人奴隷との関係)以外は、書かれておりません。
一通りアメリカ史を学んだ者にとって、よい復習にはなりますが、何か、今までと全く違った視点からの刺激を求める場合には、期待に添えない場合もあると思います。
建国時のヒーローたちの人物像までは、一部(トーマス・ジェファーソンと女性黒人奴隷との関係)以外は、書かれておりません。
2019年9月3日に日本でレビュー済み
本書はまず、ヨーロッパ人が北米大陸に到着する前の、考古学的人類学的な知見にもとづいた大陸の状況についてのごくごくかんたんな概観からはじまっています。
そのあと、大航海時代における1492年のコロンブスの新大陸「発見」あたりから、いよいよ本格的にアメリカの歴史が記述されてゆきます。
イギリス領植民地時代では、13の植民地はそれぞれに異なる成立事情をもつため、とても分かりにくい当時の状況について簡潔な解説と明快な整理がなされています。
じゅうらい、このイギリス領植民地についてその発展の規範として考えられてきたのはニューイングランド(北部植民地)であるが、そこは発展の形態としてはむしろ例外であって、チェサピーク湾植民地(南部植民地)のほうこそをイギリス領植民地の典型例ととらえるべきだという最新の学説も紹介されています。
また、そのイギリス領植民地が発展していくなかで、ふたつのヴェクトルの作用がはたらいていたという本書の指摘は興味ふかく、それは、ひとつは「本国(イギリス)から持ちこんだものを植民地環境へ適応させる〈クレオール化〉の力」、もうひとつは「本国の伝統・文化規範・社会秩序などを重視する〈イギリス化〉の力」だったというものです。
17世紀には前者の作用によって植民地は多様な環境に対応する多様な社会を形成したが、18世紀には後者の作用が強くなって、本国社会の「複製」をめざす方向へと発展が収束した結果、各植民地は互いによく似た様相を呈するようになった、ということのようです。
(ちなみに、のちにアメリカは、独立後、移民国家として大きくなってゆきますが、その「後世の移民はアメリカ合衆国というホスト社会への適応=〈アメリカ化〉を求められる」ことになります)
そして、「有益なる怠慢」という言い方で知られる、本国イギリスの支配がゆるやかで自治がそれなりに認められていた植民地時代にあって、イギリスが、七年戦争(1756-63年)でフランスを破って北米でのフランスの脅威がなくなったあと、植民地側につぎつぎに過酷な強圧的諸法を課してきたために、植民地側は「代表なくして課税なし」の標語でもって対抗して、ついに本国イギリスにたいする戦争(独立革命)をはじめます(1775年レキシントン・コンコードの戦い)。
そのなかでさらに独立宣言(1776年)が植民地側の会議(大陸会議)で採択されるまでにいたります。
ただし「独立」といっても、その時点では「あくまで13の植民地が個々の邦(ステイト)として一緒に独立する」ということが考えられていたにすぎなかったとされています。
その後も独立戦争がつづくわけですが、ちなみにジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の映画『モホークの太鼓』(1939年)では、ニューイングランドはオールバニー(すぐ北には戦地として知られるサラトガがあります)西方のモホーク渓谷を舞台に、開拓民からなる即席に組織された民兵たちと、先住民を手先にしたイギリス軍との戦いが描かれています。映画の最後は、星条旗(本書からすると現在の星条旗の原型である、赤白交互のストライプ13本と五芒星13個を円形にあしらった「ベッツィ・ロスの旗」のようですが、当時しかしすでにそうした意匠の旗があったのかどうかはこれも本書からすると疑問ありのようにみえます)がはためく場面で終わっています。
戦争終結後は(1783年パリ条約で正式に終結)、国づくりの上でさまざまな困難に遭いながらも、1787年に憲法を制定し(1790年に13州批准完了)、いよいよThe United States of Americaという国号で共和国樹立への道を着実に歩みはじめる初代大統領ワシントン(1789年就任)から第三代ジェファソンの時代あたりまでのアメリカ史が本書で記述されています。
本書の記述の特徴は、歴史を公共化し、また歴史を広く国民に共有させ、ときに歴史を神話化、ときに歴史の修正や捏造もする記憶のポリティクスというべきものに注意を払っていること、具体的には歴史の記憶を刻印した公共的で、しばしばシンボル的ないしアイコン的な意味を担ったさまざまなモノ(彫像、記念碑、旗、図像、墓(地)、建造物、地図、貨幣、切手などなど)に着目した記憶史的なアプローチをふんだんにくわえているところにあるといえます。
(日本でいうと、たとえば上野公園に西郷さんの銅像がありますが、明治維新の元勲ながらも西南戦争で明治政府に反乱を起こした西郷さんがなぜ銅像に、それもなぜ徳川家にもゆかり深く、かつ明治政府の所在地でもある東京は上野の森に建てられ、なぜしかもあのような浴衣のような衣をまとっているのか…そこに国民の記憶に何かをつよく刻印するべく記憶のポリティクスがはたらいているのかどうか…)
まあそれはそれとして、本書にはつぎのような記述があります:
「そもそも君主のいない[アメリカのような]共和制国家では、国家という抽象的な存在それ自体に対して直接、忠誠心を抱かせねばならない。しかし「想像の共同体」を想像するためには、やはり具体的なイメージは不可欠なのであって、その手掛かりとして、ワシントンのような英雄や国旗など、さまざまなシンボルが国民化のために総動員されることになったといえる。」
まあやはり共和制のフランスでも、マリアンヌ(自由の女神)のような女性像や国旗である三色旗が国民統合のシンボルとして機能してきたわけで、アメリカの場合と軌を同じくしているのでしょう。
神から世俗にふるう絶対的な権力を授かったとされる王、つまり超越的な神にその不可侵の絶対的権力の源泉があるとされていた王、そんな王がいなくなった近代国民国家で、国民を法の名で統治し、国民から収税し、国民を処罰したりする、ようするに多様な国民を国家の名のもとにひとつに統合していくためには、権力をもち、ときに暴力をふるうそうした国家それじたいをそれなりに根拠づけ正統化しかつ正当化する必要があるわけで、国家起源神話とか国民創生神話とかを造り上げ、それを国民の頭に植えつけるなどして、近代国民国家はそれぞれ国民統合にむけて苦労してきた、あるいは工夫をこらしてきたというわけです。
メモをもうひとつ:
1662年(植民まもないこんなにも早くにも!)のヴァージニア植民地議会における制定法では「生まれた子どもが不自由身分[つまり奴隷]なのか、自由身分なのかの判断は、母親の身分にのみ基づいてなされる」とされ、それは「本国の法体系とは異質の母系制の原理まで持ち込んでまで、白人の血の純潔性を確保するとともに、白人男性による黒人女性の性的搾取を暗黙裡に正当化した」ことを意味し、つまりは黒人女性が生んだ子どもは、たとえ父親が白人男性で、その子に白人の血が半分混ざっていても、奴隷身分が決定するということになったわけです。
これはまあ、家系をたどって一滴でも黒人の血が混じっている者は、いっけん顔や姿かたちがまったく白人ふうに見えようとも、黒人とする、あのワン・ドロップ・ルールにつながってゆくのでしょうね。
つけたし:
現代にあってアメリカの大学生に、南北戦争以前のアメリカ史において政治家・軍人以外で、すぐに頭に浮かぶ人物はだれか、という質問をすると、ほぼ必ず最上位に挙がってくるのがベッツィ・ロスあるいはポール・リヴィアであるということが本書で紹介されています。
つまりそのふたつの固有名は、アメリカの大学生であればほとんどだれでも知っているということになるのでしょうが、評者は恥ずかしながらまったく知らない名前でした。
そのあと、大航海時代における1492年のコロンブスの新大陸「発見」あたりから、いよいよ本格的にアメリカの歴史が記述されてゆきます。
イギリス領植民地時代では、13の植民地はそれぞれに異なる成立事情をもつため、とても分かりにくい当時の状況について簡潔な解説と明快な整理がなされています。
じゅうらい、このイギリス領植民地についてその発展の規範として考えられてきたのはニューイングランド(北部植民地)であるが、そこは発展の形態としてはむしろ例外であって、チェサピーク湾植民地(南部植民地)のほうこそをイギリス領植民地の典型例ととらえるべきだという最新の学説も紹介されています。
また、そのイギリス領植民地が発展していくなかで、ふたつのヴェクトルの作用がはたらいていたという本書の指摘は興味ふかく、それは、ひとつは「本国(イギリス)から持ちこんだものを植民地環境へ適応させる〈クレオール化〉の力」、もうひとつは「本国の伝統・文化規範・社会秩序などを重視する〈イギリス化〉の力」だったというものです。
17世紀には前者の作用によって植民地は多様な環境に対応する多様な社会を形成したが、18世紀には後者の作用が強くなって、本国社会の「複製」をめざす方向へと発展が収束した結果、各植民地は互いによく似た様相を呈するようになった、ということのようです。
(ちなみに、のちにアメリカは、独立後、移民国家として大きくなってゆきますが、その「後世の移民はアメリカ合衆国というホスト社会への適応=〈アメリカ化〉を求められる」ことになります)
そして、「有益なる怠慢」という言い方で知られる、本国イギリスの支配がゆるやかで自治がそれなりに認められていた植民地時代にあって、イギリスが、七年戦争(1756-63年)でフランスを破って北米でのフランスの脅威がなくなったあと、植民地側につぎつぎに過酷な強圧的諸法を課してきたために、植民地側は「代表なくして課税なし」の標語でもって対抗して、ついに本国イギリスにたいする戦争(独立革命)をはじめます(1775年レキシントン・コンコードの戦い)。
そのなかでさらに独立宣言(1776年)が植民地側の会議(大陸会議)で採択されるまでにいたります。
ただし「独立」といっても、その時点では「あくまで13の植民地が個々の邦(ステイト)として一緒に独立する」ということが考えられていたにすぎなかったとされています。
その後も独立戦争がつづくわけですが、ちなみにジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の映画『モホークの太鼓』(1939年)では、ニューイングランドはオールバニー(すぐ北には戦地として知られるサラトガがあります)西方のモホーク渓谷を舞台に、開拓民からなる即席に組織された民兵たちと、先住民を手先にしたイギリス軍との戦いが描かれています。映画の最後は、星条旗(本書からすると現在の星条旗の原型である、赤白交互のストライプ13本と五芒星13個を円形にあしらった「ベッツィ・ロスの旗」のようですが、当時しかしすでにそうした意匠の旗があったのかどうかはこれも本書からすると疑問ありのようにみえます)がはためく場面で終わっています。
戦争終結後は(1783年パリ条約で正式に終結)、国づくりの上でさまざまな困難に遭いながらも、1787年に憲法を制定し(1790年に13州批准完了)、いよいよThe United States of Americaという国号で共和国樹立への道を着実に歩みはじめる初代大統領ワシントン(1789年就任)から第三代ジェファソンの時代あたりまでのアメリカ史が本書で記述されています。
本書の記述の特徴は、歴史を公共化し、また歴史を広く国民に共有させ、ときに歴史を神話化、ときに歴史の修正や捏造もする記憶のポリティクスというべきものに注意を払っていること、具体的には歴史の記憶を刻印した公共的で、しばしばシンボル的ないしアイコン的な意味を担ったさまざまなモノ(彫像、記念碑、旗、図像、墓(地)、建造物、地図、貨幣、切手などなど)に着目した記憶史的なアプローチをふんだんにくわえているところにあるといえます。
(日本でいうと、たとえば上野公園に西郷さんの銅像がありますが、明治維新の元勲ながらも西南戦争で明治政府に反乱を起こした西郷さんがなぜ銅像に、それもなぜ徳川家にもゆかり深く、かつ明治政府の所在地でもある東京は上野の森に建てられ、なぜしかもあのような浴衣のような衣をまとっているのか…そこに国民の記憶に何かをつよく刻印するべく記憶のポリティクスがはたらいているのかどうか…)
まあそれはそれとして、本書にはつぎのような記述があります:
「そもそも君主のいない[アメリカのような]共和制国家では、国家という抽象的な存在それ自体に対して直接、忠誠心を抱かせねばならない。しかし「想像の共同体」を想像するためには、やはり具体的なイメージは不可欠なのであって、その手掛かりとして、ワシントンのような英雄や国旗など、さまざまなシンボルが国民化のために総動員されることになったといえる。」
まあやはり共和制のフランスでも、マリアンヌ(自由の女神)のような女性像や国旗である三色旗が国民統合のシンボルとして機能してきたわけで、アメリカの場合と軌を同じくしているのでしょう。
神から世俗にふるう絶対的な権力を授かったとされる王、つまり超越的な神にその不可侵の絶対的権力の源泉があるとされていた王、そんな王がいなくなった近代国民国家で、国民を法の名で統治し、国民から収税し、国民を処罰したりする、ようするに多様な国民を国家の名のもとにひとつに統合していくためには、権力をもち、ときに暴力をふるうそうした国家それじたいをそれなりに根拠づけ正統化しかつ正当化する必要があるわけで、国家起源神話とか国民創生神話とかを造り上げ、それを国民の頭に植えつけるなどして、近代国民国家はそれぞれ国民統合にむけて苦労してきた、あるいは工夫をこらしてきたというわけです。
メモをもうひとつ:
1662年(植民まもないこんなにも早くにも!)のヴァージニア植民地議会における制定法では「生まれた子どもが不自由身分[つまり奴隷]なのか、自由身分なのかの判断は、母親の身分にのみ基づいてなされる」とされ、それは「本国の法体系とは異質の母系制の原理まで持ち込んでまで、白人の血の純潔性を確保するとともに、白人男性による黒人女性の性的搾取を暗黙裡に正当化した」ことを意味し、つまりは黒人女性が生んだ子どもは、たとえ父親が白人男性で、その子に白人の血が半分混ざっていても、奴隷身分が決定するということになったわけです。
これはまあ、家系をたどって一滴でも黒人の血が混じっている者は、いっけん顔や姿かたちがまったく白人ふうに見えようとも、黒人とする、あのワン・ドロップ・ルールにつながってゆくのでしょうね。
つけたし:
現代にあってアメリカの大学生に、南北戦争以前のアメリカ史において政治家・軍人以外で、すぐに頭に浮かぶ人物はだれか、という質問をすると、ほぼ必ず最上位に挙がってくるのがベッツィ・ロスあるいはポール・リヴィアであるということが本書で紹介されています。
つまりそのふたつの固有名は、アメリカの大学生であればほとんどだれでも知っているということになるのでしょうが、評者は恥ずかしながらまったく知らない名前でした。
2021年10月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なぜこのように硬い文章を書くのか。 誰にも判り易い文章を書くのが優れた筆者だと思う。