それがし、拙blg.を張っていて、先日、樋口一葉を特集しました。
こちらの書が大変に参考になりました。とんちんかんなことを
言うようですが、久しぶりにほんきで読んだ一冊でありました。
まさしく脱帽であります、ありがとうございました。
… 一葉にひとめ逢いたい!
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樋口一葉 (岩波ジュニア新書 469) 新書 – 2004/5/20
関 礼子
(著)
五千円札の新しい顔,樋口一葉.父と兄を失った樋口家を切り盛りする女戸主,名門和歌塾「萩の舎」の塾生,小説「たけくらべ」などの作家―さまざまな顔を持ち,明治を駆け抜けた一葉の,24年間という短い人生を,日記・手紙・小説などの本文(原文と現代語訳)を読みながらたどります.
- 本の長さ198ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2004/5/20
- ISBN-104005004695
- ISBN-13978-4005004690
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2004/5/20)
- 発売日 : 2004/5/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 198ページ
- ISBN-10 : 4005004695
- ISBN-13 : 978-4005004690
- Amazon 売れ筋ランキング: - 944,704位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 867位岩波ジュニア新書
- - 69,239位絵本・児童書 (本)
- - 243,126位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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2017年8月12日に日本でレビュー済み
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2022年11月1日に日本でレビュー済み
樋口一葉(1872-1896)は、わずか24歳の若さで亡くなったため、創作した作品数はそう多くはありません。ほかに日記や書簡などを残していてそれらもいまは文庫(本書著者編纂のちくま文庫)でかんたんに読めるものになっています。
著者は一葉研究者のようですが、本書は、時系列に沿って一葉の生涯をその〈人と作品〉にそって詳細にたどるよくあるオーソドックスなタイプの評伝ものではありません。
〈人と作品〉でいうと、一葉は短い生涯だったため〈人〉つまりその伝記的事実はほとんど調べつくされているでしょうし、新しい事実や資料などもはや出ることはないのでしょう。したがってもとより一葉の伝記はどんな研究者が書いてもさほどの違いは生まれないのかもしれません。
本書では、一葉について10ほどのトピックを取りあげ、それをひとつひとつ、〈人と作品〉とからめていくらか集中的に掘り下げてゆく形になっています。あるトピックにおいては、近年、一葉が残した自筆日記の影印本が刊行されたことにより、彼女の「千蔭(ちかげ)流」の流麗な書体による肉筆文字が読めるようになったことも紹介されています。
ともあれ、トピックごとに記述の視点が変わり、記述や内容にメリハリが生まれているというのが本書の長所というか特徴です。ただ一葉の〈人と作品〉をまんべんなく知りたいという、評伝的な内容をもとめる読者には物足りなく感じるかもしれません。
また、一葉の作品についてもあまり多く言及されてはおらず、「たけくらべ」――著者が「読むたびに新しい発見がある」のはこの小説だけだという――がやや詳しくとりあげられているのが目につく程度です。
そしてそこでは、1980年代以降激しい文学論争のあったこの小説における美登利の〈変貌〉、すなわち美登利はあるとき「初潮になったのか、それとも娼婦(水揚げあるいは初店)になったのか」という問題についてもふれていて、一葉とほぼ同時代の生まれの文学者長谷川時雨(1879-1941)による解釈(だけ)を著者は紹介しています。
時雨の解釈というのは、「たけくらべ」における美登利の〈変貌〉には一葉が読み親しんだ『源氏物語』や江戸期の『偐紫田舎源氏』の文学的記憶が呼びこまれているというもので、その〈変貌〉の真相は「初潮になったのか、それとも娼婦(水揚げあるいは初店)になったのか」のどちらかではなく、「初潮と初夜(水揚げ)」がひとつづきのものとして美登利の身に起こったというものです。
古典作品の文学的記憶が美登利の身上を深くつらぬいている――それを本書著者は時雨にならって重視するのだけれど、上記2作品でも同じように「初潮と初夜(水揚げ)」がひとつづきの出来事として物語の女性登場人物に起こったという展開になっていたのかどうか。
いっぽう吉原などの遊郭における習俗慣習の現実がじっさいどうであったか、つまり「初潮と初夜(水揚げ)」がひとつづきのものとして少女の身に起こるということが現実にもあったのかどうか。
あるいは著者にしてみれば、時雨が一葉と同時代人で多少当時の遊郭風俗の知見ももっていたはず(?)だから、その解釈は妥当性があるということになるのかどうか。
まあでも男ならともかく(?)、時雨は女性なのでそのあたりどうなんでしょう。
著者は一葉研究者のようですが、本書は、時系列に沿って一葉の生涯をその〈人と作品〉にそって詳細にたどるよくあるオーソドックスなタイプの評伝ものではありません。
〈人と作品〉でいうと、一葉は短い生涯だったため〈人〉つまりその伝記的事実はほとんど調べつくされているでしょうし、新しい事実や資料などもはや出ることはないのでしょう。したがってもとより一葉の伝記はどんな研究者が書いてもさほどの違いは生まれないのかもしれません。
本書では、一葉について10ほどのトピックを取りあげ、それをひとつひとつ、〈人と作品〉とからめていくらか集中的に掘り下げてゆく形になっています。あるトピックにおいては、近年、一葉が残した自筆日記の影印本が刊行されたことにより、彼女の「千蔭(ちかげ)流」の流麗な書体による肉筆文字が読めるようになったことも紹介されています。
ともあれ、トピックごとに記述の視点が変わり、記述や内容にメリハリが生まれているというのが本書の長所というか特徴です。ただ一葉の〈人と作品〉をまんべんなく知りたいという、評伝的な内容をもとめる読者には物足りなく感じるかもしれません。
また、一葉の作品についてもあまり多く言及されてはおらず、「たけくらべ」――著者が「読むたびに新しい発見がある」のはこの小説だけだという――がやや詳しくとりあげられているのが目につく程度です。
そしてそこでは、1980年代以降激しい文学論争のあったこの小説における美登利の〈変貌〉、すなわち美登利はあるとき「初潮になったのか、それとも娼婦(水揚げあるいは初店)になったのか」という問題についてもふれていて、一葉とほぼ同時代の生まれの文学者長谷川時雨(1879-1941)による解釈(だけ)を著者は紹介しています。
時雨の解釈というのは、「たけくらべ」における美登利の〈変貌〉には一葉が読み親しんだ『源氏物語』や江戸期の『偐紫田舎源氏』の文学的記憶が呼びこまれているというもので、その〈変貌〉の真相は「初潮になったのか、それとも娼婦(水揚げあるいは初店)になったのか」のどちらかではなく、「初潮と初夜(水揚げ)」がひとつづきのものとして美登利の身に起こったというものです。
古典作品の文学的記憶が美登利の身上を深くつらぬいている――それを本書著者は時雨にならって重視するのだけれど、上記2作品でも同じように「初潮と初夜(水揚げ)」がひとつづきの出来事として物語の女性登場人物に起こったという展開になっていたのかどうか。
いっぽう吉原などの遊郭における習俗慣習の現実がじっさいどうであったか、つまり「初潮と初夜(水揚げ)」がひとつづきのものとして少女の身に起こるということが現実にもあったのかどうか。
あるいは著者にしてみれば、時雨が一葉と同時代人で多少当時の遊郭風俗の知見ももっていたはず(?)だから、その解釈は妥当性があるということになるのかどうか。
まあでも男ならともかく(?)、時雨は女性なのでそのあたりどうなんでしょう。
2013年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一葉は最も読んで欲しい日本の女流作家です。紙幣の像を一葉だと意識している人はどれほどでしょうか。また名前は知ってていても、どれ程の人が彼女の作品を読んでいるでしょうか。この書と一葉の作品を平行して読み進めていってほしいと思います。