ハーバーマスという人の著作はこれがはじめてだったが、この文庫は是非主著を読んでみたいと思わせる論考集だった。冒頭に著者が断っているように、時代的にはソ連の没落とベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一と続く時期に、理論的というよりはジャーナリスティックな切り口で公表した政治的発言集だが、その議論からは著者の理論的な方向性が垣間見える。ハンナ・アレント「全体主義の起原」で彼女が尊いものとした対話可能な政治空間を守るための社会的な複数性の確保を目指しているようで、その制度的な確保への展望が、よく流布している公共圏の議論になっているのかな、と思った。ドイツの歴史を見てみれば、社会的複数性を失うことで第二次世界大戦への道、その破局への道を進んだように見えるので、非常に納得できる。その流れで歴史修正主義の流れや保守派への批判を繰り広げている一方、左派に対しても厳しい指摘を忘れていない。本人はリベラルという位置づけになるのだろう。
その発言のありようはマンハイムの言ったような自由浮動的インテリゲンチャといった振る舞いで、本人はアナトール・フランスによるインテレクチュアルズという概念を引いて説明をしているが、それは「公共の事柄に参画するにあたってそれ相応の知的能力があるが、しかし、それはスペシャリスト的な意味ではないし、政治的な参画であるが、しかし、それは誰かに委託されたわけではない。明確に党派的立場を明らかにするとはいえ、いかなる組織にも服しているわけではない。」といった参画をし、「その発言の向けられた特定の読者対象が個々のケースでそれぞれ異なろうとも、判断能力のある、そして発言に反応して自分の見解を表明する読者公衆を信頼している。…半ばであれ機能する、リベラルな公共圏という共鳴板が頼りなのである。」という目論見の下で著者は発言するのだが、右傾化の続く社会では孤軍奮闘といった感じも見受けられる。
ナショナリズムとショーヴィニズムもそうだし、生活世界の植民地化、つまり行政的・経済的技術のもつ技術的合理性が個人や地域の生活の上に君臨して日常的な生活の仕方から考え方やひいては文化の型をも変化させようとする傾向、という趨勢もまた、決してドイツだけの出来事ではないのではないか。何かとても納得できる議論があったし、著者のほかの本にも興味がわいた一冊だった。
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近代 未完のプロジェクト (岩波現代文庫 学術 6) 文庫 – 2000/1/14
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公共性と合理性の理念の実現が近代のプロジェクトである.ハーバーマスの立場を鮮明に示した表題の論考は,ポストモダン論争を巻き起こした.その他,歴史家論争に火をつけた論考をはじめ,統一後ドイツの問題から,ナショナリズム,生活世界の植民地化などをテーマにした論文を収録する.現代の代表的社会哲学者の社会論集.
- ISBN-104006000065
- ISBN-13978-4006000066
- 出版社岩波書店
- 発売日2000/1/14
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 1.6 x 14.8 cm
- 本の長さ309ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2000/1/14)
- 発売日 : 2000/1/14
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 309ページ
- ISBN-10 : 4006000065
- ISBN-13 : 978-4006000066
- 寸法 : 10.6 x 1.6 x 14.8 cm
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2003年11月13日に日本でレビュー済み
現代ドイツを代表する社会哲学者ハーバーマスの、1980-90年代の主要な政治的発言を集めた論集。その内容は、近現代に関する原理的な考察、ナチス犯罪の相対化に対する批判、社会主義の批判的考察、東西ドイツ統一の経過と結果への批判的検討等の多岐にわたる。ドイツ現代史に関する一つの証言であると共に、現代日本について考える上でも多くの示唆を与えてくれる。とりわけ、一例として「核時代の市民的不服従」(1983年)という論考について述べれば、この市民的不服従とは、民主的な国家体制下で「公になされる、非暴力による、良心に規定された、違法の行動」であり、重大な不公正が起きている個々のケースに向けられ、成果が期待できる合法的な圧力行使のさまざまな手段が試みられかつ可能性が尽きている状態で、憲法秩序全体の機能を脅かさないような規模の、象徴的な抵抗運動である(原発建設の工事現場の占拠など)。その際、運動家は逮捕されることをも厭わない覚悟が必要であり、国家の側もあまり厳しい処罰を行なわないことが期待されている。ただ、これにはいくつか難点がある。まず、不服従は道徳的な根拠を持つべきことが要求されているが、その基準は曖昧である。また、国家の側の寛大さをどれだけ当てにできるかも難しい。現代日本において、こうした行為の意図が正確に受け取ってもらえるかどうかも微妙である。私自身も安易にこうした行為を賛美する気はないが、ただ理性的な対話を強調するハーバーマスが、それゆえにこそ対話の限界を見定め、こうした行為の正当化をしている事実は興味深い。民主主義国において、選挙以外にも署名・請願などの権利が定められていることは、いかなる国家であれ選挙のみでは十全な民主主義が実現できないことを意味しているように思う。善悪の境界線上にある市民的不服従について考えることは、こうした民主主義の多義性を考える上で大きな示唆を与えてくれる。