イスラームの聖戦(ジハード)は、無信仰者、神に背く人、異端者、反信仰者、無神論者などイスラムを信じない人に対して、信者が、戦うことだということが理解できます。
そして、戦いにおいて、相手を殺しても、財産を没収しても、どんなひどい目に遭わせてもかまわない。それが、信者たるものの神聖な努めであり、神に対する正しい行為だということを理解しました。
現代の日本社会では、とうてい受け入れ難い考えですが、イスラム過激派テロ組織「ハマス」のイスラエルに対するテロ行為が、なぜ行われたのか納得することができました。
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『コーラン』を読む (岩波現代文庫) 文庫 – 2013/2/16
井筒 俊彦
(著)
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イスラーム哲学研究の第一人者が、『コーラン』をテキストにそって、多角的な観点を用いながら解読する。イスラームの根本概念である「終末論」「預言・預言者」「啓示」等を通して、『コーラン』の深い精神性が明確にされる。本書は、優れたコーラン入門としてはもとより、井筒哲学の基礎的構造を論じた「井筒俊彦入門」の書でもある。(解説=若松英輔)
- 本の長さ432ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2013/2/16
- 寸法10.5 x 1.8 x 15 cm
- ISBN-104006002831
- ISBN-13978-4006002831
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2013/2/16)
- 発売日 : 2013/2/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 432ページ
- ISBN-10 : 4006002831
- ISBN-13 : 978-4006002831
- 寸法 : 10.5 x 1.8 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 96,430位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 114位岩波現代文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
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1914年東京・四ツ谷生まれ。
1937年慶應義塾大学英語英文学科卒業、同大学文学部助手。
1941年『アラビア思想史』、49年『神秘哲学』。
1959年から2年間にわたって中近東・欧米でイラスーム研究に従事。
1961年マギル大学客員教授、69年同大学イスラーム学研究所テヘラン支部教授、75年イラン王立研究所教授。
1979年イラン革命激化のためテヘランから日本に帰国。『意識と本質』(1980-82年)、『意味の深みへ』(1985年)、『コスモスとアンチコスモス』(1989年)、『超越のことば』(1991年)、絶筆『意識の形而上学』(1993年)など代表著作を発表。
1993年北鎌倉の自宅にて逝去(78歳)。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「コーラン」には何がどんな風に書かれているのかを知りたくて買ったのだが、
飲酒がダメなわけや、豚肉を食べない理由、
そして嫁さんを四人持っても良い事などは一切書かれていない。
哲学者の著作は難しいだろうと講演集を買ったのに
つっかえて何度もページを読み直した。
思っていた通りの本では無かったが、
それでもイスラムの人々が信仰に至る空気感は感じられた。
天と地と雨…大自然をそのまま神として賛美する。
なんか分かる。気がする。
もう一度読み直したら☆を五つつけられるだけ理解できるかもしれない。
飲酒がダメなわけや、豚肉を食べない理由、
そして嫁さんを四人持っても良い事などは一切書かれていない。
哲学者の著作は難しいだろうと講演集を買ったのに
つっかえて何度もページを読み直した。
思っていた通りの本では無かったが、
それでもイスラムの人々が信仰に至る空気感は感じられた。
天と地と雨…大自然をそのまま神として賛美する。
なんか分かる。気がする。
もう一度読み直したら☆を五つつけられるだけ理解できるかもしれない。
2013年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
セミナーブックスにシリーズ第一巻として含まれていた講義録の文庫化。丸山圭三郎等と同様に単行本では浩瀚で晦渋に感じる読者にはもってこいの内容である。
講座は十回。通しの章立てで26章ある。
十回の題目を上げておくと
第一講 『コーラン』を「読む」方法
第二講 神の顕現
第三講 神の讃美
第四講 神の創造と審き
第五講 『コーラン』のレトリック的構成
第六講 終末の形象と表現(その一)
第七講 〃 (その二)
第八講 実存的宗教から歴史的宗教へ
第九講 「存在の夜」の感触
第十講 啓示と預言
水色の通常文庫の『イスラーム文化』や『イスラーム思想史』(中公文庫)『意識と本質』等々でも難解な課題が聡明で深淵な学識に裏付けられながら解説されているが、一般の市民講座向けに話された言葉を活字化しただけあって更に平易で親しみ易くなっている。
最後には「まだまだ言うべきことが残っていますが」とか「預言者論としてはちょっと不完全になってしまいましたけれど」と断りつつ「なんとなく名残り惜しいような気もします」とあるのは読み終える頃には本当にそう感じる。
井筒俊彦という思想家、哲学者はイスラーム、アラビア哲学を中心に据えた上で西田や和辻、廣松以上に独自の広がりある思考を展開し構築していたのだと改めて感じさせてくれる。
講座は十回。通しの章立てで26章ある。
十回の題目を上げておくと
第一講 『コーラン』を「読む」方法
第二講 神の顕現
第三講 神の讃美
第四講 神の創造と審き
第五講 『コーラン』のレトリック的構成
第六講 終末の形象と表現(その一)
第七講 〃 (その二)
第八講 実存的宗教から歴史的宗教へ
第九講 「存在の夜」の感触
第十講 啓示と預言
水色の通常文庫の『イスラーム文化』や『イスラーム思想史』(中公文庫)『意識と本質』等々でも難解な課題が聡明で深淵な学識に裏付けられながら解説されているが、一般の市民講座向けに話された言葉を活字化しただけあって更に平易で親しみ易くなっている。
最後には「まだまだ言うべきことが残っていますが」とか「預言者論としてはちょっと不完全になってしまいましたけれど」と断りつつ「なんとなく名残り惜しいような気もします」とあるのは読み終える頃には本当にそう感じる。
井筒俊彦という思想家、哲学者はイスラーム、アラビア哲学を中心に据えた上で西田や和辻、廣松以上に独自の広がりある思考を展開し構築していたのだと改めて感じさせてくれる。
2020年9月21日に日本でレビュー済み
修道女が書いたムハンマド伝やイスラム(王朝)の歴史、などいろいろ読んでいくうちに、出会った本。
コーランの冒頭部分だけを講義したものを文字にしたものだが、
ムハンマドが啓示を受けた時代の空気から呼び起こしてくれる。
アラビア語の響きも少し聞ける。
語学の天才というだけでなく、比較文化、深い思索が勉強になる。
コーランの冒頭部分だけを講義したものを文字にしたものだが、
ムハンマドが啓示を受けた時代の空気から呼び起こしてくれる。
アラビア語の響きも少し聞ける。
語学の天才というだけでなく、比較文化、深い思索が勉強になる。
2016年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
井筒先生の解説を元に理解を進めることができた。
コーランだからかどうかわからないが、日本人ではなかなか理解しにくいところがあったと思う。
コーランだからかどうかわからないが、日本人ではなかなか理解しにくいところがあったと思う。
2020年11月7日に日本でレビュー済み
コーランの三部構成と記述年代、その解釈と意味についての議論がかみ合っていて、
文章を書く人間としての知性を感じた
文章を書く人間としての知性を感じた
2013年7月19日に日本でレビュー済み
イスラム研究の第一人者がコーランの最初の一節を読み解きながらイスラム教とは何かを語る。全10回の市民セミナーを書籍化。
コーランの最初の一節「開扉」。このわずか数行の文章をただ意味を述べるだけでなく、どういう背景で述べられた言葉かを述べていくことでイスラム教や当時のイスラムについて説明していく。解釈学に沿ってコーランに触れていくのだが、この過程が楽しい。
イスラム教誕生時のアラブは完全な部族社会であり強力なスンナ(伝統、慣習)があった。それらを新たなイスラム教のスンナで塗り替えて行かなければイスラム教の普及はなく、この背景を考えないとイスラム教というものがつかめないのだと感じた。
難解ながら読んでいくのが楽しい。
レザー・アスランの「変わるイスラーム」と並んでイスラム教の理解にかなり役立つ一冊。
コーランの最初の一節「開扉」。このわずか数行の文章をただ意味を述べるだけでなく、どういう背景で述べられた言葉かを述べていくことでイスラム教や当時のイスラムについて説明していく。解釈学に沿ってコーランに触れていくのだが、この過程が楽しい。
イスラム教誕生時のアラブは完全な部族社会であり強力なスンナ(伝統、慣習)があった。それらを新たなイスラム教のスンナで塗り替えて行かなければイスラム教の普及はなく、この背景を考えないとイスラム教というものがつかめないのだと感じた。
難解ながら読んでいくのが楽しい。
レザー・アスランの「変わるイスラーム」と並んでイスラム教の理解にかなり役立つ一冊。
2012年7月14日に日本でレビュー済み
仮にこの本を図書館なり何所かで手にすることがあれば、是非じっくりと読んでみて欲しい。
私の場合、この本に出会って以来、井筒先生の著作をあれこれ読み始めてしまった。
井筒先生の本を読みこなせば、イランやエジプトの人達とコーランについて語り合うことも出来る。
実際にこの本を通勤の行き帰りに3回程読んだ後、テヘラン大学のイラン人大学院生とコーランについて話した。
この一冊の知識だけでも、かなり面白く色々なことが話題になり、とても面白かった。
外国人としてコーランをどう理解しているのか。
井筒先生はエジプトやイランで深く現地のコーランに精通している学者達との交流も深く、
更にはありとあらゆる哲学にも現地の言葉で精通している稀有な天才だった。
私個人は文系の学部の出ではないし、哲学を大学等で学んだことも無かった。
しかし、それだけの深みは、井筒先生の著作に触れれば、十分に得られることは間違いない。
他のどんな本よりもお薦めしたい一冊である。
言葉や文化、宗教というものについて、最初から学んでみるとすれば、是非、井筒先生の著作をお薦めしたい。
何となくだけれども、一度の通読だけではなく、何度か読み返してみると、深く頭の中に入って来るように思う。
私はこの本の後に井筒先生のコーランの訳書(コーランの解釈の翻訳本)を手に取り、
先ずは最高傑作と称される「エジプトのヨセフ」を読んだ。
恐らく、この「コーランを読む」の予備知識があったからこそ、この短いお話をより深く楽しめたように思う。
こういう凄まじい才能の持ち主が日本にもいた。それは、それ自体、とても幸せなことだ。
その人の著作を、多く、自分達の母語で読めるのだから。
私のレビューなんて陳腐だけれども、是非、兎にも角にも、この本や、その他の井筒先生の著作を手に取り、
あれこれと思惟(しい)の世界の中に入ってみて欲しい。
(以下、復刊希望するためのサイトでコメントしたので、ここにも転載します。)
この本をキッカケにイスラム教の背景のある人達とイスラム教について話すことも可能になりますし、コーラン(他の翻訳よりも井筒先生のそれがお薦めです。)などにも手が自然と伸びます。
井筒先生程、深くコーランを読み込んだ日本人はいません。今の時代、エクセルもアクセスもあるし、(更にはPerlのような秀逸なプログラム言語まであるし)、ラテン文字表示のアラビア語版コーランも簡単にインターネット上で手に入るので、「意味の構造」のような分析はずっと簡単です。井筒先生がコーランを研究していた頃は、パソコンも何も無く、よくもこれだけの仕事を成したものだと感動します。それだけ深くアラビア語で「詠み」込んだのです。また、井筒先生は当時のコーラン出現時にジャーヒリーヤの文化背景からアラビア語が変質していく様子も深く考察されています。チャットに毛が生えた現代アラビア語だけ出来てもダメです。
井筒先生は数学が苦手のようですが、理系の人達の方が楽しめる本です。ドイツやフランスの哲学のエッセンスを用いた手法が、知識無して楽しめる。中々他には無いです。しかも、その題材がコーランなのだから、これが面白くない訳が無い。お薦めです。
私の場合、この本に出会って以来、井筒先生の著作をあれこれ読み始めてしまった。
井筒先生の本を読みこなせば、イランやエジプトの人達とコーランについて語り合うことも出来る。
実際にこの本を通勤の行き帰りに3回程読んだ後、テヘラン大学のイラン人大学院生とコーランについて話した。
この一冊の知識だけでも、かなり面白く色々なことが話題になり、とても面白かった。
外国人としてコーランをどう理解しているのか。
井筒先生はエジプトやイランで深く現地のコーランに精通している学者達との交流も深く、
更にはありとあらゆる哲学にも現地の言葉で精通している稀有な天才だった。
私個人は文系の学部の出ではないし、哲学を大学等で学んだことも無かった。
しかし、それだけの深みは、井筒先生の著作に触れれば、十分に得られることは間違いない。
他のどんな本よりもお薦めしたい一冊である。
言葉や文化、宗教というものについて、最初から学んでみるとすれば、是非、井筒先生の著作をお薦めしたい。
何となくだけれども、一度の通読だけではなく、何度か読み返してみると、深く頭の中に入って来るように思う。
私はこの本の後に井筒先生のコーランの訳書(コーランの解釈の翻訳本)を手に取り、
先ずは最高傑作と称される「エジプトのヨセフ」を読んだ。
恐らく、この「コーランを読む」の予備知識があったからこそ、この短いお話をより深く楽しめたように思う。
こういう凄まじい才能の持ち主が日本にもいた。それは、それ自体、とても幸せなことだ。
その人の著作を、多く、自分達の母語で読めるのだから。
私のレビューなんて陳腐だけれども、是非、兎にも角にも、この本や、その他の井筒先生の著作を手に取り、
あれこれと思惟(しい)の世界の中に入ってみて欲しい。
(以下、復刊希望するためのサイトでコメントしたので、ここにも転載します。)
この本をキッカケにイスラム教の背景のある人達とイスラム教について話すことも可能になりますし、コーラン(他の翻訳よりも井筒先生のそれがお薦めです。)などにも手が自然と伸びます。
井筒先生程、深くコーランを読み込んだ日本人はいません。今の時代、エクセルもアクセスもあるし、(更にはPerlのような秀逸なプログラム言語まであるし)、ラテン文字表示のアラビア語版コーランも簡単にインターネット上で手に入るので、「意味の構造」のような分析はずっと簡単です。井筒先生がコーランを研究していた頃は、パソコンも何も無く、よくもこれだけの仕事を成したものだと感動します。それだけ深くアラビア語で「詠み」込んだのです。また、井筒先生は当時のコーラン出現時にジャーヒリーヤの文化背景からアラビア語が変質していく様子も深く考察されています。チャットに毛が生えた現代アラビア語だけ出来てもダメです。
井筒先生は数学が苦手のようですが、理系の人達の方が楽しめる本です。ドイツやフランスの哲学のエッセンスを用いた手法が、知識無して楽しめる。中々他には無いです。しかも、その題材がコーランなのだから、これが面白くない訳が無い。お薦めです。