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科学は不確かだ! (岩波現代文庫 社会 146) 文庫 – 2007/1/16
- 本の長さ193ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2007/1/16
- ISBN-104006031467
- ISBN-13978-4006031466
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2007/1/16)
- 発売日 : 2007/1/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 193ページ
- ISBN-10 : 4006031467
- ISBN-13 : 978-4006031466
- Amazon 売れ筋ランキング: - 468,243位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 694位岩波現代文庫
- - 1,723位科学読み物 (本)
- - 82,083位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
物理学を学び始めた頃、日常現象が方程式の解で見事に描かれ、かつ未来を予言できることにしびれる様に感じていた。だがしばらくして物理学とは何だろうか、朝永先生のような問いを自問自答した。納得できる答えは出ない。半信半疑で学び続けていた時、ファインマン先生の本書に出会った。驚いた。かのファインマン先生が「科学は不確かだ」って。また彼は遠慮なく「私には分かりません」という発言をする。ほっとした。ファインマン先生でさえ分からないものが自分に分かるわけがない。今の自分の見解は「科学は未完成だ」。では完成した科学とは?ホーキング博士が述べている。「その時我々は神の心を知るのだから。」
2009年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
好奇心溢れる物理学者による、3夜連続の講演の文字化。
内容としては、「間違えた考え方からは間違えた結論しか出ない」といったもの。
正しい理解の為にはどういった姿勢を取るべきなのかを、やや婉曲的に示している。
並ならぬ知識欲と、その結果としての知識とを背景にした、ナイスな講演。
語り口・内容、どちらも堅苦しくなく、読むのにも易い。
内容としては、「間違えた考え方からは間違えた結論しか出ない」といったもの。
正しい理解の為にはどういった姿勢を取るべきなのかを、やや婉曲的に示している。
並ならぬ知識欲と、その結果としての知識とを背景にした、ナイスな講演。
語り口・内容、どちらも堅苦しくなく、読むのにも易い。
2016年9月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
科学至上主義の現代社会に問いかけた講義をまとめたもの。
科学者は研究をするだけでなく、科学とはなんなのかを考えることも必要であるのではないか。
そのような考えが浮かぶような、まったく新しい本。
科学者は研究をするだけでなく、科学とはなんなのかを考えることも必要であるのではないか。
そのような考えが浮かぶような、まったく新しい本。
2003年3月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
確かにファインマンらしい科学に対しての所見は面白くもある。しかし、価格に対して中身の量を考えると、あまりお得感はない。さらっと読みたい人にはお薦めです。
2022年10月16日に日本でレビュー済み
三回の講演を基にした本書は、訳者あとがきをみるとかなり苦労したらしい、でも三回を使って、見事に違和感からのどんでん返しをするなんて、ファインマンらしいのかもしれない。二回目はどう考えたって違和感しかなく、ひょっとすると三回目の出席をやめちゃった人には誤解だけが残っちゃう可能性もあるわけだし。なかなかのものです。
2012年1月24日に日本でレビュー済み
数多のファインマン本が存在する中で、本書は薄味の前菜といった感じである。
1963年の一般聴衆むけ講演を書籍化したもので、科学と社会の関係に焦点をあてている。
科学とは非絶対的で不確かさを含むため疑う自由を持たせねばならないこと、
宗教の形而上的側面と倫理的側面のうち、後者は科学とは独立した価値を有すること、
といった話を分かりやすく講演している。
作中の金言を以下に一つ。
・・・僕は無知というたいへん有益な哲学と、そのような哲学をとおして達成され、
思考の自由から実った様々な進歩を良く知っている科学者として、ある責任を感じざるをえません。
ですからこの自由の価値を言い広め、疑いは決して恐れるものでなく、
むしろ人類に潜む新しい可能性として歓迎すべきものだということを、教えていく責任を感じるのです。
1963年の一般聴衆むけ講演を書籍化したもので、科学と社会の関係に焦点をあてている。
科学とは非絶対的で不確かさを含むため疑う自由を持たせねばならないこと、
宗教の形而上的側面と倫理的側面のうち、後者は科学とは独立した価値を有すること、
といった話を分かりやすく講演している。
作中の金言を以下に一つ。
・・・僕は無知というたいへん有益な哲学と、そのような哲学をとおして達成され、
思考の自由から実った様々な進歩を良く知っている科学者として、ある責任を感じざるをえません。
ですからこの自由の価値を言い広め、疑いは決して恐れるものでなく、
むしろ人類に潜む新しい可能性として歓迎すべきものだということを、教えていく責任を感じるのです。
2008年6月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ファインマンの一般向け講演集のひとつ.彼自身の科学に対する態度と,科学と社会,政治,宗教などとの関連について述べる.
ファインマンの主張そのものは,特別なものではない.まず,彼が指摘する不確実さと非科学性とは区別しなければならないこと,不確実を認めるから疑う余地があること,その疑う心,懐疑心こそが科学的な思考プロセスに不可欠であることを指摘する.そして,懐疑するためには自由(政治的,経済的な)であることが重要であることを60年代のソ連の状況と比較して述べる.これは,科学,技術に携わるものであれば,当然身につけているはずべきのものである.(しかし,日本の高等教育でこのことが教えられているかは疑問だ)
しかし,ファインマンが本当に主張したいことは講演の最終日「この非科学的時代」で思う存分述べられている.ここではこの時代における「非科学的」な態度について,具体例を挙げて指摘している.その中には,消費者の知性を馬鹿にしたマーケティングがあり,原理主義があり,占星術がある.そして,陰謀論ともつながる被害妄想についての指摘もある.このような状況に陥らないためには,議論すること,疑うこと,そしてその自由が必要であることを繰り返し主張している.これは疑似科学や陰謀論に悩まされる現代の日本の科学界と何も変わらないものであることに,僕は驚いたのである(逆に,40年経とうと人間の精神には進歩がないということか).
最後に,講演の中でファインマンが指摘した,非科学的であることとはどのようなものであるか,もっとも鋭く表現したものを紹介しよう.
「世界を学ぶことによって自らをたえず修正する必要を理解しようともせず,無知を維持するために盲目を維持する態度」
これを打ち破るためにも,健全な懐疑心は必要なのである,そして彼自身のキャリアが示しているように,懐疑心を育てるためには教育が重要なのであろう.
ファインマンの主張そのものは,特別なものではない.まず,彼が指摘する不確実さと非科学性とは区別しなければならないこと,不確実を認めるから疑う余地があること,その疑う心,懐疑心こそが科学的な思考プロセスに不可欠であることを指摘する.そして,懐疑するためには自由(政治的,経済的な)であることが重要であることを60年代のソ連の状況と比較して述べる.これは,科学,技術に携わるものであれば,当然身につけているはずべきのものである.(しかし,日本の高等教育でこのことが教えられているかは疑問だ)
しかし,ファインマンが本当に主張したいことは講演の最終日「この非科学的時代」で思う存分述べられている.ここではこの時代における「非科学的」な態度について,具体例を挙げて指摘している.その中には,消費者の知性を馬鹿にしたマーケティングがあり,原理主義があり,占星術がある.そして,陰謀論ともつながる被害妄想についての指摘もある.このような状況に陥らないためには,議論すること,疑うこと,そしてその自由が必要であることを繰り返し主張している.これは疑似科学や陰謀論に悩まされる現代の日本の科学界と何も変わらないものであることに,僕は驚いたのである(逆に,40年経とうと人間の精神には進歩がないということか).
最後に,講演の中でファインマンが指摘した,非科学的であることとはどのようなものであるか,もっとも鋭く表現したものを紹介しよう.
「世界を学ぶことによって自らをたえず修正する必要を理解しようともせず,無知を維持するために盲目を維持する態度」
これを打ち破るためにも,健全な懐疑心は必要なのである,そして彼自身のキャリアが示しているように,懐疑心を育てるためには教育が重要なのであろう.
2008年11月16日に日本でレビュー済み
幾つか、書きたい事があるが、後々纏めるとして
現時点では、箇条書きで。
1.懐疑的態度 skepticism について。
Dr. Elder『投資苑』シリーズに、「精神分析で必要なものは
健全なる懐疑的精神であり、トレーディングも同様」と
あったが、林輝太郎氏の著書にも「ブードゥー・サイエンス」と
言う言葉と共に、リチャード・ファインマンの引用が
特に新しい本には多い。2人とも、裁量トレーダーだが、
システム・トレーダーが、「過度に」科学的になる余り、
「不確実性の排除」から「科学絶対主義的狂信」への
警告とも読める、ってこんな事書いちゃうと
文科系コンプレックスみたいだなあ。いや、やはり、
当時の旧ソヴィエトの状況との絡みで言うと、Dr. Elder の
「マーケットの教祖」信仰への懐疑、と言う読み方に
なるだろう。
例えば、「バフェットは買った株は絶対に売らない」と言う
「大衆神話」に対して「本当に?」と首を捻って見る
「捻くれ者」の態度の重要性。
ウォール・ストリート・ジャーナルが08年11月14日に
「バフェット14億ドルの損」を伝えているが
解約者多数の場合は評価損実現化の可能性も
高い。正確な数字は $1.393B
バクシャ・ハサウェイのレポートより。
他に対象となるものは、「効率性市場理論」「WDギャン理論」
「フィナンシャル・アストロロジー」等。
石川R「潜在意識のナントカ」も、そうか?
ヴァンは、結局「自分の頭で考えろ。私に同意しなくてもいい。」
2.1に対して、裁量トレーダーの非科学的態度の問題も
あるのだが・・・。チャック・ルボーの『テクニカル秘録』について
私が、ああ言うレヴューを書いたのは、「不合理主義」の
「魔術的・呪術的思考」の解毒剤の役割として
メカニカル・システム・トレーディングを考えていたから。
そして、現在も5年近くだが、「思考訓練の場」として
システム・トレーディングを考えている。「儲からなくても
いいのかよ?」に対しては「判るまで訓練を続ける」と
答える。「判る」と言うのは「これだけやっても
『判らない』と判る」まで続ける。その後、
「裁量へ帰還」する予定。これは「不確実性を・・自分なりにだが
・・理解する」にも通ずる。
3.不確実性と確率論について。
私は、トレーディングの為に「確率論」を
勉強しなおすにあたり、現象を扱う学問である
物理学的なアプローチを行った。
即ち、パスカルの「賭けの文脈」で日本では
小学校より教えられてきた数学的アプローチを
一旦、放棄した。・・有名な「私は神を信じた
方が『良い』のか」に対して「期待値計算」に
より、解を導くと言う例の話・・
『ファインマン物理学』の「確率」の章では、
コイントスによるランダム・ウォーク実験で
確率を説明しているが、此れは事象を「帰納する」と
言う文脈であり、「賭けの文脈」では無い。
日本人が誤解し易いのは、「確率論と統計学は別の
学問」ではなく、「確率論と統計学は『文脈』が
異なる」と言う点。理由は、日本の算数・数学教育の
カリキュラム的な特性による。何故『ファインマン物理学』では
章タイトルに「統計学」でも「確率統計」でもなく
「確率」が使われているかを考えると良く判ると
思う。
・・もっと、判り易い例だと、『ご冗談でしょう』他と
一緒にカツマヨさんの『フレームワーク』本が
買われているようだが、彼女が、何故
「統計学を学べば、競馬やギャンブルをやらなくなる」
等と言う「大ボケ」を咬ましているのか、について
考えて見ると、彼女の「天然キャラ」の問題だけでは
無い、のが判るだろう。慶応商学部Bの入試科目に
数学が無い事や内部進学である事は、此処では
特に、重要ではない。・・
4.最後に「ブードゥ・サイエンス」との関連性で
オリジナルの寓話を挙げておく。
・・・・・・・・・
「我々は唯の紙切れを売買している訳ではない。」
と言うのがファンダメンタル派の言い分として、極めて
良くありがちなものである。
話を普通株に限ってもいいしREITの様に不動産が
証券化されたものでもいい。また、話を判りやすく
する為に、証券電子化以前の場合で、話を続ける。
紙切れの額面に50円と「書いてある」。
確かに「書いてある」がこれは紙幣ではない。
・・勿論、国債も兌換でない紙幣も「紙切れ」
だが、ここでは外して考える。・・
さて、ヴァリューの人達の言い分で良くあるのが
「1万円入ってる財布を5000円で買う。」
と言うもの。
この財布メタファに従えば、「紙切れ」では
なく、「封筒」で中に「幾らか」入っている、
と考えた方が判り易い。
額面50円の「封筒」に昔懐かしい板垣退助の
100円札が入っているとする。
しかし、問題は誰も「実物の100円札」を「封筒」を
開けて、見たことは無い。
当然である。この封筒は、「絶対に開かない仕組み」に
なっているから。
唯、企業財務状況を「計算」して、
「100円入ってる事が適正」と言っているだけ。
もし、封筒を日の光に透かして中を見ようとすれば
インサイダー情報を手に入れようとするのと
同じ。
かくして、この「絶対に開かない封筒」を、テキトーに値段を
付けて、売買している。そう言うゲームである。
但し、例外的に封筒の「中身」がわかる時がある。
中は空。
倒産した時である。
さて、「配当」についてだが、実に奇妙な事だが、
この「封筒」には、どこかに「穴」が開いてるらしく
年に一回だけ、その「目に見えない穴」から、
1円玉が1個乃至2個転がり出てくる。
額面が50円なので率としては、1円の
時は、2%であり、2円の時は、4%である。
この封筒を、「運良く」40円で買ったとする。
その年はまた、「運良く」2円が「穴」から、
転がり出てきたとする。
この時点での「配当率」は、運のいい事に5%である。
こんな事が5年ほど続いて、バイ・アンド・ホールドは
正解だ、「ついてるついてる」等と言っていたら、
6年目は何故か、1円しか「穴」から出てこなかった。
「配当率」にして2.5%である。
何故なのかと、何でも良くご存知の「世間様」って奴に、
聞いてみたら「減配」だそうだ。何だか良く判らんが
そう言う現象を、そう「呼ぶ」そうだ。
「何故」と聞いて見たら「企業財務が良くなかった
から」だそうだ。「そんなものなのか」と
思っていたら、7年目には1円も「穴」から出てこなかった。
「配当率」にして0%である。
「世間様」によると「無配」と言う「現象」だそうだ。
理由は「企業財務が悪化したから」だそうだ。
その後、待てど暮らせど「無配」のまんま。
買ってから10年経って「封筒」を売って
しまおうかと思ったが・・・。
「20円なら買う。それ以上はビタ一文も出さん。」と
いう奴ばっかし。
冗談じゃねえ。
こっちは、40円で買ったんだ。
「配当」で11円入ったんだから
40円−11円=29円
で29円で売れなかったら損じゃねえかっ!
20円で売っちまったら9円も損じゃねえかっ!
ってんで、ずーっとホールド。
詰まり、塩漬け状態。株価低迷、無配が更に延々と続く。
買ってから19年が過ぎ20年目を迎えた時点で
29円で買っても良いと言う奴が現れて「ヤレヤレ売り」。
失われた13年のお話でしたー。
でも「寓話」だったら、此処で終わるんだが、
現実は、甘くない!!
11円の配当に対して20%が課税される。
詰まり、2円20銭の損!更に証券会社の手数料も
差っ引かれちまって2円30銭の損!
単位株1000株を買っていたので19年間かけて
結局、2300円損をしましたー
と言う事になる野田秀樹ー。
購入額4万円に対して2300円の損は
率にして、−5.75%である。
19年間だから対期間では
大したこと無いかもー。1年間複利で計算すると
もっと、大した事無いですねー。
・・・・・・・
本レヴューは後々纏め直す予定。
スケジュール的には未定。
現時点では、箇条書きで。
1.懐疑的態度 skepticism について。
Dr. Elder『投資苑』シリーズに、「精神分析で必要なものは
健全なる懐疑的精神であり、トレーディングも同様」と
あったが、林輝太郎氏の著書にも「ブードゥー・サイエンス」と
言う言葉と共に、リチャード・ファインマンの引用が
特に新しい本には多い。2人とも、裁量トレーダーだが、
システム・トレーダーが、「過度に」科学的になる余り、
「不確実性の排除」から「科学絶対主義的狂信」への
警告とも読める、ってこんな事書いちゃうと
文科系コンプレックスみたいだなあ。いや、やはり、
当時の旧ソヴィエトの状況との絡みで言うと、Dr. Elder の
「マーケットの教祖」信仰への懐疑、と言う読み方に
なるだろう。
例えば、「バフェットは買った株は絶対に売らない」と言う
「大衆神話」に対して「本当に?」と首を捻って見る
「捻くれ者」の態度の重要性。
ウォール・ストリート・ジャーナルが08年11月14日に
「バフェット14億ドルの損」を伝えているが
解約者多数の場合は評価損実現化の可能性も
高い。正確な数字は $1.393B
バクシャ・ハサウェイのレポートより。
他に対象となるものは、「効率性市場理論」「WDギャン理論」
「フィナンシャル・アストロロジー」等。
石川R「潜在意識のナントカ」も、そうか?
ヴァンは、結局「自分の頭で考えろ。私に同意しなくてもいい。」
2.1に対して、裁量トレーダーの非科学的態度の問題も
あるのだが・・・。チャック・ルボーの『テクニカル秘録』について
私が、ああ言うレヴューを書いたのは、「不合理主義」の
「魔術的・呪術的思考」の解毒剤の役割として
メカニカル・システム・トレーディングを考えていたから。
そして、現在も5年近くだが、「思考訓練の場」として
システム・トレーディングを考えている。「儲からなくても
いいのかよ?」に対しては「判るまで訓練を続ける」と
答える。「判る」と言うのは「これだけやっても
『判らない』と判る」まで続ける。その後、
「裁量へ帰還」する予定。これは「不確実性を・・自分なりにだが
・・理解する」にも通ずる。
3.不確実性と確率論について。
私は、トレーディングの為に「確率論」を
勉強しなおすにあたり、現象を扱う学問である
物理学的なアプローチを行った。
即ち、パスカルの「賭けの文脈」で日本では
小学校より教えられてきた数学的アプローチを
一旦、放棄した。・・有名な「私は神を信じた
方が『良い』のか」に対して「期待値計算」に
より、解を導くと言う例の話・・
『ファインマン物理学』の「確率」の章では、
コイントスによるランダム・ウォーク実験で
確率を説明しているが、此れは事象を「帰納する」と
言う文脈であり、「賭けの文脈」では無い。
日本人が誤解し易いのは、「確率論と統計学は別の
学問」ではなく、「確率論と統計学は『文脈』が
異なる」と言う点。理由は、日本の算数・数学教育の
カリキュラム的な特性による。何故『ファインマン物理学』では
章タイトルに「統計学」でも「確率統計」でもなく
「確率」が使われているかを考えると良く判ると
思う。
・・もっと、判り易い例だと、『ご冗談でしょう』他と
一緒にカツマヨさんの『フレームワーク』本が
買われているようだが、彼女が、何故
「統計学を学べば、競馬やギャンブルをやらなくなる」
等と言う「大ボケ」を咬ましているのか、について
考えて見ると、彼女の「天然キャラ」の問題だけでは
無い、のが判るだろう。慶応商学部Bの入試科目に
数学が無い事や内部進学である事は、此処では
特に、重要ではない。・・
4.最後に「ブードゥ・サイエンス」との関連性で
オリジナルの寓話を挙げておく。
・・・・・・・・・
「我々は唯の紙切れを売買している訳ではない。」
と言うのがファンダメンタル派の言い分として、極めて
良くありがちなものである。
話を普通株に限ってもいいしREITの様に不動産が
証券化されたものでもいい。また、話を判りやすく
する為に、証券電子化以前の場合で、話を続ける。
紙切れの額面に50円と「書いてある」。
確かに「書いてある」がこれは紙幣ではない。
・・勿論、国債も兌換でない紙幣も「紙切れ」
だが、ここでは外して考える。・・
さて、ヴァリューの人達の言い分で良くあるのが
「1万円入ってる財布を5000円で買う。」
と言うもの。
この財布メタファに従えば、「紙切れ」では
なく、「封筒」で中に「幾らか」入っている、
と考えた方が判り易い。
額面50円の「封筒」に昔懐かしい板垣退助の
100円札が入っているとする。
しかし、問題は誰も「実物の100円札」を「封筒」を
開けて、見たことは無い。
当然である。この封筒は、「絶対に開かない仕組み」に
なっているから。
唯、企業財務状況を「計算」して、
「100円入ってる事が適正」と言っているだけ。
もし、封筒を日の光に透かして中を見ようとすれば
インサイダー情報を手に入れようとするのと
同じ。
かくして、この「絶対に開かない封筒」を、テキトーに値段を
付けて、売買している。そう言うゲームである。
但し、例外的に封筒の「中身」がわかる時がある。
中は空。
倒産した時である。
さて、「配当」についてだが、実に奇妙な事だが、
この「封筒」には、どこかに「穴」が開いてるらしく
年に一回だけ、その「目に見えない穴」から、
1円玉が1個乃至2個転がり出てくる。
額面が50円なので率としては、1円の
時は、2%であり、2円の時は、4%である。
この封筒を、「運良く」40円で買ったとする。
その年はまた、「運良く」2円が「穴」から、
転がり出てきたとする。
この時点での「配当率」は、運のいい事に5%である。
こんな事が5年ほど続いて、バイ・アンド・ホールドは
正解だ、「ついてるついてる」等と言っていたら、
6年目は何故か、1円しか「穴」から出てこなかった。
「配当率」にして2.5%である。
何故なのかと、何でも良くご存知の「世間様」って奴に、
聞いてみたら「減配」だそうだ。何だか良く判らんが
そう言う現象を、そう「呼ぶ」そうだ。
「何故」と聞いて見たら「企業財務が良くなかった
から」だそうだ。「そんなものなのか」と
思っていたら、7年目には1円も「穴」から出てこなかった。
「配当率」にして0%である。
「世間様」によると「無配」と言う「現象」だそうだ。
理由は「企業財務が悪化したから」だそうだ。
その後、待てど暮らせど「無配」のまんま。
買ってから10年経って「封筒」を売って
しまおうかと思ったが・・・。
「20円なら買う。それ以上はビタ一文も出さん。」と
いう奴ばっかし。
冗談じゃねえ。
こっちは、40円で買ったんだ。
「配当」で11円入ったんだから
40円−11円=29円
で29円で売れなかったら損じゃねえかっ!
20円で売っちまったら9円も損じゃねえかっ!
ってんで、ずーっとホールド。
詰まり、塩漬け状態。株価低迷、無配が更に延々と続く。
買ってから19年が過ぎ20年目を迎えた時点で
29円で買っても良いと言う奴が現れて「ヤレヤレ売り」。
失われた13年のお話でしたー。
でも「寓話」だったら、此処で終わるんだが、
現実は、甘くない!!
11円の配当に対して20%が課税される。
詰まり、2円20銭の損!更に証券会社の手数料も
差っ引かれちまって2円30銭の損!
単位株1000株を買っていたので19年間かけて
結局、2300円損をしましたー
と言う事になる野田秀樹ー。
購入額4万円に対して2300円の損は
率にして、−5.75%である。
19年間だから対期間では
大したこと無いかもー。1年間複利で計算すると
もっと、大した事無いですねー。
・・・・・・・
本レヴューは後々纏め直す予定。
スケジュール的には未定。