本書に何箇所か引用されている既読の草柳大蔵の「齋藤隆夫かく戦えり」(文藝春秋)は、議場の斎藤に焦点を絞った内容で、生立ちや来歴を含む生身の斎藤に触れ、議会の使命を死守せんと孤軍奮闘した斎藤の政治信条が、どのように形成されたのかを知ることを望んでいた私には、正直物足りなさが残ったが、本書はその不満を概ね埋めてくれた。
それにしても、遥か遠くを見据える斎藤の先見の明に舌を巻くとともに、一世紀近く前のその主張が、今も全く色褪せていないどころか、時代を超えて核心を貫いていることに驚く。我々国民は、第二次安倍政権から菅・岸田と続く、議会や憲法を軽視した右傾化の流れが、軍部と政府の力関係が逆転した構図においも、当時の状況と酷似していることを、早く認識すべきだろう。
アイデンティティを喪失したまま、アメリカの属国に成り下がり、済し崩し的な軍拡に走る極めて歪な保守を、ナショナリストとは似て非なるパトリオットの斎藤は、天上で嘆いているに違いない。斎藤が現代に蘇ったなら、敢然と立ち上がり、再び警鐘を轟かすことだろう。斎藤の居ない議会の不幸を痛感する。
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評伝斎藤隆夫: 孤高のパトリオット (岩波現代文庫 社会 154) 文庫 – 2007/6/15
松本 健一
(著)
- 本の長さ413ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2007/6/15
- ISBN-104006031548
- ISBN-13978-4006031541
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2007/6/15)
- 発売日 : 2007/6/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 413ページ
- ISBN-10 : 4006031548
- ISBN-13 : 978-4006031541
- Amazon 売れ筋ランキング: - 458,646位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2013年7月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あの時代に斉藤隆夫が存在したこと自体が奇跡的、勉強になります。
2016年8月5日に日本でレビュー済み
3時間かけて一気に読みました。途中、内田樹さんの「ナショナリストとパトリオット」を思い出しつつ。「ありのままを見る」こと、バランスの良さ、最高得点で選挙を通過することの意味、たくさん知りました。西南戦争の時代から戦後までいきたという事実が時代は続いていることを実感しました。なにしろ初めて日本史が「日本の歩んだ歴史」なんだと、受継ぐのは私たちなんだと思いました。なれるかなぁ、パトリオット。
2011年2月5日に日本でレビュー済み
「粛軍演説」で極めて有名、あるいはこの演説でしか
有名でないかもしれない斎藤隆夫の評伝です。
アメリカ留学と加藤弘之との論争とを交えながら
斎藤の政治思想(立憲政治)を描き出しています。
他方で、19世紀型の帝国主義の論理(弱肉強食)を土台とする
政治的リアリストとしての斎藤の姿も表しています。
保守/革新両陣営が斎藤を敬遠する理由は
彼が立憲主義者と政治的現実主義者であることの
いわば「毒」にあると筆者は考えています。
さて、筆者は斎藤をパトリオットとして評価しています。
ですが、体制内の人間をパトリオット(愛国主義者)と
ナショナリスト(国家(民族)主義者)とに分けて、
前者に対してやや無批判となっているのは問題だと思います。
第二次大戦時のフランスにおけるペタンとド・ゴールのパトリオットのように、
パトリオットにも厄介な問題をはらんでおり。
斎藤をパトリオットとして放置しておいてよいのか疑問です。
いずれにせよ、日本憲政史上忘却すべきでない古老の詳細に迫れる一冊です。
有名でないかもしれない斎藤隆夫の評伝です。
アメリカ留学と加藤弘之との論争とを交えながら
斎藤の政治思想(立憲政治)を描き出しています。
他方で、19世紀型の帝国主義の論理(弱肉強食)を土台とする
政治的リアリストとしての斎藤の姿も表しています。
保守/革新両陣営が斎藤を敬遠する理由は
彼が立憲主義者と政治的現実主義者であることの
いわば「毒」にあると筆者は考えています。
さて、筆者は斎藤をパトリオットとして評価しています。
ですが、体制内の人間をパトリオット(愛国主義者)と
ナショナリスト(国家(民族)主義者)とに分けて、
前者に対してやや無批判となっているのは問題だと思います。
第二次大戦時のフランスにおけるペタンとド・ゴールのパトリオットのように、
パトリオットにも厄介な問題をはらんでおり。
斎藤をパトリオットとして放置しておいてよいのか疑問です。
いずれにせよ、日本憲政史上忘却すべきでない古老の詳細に迫れる一冊です。
2008年5月10日に日本でレビュー済み
斎藤隆夫は粛軍演説・反軍演説で軍部を厳しく批判した立憲政治家として有名だが、その半生、思想について肉迫した著作はほとんどなかった。北一輝研究で名高い松本健一によるこの著作は、その斎藤に初めて肉迫した記念すべき著作である。
「聖戦の美名に隠れ云々」という、かの反軍演説についてはもちろん詳しい。その部分は、この本でもクライマックスとなっているが、やはり斎藤の立憲政治家としての思想形成をなす半生を記した部分に注目したい。苦学して早稲田に学び、イェール大学に留学した経験などを通じ、日本の土着の精神性に基礎を置きつつ、欧米の進歩的学説などを取り入れた「一大日本教」が必要だという認識に至ったこと、今まで明らかにされなかった加藤弘之との論争から、徹底して立憲政治の正統性を説いたことは、非常に重要なものである。これらにこそ、欧米学説一辺倒の浮ついた知識人に堕することなく、かつ国粋一辺倒の安直なナショナリストにもならない、バランス感覚に優れたリアリスト斎藤隆夫の全てがある。松本は、斎藤が反軍演説に至る必然性を論証することに成功したと言えよう。
また、ここには北一輝との類似性が潜んでいることも見逃せない。松本は北一輝の天皇機関説的発想と斎藤の天皇機関説とを詳細に比較し、極めて類似していることを論証する。これは、単に北一輝研究家の趣味によるのではない。実際には真逆の人生を歩んだ二人の奇妙な類似性は、進歩的学説に魅了されつつも、あくまで「日本」という土壌に立っていることにこだわったという両者の共通性に潜んでいる。
一方で、松本は、斎藤のリアリズムには「毒」が潜むことを指摘する。斎藤は、弱国が強国に支配されるのは弱いからだ、搾取を逃れるには強くなる他ない、それが国際政治の現実だと暴露する。しかし、この論理は、あまりにも我々にとって過酷で、受け止めがたいばかりでなく、力崇拝主義に容易に悪用される危険を持っている。これを我々はどう受け止めるか。松本の提起することは、斎藤の理解にとって避けることのできない問題点である。
観念で現実を隠蔽することを厳しく批判した斎藤には、学ぶべき点は多い(カーのイデオロギー批判の手法に通ずるものがある)。だが、そこに潜むパワーの論理の危険な側面も、合わせて理解することを忘れてはならない。それらを丸ごと受け入れた上で、望ましい思考とは何かを見つめ直すことが、読者に残された宿題である。
「聖戦の美名に隠れ云々」という、かの反軍演説についてはもちろん詳しい。その部分は、この本でもクライマックスとなっているが、やはり斎藤の立憲政治家としての思想形成をなす半生を記した部分に注目したい。苦学して早稲田に学び、イェール大学に留学した経験などを通じ、日本の土着の精神性に基礎を置きつつ、欧米の進歩的学説などを取り入れた「一大日本教」が必要だという認識に至ったこと、今まで明らかにされなかった加藤弘之との論争から、徹底して立憲政治の正統性を説いたことは、非常に重要なものである。これらにこそ、欧米学説一辺倒の浮ついた知識人に堕することなく、かつ国粋一辺倒の安直なナショナリストにもならない、バランス感覚に優れたリアリスト斎藤隆夫の全てがある。松本は、斎藤が反軍演説に至る必然性を論証することに成功したと言えよう。
また、ここには北一輝との類似性が潜んでいることも見逃せない。松本は北一輝の天皇機関説的発想と斎藤の天皇機関説とを詳細に比較し、極めて類似していることを論証する。これは、単に北一輝研究家の趣味によるのではない。実際には真逆の人生を歩んだ二人の奇妙な類似性は、進歩的学説に魅了されつつも、あくまで「日本」という土壌に立っていることにこだわったという両者の共通性に潜んでいる。
一方で、松本は、斎藤のリアリズムには「毒」が潜むことを指摘する。斎藤は、弱国が強国に支配されるのは弱いからだ、搾取を逃れるには強くなる他ない、それが国際政治の現実だと暴露する。しかし、この論理は、あまりにも我々にとって過酷で、受け止めがたいばかりでなく、力崇拝主義に容易に悪用される危険を持っている。これを我々はどう受け止めるか。松本の提起することは、斎藤の理解にとって避けることのできない問題点である。
観念で現実を隠蔽することを厳しく批判した斎藤には、学ぶべき点は多い(カーのイデオロギー批判の手法に通ずるものがある)。だが、そこに潜むパワーの論理の危険な側面も、合わせて理解することを忘れてはならない。それらを丸ごと受け入れた上で、望ましい思考とは何かを見つめ直すことが、読者に残された宿題である。
2009年9月28日に日本でレビュー済み
内容については、先の評者(北海先生)が充分に紹介されており、付け加えることはあまりない。唯一、視点が異なるのは北一輝との関連であり、斎藤隆夫に引きつけて北一輝を語る必要はないのでは、ということ。
「日本の失敗」についてはかなり厳しい採点をした私ですが、素材(とは斎藤隆夫氏には大変失礼な言い方ですが)が立派なだけに、文章も生き生きしており、一気に読ませてくれます。
あとがきにある通り、小島直記さん流に言えば、松本健一氏と斎藤隆夫氏がまさに「バイブレート」した著作ではないでしょうか。
「日本の失敗」についてはかなり厳しい採点をした私ですが、素材(とは斎藤隆夫氏には大変失礼な言い方ですが)が立派なだけに、文章も生き生きしており、一気に読ませてくれます。
あとがきにある通り、小島直記さん流に言えば、松本健一氏と斎藤隆夫氏がまさに「バイブレート」した著作ではないでしょうか。
2003年1月7日に日本でレビュー済み
斎藤隆夫は「二二六事件直後に粛軍演説を行った」という紋切り型の形容にとどまる人物ではないのに、彼の思想がこれまでまともに論じられたことがなかったのは一体何故なのか?おそらくその思想の「毒」が強すぎたことが原因ではないか、というのが著者の見解ですが、どの部分が「毒」なのかは本文を読んでください。私は昭和史ファンでもなんでもないのですが、本書は一気に読むことができました。はじめて読んだ粛軍演説のくだりは、やはり圧巻でした。