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私の読書遍歴――猿飛佐助からハイデガーへ (岩波現代文庫) (岩波現代文庫 社会 203) 文庫 – 2010/6/17
木田 元
(著)
忍術小説に熱中した少年が、なぜハイデガーの研究者になるにいたったか。敗戦後の混乱期、あてどなく本を読みあさるうちにドストエフスキー、キルケゴールに出会う。そしてハイデガーの『存在と時間』を読まずにいられなくなり哲学研究の道へ。難解な哲学書のわかりやすい翻訳で知られる著者の約70年に及ぶ読書体験記。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2010/6/17
- ISBN-10400603203X
- ISBN-13978-4006032036
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2010/6/17)
- 発売日 : 2010/6/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 256ページ
- ISBN-10 : 400603203X
- ISBN-13 : 978-4006032036
- Amazon 売れ筋ランキング: - 623,559位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
理屈抜きに楽しく読めました。猿飛佐助の話が出てくるのは一章だけですが、読みやすいので著者の他の本も次々と読んでいます。
2011年2月14日に日本でレビュー済み
「闇屋」の成りそこないというめずらしい出でありながら、ハイデガーをはじめとする現象学研究の泰山北斗である木田元大先生の自伝的書評である。この人がいなかったら、難解極まりない『存在と時間』の読解も容易なものとはならなかったであろうし、ハイデガー研究においても我が朝は他国の研究者の後塵を拝することになったことであろう。戦後という暗い時代に貧しさという塗炭の苦を嘗めながらも、少ないながらもあるだけの資料をとり集め、身を削る思いで、難行苦行をくり返し、そのつらさに負けることなく研鑽を積み続け、ハイデガー研究の世界で大成した。そんな木田氏の成功譚として読んでも面白い。かといって嫌味な自慢話ではない。このようなかたちで一流の研究家は生成されるのだな、ということがよくわかる。木田氏の廉直な性格が行間から見て取ることができる。私のような凡夫でも、一応、何とか『存在と時間』を何とか苦し紛れに読み通せたのも、木田氏をはじめとする先人の恩である。
興味深かったのは、木田氏の青年期の語学修練や原典講読の話である。今ほどよい教材もないし、勿論コピー機などもない。涙ぐましい努力をなさっている。語学に関して言えば、哲学を本格的に研究して、一角の学者になるためには、英仏独は無論のことながら、ラテン語ギリシア語もできなくてはならない。こういう人たちの尽力があってからこそ、私たちは西欧の哲学書に簡単に触れることができるのだから、私は木田氏などの先哲たちには満腔の謝意を禁じえない。
あと木田氏は、ドストエフスキーの諸作品を解釈をするにあたり、キルケゴールの『死に至る病』を熟読したらしく、そうすることでドストエフスキーの哲理を諒としたらしい。そして亦、&vice versaであったという。そしてドストエフスキーとキルケゴールの影響下で書かれたハイデガーの『存在と時間』へと木田氏は赴いたという。その深奥、玄妙な『存在と時間』を理解する上で、おおいなる助け舟になったのが、木田氏にとっては、メルロ=ポンティの『行動の構造』であったとのことである。
大衆的な娯楽小説から、それこそ『存在と時間』のような浩瀚で晦渋な本まで、木田氏をそれらを等しく愛し、ごじしんの人格や知性をつくりあげてきたのである。
興味深かったのは、木田氏の青年期の語学修練や原典講読の話である。今ほどよい教材もないし、勿論コピー機などもない。涙ぐましい努力をなさっている。語学に関して言えば、哲学を本格的に研究して、一角の学者になるためには、英仏独は無論のことながら、ラテン語ギリシア語もできなくてはならない。こういう人たちの尽力があってからこそ、私たちは西欧の哲学書に簡単に触れることができるのだから、私は木田氏などの先哲たちには満腔の謝意を禁じえない。
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