プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,210¥1,210 税込
ポイント: 37pt
(3%)
無料お届け日:
4月4日 木曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥489

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
日本海軍はなぜ過ったか――海軍反省会四〇〇時間の証言より (岩波現代文庫) 文庫 – 2015/7/16
購入オプションとあわせ買い
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2015/7/16
- 寸法10.5 x 1 x 15 cm
- ISBN-104006032889
- ISBN-13978-4006032883
よく一緒に購入されている商品

この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2015/7/16)
- 発売日 : 2015/7/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 224ページ
- ISBN-10 : 4006032889
- ISBN-13 : 978-4006032883
- 寸法 : 10.5 x 1 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 137,706位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 172位岩波現代文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
1930年、東京・向島生まれ。
東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。松本清張、司馬遼太郎らの担当編集者をつとめる。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役などをへて作家。「歴史探偵」を名乗り、おもに近現代史に関する著作を発表。
著書は『日本の一番長い日』、『漱石先生ぞな、もし』(正続、新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『幕末史』など多数。『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。
ノンフィクション作家。1930年東京に生まれ、4歳で渡満。敗戦の翌年引揚げる。1949年中央公論社経理部員となり、早稲田大学第二文学部に学ぶ。卒 業後『婦人公論』編集部へ転属。63年、編集次長で病気退職、のち五味川純平氏『戦争と人間』の資料助手。72年『妻たちの二・二六事件』刊行、73年、 フリーのライターに。『火はわが胸中にあり―忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件』(第五回日本ノンフィクション賞)(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 きもの箪笥 (ISBN-13: 978-4473036506 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
参謀飾緒と呼ばれる金糸または黄絹の飾り緒(地味な色の野戦用もあり)を軍服の胸前に着用した者が、作戦策定にあたる将校=「参謀」なのだ。なるほど、道理で、元帥や大将閣下をはじめ司令官、指揮官と目される人物にはその飾りがない訳だ。
本書によれば、戦局悪化により、人間魚雷「回天」や㊃(マルヨン)艇「震洋」、人間爆撃機「桜花」による特攻作戦を、海軍の参謀が陸軍に先行して立案したという(128頁~134頁)。
「帰る手段がない作戦は、指揮する人間として命令してはならないことである。責任ある人間のやることではない」と特殊潜航艇によるハワイ作戦計画を当初拒絶した司令官山本五十六が戦死した翌年の昭和十九年二月に、特攻兵器の生産が開始されたらしい。
「自分が決めたという意識を誰も持っていない。これは組織が決めたんだ、そういう意識だからできるんです」との指摘が虚しい。伏見宮元帥府での所謂元帥会議で「特別な手段を実行するときが来た」として特攻構想(体当たり攻撃)が決定される(昭和十九年六月)。
「もし、順調に特攻兵器が開発されていたら、マリアナ沖海戦で、特攻兵器が実行された可能性はあります。もちろん、これはもう、正式の部隊として、上からの正式の命令でやるんですよ」という補足説明が恐ろしい。
陸軍に引きずられて海軍がやむなく開戦したとする海軍無謬論は、当事者意識や責任感を欠くもので首肯できない。反省会で語られたように「名義のない、強盗侵略戦争をやったということが、事実なんですか。」「内乱が起こったってね、海軍が反対すれば結局、(太平洋を主戦場とする対米)戦争にならない」筈だから、本気で反対しなかった不作為の責任がある。
軍人に実際の戦争を避ける抑止力たる軍隊組織で居よ、外交という手練手管で和平を実現するのが我々の務めだと相手を諭す役目は文官たる政治家が担う責務であったが、二・二六事件後の軍事テロをも辞さぬ中堅将校らの強硬姿勢に誰も彼もが腰砕けとなり、沈黙した。
戦後、名称を変えた国軍組織に対する文民統制(シビリアン・コントロール)の重要性が叫ばれる所以だが、個人の「責任」を曖昧にしがちな日本人に見られる主体性の欠如や主語が表われない日本語の言語不明瞭さを意識して改善しないと、望ましい組織運営は得られまい。
つまり、「個人」(主体)があっての「組織」(国家もその客体の一つ)であり、その逆ではないとの認識だ。根底に「個人」の主体責任があるから客体の「組織」責任を問える。人間が主体なのである。移民の国アメリカが先ずは「合衆」国であり、次に「合州」国としての連邦国家が構成されるのもこのためだ。
第二次世界大戦(日中戦争ならびに太平洋戦争)での敗戦を機に民主主義国家に生まれ変わった筈の日本では、古代に集権国家を成立させた歴史を持つがゆえに、「個人」があっての「組織」=民主国家という主体意識よりも、却って個人は国家に従属する<添え物的な帰属意識>の方が強まったのではないか。
たとえ国家が滅びても民族同胞の命ある限り必要とあらばいつでもどこでも国家を再興するぞと他民族が示した気概、迫力、執念はおろか、幕末に維新回天事業に邁進した志士たちに有った覇気、至誠、勇猛果敢さにさえ欠ける気がする。
「失敗」を水に流すことばかりを繰り返し「責任」の本質に迫らずにいると、何事も曖昧に決定し、その曖昧さの中で失敗の拡大再生産をした挙句、誰も何も反省せず、責任を取らない組織が出来上がる。
「責任」を取ろうとも取らせようともしない、手前勝手な意思決定プロセスが支配する組織(国家や社会、政党や役所、戦力なき軍隊)が存命することほど危険で、愚かなことが他にあろうか。
本書は、空襲の焼け野原で生き残った半藤一利ら三名の鼎談でともかく参謀たちが「反省」した海軍組織の意思決定の内実を教えてくれるが、内実のお粗末さに読者は戦慄を覚えるに違いない。
「日本人は、歴史を大事にしない国民なんですね」との指摘(143頁)には忸怩たるものがある。
地震や津波など自然災害の被害状況を詳細に記した歴史記録を残す癖に、人為的な出来事(結果)の原因追及となると忖度し等閑に済ませたり、調査分析を形式的に切り上げ、責任追及されるべき個人を特定せず曖昧に収拾を図る、臭いものには蓋という民族の隠蔽体質が露呈する。
このままだと、遠からぬいつか、日本人は歴史のしっぺ返しを受けるのではないか。何故なら、「反省」の無いところに明日を迎え得る「成長」も有りはしないからだ。
半藤さんがとりあげたハニートラップ説が妙に印象に残りました。ファクトとして実際にそうであったのか。そこは真面目な歴史研究の対象と思います。
本書で語られている海軍の実態とは、組織の権益確保優先で大局観を欠いた判断、現実を見ずにリアリティを欠いた計画、秘密主義で失敗について記録を残さない、歴史を学ばない、個人ではなく組織の判断だからと誰も個人的な責任を負わないシステムなど。破綻が明らかな年金制度、次々に明るみになる文書や統計の改ざん、自省の予算確保を最優先する姿など、現在の官僚組織にもそのまま当てはまり、愕然とする。
一番許せないのは、軍令部を中心とするエリート軍人が勝算のない戦闘の中、不条理な命令により散華した最前線の兵士に対し、全く共感を欠いていること。極端な階層構造、上意下達の組織が招く悲劇だが、階層の二分化が進む現代においても、民意を無視した権力の横暴、少数派への共感の欠如は様々な場面で見られる。私達は歴史の教訓から学ばなければならない。