優生学(ユージェニクス)という恐るべき学問(考え方)があることを、恥ずかしながら本書で初めて知りました。 (ナチスの優良種概念は知っていたのですが。)
不平等社会に鋭くメスを入れ、危機感を持って社会的弱者に焦点をあてた大変興味深い内容です。 2000年頃書かれたものなので、10年ひと昔、情報はかなり古くなってしまっており現在の状況とはかなり異なる部分が見受けられます。それでも多くの方にお薦めできる内容です。
事実上消滅した“ゆとり教育”というものは、実は一部のエリート育成=選良主義の為のからくりだったのですね。 僕には、そこいらのウヨクやサヨクよりも、<優秀を自称する>江崎玲於奈(ノーベル物理学賞受賞)のような科学者や役人の方が100倍危険であるように思われます。
惜しむらくはあまりにも多くのテーマを取り上げ過ぎた為、全体に散らばった印象となってしまっていること。 もう少し扱う内容を絞ってもよかったのではないでしょうか。
***
『Memorias del Subdesarrollo (低開発の記憶)』の続編映画『Memorias del Desarrollo (先進社会の手記)』を撮ったCUBA人監督Miguel Coyula(ミゲル・コユーラ)氏が、このテーマに関連した映画を制作中なのだそうです。 日本とは環境が全く異なるCUBAで優生学がどのように描かれるか注目しています。
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機会不平等 (岩波現代文庫) 文庫 – 2016/11/17
斎藤 貴男
(著)
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購入オプションとあわせ買い
強者の信奉する「市場原理」が、教育、介護など、効率性・生産性とは異なる価値観をもつ領域にまで侵食するとき、社会はどうなってしまうのか。格差拡大の「必然」に、粘り強い取材からいち早く警鐘を強く鳴らしたルポ。最新事情を踏まえた新章を加えるとともに、森永卓郎氏と行った対談を巻末に掲載。
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2016/11/17
- ISBN-104006033028
- ISBN-13978-4006033026
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2016/11/17)
- 発売日 : 2016/11/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 352ページ
- ISBN-10 : 4006033028
- ISBN-13 : 978-4006033026
- Amazon 売れ筋ランキング: - 286,436位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 400位岩波現代文庫
- - 46,015位ノンフィクション (本)
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2012年11月4日に日本でレビュー済み
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2010年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初出2000年。
自由競争が叫ばれ、結果の平等に意義を唱える経済学者に対し、
”金持ちと貧乏人がいる社会に元々結果の平等など無かったではないか”、
”戦後民主主義の守ろうとしていたものは、機会の平等ではなかったのか?”、
という著者の素朴な疑問に端を発し、様々な社会問題にメスをいれる内容となっている。
これらは、ゆとり教育、派遣社員、労働組合、高齢者福祉などの諸問題に切り込み、
既に情報としては古いが、10年経った今でも内容は全く色あせていないと思う。
本書で著者が一貫して主張しているのは、”人らしく生きよう”ということだろう。
これは誰もが、生きていく上での、大前提だと思う。
著者自身の、経済論やシステム論の展開はほとんど無いに等しい。
自分の立ち位置を明確に示した上での、情報提供が主となっている。
かなりの取捨選択をしたであろう著者の記述には、意図的なものを感じるが、
読者側で十分考察が可能な内容だと思う。
取材内容と引用文献も多岐に渡る。
経済に関するものに絞って、具体例を挙げると、
・<前略>問題だと思うのは、にもかかわらず最近の経済学が、人間の生き方や歴史を顧みようとしていないことです。
(一橋大学 阿部学長)
・マクロ経済は本来、どのような社会の仕組みが合理的で公平か<中略>考える学問です。
<中略>現状は、まるでミクロ経済の主体である企業の利益のための学問になってしまっています。
(専修大学 正村教授)
・経済学者に必要な条件は、”Cool Head, but Warm Hart.”
(アルフレッド マーシャル)
等々。
これらは、高収益のビジネスモデルも、高度な社会システムも、それを正しく運用出来なければ、
単なる利権の温床にすぎない、ということを示唆している、と思う。
本書は、現在の社会問題に処方箋を与えるものでは無い。
しかしながら、読者自身に問題提議をして、どうすべきか考えるきっかけを与えてくれる。
自分自身の人生を考える上で、有益な書だと思う。
自由競争が叫ばれ、結果の平等に意義を唱える経済学者に対し、
”金持ちと貧乏人がいる社会に元々結果の平等など無かったではないか”、
”戦後民主主義の守ろうとしていたものは、機会の平等ではなかったのか?”、
という著者の素朴な疑問に端を発し、様々な社会問題にメスをいれる内容となっている。
これらは、ゆとり教育、派遣社員、労働組合、高齢者福祉などの諸問題に切り込み、
既に情報としては古いが、10年経った今でも内容は全く色あせていないと思う。
本書で著者が一貫して主張しているのは、”人らしく生きよう”ということだろう。
これは誰もが、生きていく上での、大前提だと思う。
著者自身の、経済論やシステム論の展開はほとんど無いに等しい。
自分の立ち位置を明確に示した上での、情報提供が主となっている。
かなりの取捨選択をしたであろう著者の記述には、意図的なものを感じるが、
読者側で十分考察が可能な内容だと思う。
取材内容と引用文献も多岐に渡る。
経済に関するものに絞って、具体例を挙げると、
・<前略>問題だと思うのは、にもかかわらず最近の経済学が、人間の生き方や歴史を顧みようとしていないことです。
(一橋大学 阿部学長)
・マクロ経済は本来、どのような社会の仕組みが合理的で公平か<中略>考える学問です。
<中略>現状は、まるでミクロ経済の主体である企業の利益のための学問になってしまっています。
(専修大学 正村教授)
・経済学者に必要な条件は、”Cool Head, but Warm Hart.”
(アルフレッド マーシャル)
等々。
これらは、高収益のビジネスモデルも、高度な社会システムも、それを正しく運用出来なければ、
単なる利権の温床にすぎない、ということを示唆している、と思う。
本書は、現在の社会問題に処方箋を与えるものでは無い。
しかしながら、読者自身に問題提議をして、どうすべきか考えるきっかけを与えてくれる。
自分自身の人生を考える上で、有益な書だと思う。
2014年6月7日に日本でレビュー済み
大学の教員です。
この本の著者、斎藤貴男は、強烈なマルクス共産主義者です。
マルクス共産主義は、世の中を、強者と弱者という二重構造として過度に単純化して理解します。
このようなものの見方自体が、間違いなのですが、マルクス主義者は、次から次へと弱者を発掘し、強者である社会や政府の批判を直ちに開始するのです。何もないところに、闘争を作り出してしまうのです。つまり、マルクス主義者のせいで、世の中には、次から次へと問題・分断・反目が作り出されてしまい、社会不安や戦争を生み出してきただけでなく、フェミニズムという共産主義者たちによって、男と女は愛し合う関係ではなく、どちらが主導権を持つか、という闘争・敵対関係になってしまい、世界の夫婦関係を破壊し続けてきました。
その意味で、斎藤貴男の著書は、すべてマルクス共産主義に基づいた社会的に有害な本です。
本書の主張も、バカか、と言いたくなるほどくだらない子供向けな内容です。
マルクス主義者の不合理信念=自動思考=思考のゆがみを知るには、役立つかもしれません。
大学には、掃いて捨てるほど、この著者たちのような大衆化した左翼が跋扈し、日本の亡国を加速しています。
このような本を、何も知らない読者が読んで、「確かにそうだなぁ」などと思ってしまい、知らぬ間に自らが「マルクス共産主義者=共産党シンパ」になってしまうことを、大学の学生を教えていて常に危惧しております。
この本の著者、斎藤貴男は、強烈なマルクス共産主義者です。
マルクス共産主義は、世の中を、強者と弱者という二重構造として過度に単純化して理解します。
このようなものの見方自体が、間違いなのですが、マルクス主義者は、次から次へと弱者を発掘し、強者である社会や政府の批判を直ちに開始するのです。何もないところに、闘争を作り出してしまうのです。つまり、マルクス主義者のせいで、世の中には、次から次へと問題・分断・反目が作り出されてしまい、社会不安や戦争を生み出してきただけでなく、フェミニズムという共産主義者たちによって、男と女は愛し合う関係ではなく、どちらが主導権を持つか、という闘争・敵対関係になってしまい、世界の夫婦関係を破壊し続けてきました。
その意味で、斎藤貴男の著書は、すべてマルクス共産主義に基づいた社会的に有害な本です。
本書の主張も、バカか、と言いたくなるほどくだらない子供向けな内容です。
マルクス主義者の不合理信念=自動思考=思考のゆがみを知るには、役立つかもしれません。
大学には、掃いて捨てるほど、この著者たちのような大衆化した左翼が跋扈し、日本の亡国を加速しています。
このような本を、何も知らない読者が読んで、「確かにそうだなぁ」などと思ってしまい、知らぬ間に自らが「マルクス共産主義者=共産党シンパ」になってしまうことを、大学の学生を教えていて常に危惧しております。
2005年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まるで映画のパンフレットのような薄っぺらい小学校
高学年の理科の教科書を見て驚いたばかりのタイミングで
この本を読んだ。
ゆとり教育の真の?狙いについての考察を読んで、さらに
驚くと同時にちょっと考えてみると納得のいく現実があること
に気づかされる。
その他3章、5章などは食い入るように読んだ。深く考え
させられた。全体を通じた筆者の論考については、未だ評価で
着ないでいるが、精緻な調査、インタビューに裏付けられた
論の進め方はうらやましく思った。
インパクトがある一冊です。もっと早く出会いたかった。
高学年の理科の教科書を見て驚いたばかりのタイミングで
この本を読んだ。
ゆとり教育の真の?狙いについての考察を読んで、さらに
驚くと同時にちょっと考えてみると納得のいく現実があること
に気づかされる。
その他3章、5章などは食い入るように読んだ。深く考え
させられた。全体を通じた筆者の論考については、未だ評価で
着ないでいるが、精緻な調査、インタビューに裏付けられた
論の進め方はうらやましく思った。
インパクトがある一冊です。もっと早く出会いたかった。
2005年12月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大手人材派遣業者から流出した派遣スタッフの情報に、容姿についてのABC三段階評価が含まれていた。派遣スタッフは専門的な技能や経験だけで評価されるはずだが、実態は風俗産業に近いという。派遣会社は、クライエントに「美人をよこせ」と言われれば対応せざるを得ない。「多様な働き方の推進」とは名ばかりで、結局弱者(パート)は強者(大企業)の為すがままだ。
容赦無く「モノ化」されていくのは女性事務員に限らない。弱者である老人や子供も弱肉強食の市場主義に容赦なく組み込まれてゆく。「結果の平等より機会の平等」の掛け声とは裏腹に、実際は持てる階級と持たない階級の二極化が益々強化されている。著者はそんな世の中の階級主義に早くから警鐘を鳴らしてきている。
戦後10年以上もシベリアに抑留されていた父の影響だろうか、著者の政府権力の欺瞞に対する嗅覚は限りなく敏感だ。膨大な資料と足で稼いだインタビューに基づく階級主義(グローバルスタンダード)へのアンチテーゼ。
容赦無く「モノ化」されていくのは女性事務員に限らない。弱者である老人や子供も弱肉強食の市場主義に容赦なく組み込まれてゆく。「結果の平等より機会の平等」の掛け声とは裏腹に、実際は持てる階級と持たない階級の二極化が益々強化されている。著者はそんな世の中の階級主義に早くから警鐘を鳴らしてきている。
戦後10年以上もシベリアに抑留されていた父の影響だろうか、著者の政府権力の欺瞞に対する嗅覚は限りなく敏感だ。膨大な資料と足で稼いだインタビューに基づく階級主義(グローバルスタンダード)へのアンチテーゼ。
2004年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他のレビュアーも述べているように、本書は「ジャーナリスト」という著者の肩書きを十二分に活かし、膨大な取材を経て完成した傑作であると思う。
学者の書く専門書は理論や実証分析が中心で、実感の湧きにくいものが多いが、本書は(多少うんざりしてしまうほど)多くのキーパーソンが登場し、積極的な取材によって彼らの内面に潜むイデオロギーをうまく暴き出している。
本のテーマからして、読み手の主観によって賛否がわかれそうであるが、多くのレビュアーが絶賛しているというのは、そうした著者の意欲的な姿勢が評価されているのであろう。私もその姿勢に感銘を受けた。
しかし、ひとつ残念なのは、教育問題や経済問題などを同時に扱ったため、主張にこじつけやねじれが感じられることである。
本書では経済学者の中でも特にフリードマンや竹中平蔵氏など、いわゆる新自由主義者を中心にスポットをあてているが、「彼らの主張」=「経済学一般の主張」と錯覚してしまうような構成は危険である。
経済学は「カネ」や「自由」ばかりを追及する学問ではない。経済学は効率性に加えて「公平性」という観点からも分析を試みる社会科学であり、近年「教育経済学」などの領域において、ゆとり教育などの諸問題に対する分析が盛んに行われている。何も経済学は所得格差や階層固定化を容認・促進するようなものではない。所得格差問題を是正しようとする議論も多く存在する。著者の示す「経済学」は一部の派閥によるものに過ぎないのである。
こうした客観性を含めて議論が行われていれば、よりバランスの取れた名著になっていただろうに、と悔やまれる。
しかし、この本の魅力はそれでもなお絶大であり、多くの人に読んでもらいたいと思う。
学者の書く専門書は理論や実証分析が中心で、実感の湧きにくいものが多いが、本書は(多少うんざりしてしまうほど)多くのキーパーソンが登場し、積極的な取材によって彼らの内面に潜むイデオロギーをうまく暴き出している。
本のテーマからして、読み手の主観によって賛否がわかれそうであるが、多くのレビュアーが絶賛しているというのは、そうした著者の意欲的な姿勢が評価されているのであろう。私もその姿勢に感銘を受けた。
しかし、ひとつ残念なのは、教育問題や経済問題などを同時に扱ったため、主張にこじつけやねじれが感じられることである。
本書では経済学者の中でも特にフリードマンや竹中平蔵氏など、いわゆる新自由主義者を中心にスポットをあてているが、「彼らの主張」=「経済学一般の主張」と錯覚してしまうような構成は危険である。
経済学は「カネ」や「自由」ばかりを追及する学問ではない。経済学は効率性に加えて「公平性」という観点からも分析を試みる社会科学であり、近年「教育経済学」などの領域において、ゆとり教育などの諸問題に対する分析が盛んに行われている。何も経済学は所得格差や階層固定化を容認・促進するようなものではない。所得格差問題を是正しようとする議論も多く存在する。著者の示す「経済学」は一部の派閥によるものに過ぎないのである。
こうした客観性を含めて議論が行われていれば、よりバランスの取れた名著になっていただろうに、と悔やまれる。
しかし、この本の魅力はそれでもなお絶大であり、多くの人に読んでもらいたいと思う。
2013年7月31日に日本でレビュー済み
森永卓郎氏が獨協大学に着任した際、学生に推薦している図書とのことで読んでみた。
なるほど、森永氏が斉藤氏の論調に賛成する理由がよくわかる。
詰まるところは「1%の大富豪と99%の大貧民をつくるための構造改革」ということに落ち着き、「富む者はより富み、貧しい者はより貧しく」するために富裕層が行おうとしている施策の内容をルポとしてまとめている本だ。
本書では深く触れていないが、その内容は改憲論に通じるものと確信した。
改憲というと、多くの人が「9条改正〜自衛隊の軍隊化〜国外戦争への参戦」という所にばかりスポットがあたり、戦争賛成or反対の立場で是非を決めてしまいがちだが、実はエリートが行いたい憲法改正の真意は戦争論ではなく、改憲によって、「国家権力の名の下に人権を抑制(政府の一方的な都合で「公共の福祉」を乱発する)し、ひいては個人の尊厳を蔑ろにする」ことで、エリート(富豪)が下々(貧民)を支配・統制するために改憲したいという意図なのだ。
自民党の改憲草案で「日本国民は」ではなく「日本国は」ではじめているのも、現憲法が過去への反省から「主権は”国民”に附帯される”人類普遍の原理”」としている部分を廃し(改憲草案では、前文から”人類普遍の原理”の文言は削除されている)、「国家(エリート)により、国民(下々)を統制したい」という意思の表れといえよう。
国民主権ではなく国家主権(というよりも、エリート主権)にしたい意思の表れといえよう。
本書の1章では、エリート支配社会を目指すために行われている、経済・教育分野の現状が書かれている。
2章〜5章は具体的な現場の実情や、御用学者の出自をまとめた内容なので、読み疲れてしまうかもしれない。
しかし、1章を読むだけでも、上述の意図を読み取れる、価値のある著作といえよう。
初版刊行2000年、文庫化2004年でありながら、2013年に読んでも色あせない、いやむしろ、より本書に記載された事項が明確に表面化していることを実感できる著作である。
Amazonの関連サーチ機能により、斉藤氏が「ルポ 改憲潮流」という著作も出していることを知ることができた。今度はこちらも読んでみようと思う。
なるほど、森永氏が斉藤氏の論調に賛成する理由がよくわかる。
詰まるところは「1%の大富豪と99%の大貧民をつくるための構造改革」ということに落ち着き、「富む者はより富み、貧しい者はより貧しく」するために富裕層が行おうとしている施策の内容をルポとしてまとめている本だ。
本書では深く触れていないが、その内容は改憲論に通じるものと確信した。
改憲というと、多くの人が「9条改正〜自衛隊の軍隊化〜国外戦争への参戦」という所にばかりスポットがあたり、戦争賛成or反対の立場で是非を決めてしまいがちだが、実はエリートが行いたい憲法改正の真意は戦争論ではなく、改憲によって、「国家権力の名の下に人権を抑制(政府の一方的な都合で「公共の福祉」を乱発する)し、ひいては個人の尊厳を蔑ろにする」ことで、エリート(富豪)が下々(貧民)を支配・統制するために改憲したいという意図なのだ。
自民党の改憲草案で「日本国民は」ではなく「日本国は」ではじめているのも、現憲法が過去への反省から「主権は”国民”に附帯される”人類普遍の原理”」としている部分を廃し(改憲草案では、前文から”人類普遍の原理”の文言は削除されている)、「国家(エリート)により、国民(下々)を統制したい」という意思の表れといえよう。
国民主権ではなく国家主権(というよりも、エリート主権)にしたい意思の表れといえよう。
本書の1章では、エリート支配社会を目指すために行われている、経済・教育分野の現状が書かれている。
2章〜5章は具体的な現場の実情や、御用学者の出自をまとめた内容なので、読み疲れてしまうかもしれない。
しかし、1章を読むだけでも、上述の意図を読み取れる、価値のある著作といえよう。
初版刊行2000年、文庫化2004年でありながら、2013年に読んでも色あせない、いやむしろ、より本書に記載された事項が明確に表面化していることを実感できる著作である。
Amazonの関連サーチ機能により、斉藤氏が「ルポ 改憲潮流」という著作も出していることを知ることができた。今度はこちらも読んでみようと思う。
2013年8月11日に日本でレビュー済み
重層的な弱い者虐め社会の陰湿な土壌を得て、デストピアに開花した。今や爆発まであと一押しだ。