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ワイド版街道をゆく6 単行本 – 2005/2/17
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- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2005/2/17
- 寸法18.2 x 12.8 x 1.4 cm
- ISBN-104022501065
- ISBN-13978-4022501066
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2005/2/17)
- 発売日 : 2005/2/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 240ページ
- ISBN-10 : 4022501065
- ISBN-13 : 978-4022501066
- 寸法 : 18.2 x 12.8 x 1.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 554,075位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,209位日本文学(日記・書簡)
- カスタマーレビュー:
著者について
1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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沖縄というと、どうしても、著者も従軍された第二次世界大戦の話になりがちですが、アメリカとの激戦が行われた沖縄諸島には降りられたものの、すぐに先島諸島に行かれたように、戦争については触れられる程度になっています
さて、本書の白眉といえば、TVでもしばしば放映されていますが、先島諸島、中でも、竹富島ということになるでしょうか
40年以上前の訪問記だけに、今の竹富島はわかりませんが、司馬氏が訪れたころは、不動産業者による観光化を防ぐため、ホテルや民宿を作らず、地元の家が、民宿替わりをしていました
また、民宿で働く若者も、すっかり、竹島の魅力にはまった東京人が多く、そのまま、教員等として、島にいついてしまうようです
それを、司馬氏特有の優しい筆致で描いていますので、「自分も行ってみたいなあ」と思ってしまいます
とえはいえ、「今はどうなってしまったのか」、恐れる自分がいるのも確かであり、「司馬氏の本だけにしようかな」とも悩んでしまいますが
那覇へ/沖縄について/那覇で/ホテルの食堂/空港の便所で/糸満にて/石垣島/宮良殿内/竹富島へ/竹富島のT君/東シナ海の見張所/森の中の鍛冶遺跡/鉄と星砂/蒐集館の館主/波照間の娘/与那国島へ/南国食堂/小さな魚市/商売と商人/女酋長の世/花酒/村の劇場
週刊朝日1974年6月21日号〜1974年11月5日号
沖縄は、本島から宮古島、先島諸島である石垣島、西表島、与那国島の琉球弧からなるが、鹿児島県の奄美諸島や沖永良部島、与論島も同じ文化圏に入る
二つ観点からみると一つは言葉の歴史、もう一つは被支配の歴史である
言葉は日本古語の片鱗が残っていること たとえば現代では「はは」H音は室町期はF音「ふぁふぁ」奈良期はP音「ぱぱ」と発音する 墓を(「はか」「ふぁか」)「ぱか」と発音する習慣が与那国には残っていた(1974年当時)
また沖縄言葉、沖縄口(うちなぐち)で分かるように母音はアイウで形成され、エオはイウの母音で発音される
支配の歴史は、沖縄人は縄文時代の形質を残していること、本土では農耕主体の弥生系の人間が、狩猟最終を主体とする縄文系人間の住みかを徐々に支配して、土地を所領していくことで、縄文系人間は移動するか被支配されるかされていく
沖縄は南国でありながらも土地が肥沃でなかったために、室町時代までは稲作は盛んでなかった
そのために稲作主体で土地支配する弥生系人が入ってくることが少なく、縄文的生活であった
その最たるのが西表島で、今も原始の自然を残しているというか、発嬉しいことに展から取り残されたというべきか
しかし徐々に弥生系生活の進展とともに、被支配民として生きていかなければならなくなった
島津による琉球支配もそうであった 日本で唯一戦場となったのが沖縄であり戦後のアメリカ支配もそうである
いつでも取り残され、日本として認められていないのではと疑いたくなるのは
本土人の多くが、遠い島の異人であり、自分たちには無関係だと思うから
いまでさえ基地問題が、大きく進展しない理由である
司馬が訪れたのは1974年、返還2年後である
返還41年たっても、基本的に アメリカ支配であることに変わりなく、この問題が片付かないと戦後はおわらないのに、なぜ、B級市民は気づかないのであろうか 不思議である
司馬遼太郎は早々と沖縄本島を離れ、八重山諸島を石垣島、竹富島とたどり、遂には与那国島へと日本の周縁まで足をのばしていく。
それは地理的な移動に留まらない。西表島、波照間島、そして、「島の人は、自分たちの島は南の最涯ではない、もう一つ南に島がある、という。それが、まぼろしの南波照間島である。」と、その連想は遥か中世の補陀落渡海にまで及んでいくのである。
タクシーの運転手、港にたたずむ漁師、波照間出身の娘、旅の宿で働く青年との会話から、それぞれの島の風土や歴史が目の前に浮かび上がってくる。その鮮やかさは他のシリーズと同様。
それらの人々のなかに南国の島々の15世紀以前の神話的な時代を懸命に探しているようでもある。
だが読後感は、どうしても重い。
私は太平洋戦争の沖縄戦について少しは分かっていたような気がしていたけれど、その浅薄さを痛く感じた。
司馬遼太郎はこの島々の歴史を、茫漠とした古代にまでさかのぼり、15世紀を分岐点として、琉球王府、薩摩藩、明治政府というものを、そしてあの沖縄戦を捉えていたのであった。
本土からきた青年たちが、西表島に残された大自然の凄みを熱弁する。司馬遼太郎は彼らの感動を受け止めつつも、「本土の二千年の鉄器文化と鉄器で育てられた精神とが、ちょうど空気が真空にむかって殺到するように八重山諸島に殺到すれば、いうまでもないことだが、諸事ろくなことになるまい。」と語るのである。
そして、最終章の若者たちと紙コップのエピソードまでもが、全編を象徴するようにほろ苦い。