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日本語相談 5 単行本 – 1992/10/1

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 朝日新聞出版 (1992/10/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1992/10/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 318ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4022565012
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022565013
  • カスタマーレビュー:
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著者について

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大野 晋
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1919‐2008年。学習院大学名誉教授。東京大学文学部卒業。国語学者。文学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 源氏物語 (ISBN-13: 978-4006001971 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)

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上位レビュー、対象国: 日本

2015年5月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 『大野晋の日本語相談』がとても面白かったので、そのもととなった『日本語相談(一)』から『(五)』までを注文し、のんびりと楽しませてもらった。続きがないのは残念としか言いようがない。
 『日本語相談』は、「週刊朝日」に1986年8月8日号から92年5月29日号まで連載された、日本語に関する読者の疑問に大野氏をはじめとして日本語の達人4名が答えた全280回分を集めたものである。(上記『大野晋の日本語相談』はその中の大野氏が回答した87回分。) 回答者は大野氏の他には、丸谷才一氏、大岡信氏、井上ひさし氏である。この名前を聞いただけで、もう面白いのは約束されている。
 さらに、特典といったら何だが、このシリーズには、欄外に、週刊誌掲載時にはなかった(であろう)追加コメントが載せられている。(それも回答者自身の追加コメントは勿論、回答者以外のお三方のコメントが。) だから、既に週刊誌でお読みになった方も、また『大野晋の――』は既に読んだという方でも充分楽しめると思う。『大野晋の――』は既に読んでいた私は、所どころ「ああこれは読んだことがある」と思いながら、氏の回答されたものも、あらためて面白く感じた。(もちろん歳のせいで記憶力が衰えているのが一番の理由なのですが。)
 さらにさらに、この『日本語相談(五)』には一巻から四巻までの全目次に加え、全五巻総索引まで付いている。だから、記憶力の悪い私でも、いつでも探したい箇所を探し出すことができる。
 この5冊を通読して感動するのは、4人の回答者が、それはそれは一所懸命回答なさっていることである。1回の回答のために何冊もの文献・辞書・辞典にあたり、ひょっとしたら何週間も掛けて回答をお考えになったのではないかと推察されることもしばしばだった。その真摯さには頭の下がる思いである。何故そこまで真剣に考えて回答なさったのか。それはこの4人の回答者が心底日本語を愛しているからだとしか言いようがない。
 たとえ母国語であっても、言葉を適切に思うがままに操って、自分の言いたいことを正確に伝えるのは難しい。「言葉なんて通じればいいじゃん」と言って「ウソー、ホント? カワイイ」を繰り返す若者――実は何を伝えたいのか判らないことの多いのは皆さん御存知の通りである――には幾ら言っても分かってもらえないのだろうが、日本語は自分が自分以外の何ものでもなく、また日本人以外の何ものもでないことの最後の存在証明証なのだ。自分は日本人だと真に自覚するのは、正確に微妙なところまでものを考えようとしたら日本語を使うしかないと悟った時である。ブラジルに住む日系二世、三世は、顔かたちは日本人であっても日本人とは呼べない。日本語を知らない彼等の考え方は私達と違うことが多いからである。日本で生まれ育った朝鮮人、韓国人の二世、三世は、どこが私達と違うというのだろう。あの人は朝鮮籍だよ、韓国籍だよと言われるまで私達は大抵それに気付かない。それは彼等が普段日本語でものを考えているからだ。
 福田恒存氏は日本語に関する名著中の名著『わたしの国語教室』(アマゾンでは表現できませんが「国」はもちろん旧字体で書かれています) で、戦後の国語改革――特に新仮名遣い――を痛烈に批判した後、最後に「そうか、戦に負けると云うことはこう云うことだったのか」と、占領軍に押しつけられた国語改革、日本文化の継続性を断ちかねない国語改革を嗟歎していらっしゃったと記憶する。また、「9条の会」の呼びかけ人の一人である井上ひさし氏も、何処かで、旧仮名遣いに賛意を表明していらっしゃったと記憶する。日本の右翼を代表する(と考えられている)福田氏と、左翼を代表する(と考えられている)井上氏が、意見を同じくしているなんて不思議だと思う人もいるかもしれない、が、そんなことはない。お二方とも日本人だ、ということにすぎない。日本人なのだから、考えるための最強の手段である日本語を大切にするのは当然だと思っていらっしゃるわけで、それは「思想」以前の問題なのだ。
 日本語に興味を持ち、日本語を考えることは、究極に於いては、日本人とは何か、日本とは何かについて考えることであり、それは、自分はどういう人間であるかについて考えることに繋がってゆくだろう。これほどの知的楽しみは他にそう多くはあるまい。(誰かが――ラ・ロシュフコーだったかしら――言っていたが、「畢竟、人間の一番の興味関心は自分自身にある」らしい。)

追記:わたしは「丸谷才一氏」「大岡信氏」「井上ひさし氏」「福田恒存氏」と云う表現を用いたが、これは本来間違った表現であるとのこと(詳しくは第五巻「女性の敬称に「氏」ではおかしい? 回答者・大岡信」参照)。しかし敬意を表わすのに他にどう表現したら良いのか分からなかったので、ここではそう表記させていただいた。言葉は時間と共に変化してゆく。過去との連続性を維持するという点で、その変化は少なければ少ないほど好いのだが、それでもやはり変わってゆかざるを得ない。だからこの「――氏」という表現法はやがて正しいと認められる時が来る、そう思って今回も使わせてもらった。
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