無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
郵便的不安たち 単行本 – 1999/7/1
東 浩紀
(著)
- 本の長さ475ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日1999/7/1
- ISBN-104022574046
- ISBN-13978-4022574046
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
90年代とは、いかなる時代だったのか? 徹底化されたポストモダンに対峙しながら、真に思考することの意味を問う。98年刊の「存在論的、郵便的」と表裏をなす、著者のデビューから現在に至る論考の軌跡。
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (1999/7/1)
- 発売日 : 1999/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 475ページ
- ISBN-10 : 4022574046
- ISBN-13 : 978-4022574046
- Amazon 売れ筋ランキング: - 465,447位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,394位社会一般関連書籍
- - 7,737位近現代日本のエッセー・随筆
- - 8,642位社会学概論
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。
カスタマーレビュー
星5つ中4.6つ
5つのうち4.6つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
20グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年7月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の90年代の評論をまとめたものです。二十代の頃の仕事となる訳ですが、この時点で既に東氏はメタフィクショナルな構造というか仕掛けを好んでいます。また、サブカル評論の世界に足を踏み入れるきっかけはエヴァンゲリオンだったことが明らかとなります。やっぱりエヴァですかといった感想です。近年の東氏はサブカル評論を止め、政治思想的なものに軸足を移していますが、一貫性はあるのだということが分かります。
2014年3月2日に日本でレビュー済み
よくも悪くも2000年代から現代の思想や批評をとりまく中心人物として話題になる東氏の基本的な考えを知るのに
同氏の『動物化するポストモダン』はとっつきやすいがオタク論やオタクカルチャーへの言及が多く読者を選ぶ。
それに対して本書は思想・文芸・社会・サブカルチャーに対する論考や対談がバランスよく集録されているので
間口の広さという点から入門書としておすすめできる。
同氏の『動物化するポストモダン』はとっつきやすいがオタク論やオタクカルチャーへの言及が多く読者を選ぶ。
それに対して本書は思想・文芸・社会・サブカルチャーに対する論考や対談がバランスよく集録されているので
間口の広さという点から入門書としておすすめできる。
2002年4月22日に日本でレビュー済み
東氏のここ4年間の仕事(評論・講演・対談等)をまとめたものです。冒頭の「郵便的不安たち-存在論的、郵便的からより遠くへ」。これは98年の採録講演の加筆修正ですが、講演だけあって東氏の郵便物は聞き手に(読み手にはさらに)届きやすくなっています。当時は浅田・柄谷の次世代の論客として周囲の期待が大きく、本人もこの講演でその自覚を表明してますが、近頃、やや失望感がチラホラ気味なのは、ここで浅田・宮台・福田氏の仕事を状況依存的だと批判していた、まさにその陥穽に本人がはまっているからではないでしょうか。
2021年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は買って正解でした。東浩紀はこの本で自著『存在論的、郵便的』についてわかりやすく講演していますし、『動物化するポストモダン』で問題になるポストモダンとは何なのかについても繰り返し説明しています。つまりこの『郵便的不安たちβ』という本は東本人による『存在論的、郵便的』入門書であり、『動物化するポストモダン』に補助線を引く本として使えます。
セカイ系作品に見られる「象徴界の欠如」や村上隆の「スーパーフラット」についても触れており、この本めっちゃ重要な本やん。この本はもっと読まれるべきじゃないの?とタメ口で言いたくなるくらい刺激的な一冊でした。
この本の第1部は「状況論」です。ポストモダンとは何なのかが繰り返し説明され、『存在論的、郵便的』の解題が行われ、セカイ系批評を先取りする講義も行われる、大変興味深い内容でした。
社会全体を一つにまとめ上げる「大きな物語」が解体し、人々がバラバラで無根拠な「小さな物語」を生きるようになったポストモダン状況。社会全体を見渡す特権的な視点が無くなり、社会は細分化しました。現代人は自分のところに届いた情報=手紙がどのような経路で届いたのか、自分が発信した情報=手紙がどこに届くのか不安であり、その不安がこの本の題名になっている「郵便的不安」と呼ばれています。
ポストモダン状況では社会や国家のような「象徴界」が抜け落ち、若者が恋愛か世界の終わりにしか興味が無くなるというヲタクの間では有名な話も、この第1部に載っています。この第1部は、セカイ系を語る者は必読でしょう。
第2部は「批評・エッセイ」です。デビュー作「ソルジェニーツィン試論」や夏目漱石の批評など、とても真面目な純文学批評が載っていました。平野啓一郎や綿矢&金原のW受賞で芥川賞が「祭り化」した頃から東浩紀は純文学にウンザリしたそうですが、東さんにも一時はこんなにお堅い純文学批評を書いていた時期があったんですねえ。
第3部は「サブカルチャー」です。東浩紀初のサブカルチャー批評「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」が載っていました。エヴァンゲリオンがTV放送された当時の熱狂が伝わってくる文章でした。「日本には、アニメに関する批評が存在しない」という出だしに、時代を感じましたね。
第4部は「発言」です。私が特に興味深いと思った発言は、村上隆の「スーパーフラット」に関する発言でしたね。村上隆は奥行きが無くてペタッとした絵を描く芸術家ですが、東さんは芸術に留まらず時代を語るキーワードとしてスーパーフラットに注目している。遠近法絵画には基本的に視線が一つしかありませんが、スーパーフラットでは複数の視線が両立できます。視線が複数両立できるスーパーフラットは、ポストモダン的な現代アートなのです。村上隆の芸術が良くわからないよという人も、東さんの説明を読めば合点がいくはずです。
セカイ系作品に見られる「象徴界の欠如」や村上隆の「スーパーフラット」についても触れており、この本めっちゃ重要な本やん。この本はもっと読まれるべきじゃないの?とタメ口で言いたくなるくらい刺激的な一冊でした。
この本の第1部は「状況論」です。ポストモダンとは何なのかが繰り返し説明され、『存在論的、郵便的』の解題が行われ、セカイ系批評を先取りする講義も行われる、大変興味深い内容でした。
社会全体を一つにまとめ上げる「大きな物語」が解体し、人々がバラバラで無根拠な「小さな物語」を生きるようになったポストモダン状況。社会全体を見渡す特権的な視点が無くなり、社会は細分化しました。現代人は自分のところに届いた情報=手紙がどのような経路で届いたのか、自分が発信した情報=手紙がどこに届くのか不安であり、その不安がこの本の題名になっている「郵便的不安」と呼ばれています。
ポストモダン状況では社会や国家のような「象徴界」が抜け落ち、若者が恋愛か世界の終わりにしか興味が無くなるというヲタクの間では有名な話も、この第1部に載っています。この第1部は、セカイ系を語る者は必読でしょう。
第2部は「批評・エッセイ」です。デビュー作「ソルジェニーツィン試論」や夏目漱石の批評など、とても真面目な純文学批評が載っていました。平野啓一郎や綿矢&金原のW受賞で芥川賞が「祭り化」した頃から東浩紀は純文学にウンザリしたそうですが、東さんにも一時はこんなにお堅い純文学批評を書いていた時期があったんですねえ。
第3部は「サブカルチャー」です。東浩紀初のサブカルチャー批評「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」が載っていました。エヴァンゲリオンがTV放送された当時の熱狂が伝わってくる文章でした。「日本には、アニメに関する批評が存在しない」という出だしに、時代を感じましたね。
第4部は「発言」です。私が特に興味深いと思った発言は、村上隆の「スーパーフラット」に関する発言でしたね。村上隆は奥行きが無くてペタッとした絵を描く芸術家ですが、東さんは芸術に留まらず時代を語るキーワードとしてスーパーフラットに注目している。遠近法絵画には基本的に視線が一つしかありませんが、スーパーフラットでは複数の視線が両立できます。視線が複数両立できるスーパーフラットは、ポストモダン的な現代アートなのです。村上隆の芸術が良くわからないよという人も、東さんの説明を読めば合点がいくはずです。