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日本史再発見: 理系の視点から (朝日選書 477) 単行本 – 1993/6/1
板倉 聖宣
(著)
- 本の長さ312ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日1993/6/1
- ISBN-104022595779
- ISBN-13978-4022595775
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (1993/6/1)
- 発売日 : 1993/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 312ページ
- ISBN-10 : 4022595779
- ISBN-13 : 978-4022595775
- Amazon 売れ筋ランキング: - 91,664位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,081位日本史一般の本
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知人に頼まれ購入。中古もあったが読み終わったらあげても良いと本人の要望で新品を購入。すぐに送られてきて渡すことができた
2015年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書のスタンスは江戸時代は発明が禁じられ新しいアイデアに基づく事業が幕府によって制限された時代であるという認識に基づく。
ただ、現実には幕府の命令は天領に対してのみ有効であった。他の大名家には例え譜代親藩であっても従うか否かはそれぞれの家の判断次第だった。従わなければ改易もあり得たが江戸中期にはそれもほとんどない。それは討伐を覚悟せねばならず幕府にもそれだけの経済的余裕は無くなっていた。結果、幕閣首脳の個人ルートを通じて問題のある藩の内部に圧力をかけて主君押込めなどで処理するようになった。
第1部は「車と乗り物の歴史」
天領である江戸と大坂で大八車が一般化したか否かを論じているが、一点重大な見落としがある。江戸も大阪も埋立で市街地を海に向かって拡げたが、大きな違いとして大阪は物流都市として市街地の中心部まで堀が切られているのに対し、江戸はそうはなっていない。当時の地図を見比べれば気が付くことだが、平地が多ければ車での貨物移動は容易だが、堀で細かく区切られると車はほとんど用をなさない。その代り、小型の貨物船が大量に使われ小口運送に従事する。大阪では枚方、平野、国分などの業者が河川小口運送を担っていた。
その方が運送効率が高く、また荷物の載せ替えの手間も少なく物価の安定にも寄与した。
町奉行は単純に陸上運送業者間の仕事の配分だけをみて調整しているのではない。
従って第1部は近視眼的な分析であり駄文の域を出ない。
第2部は「数字で見る江戸時代」だが、これは着眼点は面白い。ただ、柱となる人口の分析について終始迷走しており読者をミスリードしている。各藩が政策的に操作した数字を幕府に提出したためこの数字は役に立たないと認めながら、それをもって幕府の施策を否定するのは無理がある。また、吉宗の施策を批判するのはたやすいがその背景を分析せず、また米作に関する技術革新は推奨されていたことを無視するのは非科学的な態度である。
理系の態度が都合のよい数字をもとに描いたストーリーに基づいて他者を非難することを意味するなら成功しているが、そうでないなら話にならない。大阪地検の特捜部のスキャンダルや朝日新聞の捏造記事と同じスタンスだ。
本書の価値は非常に低いと言わざるを得ない。
ただ、現実には幕府の命令は天領に対してのみ有効であった。他の大名家には例え譜代親藩であっても従うか否かはそれぞれの家の判断次第だった。従わなければ改易もあり得たが江戸中期にはそれもほとんどない。それは討伐を覚悟せねばならず幕府にもそれだけの経済的余裕は無くなっていた。結果、幕閣首脳の個人ルートを通じて問題のある藩の内部に圧力をかけて主君押込めなどで処理するようになった。
第1部は「車と乗り物の歴史」
天領である江戸と大坂で大八車が一般化したか否かを論じているが、一点重大な見落としがある。江戸も大阪も埋立で市街地を海に向かって拡げたが、大きな違いとして大阪は物流都市として市街地の中心部まで堀が切られているのに対し、江戸はそうはなっていない。当時の地図を見比べれば気が付くことだが、平地が多ければ車での貨物移動は容易だが、堀で細かく区切られると車はほとんど用をなさない。その代り、小型の貨物船が大量に使われ小口運送に従事する。大阪では枚方、平野、国分などの業者が河川小口運送を担っていた。
その方が運送効率が高く、また荷物の載せ替えの手間も少なく物価の安定にも寄与した。
町奉行は単純に陸上運送業者間の仕事の配分だけをみて調整しているのではない。
従って第1部は近視眼的な分析であり駄文の域を出ない。
第2部は「数字で見る江戸時代」だが、これは着眼点は面白い。ただ、柱となる人口の分析について終始迷走しており読者をミスリードしている。各藩が政策的に操作した数字を幕府に提出したためこの数字は役に立たないと認めながら、それをもって幕府の施策を否定するのは無理がある。また、吉宗の施策を批判するのはたやすいがその背景を分析せず、また米作に関する技術革新は推奨されていたことを無視するのは非科学的な態度である。
理系の態度が都合のよい数字をもとに描いたストーリーに基づいて他者を非難することを意味するなら成功しているが、そうでないなら話にならない。大阪地検の特捜部のスキャンダルや朝日新聞の捏造記事と同じスタンスだ。
本書の価値は非常に低いと言わざるを得ない。
2014年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前半の車の文化の話は良いと思います。馬車の運行を幕府が許可しなかったのは、馬子たちの雇用対策をいちばんに、経済効率よりも優先したからだという話。経済効率のために失業者が増えては治安も悪化しますし、血の通った政策といえます。これを馬子たちの「既得権益」というなら、今より桁外れに高価だった米価のことを一番に攻撃すべきでしょう。しかし文化とはそういうものではありません。
後半の磐城地方での年貢の話は、石高の約4割が年貢という話の後に、石高と生産高が混同・同一視され、生産高の約4割が年貢だったとして、それをもとにさまざまな細かい計算が披露されましたが、石高と生産高は別のものですので、両者の同一視という初歩的なミスから導き出された計算の数値にどれだけの価値があるのかわからず、飛ばし読みということになりました。
著者は、wikipediaによると大変な数の著書を出版されているようでした。
後半の磐城地方での年貢の話は、石高の約4割が年貢という話の後に、石高と生産高が混同・同一視され、生産高の約4割が年貢だったとして、それをもとにさまざまな細かい計算が披露されましたが、石高と生産高は別のものですので、両者の同一視という初歩的なミスから導き出された計算の数値にどれだけの価値があるのかわからず、飛ばし読みということになりました。
著者は、wikipediaによると大変な数の著書を出版されているようでした。
2011年5月25日に日本でレビュー済み
個々の数字を元にして推論していく。
この手法は去年ベストセラーになった「デフレの正体」に通じるものがあります(というかこの本の方が先なのだけど)。
前半は車の文化に就いての論考です。なぜ平安時代には牛車の文化がありながら、江戸時代には大八車やベカ車(上方の大八車)が普及しえなかったのか。これは馬借を中心とした既得権益を持つ職業層への幕府の配慮だった、という論考はとても面白いです。
そして車の生産台数を対数グラフで調べ、日、米、韓の比較をする。飛躍的に生産量が伸びる時期は実は世間の常識よりずっと前にその萌芽があるという指摘は興味深いものです。
後半は磐城相馬藩の人口動向をカギに米の収穫高との相関関係の論考。どちらも実数を根拠にしての立論なので、非常に説得力があります。新田開発が行き着くところまで行くと、生産量は頭打ち、まして人口増が止まり、耕作放棄地が生まれる、さらには人口の減少。つまりは労働力の減少につながるわけで、特に後段の人口動向と年貢の増減の考察は、今の少子化社会の問題とも共通するものがあり、ちょっと前の本ですけど、今でも示唆に富んでいると思います。
表題の西南雄藩との比較の部分は少し食い足りないのですけど、それ以外、実数を使って目の前の現象を分析していくという手法は本当に「デフレの正体」と同じ手法で説得力があります。
すこぶる良著。
この手法は去年ベストセラーになった「デフレの正体」に通じるものがあります(というかこの本の方が先なのだけど)。
前半は車の文化に就いての論考です。なぜ平安時代には牛車の文化がありながら、江戸時代には大八車やベカ車(上方の大八車)が普及しえなかったのか。これは馬借を中心とした既得権益を持つ職業層への幕府の配慮だった、という論考はとても面白いです。
そして車の生産台数を対数グラフで調べ、日、米、韓の比較をする。飛躍的に生産量が伸びる時期は実は世間の常識よりずっと前にその萌芽があるという指摘は興味深いものです。
後半は磐城相馬藩の人口動向をカギに米の収穫高との相関関係の論考。どちらも実数を根拠にしての立論なので、非常に説得力があります。新田開発が行き着くところまで行くと、生産量は頭打ち、まして人口増が止まり、耕作放棄地が生まれる、さらには人口の減少。つまりは労働力の減少につながるわけで、特に後段の人口動向と年貢の増減の考察は、今の少子化社会の問題とも共通するものがあり、ちょっと前の本ですけど、今でも示唆に富んでいると思います。
表題の西南雄藩との比較の部分は少し食い足りないのですけど、それ以外、実数を使って目の前の現象を分析していくという手法は本当に「デフレの正体」と同じ手法で説得力があります。
すこぶる良著。
2007年6月17日に日本でレビュー済み
著者のいうとおり歴史家は大概数字に弱い。だから全国統計のなかった江戸時代の年貢収納量の把握など夢のような話だ。しかし、例外的に基礎数字が揃っている場合がある。18世紀以降の相馬藩だ。著者は限界年貢収納量(これ以上取り立てると農民が疲弊して人口が減少してしまう)として一人あたり1.8俵を導きだす。ポイントは「ひとり」というのが赤ちゃんから老人までの総人口だということだ。だから総人口数が分かれば全国レベルの(限界)年貢収納量が計算できる。1俵は0.32石(=48kg) だから1.8俵なら0.576石(86.4 kg) 、これに天保年代の2,700万人(武士を除く)を掛けると1555.2万石(233.28万トン)という数値が出てくる。(もちろん米穀換算値だから実際の収納量ではない)あくまで目安の数値である。それにしても一次接近としては十分な精度だと言える。
2004年10月19日に日本でレビュー済み
.
以前に綱吉と生類憐みの令の組合せに矛盾と言うか違和感を感じ調べようとした時に、板垣聖宣氏の書にも出会った。それは生類憐みの令という歴史的事件の実態を追い、道徳や政治の問題を社会の法則とからめて追求していた。本書も著者名を見て購読し始めた。
本書の中で[(科学的な資料だけでなく)歴史でさえ科学的に仮説を立てながら一つひとつ詮索しながら明らかにしていくものである]ということを伝えたかったとある。
まさしく『仮説』の面目躍如である。例えば「人口の増減を決定する年貢ライン」は、江戸時代の現存する限られた藩・年数の人口統計から、仮説と評価・修正の繰返し、原統計資料の統計的な偏りさえ発見する過程を披露している。また「これまでの歴史は、その時代に生きる人びとの生きがいと言うものをほとんど考慮してこなかったのではないだろうか?」とまで言わしめている。
「吉田光由の塵劫記の円周率は三.一六」であり、この値が3.14よりポピュラーであったそうだ。3.16は10の平方根が由来らしい。私もこのようなことを考えたことがあり、興味深く読んだ。
それほか「石のレール上を走った京都の牛車」、「日本に馬車がなかったのは何故」、「大阪のベカ車と江戸の大八車」などなど好奇心と発見の楽しみを味わった。
以前に綱吉と生類憐みの令の組合せに矛盾と言うか違和感を感じ調べようとした時に、板垣聖宣氏の書にも出会った。それは生類憐みの令という歴史的事件の実態を追い、道徳や政治の問題を社会の法則とからめて追求していた。本書も著者名を見て購読し始めた。
本書の中で[(科学的な資料だけでなく)歴史でさえ科学的に仮説を立てながら一つひとつ詮索しながら明らかにしていくものである]ということを伝えたかったとある。
まさしく『仮説』の面目躍如である。例えば「人口の増減を決定する年貢ライン」は、江戸時代の現存する限られた藩・年数の人口統計から、仮説と評価・修正の繰返し、原統計資料の統計的な偏りさえ発見する過程を披露している。また「これまでの歴史は、その時代に生きる人びとの生きがいと言うものをほとんど考慮してこなかったのではないだろうか?」とまで言わしめている。
「吉田光由の塵劫記の円周率は三.一六」であり、この値が3.14よりポピュラーであったそうだ。3.16は10の平方根が由来らしい。私もこのようなことを考えたことがあり、興味深く読んだ。
それほか「石のレール上を走った京都の牛車」、「日本に馬車がなかったのは何故」、「大阪のベカ車と江戸の大八車」などなど好奇心と発見の楽しみを味わった。