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街道をゆく 3 (朝日文庫 し 1-4) 文庫 – 1978/11/1
司馬 遼太郎
(著)
陸奥のみち ほか
- 本の長さ292ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日1978/11/1
- ISBN-104022601736
- ISBN-13978-4022601735
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (1978/11/1)
- 発売日 : 1978/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 292ページ
- ISBN-10 : 4022601736
- ISBN-13 : 978-4022601735
- Amazon 売れ筋ランキング: - 728,103位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,587位日本文学(日記・書簡)
- - 1,799位朝日文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
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1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私も何度も旅してきた所を再確認できた。(肥薩のみち)
2024年1月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みたいと思った気持ちが変わらないうちに配達されました。本屋さんに出かけるより早くページを捲る事ができたようなものでした
2023年9月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
司馬遼太郎さんの視点と文章が大好き、なので、数十年前に作品の多くを読みました。がコロナの影響で外出がままならず、再度買い求め孫を寝かせてから、読書の日々です。
2018年5月26日に日本でレビュー済み
1978年刊行の紀行文。
東北南部と南九州を歩いた旅。
薩摩地域は興味あったので買ったのだが。
書いた時期が古いからなのかよくわからんが正直面白さに欠けた、残念。
あくまで個人的感想でありこの本の批判ではありません。
東北南部と南九州を歩いた旅。
薩摩地域は興味あったので買ったのだが。
書いた時期が古いからなのかよくわからんが正直面白さに欠けた、残念。
あくまで個人的感想でありこの本の批判ではありません。
2020年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ご存じ、司馬遼太郎氏の「街道をゆく」シリーズと言えば、氏の、
・膨大な博識
・旅の同行者(私は須田画伯ファンです)
を楽しめるものですが、中には、氏の感想が多く、「土地の考察」が足らないかなあと思うものがあるのも確か
その点、本巻は、
・東北と稲作
・薩肥と明治維新
・氏の地元でもある河内
が取り上げられており、面白く、読めました
中でも、稲作の適・不適によって、東北各地がどのように置かれたかという考察は、なるほどと思わせるものでした
今後も、著者と共に、各土地に潜む考察を行っていきたいと思わせる1冊でした
・膨大な博識
・旅の同行者(私は須田画伯ファンです)
を楽しめるものですが、中には、氏の感想が多く、「土地の考察」が足らないかなあと思うものがあるのも確か
その点、本巻は、
・東北と稲作
・薩肥と明治維新
・氏の地元でもある河内
が取り上げられており、面白く、読めました
中でも、稲作の適・不適によって、東北各地がどのように置かれたかという考察は、なるほどと思わせるものでした
今後も、著者と共に、各土地に潜む考察を行っていきたいと思わせる1冊でした
2013年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第三巻は陸奥の道、薩肥の道、河内の道の三章からなる
奥州について/陸中の海/華麗なぞ/南部衆/安藤昌益のこと/穀神の文化/高山彦九郎の旅/久慈/鮫の宿/野辺地湾/阿蘇と桜島/田原坂/八代の夕映え/人吉の盆地/桃山の楼門/久七峠/隠れ門徒/馬場の洋館/苗代川/薩摩びとについて/隼人/サムライ会社/竜ヶ城/若江村付近/平石峠/香華の山/弘川寺/蝉の宿/PL教団/自衛の村/牢人と役者たち
週刊朝日1972年2月11日号〜1972年9月29日号
陸奥は言わずと知れた東北地方ではあるが、福島から北、現在の山形秋田である出羽の国を除く太平洋側の地域のことである
八戸と盛岡は南部藩領であり、津軽藩とは相いれないところがある
もともと南部藩の始祖は、甲斐巨摩郡富士川の西岸に南部郷があり、そこが発祥の地である
南部氏は当初、八戸に築城したが江戸時代に盛岡に移り、その後、八戸は分藩しり同じ南部氏が納めることとなる
一方津軽藩も南部支族であり、内紛から津軽地方に勢力を伸ばし、津軽氏となった経緯が相いれない理由である
八戸の偉人は医師である安藤昌益であり、身分階級差別なくみな平等であるという思想を唱えており、封建体制への抵抗、儒教を否定した。
八戸から南に下った久慈にもいきながら、これらの歴史の流れを小気味よく語っている
薩肥は鹿児島と熊本のこと
大和政権の時代の熊本の球磨と鹿児島の曽於(そお)に住んでいた部族をいい、その後皇帝に仕える「隼人」になったとされる
戦国時代を経て、加藤清正の所領となったが、肥後もっこすといわれるほどのプライドの高さ、組織だった活動に向かないことは、加藤清正の朝鮮出兵時の活躍や、熊本城築城をはじめとする治水事業、農業普及や南蛮貿易など多くの功績によるものがあかもしれない。その後、加藤家は鶴岡庄内藩酒井家にお預けとなり、加藤清正の遺骨も酒田市の寺に分骨されており、その末裔は富士酒造という蔵元を営んでいるらしい(これは本文にはありません)
薩摩はまたすごい、島津氏は江戸時代には徳川家康にさえも機会あらば討たんという態度であり、幕末には西洋式近代産業を取り入れ富国に努め、倒幕という爆裂が一気に起こった。更に隼人の爆裂は西郷隆盛を中心とする士族と官軍との熾烈な戦いとして勃発しその戦いは九州を北上し、田原坂において最大の決死線となりその後6カ月も続いたのちに、敗北し、薩摩隼人の心行きは消滅に至った。この際に薩摩人は敵味方の屍を区別なく丁重に弔ったという。
肥後の肥後もっこすと薩摩の気質(ぼっけもん)をも語っている
鹿児島県人の県民性を検索すると良い
河内みちは、以前大和盆地側の葛城山や金剛山など賀茂族を絡めた歴史的探訪であったが、今回はその河内側を訪ねるが、少し歴史が下り、楠正成や西行が話題になり、さらにはPL教団の根拠地という話である
いずれも訪れたのが1972年2月21日〜9月29日とはるか昔なので、今との変化は大きいのであろう
さすが司馬先生、史実に忠実(らしい)な蘊蓄が多くためになるし、読んでいて全く飽きない
街道をゆくには、コンパクト日本地図帳が小さくて薄く便利ですhttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4398200282/ref=cm_cr_mts_prod_img
奥州について/陸中の海/華麗なぞ/南部衆/安藤昌益のこと/穀神の文化/高山彦九郎の旅/久慈/鮫の宿/野辺地湾/阿蘇と桜島/田原坂/八代の夕映え/人吉の盆地/桃山の楼門/久七峠/隠れ門徒/馬場の洋館/苗代川/薩摩びとについて/隼人/サムライ会社/竜ヶ城/若江村付近/平石峠/香華の山/弘川寺/蝉の宿/PL教団/自衛の村/牢人と役者たち
週刊朝日1972年2月11日号〜1972年9月29日号
陸奥は言わずと知れた東北地方ではあるが、福島から北、現在の山形秋田である出羽の国を除く太平洋側の地域のことである
八戸と盛岡は南部藩領であり、津軽藩とは相いれないところがある
もともと南部藩の始祖は、甲斐巨摩郡富士川の西岸に南部郷があり、そこが発祥の地である
南部氏は当初、八戸に築城したが江戸時代に盛岡に移り、その後、八戸は分藩しり同じ南部氏が納めることとなる
一方津軽藩も南部支族であり、内紛から津軽地方に勢力を伸ばし、津軽氏となった経緯が相いれない理由である
八戸の偉人は医師である安藤昌益であり、身分階級差別なくみな平等であるという思想を唱えており、封建体制への抵抗、儒教を否定した。
八戸から南に下った久慈にもいきながら、これらの歴史の流れを小気味よく語っている
薩肥は鹿児島と熊本のこと
大和政権の時代の熊本の球磨と鹿児島の曽於(そお)に住んでいた部族をいい、その後皇帝に仕える「隼人」になったとされる
戦国時代を経て、加藤清正の所領となったが、肥後もっこすといわれるほどのプライドの高さ、組織だった活動に向かないことは、加藤清正の朝鮮出兵時の活躍や、熊本城築城をはじめとする治水事業、農業普及や南蛮貿易など多くの功績によるものがあかもしれない。その後、加藤家は鶴岡庄内藩酒井家にお預けとなり、加藤清正の遺骨も酒田市の寺に分骨されており、その末裔は富士酒造という蔵元を営んでいるらしい(これは本文にはありません)
薩摩はまたすごい、島津氏は江戸時代には徳川家康にさえも機会あらば討たんという態度であり、幕末には西洋式近代産業を取り入れ富国に努め、倒幕という爆裂が一気に起こった。更に隼人の爆裂は西郷隆盛を中心とする士族と官軍との熾烈な戦いとして勃発しその戦いは九州を北上し、田原坂において最大の決死線となりその後6カ月も続いたのちに、敗北し、薩摩隼人の心行きは消滅に至った。この際に薩摩人は敵味方の屍を区別なく丁重に弔ったという。
肥後の肥後もっこすと薩摩の気質(ぼっけもん)をも語っている
鹿児島県人の県民性を検索すると良い
河内みちは、以前大和盆地側の葛城山や金剛山など賀茂族を絡めた歴史的探訪であったが、今回はその河内側を訪ねるが、少し歴史が下り、楠正成や西行が話題になり、さらにはPL教団の根拠地という話である
いずれも訪れたのが1972年2月21日〜9月29日とはるか昔なので、今との変化は大きいのであろう
さすが司馬先生、史実に忠実(らしい)な蘊蓄が多くためになるし、読んでいて全く飽きない
街道をゆくには、コンパクト日本地図帳が小さくて薄く便利ですhttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4398200282/ref=cm_cr_mts_prod_img
2021年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
海外在住の知人がこのシリーズが大好きで購入、満足されていました。