マンガから素粒子論まで、はたまたなんと仏教思想に至るまで旺盛な評論活動を行っている
著者の読書におけるノウハウを惜しげなく開陳した名著である。
著者も述べているように、この本の発行者は朝日新聞社だ。朝日新聞社「にもかかわらず」
この書物の価値が認められて朝日文庫に収められた。そのことを著者は高く評価している。
私はそうした著者の態度がこの上なく誠実に感じられる。
断っておくが、私は日本共産党を支持しており、著者の所論には疑問を呈したいことがしばしばある。
しかし例えば、著者が、機動隊に勤務する人たちに「人民を抑圧しつつ知的武装を」と説くとき、
あるいは、忙しい社会人は「読書を休む」。「志(こころざし)」さえあれば読書はいつでもできるのだと励ますとき、
そこに込められたレトリックの周到さに「おいおい、それは反則技だぜ」という
半ば呆れ、半ば畏怖する思いを禁じえない。
これだけの名著が絶版というのも時代の流れかとも思うが、残念である。興味のある人はあえて購入せず、
「図書館で」借りて読まれると良いだろう。
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読書家の新技術 (朝日文庫 く 5-1) 文庫 – 1987/10/1
呉 智英
(著)
- 本の長さ247ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日1987/10/1
- ISBN-104022604697
- ISBN-13978-4022604699
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (1987/10/1)
- 発売日 : 1987/10/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 247ページ
- ISBN-10 : 4022604697
- ISBN-13 : 978-4022604699
- Amazon 売れ筋ランキング: - 515,835位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年9月1日に日本でレビュー済み
さくっと流し読み。速読の仕方。特に小説系は話し言葉と同じような速度で進行する
が、論文系は、要点がざらっと読む形にすれば速読は可能だという指摘に納得。さっそく
実行していみることにした。
著者は500冊以上読書すると、自分なりの速読術が身につくという。
最後のアトガキが力強く、私は好きだ。
「転換期の現代を、読書によって武装した知のゲリラ戦士として、果敢に生き抜いて
いこうとではないか。 私からのメッセージである」
読書によって武装する。まさに、知性は鋭敏な武器になる。そう感じ、読書苦手な
僕もとにかく良書を読み、悪書を避け、読み漁ろうと決意するきっかけを与えててくれた
本でもある。
が、論文系は、要点がざらっと読む形にすれば速読は可能だという指摘に納得。さっそく
実行していみることにした。
著者は500冊以上読書すると、自分なりの速読術が身につくという。
最後のアトガキが力強く、私は好きだ。
「転換期の現代を、読書によって武装した知のゲリラ戦士として、果敢に生き抜いて
いこうとではないか。 私からのメッセージである」
読書によって武装する。まさに、知性は鋭敏な武器になる。そう感じ、読書苦手な
僕もとにかく良書を読み、悪書を避け、読み漁ろうと決意するきっかけを与えててくれた
本でもある。
2010年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分が読書家だとは思わないけれど,この内容で高校生〜の青年期向きだといわれると,もう少し本を読んでおけばよかったと後悔する。
幅広い教養を身につけるも良し,掘り下げるも良しというのが読書の醍醐味だったりするわけだけれど,読書熱ってのは定期的に来て定期的に去っていくものかも。
自分自身では,いまは去っていく時期だと感じていて,読まなくなる時間を過ごした後に,また新しいジャンルを開拓できるのかなとも期待したりする。
で,あと何回この繰り返しを体験できるのか,人生はそう長くはないのだけれど。
幅広い教養を身につけるも良し,掘り下げるも良しというのが読書の醍醐味だったりするわけだけれど,読書熱ってのは定期的に来て定期的に去っていくものかも。
自分自身では,いまは去っていく時期だと感じていて,読まなくなる時間を過ごした後に,また新しいジャンルを開拓できるのかなとも期待したりする。
で,あと何回この繰り返しを体験できるのか,人生はそう長くはないのだけれど。
2004年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読書が趣味の人間にとって読書論を読むのは楽しい。それが博覧強記として知られる思想家のものだとしたら、どういう風に読書をしたらあのようになれるのかと興味が沸いて当然である。この本はさすがに書かれてから20年ぐらい経っているのでブックガイドとしては古くなってしまった。紹介されている本を読みたくなっても手に入らないモノが多い。そんなわけで、現在の出版の状況というか、名著もすぐに本屋から姿をけしてしまう状況に悲しくなってしまうのだが、この本の価値はそれで失われてしまうようなものではない。
この本の価値は読書に対する基本的な姿勢(スタイル)を知ることができるという点にあるのだし、この点については古さは全く無いどころか得られるものは大であると思う。
この本の価値は読書に対する基本的な姿勢(スタイル)を知ることができるという点にあるのだし、この点については古さは全く無いどころか得られるものは大であると思う。
2005年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者には熱心なファンが多い。人文系の知識だけで政治や社会について語れるかのような幻想を与えるからだろうか。巻末のブックガイドで村上陽一郎や佐和隆光を勧めていることから、著者が自然科学や経済学については何も知らないことが分かる。本書は雑文書きになるためのハウツーとしてなら役立つかもしれない。もっとも人文系評論家のマーケットは今後縮小の一途だとは思うが。
2011年10月3日に日本でレビュー済み
他の本に好意的に引用されていたので読みました。古本屋のY100コーナーで見付けたら買いです。
著者の意見に全面的に賛成というわけではありませんが、以下の点が心に残りました。
翻訳書はキーワードを拾って速読せよ。悪訳はそのほうが分かりやすい。
全くその通りと思います。まるで日本語になっていないような翻訳の場合、キーワードだけに注目しながら速読すると、意外とよく分かることがあります。
原典を読め。
いい加減な理解で引用している本が今も、いや今のほうがたくさんあります。原典を読むと巷に溢れるいい加減な本の著者が如何に理解していないかよく分かります。
本を沢山読めば速読できるようになる。
五百冊で初段、千冊で二段と段位が上がるんだそうです。下に書きますが、それは英語の本でも言えます。同じ分野の本、同じ著者の本をたくさん読んでいると、その分野やその著者に特有の単語も覚えるし、読む速度も上がって行きます。
原書を読むのは時間の無駄。
うーん。そうでしょうか。文学作品は別にして、専門の学術書は誤訳や珍訳が目白押しです。翻訳書を読んで意味がよく分からなかった本を原書で読みなおすと、誤訳のせいで難解になっていたということによく気付きます。
その他、中公新書に岩波新書以上に良書が多いことも同感です。岩波新書が良かったのは昔の青版までではないでしょうか。その後は玉石混交か石石混交になったように思います。
著者の意見に全面的に賛成というわけではありませんが、以下の点が心に残りました。
翻訳書はキーワードを拾って速読せよ。悪訳はそのほうが分かりやすい。
全くその通りと思います。まるで日本語になっていないような翻訳の場合、キーワードだけに注目しながら速読すると、意外とよく分かることがあります。
原典を読め。
いい加減な理解で引用している本が今も、いや今のほうがたくさんあります。原典を読むと巷に溢れるいい加減な本の著者が如何に理解していないかよく分かります。
本を沢山読めば速読できるようになる。
五百冊で初段、千冊で二段と段位が上がるんだそうです。下に書きますが、それは英語の本でも言えます。同じ分野の本、同じ著者の本をたくさん読んでいると、その分野やその著者に特有の単語も覚えるし、読む速度も上がって行きます。
原書を読むのは時間の無駄。
うーん。そうでしょうか。文学作品は別にして、専門の学術書は誤訳や珍訳が目白押しです。翻訳書を読んで意味がよく分からなかった本を原書で読みなおすと、誤訳のせいで難解になっていたということによく気付きます。
その他、中公新書に岩波新書以上に良書が多いことも同感です。岩波新書が良かったのは昔の青版までではないでしょうか。その後は玉石混交か石石混交になったように思います。
2006年8月1日に日本でレビュー済み
青年とオトナとで理念が断絶してしまうところが近代教養の特徴である。
近代教養に変わって、生活訓、処世術(俗流イデオロギー)が、オトナの教養となる。
近代教養がもたらした最後の爆発:学生運動
「その主義のどれもが、かつて近代教養が希望の星であると思われていた時代のような、
普遍性や有効性を示す思想とはなっていない。思いつきとしては面白い部分があっても、
すぐに限界や矛盾が露呈するのである。そして、このことが最後に信じられるもの、
それは"事実"だ、という形での事実主義を生むことになっていくのである。
俗流教養主義と事実主義の流行は、このような歴史的な知の混迷から出現したのである。」
経済的理由、社会から乖離したことへの不安(吉本隆明)から、オトナ=生活者=社会人 に転向したとはいえ、
根底に流れるのは、知的研鑚の末に現れたニヒリズム・・・知の混迷である。
「事実を集積すれば真実に至るという事実主義は、虚構なのである」
近代教養・俗流教養同様、事実もまた、真理を得ること叶わず、全ては虚構という意味で、まったく等価である。
近代教養に変わって、生活訓、処世術(俗流イデオロギー)が、オトナの教養となる。
近代教養がもたらした最後の爆発:学生運動
「その主義のどれもが、かつて近代教養が希望の星であると思われていた時代のような、
普遍性や有効性を示す思想とはなっていない。思いつきとしては面白い部分があっても、
すぐに限界や矛盾が露呈するのである。そして、このことが最後に信じられるもの、
それは"事実"だ、という形での事実主義を生むことになっていくのである。
俗流教養主義と事実主義の流行は、このような歴史的な知の混迷から出現したのである。」
経済的理由、社会から乖離したことへの不安(吉本隆明)から、オトナ=生活者=社会人 に転向したとはいえ、
根底に流れるのは、知的研鑚の末に現れたニヒリズム・・・知の混迷である。
「事実を集積すれば真実に至るという事実主義は、虚構なのである」
近代教養・俗流教養同様、事実もまた、真理を得ること叶わず、全ては虚構という意味で、まったく等価である。
2012年4月22日に日本でレビュー済み
教養としての読書の時代から、現代は転換期に入り、新たな知の体系がもとめられている。しかし、現実には事実主義、俗流イデオロギーが跳梁し、混迷した状況。
著者は「私の読書論。それは一言で言えば、近代教養の転換期における知の主体者としての自分を確立する作業」(p.87)と規定する。
かなり過激な表現もあるが、考え方の核はしっかりしているのではなかろうか。なぜなら、「聖書」「論語」など古典をおさえ、柳田國男、折口信夫を読んでいるし、流行の読書論のなかから矢永永一、山本七平のそれを内在的に批判した上で、「通念としての事実に世俗的教養という衣をかぶせただけのきわめていかがわしい代物」と結論づけているからである。
読書の道しるべとなる「書評」の読み方、「政治」という用語の理解(それは権力・支配の問題で、その日常型が「行政」)、紹介されているブック・ガイドは、いずれも傾聴に値する。
著者は「私の読書論。それは一言で言えば、近代教養の転換期における知の主体者としての自分を確立する作業」(p.87)と規定する。
かなり過激な表現もあるが、考え方の核はしっかりしているのではなかろうか。なぜなら、「聖書」「論語」など古典をおさえ、柳田國男、折口信夫を読んでいるし、流行の読書論のなかから矢永永一、山本七平のそれを内在的に批判した上で、「通念としての事実に世俗的教養という衣をかぶせただけのきわめていかがわしい代物」と結論づけているからである。
読書の道しるべとなる「書評」の読み方、「政治」という用語の理解(それは権力・支配の問題で、その日常型が「行政」)、紹介されているブック・ガイドは、いずれも傾聴に値する。