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街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫 し 1-68) 文庫 – 2008/10/7
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- 本の長さ183ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2008/10/7
- ISBN-104022644575
- ISBN-13978-4022644572
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2008/10/7)
- 発売日 : 2008/10/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 183ページ
- ISBN-10 : 4022644575
- ISBN-13 : 978-4022644572
- Amazon 売れ筋ランキング: - 91,477位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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壬申の乱から戊辰戦争まで出兵し続けた奈良県十津川村民の生態を現地を歩いて紹介する。
神武紀元は国学が流行した幕末~明治の新伝承です。
この作品を読んで肌で感じることができたのは、十津川が世に置き忘れられていた地であったということ。山々に囲まれ、谷を渡るのに「野猿」という道具を使い、南北を走る道路の完成までに半世紀以上を費やしていることなどから、いかに外部との接触を図ることが難しかった場所であったかが推測できる。
おもしろかったのは、この「陸の孤島」であった十津川には、あまり否定的な側面が見受けられない点である。米が十分に獲れないということで、徳川時代には免祖地となっている。本来ならば社会に貢献できない立場として後ろめたさを持ちそうだが、著者が分析する十津川からはそれが感じられない。むしろ、免租地であることを誇りに思っていると捉えている。
なぜ十津川の人たちは「陸の孤島」を誇りに思っていたのか。以下は自分なりの解釈であるが、こうした天嶮に阻まれた土地であるが故、いわば江戸時代に我が国が経験した「鎖国」と同様、良くも悪くも独自の文化や習慣を身に付けてきたと考えられる。本来ならば外界との接触により、差別を生んだり、支配・服従の関係を生んだり、あるいは文化や習慣も淘汰されたりするであろう。そのとき、時には自己否定や劣等感などの負の感情をもたらす。しかし、十津川は地政学的にそのような運命を辿ることはなかった。これが十津川の明るさに繋がっているではないだろうか。
一方で、いまや人やモノ、サービスが世界規模で往来する時代である。これまでとは違い、近隣府県のみならず、世界のあらゆる波が十津川に押し寄せてくる。グローバル時代を迎えた今、十津川はどのように長年培ってきた歴史を守っていくのか、気になるところではある。
大塔村 十津川村
中井庄五郎のことなど/五條へ/下界への懸橋/「十津川」の散見/天辻峠/大塔村/辻堂/十津川へ入る/村役場/安堵の果て/新選組に追われた話/刺客たち/廊下の変事/文武館今昔/トチの実
話題に困ると奈良か大阪が多く、小ネタでかわすことが多い感じがしていたが
今回の大塔村(現在の五條市大塔町)と十津川村は奈良県といっもて、なかなか読み応えがある
大塔村、十津川村は奈良県南で和歌山県三重県に接するがそのすべては山地といってよい
1331年後醍醐天皇を中心とした勢力による鎌倉幕府討幕運動である元弘の変の際に
後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王がこの地の豪族戸野兵衛・竹原八郎にかくまわれたことに起源がある
十津川村は古代から江戸まで有事の際に兵を出したことで知られ、十津川衆あるいは郷士とよばれ
古代においては672年壬申の乱 天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反乱をおこしたもので、反乱者である大海人皇子が勝利した
1159年平治の乱 最終的に清盛が武士として初めて政権を取るにいたった戦い
に参加したこと、また米の生産がまったくできない地であることから明治時代の地租改正まで税金免除された
江戸時代も天領となり一般庶民でありながら郷士と名乗ることができた
十津川衆は戦いで名をあげても、決して功名を望まなかったことが誇りであるという
それは古代以来、免税を受けていたためその代替として功名心を持たなかったといわれる
幕末は薩摩、長州、土佐とともに宮中警護の役をつとめたが、天誅組が掲げた尊王攘夷思想が根底にあったわけでない
天領五條を襲撃し五條御政府を立ち上げたものの、休息食事も満足に与えられぬままの窮状から天誅組を脱した
明治維新後は全員士族となったものの、生産資源もなく1889年の十津川大水害では村全体が被災し約2000人の村民が
北海道に移住して新十津川村とし、現在はささやかに林業がおこなわれており往時の郷士の存在は希薄である