「怪しげな外国人」と都知事から揶揄された著者が書いたタイムリーな本。勿論くだんの件に関してもコメントあり。いや、むしろ自身に向けられている「目」に対しての「アンサー本」という位置も本書にはあるかもしれない。
「愛国」をエトノス(自然‐民族‐血)とデーモス(作為‐社会契約)の二律で斬る著者の手法は、安逸に流布される「美しい国」や「国家の品格」に対しての真摯な警鐘である。
加えて著者は自身が「在日」であることを「逃避」していない。真正面から、この国で生まれた「外国人」であることを受け止めた上での「愛国の作法」なのだ。
旬な本である。「美しい国」の幅広い人に読まれることを望む。
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愛国の作法 (朝日新書 1) 新書 – 2006/10/1
姜 尚中
(著)
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北朝鮮のミサイル実験と中国の軍事的台頭。靖国参拝と歴史認識をめぐり膠着する日中・日韓関係。風雲急を告げる東アジアで、日本の立ち位置が試されている。今後焦点となる改憲、歴史の見直しとどう向き合うか。愛国心を押しつけることで、何が損なわれるのか。本当の愛国とは。思考停止は許されない。いま最も注目の政治学者が、悩める国民に贈る、この国の正しい愛し方。
- ISBN-10402273101X
- ISBN-13978-4022731012
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2006/10/1
- 言語日本語
- 本の長さ205ページ
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2006/10/1)
- 発売日 : 2006/10/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 205ページ
- ISBN-10 : 402273101X
- ISBN-13 : 978-4022731012
- Amazon 売れ筋ランキング: - 518,359位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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姜尚中(カン サンジュン)
1950年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。
東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学・政治思想史。
著書に『マックス・ウェーバーと近代』、『オリエンタリズムの彼方へ』、『ナショナリズム』、『東北アジア共同の家をめざして』、『日朝関係の克服』、『姜尚中の政治学入門』、『ニッポン・サバイバル』『悩む力』ほか。
共著回編者に『ナショナリズムの克服』、『デモクラシーの冒険』、『在日一世の記憶』ほか。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年11月24日に日本でレビュー済み
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2009年7月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、「愛国」についてですが、「愛」以前に「国家」と「個人・自我」の関わりかたについての本だと思いました。それは、「そうではなく、『愛国』には絶えざる『努力』が必要なのです。その、『努力』は、時には生身を引き裂くような激しい相克と葛藤を自我の内面の中に抱え込んでしまうこともあるはずです」(本文p186)のような部分に色濃くでていると思います。
私は、「愛国」の自覚が薄い方です。たとえば在日コリアの人に対しての、無言の暴力ともいえる圧力に、自分も日本人であるために自動的に加担してという罪悪感をかかえてしまうほうです。どうしてでしょう。これは、私の「自我」と「国家」の関係の問題です。この否定的な感情を「愛」に転じさせることができるでしょうか。この本は自分と自分の母国日本の関係を考えるヒントをいくつもくれました。
最後に、姜さんのように、日本語の文献を読みこなせて、なおかつ日本を客観的に見れる政治学者は多くないと思います。「客観的」という意味では英語圏の識者は日本研究に向いているかもしれないけど、この人達(ジャーナリスト・研究者など)はなにしろ日本語が読めないというか読みこなせないことが多いようです。英語のソースの中には、素晴らしいものもありますが、英語のソースに偏った日本研究の弊害は少なからず問題視されてきたので、個人的に「誰か日本をよく知っている人―日本語の文献を読みこなせて分析できる人―に日本人とは違う立ち位置で日本を語って欲しいな」とずっと思っていたのでそれができる人が見つかって本当にうれしいです。在日のような立場の人が日本を論じることが、一元的な見方からの救済(salvation)となり得ることは知ってほしい。と思いました。
私は、「愛国」の自覚が薄い方です。たとえば在日コリアの人に対しての、無言の暴力ともいえる圧力に、自分も日本人であるために自動的に加担してという罪悪感をかかえてしまうほうです。どうしてでしょう。これは、私の「自我」と「国家」の関係の問題です。この否定的な感情を「愛」に転じさせることができるでしょうか。この本は自分と自分の母国日本の関係を考えるヒントをいくつもくれました。
最後に、姜さんのように、日本語の文献を読みこなせて、なおかつ日本を客観的に見れる政治学者は多くないと思います。「客観的」という意味では英語圏の識者は日本研究に向いているかもしれないけど、この人達(ジャーナリスト・研究者など)はなにしろ日本語が読めないというか読みこなせないことが多いようです。英語のソースの中には、素晴らしいものもありますが、英語のソースに偏った日本研究の弊害は少なからず問題視されてきたので、個人的に「誰か日本をよく知っている人―日本語の文献を読みこなせて分析できる人―に日本人とは違う立ち位置で日本を語って欲しいな」とずっと思っていたのでそれができる人が見つかって本当にうれしいです。在日のような立場の人が日本を論じることが、一元的な見方からの救済(salvation)となり得ることは知ってほしい。と思いました。
2014年8月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第一次安倍政権の際に書かれた著作であり、「愛国」という右翼的な響きの持つ言葉のイメージに惑わされずに「国を愛する」とはどのような心構えであるべきか、を在日2世である著者の視点から論考したものです。実は私も「愛国の作法」というような題名のエッセイを書きたいと思っていた所、完全にかぶった題名の本があった(勿論姜氏の方が専売特許)のでこれは読まねばと購入した次第。以下自分の思っていた「愛国の作法」に比較して、姜氏の著作の1)共感できるところ、2)共感できないところ、3)物足りないと思う所、の3点に分けて書評としてまとめてみたいと思います。
1) 共感できるところ
○ 特定の政権や組織が作った方針に沿って行動することが愛国ではない。
「愛国心に基づく行動」を特定の集団が自分達の利益のために作った、「愛国の衣をまとった体の良い暴力的な政策」を遂行させる使い走りにされぬよう自分でよく考える必要があります。それは現在戦争が行われているウクライナにも中東にも当てはまる事柄です。
○ 愛国には迷いや対立があってはならないなどと言う事はない、それぞれの愛国のありようがあってよい(盲目的な愛国というのはありえない)。
100人100様の愛国があって良い、ただし本心からの売国は良くない。自分と意見が違い、一見他国を利するように見えてもその人なりのしっかりした考えがあっての事であれば理解してもよいと思う。例えば日露戦争の時に明石元二郎から資金援助をもらって帝政ロシアを倒した共産主義者達は日露戦争では敗戦を導いたから「売国奴」と批難されるかも知れないが、その後の強大なソ連の形成に貢献した事からは愛国とも言えるはず。
○ 国家には単なる郷土とは異なる意味合いや意義が存在する。
国家は国民の自由を奪い、時には生命をも害する権力を持っている。それは国民が豊かな社会生活を送る方便として権利の一部を国家に移譲した結果ではあるが、単なる郷土や故郷といった概念とは異なるというのはもっともな理屈だと思う。
○ それぞれの人が信ずる大義を自国に尽くすことが愛国ではないか。
丸山眞男の「忠誠と反逆」でも述べられていた「大義への忠誠」という事が「真の愛国」につながるという思想は共感できると思う。
2) 共感できないところ
○ 郷土愛の同心円的拡大が愛国になることはないという意見。
一民族一国家は一つの理想であり、米国のように「憲法を国の柱」とする国家もあるし、アフリカや中東のような他国の都合で線引きされてできた国家もある。しかし日本の一民族一国家を僥倖とすることはあっても悪い事であるかのごとく敢えて否定する必要はないと思う。それはひねくれである。第二次大戦以降国家の数は増加し続けている。それは一民族一国家の理想を追求している結果であることを筆者は考えていない。他民族多文化を良しとする国家があっても勿論よいけれど、現状ではうまくいっていないのである。しかしイスラム教のような一宗教一国家的な発想が今後強くなる可能性はあるとは思いますが。
○ 自分以外の愛国の論考を全て「右翼小児病」的な盲目的愛国という型にはめて批難しているところ。
自分と相容れない意見や考え方の人を自分が批判しやすいステレオタイプの型にはめ込んで「レッテル張り」をした上で滔々と批判を述べるやり方を右翼も左翼も得意とします。批判されている方は自分とかけ離れた人格や思想について相手が批難しているだけなので痛くも痒くもないのですが、時間の無駄というか非建設的なやりとりに嫌気がさしてこのような批難しかできない人を「知性の限界」として相手にしなくなる、という繰り返しをネット上でも現実社会でも経験してきました。勿論自分自身が人にレッテルを張って批難するような陥穽に陥らないように気をつけてはいますが、建設的な討論ができる社会というのは極めてレベルの高い社会であると思いますし、そのような社会を目指してゆきたいと思います。
○ 著者は最終的に韓国人としての国籍を選び、外国人として日本の愛国を論じているのに、韓国を始めとする諸外国の愛国事情について論考がなく、ひたすら倫理的善悪に基づく判定を日本の愛国に対して行っている点。
最後の章に種明かしの如く自分の立ち位置が書かれているのは何だかなあという感じで、それならもっと広い視野で世界の愛国について論考して欲しかったです。
3) 物足りないところ(論考がないところ)
○ 国民国家における愛国とグローバリズム世界における愛国の違い。
20世紀的な国民国家における愛国は比較的理解しやすいのですが、グローバリズム的拝金主義資本主義の社会においては、国民国家的な愛国心がそのまま通用しなくなってきています。米国の軍人は米国の国益のためにイラクやアフガンで命をかけてイスラム教徒と戦いますが、得をするのは本社がタックスヘイブンにあり、国家に税金を払わないグローバル企業であり、米国は1%の金持ちと99%の奴隷的貧民社会に別れ、国家の借金ばかりが増加して行くという現実。真の愛国(自国民全てが豊かで幸せに暮らせるための国益の増進)を考える時、グローバリズムの促進は矛盾する結果にしかならない。
交易の原則は「互恵、平等、無差別」という浜矩子氏の主張の通りで、この原則に沿わない貿易協定は一切拒否するのが真の愛国であると確信します。また国家に税金を払わない企業は売国企業として国際社会から排除する国際的な協定こそ作るべきでしょう。
○ イスラム世界における「ジハード」と愛国の相克。
丸山眞男の「忠誠と反逆」に述べられているように、一神教においては忠誠を誓う相手は「神」であって、国家が神の教えに反するならばそれを倒すことが大義に基づく忠誠になるのであって、神の教えに忠実な国家であるならば愛国を貫けばよいのだと考えられます。現在のイスラム国家は特定の部族を王とする国家が多く、特定の人達の利害のみが国益につながっている場合が多いのが現実です。だから国民は愛国心などという概念はもともと持っていないと考えるのが妥当ではないかと思います。
○ 国家資本主義における愛国の立ち位置。
中国、ロシアや一部中東の国で盛んになっている国家資本主義(国家社会主義ナチズムと実態は変わらないという意見も)は、グローバル企業を中心とする資本主義よりも愛国を前面に出しやすいように感じます。
という事で、自分が「愛国の作法」を書くとすれば、1)を取り入れ、2)の内容は却下し、3)について新たに論考を加えた内容になるだろうと思われます。
1) 共感できるところ
○ 特定の政権や組織が作った方針に沿って行動することが愛国ではない。
「愛国心に基づく行動」を特定の集団が自分達の利益のために作った、「愛国の衣をまとった体の良い暴力的な政策」を遂行させる使い走りにされぬよう自分でよく考える必要があります。それは現在戦争が行われているウクライナにも中東にも当てはまる事柄です。
○ 愛国には迷いや対立があってはならないなどと言う事はない、それぞれの愛国のありようがあってよい(盲目的な愛国というのはありえない)。
100人100様の愛国があって良い、ただし本心からの売国は良くない。自分と意見が違い、一見他国を利するように見えてもその人なりのしっかりした考えがあっての事であれば理解してもよいと思う。例えば日露戦争の時に明石元二郎から資金援助をもらって帝政ロシアを倒した共産主義者達は日露戦争では敗戦を導いたから「売国奴」と批難されるかも知れないが、その後の強大なソ連の形成に貢献した事からは愛国とも言えるはず。
○ 国家には単なる郷土とは異なる意味合いや意義が存在する。
国家は国民の自由を奪い、時には生命をも害する権力を持っている。それは国民が豊かな社会生活を送る方便として権利の一部を国家に移譲した結果ではあるが、単なる郷土や故郷といった概念とは異なるというのはもっともな理屈だと思う。
○ それぞれの人が信ずる大義を自国に尽くすことが愛国ではないか。
丸山眞男の「忠誠と反逆」でも述べられていた「大義への忠誠」という事が「真の愛国」につながるという思想は共感できると思う。
2) 共感できないところ
○ 郷土愛の同心円的拡大が愛国になることはないという意見。
一民族一国家は一つの理想であり、米国のように「憲法を国の柱」とする国家もあるし、アフリカや中東のような他国の都合で線引きされてできた国家もある。しかし日本の一民族一国家を僥倖とすることはあっても悪い事であるかのごとく敢えて否定する必要はないと思う。それはひねくれである。第二次大戦以降国家の数は増加し続けている。それは一民族一国家の理想を追求している結果であることを筆者は考えていない。他民族多文化を良しとする国家があっても勿論よいけれど、現状ではうまくいっていないのである。しかしイスラム教のような一宗教一国家的な発想が今後強くなる可能性はあるとは思いますが。
○ 自分以外の愛国の論考を全て「右翼小児病」的な盲目的愛国という型にはめて批難しているところ。
自分と相容れない意見や考え方の人を自分が批判しやすいステレオタイプの型にはめ込んで「レッテル張り」をした上で滔々と批判を述べるやり方を右翼も左翼も得意とします。批判されている方は自分とかけ離れた人格や思想について相手が批難しているだけなので痛くも痒くもないのですが、時間の無駄というか非建設的なやりとりに嫌気がさしてこのような批難しかできない人を「知性の限界」として相手にしなくなる、という繰り返しをネット上でも現実社会でも経験してきました。勿論自分自身が人にレッテルを張って批難するような陥穽に陥らないように気をつけてはいますが、建設的な討論ができる社会というのは極めてレベルの高い社会であると思いますし、そのような社会を目指してゆきたいと思います。
○ 著者は最終的に韓国人としての国籍を選び、外国人として日本の愛国を論じているのに、韓国を始めとする諸外国の愛国事情について論考がなく、ひたすら倫理的善悪に基づく判定を日本の愛国に対して行っている点。
最後の章に種明かしの如く自分の立ち位置が書かれているのは何だかなあという感じで、それならもっと広い視野で世界の愛国について論考して欲しかったです。
3) 物足りないところ(論考がないところ)
○ 国民国家における愛国とグローバリズム世界における愛国の違い。
20世紀的な国民国家における愛国は比較的理解しやすいのですが、グローバリズム的拝金主義資本主義の社会においては、国民国家的な愛国心がそのまま通用しなくなってきています。米国の軍人は米国の国益のためにイラクやアフガンで命をかけてイスラム教徒と戦いますが、得をするのは本社がタックスヘイブンにあり、国家に税金を払わないグローバル企業であり、米国は1%の金持ちと99%の奴隷的貧民社会に別れ、国家の借金ばかりが増加して行くという現実。真の愛国(自国民全てが豊かで幸せに暮らせるための国益の増進)を考える時、グローバリズムの促進は矛盾する結果にしかならない。
交易の原則は「互恵、平等、無差別」という浜矩子氏の主張の通りで、この原則に沿わない貿易協定は一切拒否するのが真の愛国であると確信します。また国家に税金を払わない企業は売国企業として国際社会から排除する国際的な協定こそ作るべきでしょう。
○ イスラム世界における「ジハード」と愛国の相克。
丸山眞男の「忠誠と反逆」に述べられているように、一神教においては忠誠を誓う相手は「神」であって、国家が神の教えに反するならばそれを倒すことが大義に基づく忠誠になるのであって、神の教えに忠実な国家であるならば愛国を貫けばよいのだと考えられます。現在のイスラム国家は特定の部族を王とする国家が多く、特定の人達の利害のみが国益につながっている場合が多いのが現実です。だから国民は愛国心などという概念はもともと持っていないと考えるのが妥当ではないかと思います。
○ 国家資本主義における愛国の立ち位置。
中国、ロシアや一部中東の国で盛んになっている国家資本主義(国家社会主義ナチズムと実態は変わらないという意見も)は、グローバル企業を中心とする資本主義よりも愛国を前面に出しやすいように感じます。
という事で、自分が「愛国の作法」を書くとすれば、1)を取り入れ、2)の内容は却下し、3)について新たに論考を加えた内容になるだろうと思われます。
2007年4月25日に日本でレビュー済み
「愛国心とは何か?」を非常に上手く分析しており、解りやすく書かれていると思います。ただ、冒頭から、E・フロムの文章が引用されるなど、哲学的な用語も多く、読み慣れない人にはとっつき難いかもしれません。
論旨の流れは、「愛する」ということは?、「国家」とは?、日本の「国格」とは?「愛国」の作法とは?というふうになっており、一つ一つを突き詰めてから、次のステップへ進んで行きます。
その中では、靖国問題も論じられており、「美しい国へ」への反論も述べられています。
要は、「愛郷心」の同心円上に「愛国心」は無く、同じ土壌で考えるべきものではないし、余りに情緒的になってはいけないということでしょう。
と同時に、「国」を愛する時の「国」とは何かということで、それは目指すべき理想の「国」であり、そこへ向かうための「愛国心」であると語っています。従って、そこには「忠誠」もあれば「反発」もありうるのだと言っています。
日本では、70年安保を境として、政治を語る時代が終わり、無関心の時代に入っており、それは靖国論議や「愛国心」論議と重なってきているとしています。
この本の中で、あっと気づかされたことは、憲法改正論議は、第九条に限定されたものでないのだということでした。第二十条の「信教の自由」も大きな論点となっていることです。
私自身も70年を境にして、考えることを止めてしまった世代に属しており、改めて、真剣に考えるべき問題だということを認識しなおしました。
論旨の流れは、「愛する」ということは?、「国家」とは?、日本の「国格」とは?「愛国」の作法とは?というふうになっており、一つ一つを突き詰めてから、次のステップへ進んで行きます。
その中では、靖国問題も論じられており、「美しい国へ」への反論も述べられています。
要は、「愛郷心」の同心円上に「愛国心」は無く、同じ土壌で考えるべきものではないし、余りに情緒的になってはいけないということでしょう。
と同時に、「国」を愛する時の「国」とは何かということで、それは目指すべき理想の「国」であり、そこへ向かうための「愛国心」であると語っています。従って、そこには「忠誠」もあれば「反発」もありうるのだと言っています。
日本では、70年安保を境として、政治を語る時代が終わり、無関心の時代に入っており、それは靖国論議や「愛国心」論議と重なってきているとしています。
この本の中で、あっと気づかされたことは、憲法改正論議は、第九条に限定されたものでないのだということでした。第二十条の「信教の自由」も大きな論点となっていることです。
私自身も70年を境にして、考えることを止めてしまった世代に属しており、改めて、真剣に考えるべき問題だということを認識しなおしました。
2006年10月27日に日本でレビュー済み
昨今吹き荒れる右への傾斜に対する恫喝のようにみえますが、中身はなかなか論理的で、宝石のように難解な用語が満ち溢れています。しかし、これは、小泉さんや阿部さんへの敷衍もみられますが、むしろあの数学者に対する返歌といってよいでしょう。筆者が外国姓を名乗ってまで日本の愛国を論ずることが果たして吉と出るか凶と出るかわかりませんが、敢えて確信犯的であり、しかして内容からすると、かなり内心忸怩たる物があるように見受けられます。エトスに対するデモス、が根底に流れる思想でしょうが、これが若干大陸的に感じられるのは穿ち過ぎでしょうか?筆者から怒られそうですが。ただ、見放された者に接着剤のように作用する愛国心は、世を荒廃させる、というようなくだりは、すっと読み過ごしてしまいそうですが、論理的な飛躍が感じられます。
2006年10月18日に日本でレビュー済み
今まで国民国家やナショナリズムを鋭く批判してきた著者が、あえて国家を自己に引き付けて、「愛国」のあり方を考察したのが本書。これまでの超越的立場からの国民国家批判では今の風潮は押しとどめられないという問題意識が行間から読み取れる。本書の著者のスタンスは、井崎正敏『ナショナリズムの練習問題』に通じるものがあるが、本書の方がより有意義な方向に突っ込んでいるといえる。
第一章では、なぜ今「愛国」がブームと化しているのかが説明される。二章では、そもそも近代国民国家とはいかなるものなのかが基本に立ち返って議論され、三章ではよりスペシフィックに、日本国家の特質について、国体概念を軸に語られる。四章においてそれまでの議論を踏まえ、真の「愛国」のあるべき態度が論じられる。ところどころで安倍晋三の『美しい国へ』が引用されており、かの書の一つの批評としても興味深いものがある。
印象的なのは、近年の「愛国」という言葉の氾濫状態の割には、「内面から突き上げてくるような理想」がほとんど見られないという指摘。もっともである。昨今叫ばれている教育基本法改正論や改憲論にも、「古き良き時代」としての「過去」が懐古されるばかりで、そこには「やり直す」べき、反省すべき点についての思慮がまるで見られない。本当に「愛国」者たらんとするからには、日本のあるべき姿について具体的な理想を持って、日々切磋琢磨していくべきではないでしょうか。その点、本書でも印象されている「国民とは日々の人民投票に他ならない」というルナンの言葉は至言でしょう。伝統や文化、日本的なる物などといった情緒的なものに浸りきった「愛国」者の言説にいつまでもこの国を支配させておくことは許されません。
ところで最近の新書は字がデカイ。もっと小さくすれば字数が増え、さらに深い議論が可能になるかもしれないのに。字が小さいと誰も読まなくなるってことなのかなあ…。
第一章では、なぜ今「愛国」がブームと化しているのかが説明される。二章では、そもそも近代国民国家とはいかなるものなのかが基本に立ち返って議論され、三章ではよりスペシフィックに、日本国家の特質について、国体概念を軸に語られる。四章においてそれまでの議論を踏まえ、真の「愛国」のあるべき態度が論じられる。ところどころで安倍晋三の『美しい国へ』が引用されており、かの書の一つの批評としても興味深いものがある。
印象的なのは、近年の「愛国」という言葉の氾濫状態の割には、「内面から突き上げてくるような理想」がほとんど見られないという指摘。もっともである。昨今叫ばれている教育基本法改正論や改憲論にも、「古き良き時代」としての「過去」が懐古されるばかりで、そこには「やり直す」べき、反省すべき点についての思慮がまるで見られない。本当に「愛国」者たらんとするからには、日本のあるべき姿について具体的な理想を持って、日々切磋琢磨していくべきではないでしょうか。その点、本書でも印象されている「国民とは日々の人民投票に他ならない」というルナンの言葉は至言でしょう。伝統や文化、日本的なる物などといった情緒的なものに浸りきった「愛国」者の言説にいつまでもこの国を支配させておくことは許されません。
ところで最近の新書は字がデカイ。もっと小さくすれば字数が増え、さらに深い議論が可能になるかもしれないのに。字が小さいと誰も読まなくなるってことなのかなあ…。
2007年2月8日に日本でレビュー済み
本書で紹介されている、竹越与三郎の言葉が好きだ。
「個人の生存と進歩とを外にして、国家の目的あることなし」
明治人、竹越の言葉は、明快で歯切れがいい。
著者は自分の論旨を進める上で、実に様々な論説を紹介してくれている。
しかし、それがどうも読みづらい。
引用が多いゆえか、ですます体によるものなのか、
文章のリズムが悪いように感じるのだ。
「歯ごたえがある」というより「飲み込みづらい」という感じ。
他の論客の主張を明示しつつ、自論を展開するその手法は、
フェアで、かつ堅実であるが、
もう少し、自分の言葉の割合を増やしても良いのではないか。
「愛国心」を考えよう、という主張には大賛成。
「個人の生存と進歩とを外にして、国家の目的あることなし」
明治人、竹越の言葉は、明快で歯切れがいい。
著者は自分の論旨を進める上で、実に様々な論説を紹介してくれている。
しかし、それがどうも読みづらい。
引用が多いゆえか、ですます体によるものなのか、
文章のリズムが悪いように感じるのだ。
「歯ごたえがある」というより「飲み込みづらい」という感じ。
他の論客の主張を明示しつつ、自論を展開するその手法は、
フェアで、かつ堅実であるが、
もう少し、自分の言葉の割合を増やしても良いのではないか。
「愛国心」を考えよう、という主張には大賛成。