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万世一系のまぼろし (朝日新書 26) 新書 – 2007/1/1
中野 正志
(著)
秋篠宮家の親王誕生で先送りされた皇室典範改正。議論の過程でゾンビのごとく甦った「万世一系」イデオロギーは、実は太古からの遺産ではなく、幕末から明治にかけての体制強化を担う「発明品」だった! 歴史資料を読み解き、女系天皇容認の立場から男系説を批判的に検証。昭和天皇の戦争責任問題にも正面から切り込み、現代に生きる私たちに、天皇制の存在意義とは何かを突きつける、衝撃の問題作!
- 本の長さ215ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2007/1/1
- ISBN-104022731265
- ISBN-13978-4022731265
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2007/1/1)
- 発売日 : 2007/1/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 215ページ
- ISBN-10 : 4022731265
- ISBN-13 : 978-4022731265
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,039,509位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年1月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新聞記者の本質が突出した著作である。何が言いたいのか分からない。責任をとらぬという態度に終始している。「万世一系イデオロギー」を否定しておきながら、その連続性と断続性については答えを留保。自身の立ち位置を明確にしようとはしない。歴史上の人物評価も浅薄に過ぎるし、参考資料に関しても牽強付会と言わざるを得ない。署名なしで記事を発表し一切の責任をとろうとしない新聞記者が著したにしてもひどい本である。題名に騙されてはいけません。
2007年7月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「女系も容認すべきか男系のみにすべきか」と言う問いに対し、答えを見いだせない私は、女系天皇容認の立場をとる著者による本書から、その答えを導く何かが得られるのでないかと思い読み始めたのだが、女系・男系問題の答えの糸口すら得られなかったことが残念である。
例えば、「神武天皇の不在は証明されているのか?」と「記紀の世界は何を映し出しているか?」それぞれにひとつの章が割かれているが、この時代の事実関係が確定されることは当分ないだろうし、神武天皇がいてもいなくても、現在の天皇制の女系か男系かには全く関係ない。
さらに「昭和天皇は戦争責任を感じてきたか?」にひとつの章が割かれているが、昭和天皇が戦争責任を感じても感じなくても、女系・男系問題ばかりか、タイトルの「万世一系」にさえ全く絡んでこない。
著者の皇室典範改正私案でも示してくれれば、本書の主旨が明確になったのではないかと思う。ただ、天皇制を考える上で参考になる部分は多い。
例えば、「神武天皇の不在は証明されているのか?」と「記紀の世界は何を映し出しているか?」それぞれにひとつの章が割かれているが、この時代の事実関係が確定されることは当分ないだろうし、神武天皇がいてもいなくても、現在の天皇制の女系か男系かには全く関係ない。
さらに「昭和天皇は戦争責任を感じてきたか?」にひとつの章が割かれているが、昭和天皇が戦争責任を感じても感じなくても、女系・男系問題ばかりか、タイトルの「万世一系」にさえ全く絡んでこない。
著者の皇室典範改正私案でも示してくれれば、本書の主旨が明確になったのではないかと思う。ただ、天皇制を考える上で参考になる部分は多い。
2011年10月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「万世一系」についての歴史検証は最初の三分の一程度で大部分は昭和天皇の戦争責任「論」や戦後天皇制「論」、戦後憲法「論」などに終始している。
2009年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
わざわざ「アジア・太平洋戦争」なんて偏った信条を持つ人たちの間でしか使われない呼称を使っているところが、この著者の底の浅さを露呈している。朝日新聞や東京放送によく見られる似非サヨク識者に過ぎない。中国大陸と太平洋での2方面の戦争を総称する呼称なら「大東亜戦争」があるだろうに。まあっ使わないだろうな。
2013年9月15日に日本でレビュー済み
本書は「秋篠宮家での男児誕生で皇位継承問題は一件落着」との見方への疑問から「万世一系」に象徴される男系固執主義に一石を投ずる内容である。
第4章についてはいささか蛇足の観もしないでもないが、説き起こしでは「鵺的概念」とし、結論付けでは「中華思想風解釈による外来思想の亜流」に導き、男系主義の不合理と頑迷ぶりを徹底的に暴き立てている。
(自称)保守主義から見れば、著者もまた左翼主義者と見做されるのだろうが、さにあらず。かつて属していた朝日新聞社にとっても「好ましいタイプ」ではなく、2006年には袂を分かつことになったのだから、左右どちらにも偏らないと見てよいだろう。
その眼目は、男系による継承それ自体、先人の叡智でも何でもなく、儒教浸透による男系優位の父系制や男尊女卑に支配された故との線を崩さず、一方で「世襲による特権」を差別の元凶とする見方にも与さず、また共和制の持つ危うさも理解するというものだ。
また日本の伝統はむしろ双系制であり、また維新当時にも女帝の存在も認めていたこと、万世一系説の確定は大日本帝国憲法の公布と同時期で、それには西洋での中世以来のサリカ法にも影響されていることなどを明らかにしている点でも興味深い。
そうした立ち位置からの視点なので、男系固執派の悉くを黙らせるだけの説得力がある。
しかし、こうした男系主義排撃も本書以降、後が続かなかったのは残念だった。その後さらに男系固執の声が他を圧し、皇太子一家とりわけ雅子妃に対する風当たりも強まっていったのだから、そうした情勢に応じた抵抗の論陣を張っていって欲しかった。悲しいことに、今や時の勢いは男系固執派にあるといってよい。このままでは冗談じゃなく、男尊女卑が天皇の血を絶やす結果を招きかねない。そしてその暁には、男系固執派に連なる者が日本の独裁者に君臨するという、暗黒の共和制が実現するに違いない。
第4章についてはいささか蛇足の観もしないでもないが、説き起こしでは「鵺的概念」とし、結論付けでは「中華思想風解釈による外来思想の亜流」に導き、男系主義の不合理と頑迷ぶりを徹底的に暴き立てている。
(自称)保守主義から見れば、著者もまた左翼主義者と見做されるのだろうが、さにあらず。かつて属していた朝日新聞社にとっても「好ましいタイプ」ではなく、2006年には袂を分かつことになったのだから、左右どちらにも偏らないと見てよいだろう。
その眼目は、男系による継承それ自体、先人の叡智でも何でもなく、儒教浸透による男系優位の父系制や男尊女卑に支配された故との線を崩さず、一方で「世襲による特権」を差別の元凶とする見方にも与さず、また共和制の持つ危うさも理解するというものだ。
また日本の伝統はむしろ双系制であり、また維新当時にも女帝の存在も認めていたこと、万世一系説の確定は大日本帝国憲法の公布と同時期で、それには西洋での中世以来のサリカ法にも影響されていることなどを明らかにしている点でも興味深い。
そうした立ち位置からの視点なので、男系固執派の悉くを黙らせるだけの説得力がある。
しかし、こうした男系主義排撃も本書以降、後が続かなかったのは残念だった。その後さらに男系固執の声が他を圧し、皇太子一家とりわけ雅子妃に対する風当たりも強まっていったのだから、そうした情勢に応じた抵抗の論陣を張っていって欲しかった。悲しいことに、今や時の勢いは男系固執派にあるといってよい。このままでは冗談じゃなく、男尊女卑が天皇の血を絶やす結果を招きかねない。そしてその暁には、男系固執派に連なる者が日本の独裁者に君臨するという、暗黒の共和制が実現するに違いない。
2018年2月2日に日本でレビュー済み
冒頭から神武天皇架空説を当然視したり昭和天皇の戦争責任を論じたり団塊臭全開である。
本書の結論は万世一系説は土着の日本の伝統から生まれた説ではなく、江戸末期に神道を中華思想風に解釈した亜種のイデオロギーに過ぎない、ということらしい。
それを論証するために北畠親房はじめ過去の思想家の学説の概略を長々と紹介している。それはそれで手っ取り早く解るので参考にはなるが、いくら論じたところで例外なく男系継承が続いてきた歴史的事実は揺るがない。
著者は「一系」を父子承継のことだと勘違いしている節があるが万世一系とは男系継承のことであって父子承継ではない。万世一系はまぼろしではなく現実である。
本書の結論は万世一系説は土着の日本の伝統から生まれた説ではなく、江戸末期に神道を中華思想風に解釈した亜種のイデオロギーに過ぎない、ということらしい。
それを論証するために北畠親房はじめ過去の思想家の学説の概略を長々と紹介している。それはそれで手っ取り早く解るので参考にはなるが、いくら論じたところで例外なく男系継承が続いてきた歴史的事実は揺るがない。
著者は「一系」を父子承継のことだと勘違いしている節があるが万世一系とは男系継承のことであって父子承継ではない。万世一系はまぼろしではなく現実である。
2007年2月17日に日本でレビュー済み
壮大なスケールの天皇論である。
著者は、かつての朝日新聞論説委員を辞めた在野の思想史研究家であるようだ。細部においての疑念は若干はあったが、古代史から現代史、国家論に至るまでのカバー領域の広さ、思想的な公正さにおいて目を見張った。
この本の論点を各章ごとに述べておく。
第一章の「神武天皇の不在は証明されているのか?」は、記紀史観に立つ田中卓説と考古学の成果をもとに、神武天皇らしき人物の不在は完全には証明されていないと述べている。進歩派の学者は反発するだろうが、この指摘はまっとうである。
第二章の「記紀の世界は何を映し出しているか?」では、やや説明が短すぎる気がしたが、記紀史観を逆手にとり、記紀の魅力を述べた鶴見俊輔の指摘が印象に残った。
第三章の「戦後憲法と皇室典範はなぜ、ねじれてしまったのか?」には、全く異論を挟む余地はない。
第四章の「昭和天皇は戦争責任を感じてきたか?」は、天皇の法的・政治責任に関しては、もっと細密に述べられるべきだと思った。とはいえ、少なくとも道義的責任は感じ続けてきたという立証の論理性には、破綻が感じられない。
第六章の「今後、象徴天皇制をどうとらえていったらよいのか?」では、著者は万世一系のイデオロギーを否定しているのに、保守思想の創始者といえるエドマンド・バークの「時間的効力」の大切さを認めており、白か黒か史観から抜け出していて、従来に見られない天皇論を展開しており新鮮であった。
驚嘆させられたのは、「『万世一系説』はどこで生まれ、なぜ、独り歩きしていったのか?」の第五章である。ここで、著者は、一般的には「反動」の思想家とみられてきた山本七平や明治維新を肯定的したと考えられてきた司馬遼太郎の考え方を裏読みし、幕末の尊王攘夷運動は中華思想の亜流だったとみなす。著者の主張は仮説に過ぎない。戦後のアカデミズムは、尊王攘夷思想の形成過程の分析を怠ってきたから、学者たちは今後も著者の分析に目を背けるに違いあるまい。司馬は別な事も言ってきたようも気もする。とはいえ、ここの部分の分析は群を抜いて面白い。
文章は明晰である。短所は極めて手強い内容であることだ。岩波新書の四冊分ほどのデータがつまっており、普段は三時間で新書一冊を読んできた私は、著者の意図を解読するのに一週間かかった。その真意はいかなるところにあるのか? あえて野暮なコメントは避けておこう。
へたに向き合うと、読者は火傷する。マイナス一をつけようかとも迷った。だが、これを超える天皇論はこれまでにはなかったし、今後もしばらくは出るまいと考えて五にした。
著者は、かつての朝日新聞論説委員を辞めた在野の思想史研究家であるようだ。細部においての疑念は若干はあったが、古代史から現代史、国家論に至るまでのカバー領域の広さ、思想的な公正さにおいて目を見張った。
この本の論点を各章ごとに述べておく。
第一章の「神武天皇の不在は証明されているのか?」は、記紀史観に立つ田中卓説と考古学の成果をもとに、神武天皇らしき人物の不在は完全には証明されていないと述べている。進歩派の学者は反発するだろうが、この指摘はまっとうである。
第二章の「記紀の世界は何を映し出しているか?」では、やや説明が短すぎる気がしたが、記紀史観を逆手にとり、記紀の魅力を述べた鶴見俊輔の指摘が印象に残った。
第三章の「戦後憲法と皇室典範はなぜ、ねじれてしまったのか?」には、全く異論を挟む余地はない。
第四章の「昭和天皇は戦争責任を感じてきたか?」は、天皇の法的・政治責任に関しては、もっと細密に述べられるべきだと思った。とはいえ、少なくとも道義的責任は感じ続けてきたという立証の論理性には、破綻が感じられない。
第六章の「今後、象徴天皇制をどうとらえていったらよいのか?」では、著者は万世一系のイデオロギーを否定しているのに、保守思想の創始者といえるエドマンド・バークの「時間的効力」の大切さを認めており、白か黒か史観から抜け出していて、従来に見られない天皇論を展開しており新鮮であった。
驚嘆させられたのは、「『万世一系説』はどこで生まれ、なぜ、独り歩きしていったのか?」の第五章である。ここで、著者は、一般的には「反動」の思想家とみられてきた山本七平や明治維新を肯定的したと考えられてきた司馬遼太郎の考え方を裏読みし、幕末の尊王攘夷運動は中華思想の亜流だったとみなす。著者の主張は仮説に過ぎない。戦後のアカデミズムは、尊王攘夷思想の形成過程の分析を怠ってきたから、学者たちは今後も著者の分析に目を背けるに違いあるまい。司馬は別な事も言ってきたようも気もする。とはいえ、ここの部分の分析は群を抜いて面白い。
文章は明晰である。短所は極めて手強い内容であることだ。岩波新書の四冊分ほどのデータがつまっており、普段は三時間で新書一冊を読んできた私は、著者の意図を解読するのに一週間かかった。その真意はいかなるところにあるのか? あえて野暮なコメントは避けておこう。
へたに向き合うと、読者は火傷する。マイナス一をつけようかとも迷った。だが、これを超える天皇論はこれまでにはなかったし、今後もしばらくは出るまいと考えて五にした。
2007年4月17日に日本でレビュー済み
「万世一系イデオロギー」は=所謂「国体」なわけだが、この思想が江戸の国学に始まり維新政府が利用したものに過ぎない、つまり比較的新しいものであり、その意味で左程有り難いものでもない(天皇家そのものは有り難く古いのだが)という認識は、何だか昔から有ったようでも有り無かった様でもある。私自身は10年くらい前から何となくそう考えてきた。
この議論はタブーか、それに近いものなのだろうか。もしそうならば、こういう議論が平熱化して来れば、即ちリベラルな人たちならば「勿論」その様に考えているんだろうなと、世の中の人に思われる程常識化て来れば、日本も住み易い成熟した国になるのではないだろうか。小泉劇場の胡散臭さを正しく感じ、自衛隊の海外派遣や集団的自衛権や改憲や核武装や靖国や北朝鮮や教科書問題について思考停止せずに、気分良く建設的な議論が出来る世の中にだ。
しかしこの著者は、唐突に昭和天皇の戦争責任等と言う章を設けて一体何が言いたいのだろうか。全然前後が繋がらないんですけど。この人朝日の記者さん出身か。新聞記事じゃ無いんだからこんな奥歯にものの挟まった様な書き方をしなくても良いのでは無いか。責任が有るなら有ると書けば良いのに。
この議論はタブーか、それに近いものなのだろうか。もしそうならば、こういう議論が平熱化して来れば、即ちリベラルな人たちならば「勿論」その様に考えているんだろうなと、世の中の人に思われる程常識化て来れば、日本も住み易い成熟した国になるのではないだろうか。小泉劇場の胡散臭さを正しく感じ、自衛隊の海外派遣や集団的自衛権や改憲や核武装や靖国や北朝鮮や教科書問題について思考停止せずに、気分良く建設的な議論が出来る世の中にだ。
しかしこの著者は、唐突に昭和天皇の戦争責任等と言う章を設けて一体何が言いたいのだろうか。全然前後が繋がらないんですけど。この人朝日の記者さん出身か。新聞記事じゃ無いんだからこんな奥歯にものの挟まった様な書き方をしなくても良いのでは無いか。責任が有るなら有ると書けば良いのに。