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スゴイ内容です。日本人必読。
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石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」 (朝日新書 57) 新書 – 2007/7/13
岩間 敏
(著)
筆者は元石油公団理事。その「石油屋」が、「アブラ」を縦軸にして太平洋戦争を読み解く。航空用ガソリン精製の日米技術力格差、真珠湾攻撃の「石油施設見逃し」事件、サハリン・中国・中東の油田開発の大失敗、さらには、タンクの「最後の一滴」まで吸い上げられていた戦艦大和の燃料の秘話、海軍官僚の南方進出欲に踊らされた国政担当者の弱腰ぶりなど、知られざる事実満載。現在に続く「石油と戦争」の深い関係が断然よくわかる。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞社
- 発売日2007/7/13
- ISBN-104022731575
- ISBN-13978-4022731579
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞社 (2007/7/13)
- 発売日 : 2007/7/13
- 言語 : 日本語
- 新書 : 240ページ
- ISBN-10 : 4022731575
- ISBN-13 : 978-4022731579
- Amazon 売れ筋ランキング: - 614,368位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦争を単に「戦闘」だけの側面からでなく、物流や国家論的な観点から分析していて非常に興味深い。
今まで戦闘だけで語られていた戦争論に別の側面から光を与え、更にエネルギー問題と言う意味で将来に役立つ内容が書かれている。
整っていない場合もあるが、データも多く解りやすい。
戦争論を考える上でも非常に重要な作品だった。
今まで戦闘だけで語られていた戦争論に別の側面から光を与え、更にエネルギー問題と言う意味で将来に役立つ内容が書かれている。
整っていない場合もあるが、データも多く解りやすい。
戦争論を考える上でも非常に重要な作品だった。
2013年1月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
資源に乏しい日本が、石油の供給を断ち切られたために始まったとも言える太平洋戦争ですが、石油の供給に関する見通しがほとんどないまま戦争に突入したことがよく分かります。単純な戦力では日本も互角に近い能力を持っていましたが、石油を確保する戦略についてはアメリカがそれを阻止するために立てた戦略の足元にも及ばなかったと思わされます。これからのエネルギー問題について学ぶこともでき、面白い内容だと感じました。
2017年8月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明治維新後多くの日本人が移民もし、留学もしているアメリカ、日露戦争ではセオドア・ルーズベルト大統領がポーツマスで日本とロシアの仲介をとって和睦に至らせたアメリカ、日本が石油を大量に依存しているアメリカなどを考えれば日本がアメリカを憎むようになるというのは大元に白人至上主義があったのかもしれない。
排日法がアメリカで支持され、反日メディアで日本人が攻撃されたのが、日本のメディアが反米に傾いて、日本人のアメリカに対する心象を悪くし、かつ日本が中国侵略する際に中国軍を裏で援助するのアメリカであれば、仮想敵国として日本海軍でさえも演習してしまう。それでも日本海軍は日独伊三国同盟を結ぶことは英米に戦端を開くことになるとして陸軍に強力に反対する。陸軍は暗殺なども匂わせて、自説を押し通してしまう。
それにしては盧溝橋事件からかなりの時間が経過したにも関わらず、かつまた後日図上演習では対米戦では敗北すると結論されたにも関わらず、世界大戦が第一次大戦から総力戦、物量戦に変貌してきたにも関わらず、戦略物資の鉄、石油の輸入先を多元化する努力をせずに、石油を求めてアメリカの虎の尾である南部仏印進駐をしてしまう。
計画性が欠如した日本陸軍の思考方法はどこに由来するのかがわかるように解説してもらえればありがたかった。
排日法がアメリカで支持され、反日メディアで日本人が攻撃されたのが、日本のメディアが反米に傾いて、日本人のアメリカに対する心象を悪くし、かつ日本が中国侵略する際に中国軍を裏で援助するのアメリカであれば、仮想敵国として日本海軍でさえも演習してしまう。それでも日本海軍は日独伊三国同盟を結ぶことは英米に戦端を開くことになるとして陸軍に強力に反対する。陸軍は暗殺なども匂わせて、自説を押し通してしまう。
それにしては盧溝橋事件からかなりの時間が経過したにも関わらず、かつまた後日図上演習では対米戦では敗北すると結論されたにも関わらず、世界大戦が第一次大戦から総力戦、物量戦に変貌してきたにも関わらず、戦略物資の鉄、石油の輸入先を多元化する努力をせずに、石油を求めてアメリカの虎の尾である南部仏印進駐をしてしまう。
計画性が欠如した日本陸軍の思考方法はどこに由来するのかがわかるように解説してもらえればありがたかった。
2013年3月7日に日本でレビュー済み
本書には、偏狭した視野と想像力のない世界観しか持ち合わせていない軍人や政治家たちの多くが登場する。
日本陸軍は、昭和15年に総力戦、経済性、合理性の概念が少なかったといわれるが、昭和15年(1940年)に「戦争経済研究班」のちの「陸軍省主計課別班」を立ち上げ、外部から国力分析の専門家が多く集められ研究された。その研究成果は、昭和16年(1941年)発表されたが、圧倒的に日本が不利との結論を、時の陸軍参謀長であった杉山元は、「調査は完璧であるが内容は国策に反する。報告書は焼却」と指示した。
昭和16年(1941年)4月には、国家総力戦を研究するために、中央官庁、陸海軍、民間から平均年齢33歳の研究者が集められ「総力戦研究所」が開所した。この総力戦研究所が、昭和16年(1941年)8月に出した結論は、「日本敗北」であった。
この結果の報告を受けた近衛文麿総理、東條陸相らは、その後この研究結果を黙殺したことになる。
昭和16年(1941年)3月、横浜から米国へ米国経済の実態調査に行かされた陸軍将校の新庄健吉主計大佐は、ニューヨークにある三井物産に個人事務所をかまえ、3ヶ月後には、「日米の工業力の差1対20、科学鉱業の差1対3」この差を縮めるのは不可能」との報告書を、ワシントン駐在の岩畔豪雄陸軍大佐に託した。
岩畔大佐は、この報告書の内容を近衛総理、豊田貞次郎外務大臣、陸海首脳、参謀本部戦争指導班などに説明したが、無視されるどころか、東條陸相の懲罰人事として前線勤務へと左遷されたまま軍中央へもどることなく終戦を迎えたのである。
昭和15年(1940年)12月発足した「海軍国防政策委員会」の主導的立場だった石川信吾大佐は、陸軍、政治家、右翼などに幅広い人脈をもち積極的な「南進論」を海軍内部で展開し、海軍省軍務局長岡敬純少将、軍令部第一部(作戦課)の神重徳大佐などの親独派、対米強硬派が海軍を開戦に導いた真の「戦争推進者」であった。
これら中堅幕僚層が下剋上ともいえる強硬な活動をしたことから、その後、島田繁太郎海相、永野軍令部総長などの上層部がその方針を認めて開戦へと向かったのである。
昭和19年(1944年)連合艦隊司令部がパラオからフィリピンのダバオへ避難する途中で連合艦隊参謀長の福留繁中将一行の搭乗機がセブ島沖に不時着して、ゲリラの捕虜になった。その際、ゲリラ側は連合艦隊の最高機密書類である「Z作戦計画書」と暗号表を入手した。オーストラリアにあるマッカーサー司令部に渡ったこの書類から日本軍の暗号や作戦計画が筒抜けになってしまったのは当然である。
そのあと福留参謀長一行は、セブ島駐屯の陸軍部隊に救出されたが、「機密書類は飛行機とともに焼失」と嘘の説明を受けた調査委員会は、福留参謀長を不問にして、第二艦隊司令長官に栄転させたのである。いわゆる「海軍乙事件」であるが、「生きて虜囚の辱めを受けず」とサイパン島で玉砕した兵士たちを思えば「海軍乙事件」などに関与した軍首脳部たちに怒りを覚えるのは評者だけではないだろう。
昭和20年(1945年)4月、軍令部と連合艦隊司令部では、「沖縄戦には大和を使用しない」との考えが大勢を占めていたのを、連合艦隊首席参謀だった神重徳大佐(南進論強硬派)の画策や、「一億特攻の先駆けとなって欲しい」との連合艦隊参謀長の草鹿龍之介中将の言葉に、「航空支援のない出撃は成算がなく犬死」といっていた第二艦隊司令官の伊藤整一中将が「それならば何をかいわんや。よく了解した」と受けて戦艦大和は、出撃し九州坊ノ岬沖167kmの海底に、戦死者3729名とともに沈んだのである。
この、大和の出撃を連合艦隊からの電報で知った沖縄守備隊の陸軍第三二軍司令官牛島満中将は、直ちに、出撃中止の至急電を発信している。電文は、「ご厚志千万かたじけなく存ずるも、制空権いまだ確保しあらず本島付近に対し、挺身攻撃の至難なるべきに鑑み、決行お取り止め相成度」であった。
本書では、石油を中心に日米の格差を詳細な調べをもとに、「如何に日本が無謀な戦争に至ったのか」を理解しやすく客観的な視点で書かれていた良書である。
「太平洋戦争は、列強の圧力から避けられなかった戦争であった」などと頑なに発言している方たちへ一読を勧めたい本である。
日本陸軍は、昭和15年に総力戦、経済性、合理性の概念が少なかったといわれるが、昭和15年(1940年)に「戦争経済研究班」のちの「陸軍省主計課別班」を立ち上げ、外部から国力分析の専門家が多く集められ研究された。その研究成果は、昭和16年(1941年)発表されたが、圧倒的に日本が不利との結論を、時の陸軍参謀長であった杉山元は、「調査は完璧であるが内容は国策に反する。報告書は焼却」と指示した。
昭和16年(1941年)4月には、国家総力戦を研究するために、中央官庁、陸海軍、民間から平均年齢33歳の研究者が集められ「総力戦研究所」が開所した。この総力戦研究所が、昭和16年(1941年)8月に出した結論は、「日本敗北」であった。
この結果の報告を受けた近衛文麿総理、東條陸相らは、その後この研究結果を黙殺したことになる。
昭和16年(1941年)3月、横浜から米国へ米国経済の実態調査に行かされた陸軍将校の新庄健吉主計大佐は、ニューヨークにある三井物産に個人事務所をかまえ、3ヶ月後には、「日米の工業力の差1対20、科学鉱業の差1対3」この差を縮めるのは不可能」との報告書を、ワシントン駐在の岩畔豪雄陸軍大佐に託した。
岩畔大佐は、この報告書の内容を近衛総理、豊田貞次郎外務大臣、陸海首脳、参謀本部戦争指導班などに説明したが、無視されるどころか、東條陸相の懲罰人事として前線勤務へと左遷されたまま軍中央へもどることなく終戦を迎えたのである。
昭和15年(1940年)12月発足した「海軍国防政策委員会」の主導的立場だった石川信吾大佐は、陸軍、政治家、右翼などに幅広い人脈をもち積極的な「南進論」を海軍内部で展開し、海軍省軍務局長岡敬純少将、軍令部第一部(作戦課)の神重徳大佐などの親独派、対米強硬派が海軍を開戦に導いた真の「戦争推進者」であった。
これら中堅幕僚層が下剋上ともいえる強硬な活動をしたことから、その後、島田繁太郎海相、永野軍令部総長などの上層部がその方針を認めて開戦へと向かったのである。
昭和19年(1944年)連合艦隊司令部がパラオからフィリピンのダバオへ避難する途中で連合艦隊参謀長の福留繁中将一行の搭乗機がセブ島沖に不時着して、ゲリラの捕虜になった。その際、ゲリラ側は連合艦隊の最高機密書類である「Z作戦計画書」と暗号表を入手した。オーストラリアにあるマッカーサー司令部に渡ったこの書類から日本軍の暗号や作戦計画が筒抜けになってしまったのは当然である。
そのあと福留参謀長一行は、セブ島駐屯の陸軍部隊に救出されたが、「機密書類は飛行機とともに焼失」と嘘の説明を受けた調査委員会は、福留参謀長を不問にして、第二艦隊司令長官に栄転させたのである。いわゆる「海軍乙事件」であるが、「生きて虜囚の辱めを受けず」とサイパン島で玉砕した兵士たちを思えば「海軍乙事件」などに関与した軍首脳部たちに怒りを覚えるのは評者だけではないだろう。
昭和20年(1945年)4月、軍令部と連合艦隊司令部では、「沖縄戦には大和を使用しない」との考えが大勢を占めていたのを、連合艦隊首席参謀だった神重徳大佐(南進論強硬派)の画策や、「一億特攻の先駆けとなって欲しい」との連合艦隊参謀長の草鹿龍之介中将の言葉に、「航空支援のない出撃は成算がなく犬死」といっていた第二艦隊司令官の伊藤整一中将が「それならば何をかいわんや。よく了解した」と受けて戦艦大和は、出撃し九州坊ノ岬沖167kmの海底に、戦死者3729名とともに沈んだのである。
この、大和の出撃を連合艦隊からの電報で知った沖縄守備隊の陸軍第三二軍司令官牛島満中将は、直ちに、出撃中止の至急電を発信している。電文は、「ご厚志千万かたじけなく存ずるも、制空権いまだ確保しあらず本島付近に対し、挺身攻撃の至難なるべきに鑑み、決行お取り止め相成度」であった。
本書では、石油を中心に日米の格差を詳細な調べをもとに、「如何に日本が無謀な戦争に至ったのか」を理解しやすく客観的な視点で書かれていた良書である。
「太平洋戦争は、列強の圧力から避けられなかった戦争であった」などと頑なに発言している方たちへ一読を勧めたい本である。
2009年1月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は表題どおり『石油』という視点に基づいて細かい数字を挙げ日本必敗の太平洋戦争の通史を論じた書である。
率直にいって目新しいものはなかった。戦史については参考文献にあるとおり保阪正康や半藤一利、光人社などの著作からの寄せ集めである。
そういった知識を前提に石油という観点から新たな話がでてくるという期待をお持ちならおすすめできない内容である。
著者の意図が太平洋戦争の通史も読者に提供しながら石油問題を論じようとする意図ならあまり評価できない。
日本が戦争決意をした石油問題という点に着目して論じるのなら言い古された戦史にページを割くのではなく、徹頭徹尾石油の視点から論じてほしかったと思われる内容である。
戦史を知るという点では中途半端であり、参考文献にある書物をすでに読んでいる読者などには隔靴掻痒の感があり、石油という視点での新たな発見を得ようとするのにも無駄な戦史解説でその意を達成できない。
総じてあまりおすすめできない書である。
率直にいって目新しいものはなかった。戦史については参考文献にあるとおり保阪正康や半藤一利、光人社などの著作からの寄せ集めである。
そういった知識を前提に石油という観点から新たな話がでてくるという期待をお持ちならおすすめできない内容である。
著者の意図が太平洋戦争の通史も読者に提供しながら石油問題を論じようとする意図ならあまり評価できない。
日本が戦争決意をした石油問題という点に着目して論じるのなら言い古された戦史にページを割くのではなく、徹頭徹尾石油の視点から論じてほしかったと思われる内容である。
戦史を知るという点では中途半端であり、参考文献にある書物をすでに読んでいる読者などには隔靴掻痒の感があり、石油という視点での新たな発見を得ようとするのにも無駄な戦史解説でその意を達成できない。
総じてあまりおすすめできない書である。
2009年4月10日に日本でレビュー済み
この本では主に第二次世界大戦の開戦から敗戦までを石油資源戦略という側面から再検証していきます。
しかし、そこで描かれる「敗戦の構図」は歴史的普遍性があって今のこの経済的窮状に政治も行政も手を拱いてる日本の社会状況と非常に重なります。
軍の委託を受けた総力戦研究所による日米の彼我の経済力の分析によって既に開戦前に出されていた「日本完敗の警告」を軍部官僚が握りつぶして開戦に邁進し、願望を最優先した場当たり的な資源戦略の展開によって結局は全ての資源開発手段を失い、
1945年8月の敗戦受諾を仮にしていなくても数ヶ月後の本土決戦時には石油資源が完全に枯渇してしまって、日本人は丸裸で連合軍と戦闘し「玉砕」していたであろう…とあの戦争を結論付けている極めてクールな歴史観は今にもあてはまるのではないか?
今、政治や行政の上部では下部の悲鳴ともいえる窮状も冷静な状況分析による政策提言もその大半がイデオロギー的に・組織の利害的に都合が悪いと言うだけの理由で無視されている。
その結果として現在の貧困の蔓延があり、世界でも最大規模のGDPの落ち込みがある。そう考えると我々は戦中と同じように、腐敗した上部構造を意識させられないようにされつつ緩やかな死滅への道を歩まされているのではないか?
「大本営発表」の持っていた見た目の勇ましさや派手さをマスメディアが派手に特定の経済イデオロギー=新自由主義を喧伝することに置き換えれば、我々は意識しないでいる内に、経済崩壊の「銃後」を担わされて、破綻の再生産に突き進んでいるのではないか?
そういった空恐ろしい連想を現代と結びつけて行うことすら容易になる、そういう歴史的な教訓とそれに基づく現代への警句がこの本には詰まっています。
しかし、そこで描かれる「敗戦の構図」は歴史的普遍性があって今のこの経済的窮状に政治も行政も手を拱いてる日本の社会状況と非常に重なります。
軍の委託を受けた総力戦研究所による日米の彼我の経済力の分析によって既に開戦前に出されていた「日本完敗の警告」を軍部官僚が握りつぶして開戦に邁進し、願望を最優先した場当たり的な資源戦略の展開によって結局は全ての資源開発手段を失い、
1945年8月の敗戦受諾を仮にしていなくても数ヶ月後の本土決戦時には石油資源が完全に枯渇してしまって、日本人は丸裸で連合軍と戦闘し「玉砕」していたであろう…とあの戦争を結論付けている極めてクールな歴史観は今にもあてはまるのではないか?
今、政治や行政の上部では下部の悲鳴ともいえる窮状も冷静な状況分析による政策提言もその大半がイデオロギー的に・組織の利害的に都合が悪いと言うだけの理由で無視されている。
その結果として現在の貧困の蔓延があり、世界でも最大規模のGDPの落ち込みがある。そう考えると我々は戦中と同じように、腐敗した上部構造を意識させられないようにされつつ緩やかな死滅への道を歩まされているのではないか?
「大本営発表」の持っていた見た目の勇ましさや派手さをマスメディアが派手に特定の経済イデオロギー=新自由主義を喧伝することに置き換えれば、我々は意識しないでいる内に、経済崩壊の「銃後」を担わされて、破綻の再生産に突き進んでいるのではないか?
そういった空恐ろしい連想を現代と結びつけて行うことすら容易になる、そういう歴史的な教訓とそれに基づく現代への警句がこの本には詰まっています。