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本と映画と「70年」を語ろう (朝日新書 110) 新書 – 2008/5/13
かたや民族派・新右翼の論客「鈴木邦男」、かたや新左翼取材で逮捕経験のある元朝日ジャーナル記者の文芸評論家「川本三郎」。同じ時代を駆け抜けてきた両者が、互いの70年代の青春を総括し、テロリスト、革命、戦争など、さまざまなキーワードをもとに、映画や文学を中心に語り合う。前代未聞の異色対談集。
- 本の長さ253ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2008/5/13
- ISBN-104022732105
- ISBN-13978-4022732101
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2008/5/13)
- 発売日 : 2008/5/13
- 言語 : 日本語
- 新書 : 253ページ
- ISBN-10 : 4022732105
- ISBN-13 : 978-4022732101
- Amazon 売れ筋ランキング: - 405,779位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,016位朝日新書
- - 70,749位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あの熱き政治の年代を相異なる立場で生きたふたりの人物が対談するのだから、
面白くないわけがない。
すでに逝去するか、あるいは世間から消えるように去って行ったかつての同志たち
に対してふたりが感ずる「うしろめたさ」も、それはそうだろうと理解できる。
だが、「名前のない、無名の全共闘の学生だとか、そういう人たちに対する《申し訳
なさ》みたいなものは原罪としてありましたね」と川本氏が語るのであれば、なぜ罪
なくして惨殺された若者を悼むことばがひとつもないのだろう。まさか自衛隊員で
あることが殺されても当然である理由になるなどと思っているわけではあるまいに。
嶋中事件や三島事件など、戦後の出来事について蒙をひらかれる点も多々あって
読み応えのある書物だと思う(これは鈴木氏に負うところが大きい)。しかし川本氏
のいう「原罪」とはなんであるのか、そこだけは最後までわからなかった。
面白くないわけがない。
すでに逝去するか、あるいは世間から消えるように去って行ったかつての同志たち
に対してふたりが感ずる「うしろめたさ」も、それはそうだろうと理解できる。
だが、「名前のない、無名の全共闘の学生だとか、そういう人たちに対する《申し訳
なさ》みたいなものは原罪としてありましたね」と川本氏が語るのであれば、なぜ罪
なくして惨殺された若者を悼むことばがひとつもないのだろう。まさか自衛隊員で
あることが殺されても当然である理由になるなどと思っているわけではあるまいに。
嶋中事件や三島事件など、戦後の出来事について蒙をひらかれる点も多々あって
読み応えのある書物だと思う(これは鈴木氏に負うところが大きい)。しかし川本氏
のいう「原罪」とはなんであるのか、そこだけは最後までわからなかった。
2014年3月26日に日本でレビュー済み
「寛容な右翼」鈴木邦男氏と「心情左翼」川本三郎氏の蘊蓄を傾けた対談本である。鈴木氏から持ちかけ、川本氏は迷いながら応じたと「あとがき」にある。鈴木氏は「自分は右翼という原罪を抱えている」と言う。氏の「肩書」が相手を極度に警戒させるらしい。二人の蛮勇がこの試みを成功させた。その余波で読者の私も清涼感が味わえる。
出版時、二人は一歳違いの60代前半、ともに刑事被告人として拘留され、ともに新聞社をクビになった履歴を持つ。川本氏はその苦い体験を『マイ・バック・ページ』(1988)という本にまとめ、映画化もされた(2011)。鈴木氏にとってそれは「ハクがつく」出来事だったはずだが、二人とも若さゆえの「未熟さ」と反省する。現在の二人の地についた活動への自信がそう言わせるのだろう。
「70年」は全く逆の立場にあった二人だが、共通に感じるのが「後ろめたさ」だという。川本氏は学生たちが戦う現場にいながら、ジャーナリストとしての「安全地帯」が確保されていたことに、鈴木氏は三島由紀夫や森田必勝に置き去りにされたことに。それを踏まえつつ日本人の奥底にある「申し訳ないという気持ち(贖罪意識)」に踏み込んで行く。左翼も右翼ともに有するこの心情が、右翼には「礎」となり、左翼には「呪縛」となったと読める。
試みに数えてみたが、博覧強記の二人がこの小冊で取り上げる映画は82本、雑誌を除いた単行本は46冊に及ぶ。前述のように理論よりも情緒に傾く心性ゆえか、二人が観たり読んだりしてきた映画や本には驚く程の共通性がある。その多様さにも感心する。川本氏は映画評論家だから当然とも言えるが、鈴木氏は多忙な活動の合間にどうやってこの量をこなしたのだろう。これだけの「教養」を貪る知識人の鈴木氏だから、ポピュリズム政権のお先棒を担いで鼻高々の「ネトウヨ」や「反動ジャーナリズム」から距離を置かざるを得ないのだろうと察せられる。
勿論二人の意見が大いに異なる点もある。それは死生観で、極言すれば常に「死に場所」を求める鈴木氏と、無様で良いからあくまで「生き場所」を求めたい川本氏との差である。どのみち人間は死を免れないが、どちらが優れた生き様かは判らない。私は臆病だから、殺す殺されるの両方だけは絶対に厭だ。鈴木氏は、右翼は左翼と違い、人を殺した後は「自決して責任を取る」あるいは「従容として縛に就き、出所後はひたすら相手を弔う」というが、それは信条で、「赤報隊」や「東アジア反日武装戦線」など右左の区別なく、今も隠れている者もいる。この辺は思想の違いより人間性の違いだろう。 かつては「直接行動」に傾いて鈴木氏だが、「右翼には大衆活動がない」「右翼は言論の場を活かしていない」として、今は積極的にその代弁者たらんとしている。それが誤解され裏切り者呼ばわりされることもあるようだ。陰惨な「内ゲバ」だ。御健闘をお祈りする。
映画好きな私だが、本書に取り上げられた映画の半数も観ていない。これから随時DVD等で、二人の感動の追体験をしたいと思う。
【追補】本書で取り上げられた映画と本(出現順)
映画
『マイ・バック・ページ』(11)、『リンダ・リンダ・リンダ』(86)、『天然コケッコー』、『パルチザン前史』(69)、『キューバの恋人』、『狭山の黒い雨』(73)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(03)、『クアトロ・ディアス』(97)、『アルジェの戦い』(66)、『五人の斥候兵』(28)、『キスカ』(65)、『人間魚雷回天』(55)、『ひめゆりの塔』(53)、『ひろしま』(53)、『陸軍』(44)、『きけ、わだつみの声』(50)、『大脱走』(63)、『父親たちの星条旗』(06)、『硫黄島からの手紙』(06)、『傷だらけの人生』(71)、『二十四の瞳』(54)、『拝啓天皇陛下様』(63)、『戦場に架ける橋2』(89)、『サウンド・オブ・ミュージック』(65)、『硫黄島の砂』(49)、『慕情』(55)、『太陽の帝国』(87)、『サラエボの花』(06)、『二人の瞳』(52)、『クオ・ヴァディス』(51)、『夏子の冒険』(53)、『燃える大平原』(60)、『許されざる者』(59)、『折れた矢』(50)、『アパッチ』(54)、『シェーン』(53)、『荒野の決闘』(46)、『陸軍中野学校』(66)、『実録・連合赤軍』(08)、『突入せよ!あさま山荘事件』(02)、『光の雨』(01)、『東京物語』(53)、『風の中の雌鶏』(48)、『乱れる』(64)、『乱れ雲』(67)、『おかあさん』(52)、『有がとうさん』(36)、『流れる』(56)、『椿三十郎』(62)、『靖国 YASUKUNI』(08)、『太陽』(05)、『MISHIMA』(85)、『ロンゲスト・ヤード』(74)、『パッチギ2』(07)、『母べえ』(07)、『明日への遺言』(07)、『ヒロシマナガサキ』(07)、『敵国日本』、『スミス都へ行く』(39)、『風と共に去りぬ』(39)、『ファンタジア』(40)、『ALWAYS 三丁目の夕日』(05)、『隠し砦の三悪人』(58)、『用心棒』(61)、『三丁目の夕日2』、『スパイ・ゾルゲ』(03)、『サン・ソレイユ』(82)、『ゴッドファーザーpart2』(74)、『憂国』(66)、『人斬り』(69)、『からっ風野郎』(60)、『賭博打ち・総長賭博』(68)、『雑兵物語』(63)、『ひとり狼』(68)、『モレク神』(99)、『牡牛座』(01)、『明治天皇と日露大戦争』(57)、『日本で一番長い日』(67)、『クイーン』(06)、『裸の銃を持つ男』(88)、『日本暗殺秘録』(69)、『腹腹時計』(99) 計82本
書籍
川本三郎『マイ・バック・ページ』(88)、滝田修『ならず者暴力宣言』(74)、滝田修『只今潜行中』(74)、滝田修『昔の名前ででています』(82)、滝田修『滝田修解体』(89)、ドストエフスキー『悪霊』、山本義隆『磁力と重力の発見』(03)、川本三郎『林芙美子の昭和』(03)、野呂邦遙暢『戦争文学試論』(02)、梅崎春生『桜島』、東京大学協同組合出版部『きけわだつみの声』(47)、佐藤忠男『草の根の軍国主義』(07)、佐多稲子『時に佇つ』(76)、ティム・オブライエン/村上春樹訳『本当の戦争の話をしよう』(90)、大岡昇平『野火』(54)、京須偕光『戦後10年 東京の下町』(07)、司馬遼太郎『竜馬が行く』(63-66)、高橋和己『憂鬱なる党派』(65)、柴田翔『されど我らが日々−』(64)、奥浩平『青春の墓標』(65)、広瀬隆『ジョン・ウエインはなぜ死んだか』(82)、子母沢寛『新撰組始末記』(28)、早乙女貢『会津士魂』(85-88)、林芙美子『河沙魚』(47)、川本三郎『荷風と東京』(96)、林芙美子『放浪記』、小林信彦『一少年の見た<聖戦>』(98)、高峰秀子『わたしの渡世日記』、『大草原の丸太小屋(小さな家)』、安倍晋三『美しい国へ』、金谷武洋『日本語に主語はいらない』(02)、岩波書房『広辞苑第六版』、深沢七郎『風流夢譚』(60)、杉山隆男『「兵士」になれなかった三島由紀夫』(10)、三島由紀夫『金閣寺』、三島由紀夫『仮面の告白』。三島由紀夫『豊穣の海』、マーク・ゲイン『ニッポン日記』、原武史『大正天皇』、川本三郎『大正幻影』、荒原朴水『大右翼史』(74)、沢木耕太郎『テロルの決算』(79)、大江健三郎『セブンティーン』、大江健三郎『政治少年死す』、三島由紀夫/林房雄『日本人論』、鈴木邦男『愛国者の座標軸』 計46冊
出版時、二人は一歳違いの60代前半、ともに刑事被告人として拘留され、ともに新聞社をクビになった履歴を持つ。川本氏はその苦い体験を『マイ・バック・ページ』(1988)という本にまとめ、映画化もされた(2011)。鈴木氏にとってそれは「ハクがつく」出来事だったはずだが、二人とも若さゆえの「未熟さ」と反省する。現在の二人の地についた活動への自信がそう言わせるのだろう。
「70年」は全く逆の立場にあった二人だが、共通に感じるのが「後ろめたさ」だという。川本氏は学生たちが戦う現場にいながら、ジャーナリストとしての「安全地帯」が確保されていたことに、鈴木氏は三島由紀夫や森田必勝に置き去りにされたことに。それを踏まえつつ日本人の奥底にある「申し訳ないという気持ち(贖罪意識)」に踏み込んで行く。左翼も右翼ともに有するこの心情が、右翼には「礎」となり、左翼には「呪縛」となったと読める。
試みに数えてみたが、博覧強記の二人がこの小冊で取り上げる映画は82本、雑誌を除いた単行本は46冊に及ぶ。前述のように理論よりも情緒に傾く心性ゆえか、二人が観たり読んだりしてきた映画や本には驚く程の共通性がある。その多様さにも感心する。川本氏は映画評論家だから当然とも言えるが、鈴木氏は多忙な活動の合間にどうやってこの量をこなしたのだろう。これだけの「教養」を貪る知識人の鈴木氏だから、ポピュリズム政権のお先棒を担いで鼻高々の「ネトウヨ」や「反動ジャーナリズム」から距離を置かざるを得ないのだろうと察せられる。
勿論二人の意見が大いに異なる点もある。それは死生観で、極言すれば常に「死に場所」を求める鈴木氏と、無様で良いからあくまで「生き場所」を求めたい川本氏との差である。どのみち人間は死を免れないが、どちらが優れた生き様かは判らない。私は臆病だから、殺す殺されるの両方だけは絶対に厭だ。鈴木氏は、右翼は左翼と違い、人を殺した後は「自決して責任を取る」あるいは「従容として縛に就き、出所後はひたすら相手を弔う」というが、それは信条で、「赤報隊」や「東アジア反日武装戦線」など右左の区別なく、今も隠れている者もいる。この辺は思想の違いより人間性の違いだろう。 かつては「直接行動」に傾いて鈴木氏だが、「右翼には大衆活動がない」「右翼は言論の場を活かしていない」として、今は積極的にその代弁者たらんとしている。それが誤解され裏切り者呼ばわりされることもあるようだ。陰惨な「内ゲバ」だ。御健闘をお祈りする。
映画好きな私だが、本書に取り上げられた映画の半数も観ていない。これから随時DVD等で、二人の感動の追体験をしたいと思う。
【追補】本書で取り上げられた映画と本(出現順)
映画
『マイ・バック・ページ』(11)、『リンダ・リンダ・リンダ』(86)、『天然コケッコー』、『パルチザン前史』(69)、『キューバの恋人』、『狭山の黒い雨』(73)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(03)、『クアトロ・ディアス』(97)、『アルジェの戦い』(66)、『五人の斥候兵』(28)、『キスカ』(65)、『人間魚雷回天』(55)、『ひめゆりの塔』(53)、『ひろしま』(53)、『陸軍』(44)、『きけ、わだつみの声』(50)、『大脱走』(63)、『父親たちの星条旗』(06)、『硫黄島からの手紙』(06)、『傷だらけの人生』(71)、『二十四の瞳』(54)、『拝啓天皇陛下様』(63)、『戦場に架ける橋2』(89)、『サウンド・オブ・ミュージック』(65)、『硫黄島の砂』(49)、『慕情』(55)、『太陽の帝国』(87)、『サラエボの花』(06)、『二人の瞳』(52)、『クオ・ヴァディス』(51)、『夏子の冒険』(53)、『燃える大平原』(60)、『許されざる者』(59)、『折れた矢』(50)、『アパッチ』(54)、『シェーン』(53)、『荒野の決闘』(46)、『陸軍中野学校』(66)、『実録・連合赤軍』(08)、『突入せよ!あさま山荘事件』(02)、『光の雨』(01)、『東京物語』(53)、『風の中の雌鶏』(48)、『乱れる』(64)、『乱れ雲』(67)、『おかあさん』(52)、『有がとうさん』(36)、『流れる』(56)、『椿三十郎』(62)、『靖国 YASUKUNI』(08)、『太陽』(05)、『MISHIMA』(85)、『ロンゲスト・ヤード』(74)、『パッチギ2』(07)、『母べえ』(07)、『明日への遺言』(07)、『ヒロシマナガサキ』(07)、『敵国日本』、『スミス都へ行く』(39)、『風と共に去りぬ』(39)、『ファンタジア』(40)、『ALWAYS 三丁目の夕日』(05)、『隠し砦の三悪人』(58)、『用心棒』(61)、『三丁目の夕日2』、『スパイ・ゾルゲ』(03)、『サン・ソレイユ』(82)、『ゴッドファーザーpart2』(74)、『憂国』(66)、『人斬り』(69)、『からっ風野郎』(60)、『賭博打ち・総長賭博』(68)、『雑兵物語』(63)、『ひとり狼』(68)、『モレク神』(99)、『牡牛座』(01)、『明治天皇と日露大戦争』(57)、『日本で一番長い日』(67)、『クイーン』(06)、『裸の銃を持つ男』(88)、『日本暗殺秘録』(69)、『腹腹時計』(99) 計82本
書籍
川本三郎『マイ・バック・ページ』(88)、滝田修『ならず者暴力宣言』(74)、滝田修『只今潜行中』(74)、滝田修『昔の名前ででています』(82)、滝田修『滝田修解体』(89)、ドストエフスキー『悪霊』、山本義隆『磁力と重力の発見』(03)、川本三郎『林芙美子の昭和』(03)、野呂邦遙暢『戦争文学試論』(02)、梅崎春生『桜島』、東京大学協同組合出版部『きけわだつみの声』(47)、佐藤忠男『草の根の軍国主義』(07)、佐多稲子『時に佇つ』(76)、ティム・オブライエン/村上春樹訳『本当の戦争の話をしよう』(90)、大岡昇平『野火』(54)、京須偕光『戦後10年 東京の下町』(07)、司馬遼太郎『竜馬が行く』(63-66)、高橋和己『憂鬱なる党派』(65)、柴田翔『されど我らが日々−』(64)、奥浩平『青春の墓標』(65)、広瀬隆『ジョン・ウエインはなぜ死んだか』(82)、子母沢寛『新撰組始末記』(28)、早乙女貢『会津士魂』(85-88)、林芙美子『河沙魚』(47)、川本三郎『荷風と東京』(96)、林芙美子『放浪記』、小林信彦『一少年の見た<聖戦>』(98)、高峰秀子『わたしの渡世日記』、『大草原の丸太小屋(小さな家)』、安倍晋三『美しい国へ』、金谷武洋『日本語に主語はいらない』(02)、岩波書房『広辞苑第六版』、深沢七郎『風流夢譚』(60)、杉山隆男『「兵士」になれなかった三島由紀夫』(10)、三島由紀夫『金閣寺』、三島由紀夫『仮面の告白』。三島由紀夫『豊穣の海』、マーク・ゲイン『ニッポン日記』、原武史『大正天皇』、川本三郎『大正幻影』、荒原朴水『大右翼史』(74)、沢木耕太郎『テロルの決算』(79)、大江健三郎『セブンティーン』、大江健三郎『政治少年死す』、三島由紀夫/林房雄『日本人論』、鈴木邦男『愛国者の座標軸』 計46冊
2008年6月8日に日本でレビュー済み
川本三郎×鈴木邦男……意外な取り合わせのようだが、実はほぼ同年齢。
ほとんど同じ時代を駆け抜けてきた。
鈴木邦男さんが「まえがき」で、「合わせ鏡のような二人」と書いている。
たしかに、天皇制、映画「靖国」、70年のテロ・文学・映画、三島由紀夫……
これらに同じように接してきて、二人の考えは微妙に違うようだが
実は非常に似通っている。
今や右翼からも攻撃を受けてしまう新右翼の論客・鈴木邦男さんは
私も非常に共感するところが多い。
彼の考えは、ここ10年、人間が劣化してきたのではないか、
というものだ。これは川本三郎氏の「昭和」へのこだわりと相通ずるものがある。
重いテーマを扱っているにもかかわらず、鈴木さんの明るい(?)語り口がいい。
それに川本氏が飄々と答える。
70年――それは「政治の時代」だったとも言える。
「怒りの時代」とも言えるだろう。
2人に共通する思いは、70年へのシンパシーと後ろめたさ。しかし暗くはない。
そしてリベラリズムだろう。対談は割と軽いタッチで進むが、
時折、それぞれのリベラルさが顔を覗かせる。
その間合いもいい。一気に読める対談である。
「なぜいま70年か――」そんなことを考えさせられる本だった。
ほとんど同じ時代を駆け抜けてきた。
鈴木邦男さんが「まえがき」で、「合わせ鏡のような二人」と書いている。
たしかに、天皇制、映画「靖国」、70年のテロ・文学・映画、三島由紀夫……
これらに同じように接してきて、二人の考えは微妙に違うようだが
実は非常に似通っている。
今や右翼からも攻撃を受けてしまう新右翼の論客・鈴木邦男さんは
私も非常に共感するところが多い。
彼の考えは、ここ10年、人間が劣化してきたのではないか、
というものだ。これは川本三郎氏の「昭和」へのこだわりと相通ずるものがある。
重いテーマを扱っているにもかかわらず、鈴木さんの明るい(?)語り口がいい。
それに川本氏が飄々と答える。
70年――それは「政治の時代」だったとも言える。
「怒りの時代」とも言えるだろう。
2人に共通する思いは、70年へのシンパシーと後ろめたさ。しかし暗くはない。
そしてリベラリズムだろう。対談は割と軽いタッチで進むが、
時折、それぞれのリベラルさが顔を覗かせる。
その間合いもいい。一気に読める対談である。
「なぜいま70年か――」そんなことを考えさせられる本だった。
2011年1月19日に日本でレビュー済み
「赤衛軍」自衛官刺殺事件の最大の謎は入隊2年の新兵でない自衛官がライフルで武装(実弾装填)して夜間歩哨中に大した抵抗もしないで「包丁」でポン大の学生・菊井に刺殺されたことだ。菊井は自衛官の制服で「変装」していたというが22歳の若造で自衛官は21歳。懐中電灯で顔を照らせば「上官」か否かは判別つく。「上官」なら敬礼すればよい。歩哨はまず「誰何」をする。少しでも怪しいなら銃を向ける。或いは呼子を吹く。発砲してもよい。威嚇でも射殺しても。テロリストは射殺される可能性が大きい。なんでそんなリスクを。第二の疑問は自衛官を殺害した菊井が「朝日ジャーナル」の川本三郎に接触。殺人容疑者と
知りながら自宅に招いて談笑している。川本の神経を疑う。奥さんは?もっと解らないのは強奪した自衛官の腕章(歩哨)を菊井が川本に渡しさらに解らないのは川本がそれを焼却したこと。犯行当時はいていたズボン(血がついた?)も処分している。川本は東大法学部卒である。自分が殺人事件の共犯と疑われる犯罪を犯したことを知らないはずがない。聞いた話では菊井に頼まれてアジビラまで執筆した。こうなると立派な共犯だ。菊井は意図的に川本を殺人事件に捲き込んだのである。川本もなんでそこまで踏み込んだのか?東大法学部卒の27歳。朝日新聞社員。はっきりいって「正気の沙汰」ではない。殺人の共犯に等しい。よく実刑を免れたもんだ。現在は立教大学の先生だと。自衛官の遺族は納得できないだろ。
知りながら自宅に招いて談笑している。川本の神経を疑う。奥さんは?もっと解らないのは強奪した自衛官の腕章(歩哨)を菊井が川本に渡しさらに解らないのは川本がそれを焼却したこと。犯行当時はいていたズボン(血がついた?)も処分している。川本は東大法学部卒である。自分が殺人事件の共犯と疑われる犯罪を犯したことを知らないはずがない。聞いた話では菊井に頼まれてアジビラまで執筆した。こうなると立派な共犯だ。菊井は意図的に川本を殺人事件に捲き込んだのである。川本もなんでそこまで踏み込んだのか?東大法学部卒の27歳。朝日新聞社員。はっきりいって「正気の沙汰」ではない。殺人の共犯に等しい。よく実刑を免れたもんだ。現在は立教大学の先生だと。自衛官の遺族は納得できないだろ。
2008年5月20日に日本でレビュー済み
川本三郎と鈴木邦男、一見あまり接点があるとは思えない両者だが、方や「朝日」、方や「産経」の新聞記者上がりで、それぞれに“ある思想的事件”に関与し、社を追われた、実はかって同じ“経歴”を持つふたりが、自らの事件、生き様の変遷と、影響を受けた映画や本、思想、社会について語る。川本が「朝日」を解雇され、映画評論の道を歩み始めた頃の、自己の心情吐露と社会の落伍者たちへのシンパシー溢れる映画評に共感したり、武闘派右翼の一水会代表でありながら、著作「腹腹時計と狼」等で新左翼への理解を示した発言を繰り返していた鈴木に、当時興味を持った者にとっては、懐かしさも手伝って、一気に読む事が出来た。
どちらかと言えば、この企画を持込んだ鈴木がリードする形で対談は進んでいくが、タイトルにも謳われている70年代の話が、それぞれの幼少期であった50年代へと移行していくのが、ちょっと痛い。三島由紀夫や楯の会、山本義隆、滝田修と言った左右両陣営の伝説の人物たちの当時の逸話と今についても語られている。国家よりも街、個人。どんなにブザマであっても、かっこよく死ぬよりは生き続ける事が大事と言う川本。手段としてのテロ、暴力は肯定するが、潜行したり逃げ回ったりする左翼は卑怯、右翼はやった事に対して責任を取ると言う鈴木。両者の考えの違いはいかにも、と思えるが、映画「靖国」への言及や、天皇、言論テロに対する鈴木の発言は、相変わらずリベラルそのものだ。
そして、川本が語る70年代半ばからの10年間の活動家たちの喪失と再生の物語、是非読んでみたいと思う。
どちらかと言えば、この企画を持込んだ鈴木がリードする形で対談は進んでいくが、タイトルにも謳われている70年代の話が、それぞれの幼少期であった50年代へと移行していくのが、ちょっと痛い。三島由紀夫や楯の会、山本義隆、滝田修と言った左右両陣営の伝説の人物たちの当時の逸話と今についても語られている。国家よりも街、個人。どんなにブザマであっても、かっこよく死ぬよりは生き続ける事が大事と言う川本。手段としてのテロ、暴力は肯定するが、潜行したり逃げ回ったりする左翼は卑怯、右翼はやった事に対して責任を取ると言う鈴木。両者の考えの違いはいかにも、と思えるが、映画「靖国」への言及や、天皇、言論テロに対する鈴木の発言は、相変わらずリベラルそのものだ。
そして、川本が語る70年代半ばからの10年間の活動家たちの喪失と再生の物語、是非読んでみたいと思う。