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発売元 G&Sブックス
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新書594 丘の上のバカ (朝日新書) 新書 – 2016/11/11

4.2 5つ星のうち4.2 33個の評価

人間はろくでもない。ここをきちんと認めているからこそ民主主義はすごいし、ぼくらに必要なんだ。ギリシャから現代まで試行錯誤してきた民主主義についての決定版。朝日新聞論壇時評、紀行文など危機の時代を見通すエッセイ20。10万部突破ベストセラーの続編!
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 朝日新聞出版 (2016/11/11)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/11/11
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 256ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4022736941
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022736949
  • 寸法 ‏ : ‎ 17.2 x 10.7 x 1.25 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 33個の評価

著者について

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高橋 源一郎
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1951年、広島県生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作を受賞しデビュー。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、02年、『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞を受賞。著書に『いつかソウル・トレインに乗る日まで』『一億三千万人のための小説教室』『ニッポンの小説―百年の孤独』他多数ある。10年5月には、『「悪」と戦う』も刊行された。

カスタマーレビュー

星5つ中4.2つ
5つのうち4.2つ
33グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年7月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
民主主義の移り変わりを書いた本です
近代の民主主義も作品の中にあるビートルズの丘の上のモデルとなったとされている方(作品をご覧ください)のように
多様性や柔軟性があるとより良いものとなるのではないかと感じました
昨今種の多様性は重視されていますが人間の多様性が少なくなってきている風潮に作者は民主主義の硬直を感じているのかも知れません
社会主義より民主主義へ上手く移行出来た国の例が書かれていますが
恐らく「過剰な監視」「過剰な干渉」が少なくなった事が国民の硬直をほぐし上手く移行出来たのだと読み取れます

国民の硬直はイノベーションを阻害し民主主義を標榜しさらに資本主義を標榜する国にとって経済を縮小させ国家としても利益が少ないものとなります つまり過剰な干渉や監視は一見管理し易い様に見えるが長期的に見ると破綻するという事が多いという事も歴史的事実です

何に置いても柔軟性が大切だと感じる作品です
2016年11月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 高橋さんの「愛読者」ですが、いつものように、いろいろ引っかかりました。

「通りすぎる人々」
 高橋さんはかつて、投票に行かなかった。でも今は「いい子」になって投票に行く。その理由も説明できる。でも、高橋さんの中には常に、黙って棄権する「彼ら」がいて、高橋さんを見つめているのだそうだ。
 分かりました。でもやはり、なぜ投票に行くようになった自分のことをカッコつきで「いい子」と呼ぶのか、そして「彼ら」の視線を抱え込みながらも、なぜ投票に行くのかを説明すべきだったと思います。

「オバマさんのことば」
 オバマさんの広島スピーチでは、Weが多用されていて、Iはほぼ登場しないに等しい。で、高橋さんが拘るのは、オバマさんがIという自分の責任において語っていない、という点ではない。Weが招きよせる共同性が、必ず排除を帰結するという点に苛立っている。
 そこで高橋さんが持ち出すのが、ブランショの『明かしえぬ共同体』。「『民主主義』の根底には、この、自分以外のだれかのために無言で立ち続ける『人びと』がいる。彼らは、決して『私たち』とはいわないのである」
 私ねぇ~、このイメージは美しいと思いますよ。文学の側から政治を批判している、とまとめてもいいかもしれません。でもね、こんな美しいイメージで政治を語るのはズルいんじゃないか、という疑問が私にはあります。
 高橋さんの文章は、この論壇時評でさえ、詩に近い……いや違った、高橋さんの言葉は詩ではなく、詩の解説なんだと思う。
詩じゃなくて、詩の解説。この差は大きい。
 詩だったら、私は文句を言わなかった。でもこれは論壇時評という形式を借りた詩の解説であって、それは紙一重でズルいことのように思うんですよ。
分かってもらえるかな?

「もっと『速さ』を」
 鶴見俊輔さんの言葉は「速い」。それは鶴見さんが「どこかにある正しい回答」を探しているのではないからだ。鶴見さんの中に、回答があるからだ。そこに高橋さんは「知性」を感じる。
 私はこの話が好きだ。でも、「速さ」だけが知性でないことは確認しておきたいですね。
 鶴見さんがその「速さ」を獲得するまでに、間違いなく「遅い」思考を経ているはずだ。そうでなければ、「速さ」を獲得することはできない。
 「遅い」思考だって大事なんです。高橋さんの文章は感動的だけど、その感動によって、「遅さ」の大切さを覆い隠してしまう恐れがあるように思います。
 ついでに言えば、私は「感動的な」文章に出会うと、必ず眉に唾をつけます。

「死者と生きる未来」
 これは、高橋源一郎が折に触れて「書きたい」と漏らしていた、あの時代についての小説ではないかと思った。

「丘の上のバカ」
 感動的な民主主義論。よって保留。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『ぼくらの民主主義なんだぜ』の第二弾とのことです。

第一弾が、朝日新聞の「論談時評」を4年分48回を納めていま
したが、今回の「論談時評」は連載終了までの1年分12回とな
ります。
その他は、2011年以降に政治・社会について書かれたものを
集めたとしています。

前著の「論談時評」は4年分と纏まっていたので、時代のうね
りを感じさせる迫力がありました。
今回は1年分と少ないため、新聞連載の原稿の短さもあり、か
なりあっさりとした印象を受けました。

従いまして今回の読み所は、「政治・社会について書かれた」
その他のものとなります。

特に印象的な内容は、戦争に反対する個人的な理由であり、
オバマ大統領の広島演説における「私」の不在と「私たち」
の多発に対する違和感であり、美智子妃のことばを好きな作
家の新作を待ち望むように読むであり、鶴見俊輔の回答の速
さに知性を見るであり、民主制の根底にアマチュアリズムを
見出だすとなります。

「論談時評」も含めて全てに共通しているのは、断言したり、
レッテルを貼ったりすることを嫌う著者の、繊細な感受性に
より掬い上げられた、政治的社会的な事例ということになり
ます。

民主主義を成功させる為には、人々にこの稀有な感受性が必要
となりますが、それはまた、ひどく困難な道程に思われました。
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年9月23日に日本でレビュー済み
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本書で扱われているテーマは多岐に渡るが、どの問題についても「断定をしないこと」を貫いているように感じた。

「断定をしないこと」とは、「あなたも正しいかもしれないし、私も正しいかもしれない」「あなたも間違っているかもしれないし、私も間違っているかもしれない」の世界だ。たとえば、高橋さんは政治的には左派だが、安倍首相や百田尚樹さんのことを完全には否定しない。

「そして、予想したように、わたしは、安倍さん(とお友だち)のことばにムカついたりはしなかった。「いい人」たちだと思った。責めてはいけないと思った。強いていうなら、あまりにも単純すぎるんじゃないかと思ったけれど、それは悪いことじゃない。わたしだって、時々、複雑なものに疲れるのだ。」
(p.112より引用)

上記は、安倍首相と安倍首相に近い人たちの著書を通読した高橋さんの感想である。

政治は、「あなたは正しい」「あなたは間違っている」と言い合う世界だ。高橋さんは「あなたは間違っている」という言葉を使わないで、政治的な言葉を紡いでいる。それは、少数者や「境界を生きる者」に寄り添う姿勢で可能になっている。

「境界を生きる者」とは、たとえば難民や移民のことだ。文字通りの難民や移民の場合もあるが、「LIVE! LOVE! SING!」という映画に出てくる福島で被災して神戸の女子高に通う女の子のことも「難民」と言ってよいのではないかと高橋さんは言う。

「故郷を失い、さまよい続ける彼女もまた、「難民」のひとりと呼んでいいだろう。世界にはいま「難民」が溢れ、彼らの受け入れをめぐって世界は厳しい分裂に直面している。そして、わたしたちの国は「難民」に冷たいという。だが、「外」だけでなく、わたしたちの中にも「難民」はいる、とこの映画は教えてくれるのである。」
(pp.62-63.から引用)

文学とは「最初から最後まで、その対象と共感しようとする試み」(p.110.)であるという高橋さんの話も本書にはあった。文学者的なアプローチで少数者に寄り添う文章に感動する。

僕も実は、高橋さんと近い立場だ。政治的にはリベラルでありたいが、右派のことを否定しきることはできないし、左派にも悪い所があると思っている。そして、少数者や「境界を生きる者」に寄り添いたいのだ。なぜなら、自分も少数者であり、「境界を生きる者」であるからだ。

統合失調症による精神障害を抱え、Xジェンダーのため精神的に男性にも女性にもなりきれない。正気と狂気の狭間、男性と女性の狭間にいる僕は、少数者であり、「境界を生きる者」だ。僕みたいな少数者が安心して暮らせる平和な世界を僕は望んでいる。

あなたも今は多数者かもしれないが、なんらかの側面から見たら少数者だし、将来、ケガや病気で少数者になるかもしれない。誰だって「弱者」になりうるんだ。過度の自己責任論はやがて自分の首を絞めることになりかねないと思う。それに、少数者が暮らしやすい世界は、多数者にとっても暮らしやすいはずだ。

多数決だけではなく、少数者の意見も取り入れるのが、あるべき民主主義だと僕は思う。

本書に書かれていたことだが、民主主義が始まったのは、今から約2500年前の古代ギリシアのアテナイだった。その時は男子市民のみ政治に参加していた。奴隷がいなく、女性が参加できる分、今日の民主主義のシステムは優れていると僕は信じたい。

しかし、民主主義のシステムに魂を吹き込むことができるのは、一人一人の民衆だ。一人一人が政治と社会に向き合うべきだと思う。それこそ、男子市民が全員参加で物事を決めていたアテナイの民主主義のように。

議論する時も「あなたは間違っている」と断定しきらないことが大事だと思う。「あなたも正しいが私も正しい」の姿勢によって、豊かな議論が成り立つはずだ。そうして、お互いの正しさを持ち寄って政治を行う時に、少数者の意見を取り込んだ民主主義は成り立つのだと思う。

あるいは、「私はバカだから、あなたに教えてほしい」と相手に懇願することによって豊かな議論は可能になるのかもしれない。本書のタイトル「丘の上のバカ」とは、プニュクスの丘の上に集まったアテナイ市民のことを指す。専門的な知識もない、政治的にアマチュアの彼らには、可能性の灯が灯っていた。

高橋さんの政治について語る言葉の手つきに感動できる良書です。様々なことを考えるきっかけを得ることができました。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年4月3日に日本でレビュー済み
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『僕らの民主主義なんだぜ』と合わせて買い、読みました。平易な言葉で書かれていながら、深く鋭い問いがある。読み飛ばせない本だと思っています。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年5月23日に日本でレビュー済み
(備忘録として)スーザン・ソンタグ、ハンナ・アーレント、太宰治、鶴見俊輔。「私たち」と「わたし」。
2017年3月16日に日本でレビュー済み
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平易な文章で、肩肘張らずに難しいことを考えることにできる本である。だまされない、疑ってかかる、という精神を失わないように生きていたい。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2017年1月26日に日本でレビュー済み
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民主主義を擁護する人はよく、古代ギリシャを一つの理想として語る。多数の市民が丘の上に集まり、重要な政治問題について熱心に議論する。無関心層の多い現代とは大違いというわけだ。しかしそんな社会が本当にすばらしいだろうか。

本書の引用によれば、アテネの政治家ソロンは、国内での争いに加わらず武器をとらない者は「無関心」だとして処罰した。著者は「『公』への無関心」を罰したと評価するが、暴力を好まぬ穏やかな人間を罰するとは野蛮もいいところだ。

政治に無関心な現代日本人と違い、ギリシャ市民は「公」の仕事にいそしんだ。議会や裁判員の務めはもちろん、戦争に備え普段から体育場で身体を鍛錬した。作家の著者は、読書や思索の時間をそんなことに奪われて平気なのだろうか。

ギリシャ市民はときに、公務に一年間は忙殺されたという。それでよく日常生活が送れたものだと、現代人は不思議に思うだろう。だがそれは心配ない。市民権を持つ成年男子は人口の一部にすぎず、生産活動は奴隷にやらせていたからだ。

著者は敬意を込め、ギリシャ市民を「丘の上のバカ」と呼ぶ。ところがそのバカたちは「愚かな意見」を怒りの声で退けたという。きっとその本当のバカはこう言ったのだろう。「なぜ決める必要がある? 各自で自由にやればいいだろう」
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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