はなから、普通の人生ではなかっだだろうな…と想像していましたが、それ以上にかなりすさまじかったです。
全般にわたってユーモアあふれる書きっぷりなんですよ。でもそのために、哀しさ、怒り、苦悩、虚無感など、麿さんの根底にあるいろんな思いの渦について、むしろ想像をかきたてられてしまいました。
こういう人をダンナさんに持ったら、とことん苦労しなくてはならないでしょうね。
でも、誰よりも幸せでしょうね。
表現者とは、かくもつきつめなければならないものなのか。表現者は商売、いわゆる「生きるために稼ぐ」なんて視点では全くなく、それどころか命がけなんだと思い知りました。
特に最後、東日本大震災にからめて書かれた部分から、麿さんの舞踏という芸術に対する思いがひしひしと伝わってきました。
…あ、何度もくどいようですが、決して暗い本ではないですよ。むしろ喜劇、とも読めますから。
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怪男児 麿赤兒がゆく 憂き世 戯れて候ふ 単行本 – 2011/10/7
麿 赤兒
(著)
体を白塗りする異形な舞台で人気の「舞踏」の第一人者が、初めて書いた熱血的自伝。唐十郎との出会いで状況劇場の人気役者となり、舞踏の大駱駝艦を立ち上げた。その芸術表現は世界に認められている。アングラの時代が熱く描かれる。
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2011/10/7
- ISBN-104023309818
- ISBN-13978-4023309814
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登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2011/10/7)
- 発売日 : 2011/10/7
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 264ページ
- ISBN-10 : 4023309818
- ISBN-13 : 978-4023309814
- Amazon 売れ筋ランキング: - 900,239位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 81,908位エンターテイメント (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2012年2月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2011年10月28日に日本でレビュー済み
世界的舞踏家 麿赤兒の破天荒にして面白く、そしてちょいとカナちい青春時代にジンワリ共感してしまいます。唐十郎、土方巽、李麗仙、三島由紀夫、埴谷雄高、他、他、他。登場人物を書き並べるだけで、あの時代の混沌がこの本に凝縮されていたことを感じていただけるかと。こんな時代だからこそ、怪人麿のパワーを世界遺産に!
2011年11月4日に日本でレビュー済み
この類の本はとかく中だるみがあるのだけど,これは途中のトイレ中断を挟んで一気に読んでしまい(読まされてしまい),目がしょぼしょぼになってしまった。15年前から書き溜めておられた由,後段で省かれた約20年間?についての続編を期待。
2020年12月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
麿という方は鈴木清順の映画で初めて知った男優である。但し、麿の本職は舞踏家だった
ということが本書を読んで良く解った。読み始めると止まらなかった。
本書を読むと1970年代頃の時代が綺麗に立ち昇ってくる。寺山修司、唐十郎等といった
既に鬼籍に入られた方々の無類のエネルギーが伝わってくる。彼ら自身がエネルギッシュ
であったことは間違いなかろうが、なにより時代が彼らにエネルギーを与えていたことも
良く読み取れる。時代と芸術家の間で正のスパイラルが形成されたことが、滅茶苦茶な
人間像を描き出す本書の清涼感となっている。振り返って現在はどうなのか。芸術の
どれだけの力があるのか。覚束ない気もしないでもない。
それにしても麿の文章は人たらしとしか言いようがない。文章の力というものの存在の
一つの確固たる証拠が本書である。麿は偽悪的に自分と時代を描き出しているが、
その中から立ち昇るある種の「無邪気さ」が魅力である。司馬遼太郎の言葉を借りるならば
「坂の上の雲を目指して無邪気に歩いていく」麿の姿が見えてくる。
ということが本書を読んで良く解った。読み始めると止まらなかった。
本書を読むと1970年代頃の時代が綺麗に立ち昇ってくる。寺山修司、唐十郎等といった
既に鬼籍に入られた方々の無類のエネルギーが伝わってくる。彼ら自身がエネルギッシュ
であったことは間違いなかろうが、なにより時代が彼らにエネルギーを与えていたことも
良く読み取れる。時代と芸術家の間で正のスパイラルが形成されたことが、滅茶苦茶な
人間像を描き出す本書の清涼感となっている。振り返って現在はどうなのか。芸術の
どれだけの力があるのか。覚束ない気もしないでもない。
それにしても麿の文章は人たらしとしか言いようがない。文章の力というものの存在の
一つの確固たる証拠が本書である。麿は偽悪的に自分と時代を描き出しているが、
その中から立ち昇るある種の「無邪気さ」が魅力である。司馬遼太郎の言葉を借りるならば
「坂の上の雲を目指して無邪気に歩いていく」麿の姿が見えてくる。