岡田資という軍人を、世に知らしめたという点で、この本には大きな価値がある。
しかし、論調として、「アメリカの無差別爆撃も許されないが日本も中国で無差別爆撃してた」みたいなのが気になる。
もっとも、戦時国際法の問題は、軍事目標主義や交戦者資格など難しい問題を内包しているから、大岡さんが、こういう風邪に即断してしまうのも仕方ない。ただ、軍事目標と被戦闘員居留区の判断を明瞭にしなかった重慶と、日本の無差別爆撃の対象となった都市を同一に論ずることはできない。
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ながい旅 (角川文庫 お 1-2) 文庫 – 2007/12/1
大岡 昇平
(著)
- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社角川書店
- 発売日2007/12/1
- ISBN-104041211085
- ISBN-13978-4041211083
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登録情報
- 出版社 : 角川書店 (2007/12/1)
- 発売日 : 2007/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 333ページ
- ISBN-10 : 4041211085
- ISBN-13 : 978-4041211083
- Amazon 売れ筋ランキング: - 51,634位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年1月31日に日本でレビュー済み
「明日への遺言」として映画化されるのを機に、この本を手にしました。
驚いたのは、この岡田資という人物が目と鼻の先の半田市に住んでいたという事実と、この本が新聞小説として掲載され、読む機会があったのに逃していたと言う事実でした。それに、名古屋の街が絨毯爆撃で、これほどの被害を出していた事実も知りませんでした。
作者の筆は、この岡田資のB級裁判の模様を丁寧に追ってゆきます。
裁判の論点は、岡田が死刑にした米兵が絨毯爆撃をした戦争犯罪人なのか、俘虜なのかと言うことが第一点です。
もう一点は、その死刑判決に際して、弁護士も置かない略式の軍律会議によったということです。
これに対して、岡田はどうどうと検事に対抗し自分の意見を述べて行きます。同時に、部下の命を守り抜こうとし、罪一切を一人で背負おうとしました。
作者は、決して日本軍の戦争に賛同の立場を取らない人ですが、こうした岡田の姿勢に大いに共感を示していることが、文章の端々に読み取れます。
岡田の死刑判決にも動じない誇り高き日本人ぶりに、ほれ込んでいるような文章です。
この岡田の屹然とした態度は、どこから来ているのでしょうか?
日蓮宗に帰依し、法華経を死の直前まで読み解釈を加えていたと言うバックボーンの存在なのでしょうか。
それでいて、彼の遺言状のあの家族への優しい思いはどうでしょうか。とても、死の直前にあれほどの妻への優しい言葉がかけられるものでしょうか。
確かに、作者でなくても男ぼれする人物だと思います。
今の世の中、自分の権利だけ主張する人が多いのですが、部下の行為はすべて自分の責任だと言いきれる人がどれだけいるのでしょうか?
作者の思いが乗り移ったかのように、岡田資を見つめてしまいます。
驚いたのは、この岡田資という人物が目と鼻の先の半田市に住んでいたという事実と、この本が新聞小説として掲載され、読む機会があったのに逃していたと言う事実でした。それに、名古屋の街が絨毯爆撃で、これほどの被害を出していた事実も知りませんでした。
作者の筆は、この岡田資のB級裁判の模様を丁寧に追ってゆきます。
裁判の論点は、岡田が死刑にした米兵が絨毯爆撃をした戦争犯罪人なのか、俘虜なのかと言うことが第一点です。
もう一点は、その死刑判決に際して、弁護士も置かない略式の軍律会議によったということです。
これに対して、岡田はどうどうと検事に対抗し自分の意見を述べて行きます。同時に、部下の命を守り抜こうとし、罪一切を一人で背負おうとしました。
作者は、決して日本軍の戦争に賛同の立場を取らない人ですが、こうした岡田の姿勢に大いに共感を示していることが、文章の端々に読み取れます。
岡田の死刑判決にも動じない誇り高き日本人ぶりに、ほれ込んでいるような文章です。
この岡田の屹然とした態度は、どこから来ているのでしょうか?
日蓮宗に帰依し、法華経を死の直前まで読み解釈を加えていたと言うバックボーンの存在なのでしょうか。
それでいて、彼の遺言状のあの家族への優しい思いはどうでしょうか。とても、死の直前にあれほどの妻への優しい言葉がかけられるものでしょうか。
確かに、作者でなくても男ぼれする人物だと思います。
今の世の中、自分の権利だけ主張する人が多いのですが、部下の行為はすべて自分の責任だと言いきれる人がどれだけいるのでしょうか?
作者の思いが乗り移ったかのように、岡田資を見つめてしまいます。
2020年12月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
満足です
2013年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近迄恥ずかしながら岡田資中将の事を存じ上げていませんでした。偶々ネットを見ておりましたら、その日(9月18日)に岡田閣下がB級戦犯として処刑された日であると言う記事に出会いました。早速、この本をダウンロードし、一気に読みました。そして、次にビデオ「明日への遺言」もダウンロードして観ました。どちらも良い作品だと思います。終戦で日本人の多くがこれまでのバックボーンを否定され自信を失い、茫然自失となるか、占領軍に媚びへつらう等右往左往する中で、毅然たる態度で法廷闘争(法戦)を闘われ、部下を擁護して全責任を負われた姿には唯々敬服するのみです。「一般市民に対する無差別爆撃の犯罪性は勝者敗者を問わず明白であり処罰すべし」の主張を堂々と展開された事は「あっぱれ」と感動しました。勿論優秀なかつ誠実なアメリカ人弁護人や良心的なアメリカ軍人の委員長(裁判長)等法廷環境に恵まれた面も多少あったのでしょうが、やはり岡田閣下の卓越した人格、見識が法廷闘争を終始リードされた大きな要因だと思います。
日本人の多くが自信を失っている現代は、新たな指針が不透明と言う点で、ある意味終戦直後の状況に類似していると思われます。このような時代に岡田閣下の足跡を知ることは大切ではないかと思います。皆さんにお薦めしたい一冊です。
日本人の多くが自信を失っている現代は、新たな指針が不透明と言う点で、ある意味終戦直後の状況に類似していると思われます。このような時代に岡田閣下の足跡を知ることは大切ではないかと思います。皆さんにお薦めしたい一冊です。
2014年3月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中古にしては表紙・帯ともに汚れも無く、外見上は新品と差はない。ただ、時間が経っているため本文の紙が若干日焼けしているのはやむを得まい。
2008年3月30日に日本でレビュー済み
映画『明日への遺言』の原作です。
名古屋の空襲のときに、不時着した米兵を処断したという罪状でB級戦犯とされ、刑死した岡田中将の裁判の様子を淡々とした筆致で描き出していきます。岡田中将は、裁判で、部下をかばい責任はすべて己れにあるとしつつ、無差別爆撃をした米軍もまた国際法違反であることを論理的に訴えていった人物です。
著者は、なるべく正確かつ客観的に戦犯裁判の背景や岡田中将の発言、家族とのやり取り、遺書などを記していきます。冷静な筆致だからこそ、極限状況に置かれた中での美しい生き方、武人としての責任の取り方が浮かび上がり、胸に迫ります。また岡田中将が戦時中に置かれた状況の困難さと決断と行為の意味について考えさせられます。
本書は、映画の公開に合わせて出版された新装版です。活字も文庫本にしてはそれほど小さくなく、読みやすいです。
ただ、本書に収録された学者の解説は少々蛇足のように感じます。著者の大岡昇平氏が、なるべく賢しらな道徳的観点を交えず、ただ岡田中将の生きざまを描写しようと徹したのに対し、解説は、現代の視点から若干頭でっかちの論評を加えているように感じ、本書の趣が損なわれているように思います。
名古屋の空襲のときに、不時着した米兵を処断したという罪状でB級戦犯とされ、刑死した岡田中将の裁判の様子を淡々とした筆致で描き出していきます。岡田中将は、裁判で、部下をかばい責任はすべて己れにあるとしつつ、無差別爆撃をした米軍もまた国際法違反であることを論理的に訴えていった人物です。
著者は、なるべく正確かつ客観的に戦犯裁判の背景や岡田中将の発言、家族とのやり取り、遺書などを記していきます。冷静な筆致だからこそ、極限状況に置かれた中での美しい生き方、武人としての責任の取り方が浮かび上がり、胸に迫ります。また岡田中将が戦時中に置かれた状況の困難さと決断と行為の意味について考えさせられます。
本書は、映画の公開に合わせて出版された新装版です。活字も文庫本にしてはそれほど小さくなく、読みやすいです。
ただ、本書に収録された学者の解説は少々蛇足のように感じます。著者の大岡昇平氏が、なるべく賢しらな道徳的観点を交えず、ただ岡田中将の生きざまを描写しようと徹したのに対し、解説は、現代の視点から若干頭でっかちの論評を加えているように感じ、本書の趣が損なわれているように思います。
2013年7月27日に日本でレビュー済み
1.たまたま“BC級裁判を読む(半藤、秦、保坂、井上)”を読んだところ、岡田中将の裁判にも少なからず言及がなされており、本書を当初読んだ際、岡田中将の描かれ方にやや疑問を感じたことを思い出した。改めて本書(初版単行本、その後事実相違の指摘が多く、文庫本では一部改訂されていると聞く)を読み直し、Amazonのレビューを拝見すると、映画の影響もあるのか、今や岡田中将は若い世代を含め相当偶像視されているように見受けられた。あえて水を差すようであるが、この類の真相究明あるいは評価というのは難しい面があるのではないかという観点から2点にしぼり触れたい。
2.米兵処刑は日本軍の組織規定違反の疑いも濃く、その発覚を恐れ、あるいは意識した行動が散見される点
○捕虜を処刑する際の手続き上裁判を経ない場合は法務官を関与させるなど略式手続を踏む必要があるが、自殺した(別人の)岡田法務少将はそれを否定する遺書を残し自殺 (本書にも記載)
佐伯弁護人も後にその可能性を示唆 (BC級裁判を読む)
○処刑後米兵の死体は処刑地点に埋葬されたが、終戦直後(8月17-8日)に掘り起こし火葬 (掘り起こしの事実は本書にも記載、“BC級裁判を読む”はそのタイミングと斬首の発覚を恐れての行動である可能性に言及)
○終戦直後、岡田中将の指示で“捕虜を移送中に岐阜で空襲に遭い焼死した”という偽装工作を行うことを検討したがあきらめた経緯がある模様 (BC級裁判を読む)
3.“完璧な人格”はそもそも存在しないが、岡田中将の人格はそんなに高潔なのか?
○東洋史の大家であった宮崎市定教授の著書“独歩吟”に“長い旅”という一文(宮崎市定全集23)があり、岡田中将につき触れている。
昭和20年令状を受け予備役将校として中部第百部隊(岡田中将のライン)で3度目の軍務についた宮崎氏(当時京都大学教授)は愛知県豊橋で岡田中将の閲兵を受け、その晩歓迎の宴が行われた経緯に言及したものである。少し長いが一部引用すると、
“先任将校らの話によるとこの中将閣下は、何にも能がなくて、毎日酒ばかり喰っているが、ただ一つ特異の才能がある。・・・喇叭の吹奏にきちんと顔の回転を合わせ、吹奏が終わるのと顔が正面に直るのが、分秒を違えず、きちんと合致する・・・・
主計少尉はその職分として今夜の宴会の担当者の一人なのだが、中将閣下にこっそり呼ばれて密命を受けた。料理屋の若い仲居の一人を中将閣下の寝室の不夜番に差し出せという内命だ。・・・
近ごろ高名な作家が<長い旅>というノンフィクションを書いて評判になった。・・・読者はそこに古武士の風格を見たなどという印象を持ちたくなるそうだが、私は少し違う。私は陸軍中将と聞いただけで、あの野郎中将とイメージが二重写しになり、同じに見えて仕方ないのである。”
なお誤解ないように付け加えると宮崎氏は戦後はやった唯物史観・マルクス史観とは徹底的に戦った(保守系の)正統派東洋史家であり、文化功労者。その観察眼は鋭く正確である。
○岡田中将は当時東海軍管区司令官であり、その職務は本土防衛・防空であったはずだが、どのような軍功があったのか?あるいは責任感を持って務めたのであろうか?(より多くのB29を高射砲で落としていても、また名古屋をはじめとした空襲被害を極小化しても当然だが戦犯にはならなかった)
同時期に東部軍管区(含東京)司令官であった有名な田中静壱大将(陸士で岡田中将の4期上)は終戦直前・直後の一部陸軍の反乱を抑えた後、8月24日自決されている。陸軍内の混乱とともに防衛・防空不徹底に責任をとったと見る人(半藤氏)もいる。
4.岡田中将が“法戦”を通じて米軍の無差別爆撃の国際法上の違法性を焦点化したという面はあろう。また私自身にとり大岡昇平は“レイテ戦記”を通し戦争の実相に迫るという面で学ぶところが多い作家であるが、本書では大岡昇平は岡田中将をやや持ちあげすぎではないか、というのが私の偽らざる印象である。
ちょうど城山三郎が“落日燃ゆ”で広田弘毅を悲劇のヒーロー(A級戦犯中で唯一文官として死刑判決)として描いたのと似たような面があるのではないか。
伝記・ノンフィクションを読む場合も歴史事実の持つ多面性に目を開いていく必要があると感じる。
2.米兵処刑は日本軍の組織規定違反の疑いも濃く、その発覚を恐れ、あるいは意識した行動が散見される点
○捕虜を処刑する際の手続き上裁判を経ない場合は法務官を関与させるなど略式手続を踏む必要があるが、自殺した(別人の)岡田法務少将はそれを否定する遺書を残し自殺 (本書にも記載)
佐伯弁護人も後にその可能性を示唆 (BC級裁判を読む)
○処刑後米兵の死体は処刑地点に埋葬されたが、終戦直後(8月17-8日)に掘り起こし火葬 (掘り起こしの事実は本書にも記載、“BC級裁判を読む”はそのタイミングと斬首の発覚を恐れての行動である可能性に言及)
○終戦直後、岡田中将の指示で“捕虜を移送中に岐阜で空襲に遭い焼死した”という偽装工作を行うことを検討したがあきらめた経緯がある模様 (BC級裁判を読む)
3.“完璧な人格”はそもそも存在しないが、岡田中将の人格はそんなに高潔なのか?
○東洋史の大家であった宮崎市定教授の著書“独歩吟”に“長い旅”という一文(宮崎市定全集23)があり、岡田中将につき触れている。
昭和20年令状を受け予備役将校として中部第百部隊(岡田中将のライン)で3度目の軍務についた宮崎氏(当時京都大学教授)は愛知県豊橋で岡田中将の閲兵を受け、その晩歓迎の宴が行われた経緯に言及したものである。少し長いが一部引用すると、
“先任将校らの話によるとこの中将閣下は、何にも能がなくて、毎日酒ばかり喰っているが、ただ一つ特異の才能がある。・・・喇叭の吹奏にきちんと顔の回転を合わせ、吹奏が終わるのと顔が正面に直るのが、分秒を違えず、きちんと合致する・・・・
主計少尉はその職分として今夜の宴会の担当者の一人なのだが、中将閣下にこっそり呼ばれて密命を受けた。料理屋の若い仲居の一人を中将閣下の寝室の不夜番に差し出せという内命だ。・・・
近ごろ高名な作家が<長い旅>というノンフィクションを書いて評判になった。・・・読者はそこに古武士の風格を見たなどという印象を持ちたくなるそうだが、私は少し違う。私は陸軍中将と聞いただけで、あの野郎中将とイメージが二重写しになり、同じに見えて仕方ないのである。”
なお誤解ないように付け加えると宮崎氏は戦後はやった唯物史観・マルクス史観とは徹底的に戦った(保守系の)正統派東洋史家であり、文化功労者。その観察眼は鋭く正確である。
○岡田中将は当時東海軍管区司令官であり、その職務は本土防衛・防空であったはずだが、どのような軍功があったのか?あるいは責任感を持って務めたのであろうか?(より多くのB29を高射砲で落としていても、また名古屋をはじめとした空襲被害を極小化しても当然だが戦犯にはならなかった)
同時期に東部軍管区(含東京)司令官であった有名な田中静壱大将(陸士で岡田中将の4期上)は終戦直前・直後の一部陸軍の反乱を抑えた後、8月24日自決されている。陸軍内の混乱とともに防衛・防空不徹底に責任をとったと見る人(半藤氏)もいる。
4.岡田中将が“法戦”を通じて米軍の無差別爆撃の国際法上の違法性を焦点化したという面はあろう。また私自身にとり大岡昇平は“レイテ戦記”を通し戦争の実相に迫るという面で学ぶところが多い作家であるが、本書では大岡昇平は岡田中将をやや持ちあげすぎではないか、というのが私の偽らざる印象である。
ちょうど城山三郎が“落日燃ゆ”で広田弘毅を悲劇のヒーロー(A級戦犯中で唯一文官として死刑判決)として描いたのと似たような面があるのではないか。
伝記・ノンフィクションを読む場合も歴史事実の持つ多面性に目を開いていく必要があると感じる。
2015年1月19日に日本でレビュー済み
この人の文章はダラダラと垂れ流すような感じで、じつに読みづらい。リズム感皆無だ。途中からうんざりして斜め読みしてしまった。そのため概略しか頭に入らなかった。