本書は表題作の「殺人鬼」をはじめ、「黒蘭姫」「香水心中」「百日紅の下にて」の4篇を収録した横溝正史の中短篇集。すべての作品に名探偵・金田一耕助が登場する。
三角ビルの五階にあるオンボロな金田一耕助探偵事務所が登場する「黒蘭姫」や、めずらしく金田一に殺人事件以外の依頼が寄せられる「香水心中」など、それぞれ見どころの多い作品が揃っているのだが、なかでも白眉なのは「百日紅の下にて」だろう。
●殺人鬼
「殺人鬼」は昭和22年12月から翌年2月までカストリ雑誌「りべらる」に連載された作品。連続殺人鬼が世間を騒がせていたある夜、探偵小説家の八代竜介は吉祥寺駅から自宅に向かう途中、夜道の一人歩きが怖いと怯える美人に声をかけられる。
彼女の名は賀川加奈子。前夫である亀井淳吉に付きまとわれる毎日を送っていた。加奈子に復縁をせまる淳吉は、黒づくめの服装で義足の音を響かせながら家の周りを歩き回っているという。そんななか、加奈子の駆け落ち相手である賀川達哉が殺される事件が発生。犯人は現場から逃げ出した淳吉だと思われたのだが……。
本作は作家である八代竜介の手記というスタイルを取っており、終戦直後を扱った横溝作品によく登場する義足の男が重要な役割を果たしている。戦災によって身体の一部が傷つき、義足や義眼となった人物はトリックに使いやすかったのだろう。
我らが金田一耕助はしきりにゴミをあさっている不審人物として登場するが、きちんと謎を解明してくれる。ただ、本作においては真犯人が霞むほどの衝撃が最後に待ち受けていた。
<登場人物>
八代竜介 … 探偵小説家。近所に住む賀川加奈子と知り合う。
賀川達哉 … ヤミブローカー。亀井淳吉とはいとこ同士。
賀川梅子 … 達哉の妻。関西では有名な女学校の経営者。
賀川加奈子 … 亀井淳吉の出征中、賀川達哉の内縁の妻となる。
亀井淳吉 … 賀川加奈子の前夫。義眼・義足となった復員兵。
金田一耕助 … 雀の巣の頭にくたびれた着物袴。ご存知名探偵。
●黒蘭姫
「黒蘭姫」は昭和23年1月から3月まで「読物時事」に連載された作品。東京・銀座にあるエビス屋百貨店の貴金属売り場で万引きが発生。取り押さえようとしたフロア主任・沢井啓吉が刺殺された。
犯人は黒い外套に厚いヴェールを被った「黒蘭姫」と呼ばれる特別な存在で、百貨店内の万引きを黙認されていたことがわかってくる。支配人の糟谷六助が全てを知っているらしい事から解決は容易と思われたが、今度は喫茶室で毒殺された男の死体が発見されてしまう。はたして二つの殺人事件は黒蘭姫の仕業なのだろうか……。
この事件はなんといっても、京橋裏の三角ビル五階にある金田一耕助探偵事務所が登場するのがファンには嬉しいところ。金田一の旧友・風間俊六の二号が経営する割烹旅館「松月」に転がりこむ前、たった三ヶ月間だけ構えていたという探偵事務所である。
「三角ビルの三角であることを身をもって如実に示している」「部屋全体が三角」「まるで表現派のお芝居の舞台装置みたい」「椅子やデスクが三角でないのが不思議なくらい」「この部屋にあるのは、二脚の椅子とデスクがひとつ、ほかに書棚がひとつあるきりである」と書かれていることから、相当みすぼらしく狭かったことがうかがえる。
また、金田一の長年の相棒となる警視庁捜査一課の等々力警部も初めて登場するが、二人の出会いの描写はなく、本作より後の「暗闇の中の猫」で金田一と等々力警部は初めて出会っている。
<登場人物>
新野恭平 … 東京・銀座にあるエビス屋百貨店の社長。
新野珠樹 … 恭平の長女。万引きを繰り返す。通称・黒蘭姫。
糟谷六助 … エビス屋百貨店の支配人。新野珠樹の婚約者。
沢井啓吉 … 貴金属売り場の新しい主任。黒蘭姫に刺殺される。
磯野アキ … 貴金属売り場の古参店員。新野珠樹の同級生。
伏見順子 … 貴金属売り場の店員。
柴崎珠江 … 婦人服売り場の店員。
宮武謹ニ … 一週間ほど前にクビになった沢井啓吉の前任。
綾子 … 喫茶室のウェイトレス。
清子 … 喫茶室のウェイトレス。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。今回が初登場。
金田一耕助 … 京橋裏の三角ビルに事務所を構える私立探偵。
●香水心中
「香水心中」は昭和33年11月「オール読物」で発表された作品。有名な化粧品会社の社長・常盤松代から調査の依頼を受けた金田一耕助は、休暇中の等々力警部と同乗し、彼女が別荘を所有する軽井沢へ向かった。
現地に到着してみると、松代は思い違いであったから、このまま手を引いてほしいと告げる。憤慨する金田一に、警察関係者である自分が一緒だったのがいけなかったと謝る等々力警部。
ところが、近くの別荘で心中死体が発見されたことから事態は急変する。女を絞殺してから首を吊ったと思われる男は松代の孫・常盤松樹であり、その遺体はバラの香りに包まれていた……。
本作は「霧の山荘」と同じく軽井沢を舞台にしており、トリックに香水が使われている点が特徴的な作品だ。絶対的な権力を持つ女傑と、それに従わざるをえない3人の孫というシチュエーションは実に横溝正史らしい。相変わらず仲が良い金田一と等々力警部に癒やされるが、事件の真相はあまり後味のよいものではなかった。
<登場人物>
常盤松代 … 化粧品会社「トキワ商会」の女社長。
常盤松蔵 … トキワ商会の創業者。松代の父。
常盤竜吉 … 松代の死別した夫。婿養子。旧姓・上原。
常盤松太郎 … 松代の長男。戦争で死亡。
常盤松次郎 … 松代の次男。戦争で死亡。
常盤松江 … 松代のひとり娘。故人。
常盤松樹 … 松太郎の遺児。香水心中事件の当事者。
常盤松彦 … 松次郎の遺児。亡母はカフェの女給だった。
川崎松子 … 松江の娘。
上原省三 … 竜吉の兄の孫。両親を失い松代に引き取られた。
小林美代子 … 松代の養女。省三のふたいとこ。妊娠している。
青野百合子 … 常盤松樹の愛人。香水心中事件の当事者。
青野太一 … 百合子の夫。ブローカー。
岡田警部補 … 若き捜査主任。金田一の活躍を知っている。
新井刑事 … 警視庁捜査一課所属の刑事。等々力警部の腹心。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … 軽井沢へ等々力警部と二人避暑に出かけた探偵。
●百日紅の下にて
「百日紅の下にて」は昭和26年1月「改造」に発表された作品。終戦から1年たった昭和21年9月、佐伯一郎は焼け野原となった市ヶ谷にかつての住居を訪れ、焼け残った百日紅の木を眺めていた。
そこへ現れた復員者ふうの若い男。彼はニューギニヤで戦死した友人の川地謙三から、3年前に佐伯の屋敷で起こった事件の謎を解いてくれと頼まれたのだという。最初は渋っていた佐伯だったが、その事件の引き金となった由美という美少女について、ぽつぽつと語り始めたのだった……。
金田一耕助が戦後最初に手掛けた事件は、この「百日紅の下にて」であった。戦友が語った話を元に、過去に起きた悲劇の真相を暴く安楽椅子型の作品で、金田一は復員兵の姿で登場する。
しだいに明らかになる光源氏と紫の上のような異様な関係。誰かが毒を入れたはずなのに、狙った相手に毒が行くとはどうにも思えない状況。それらの真相は金田一耕助の推理により合理的に解明される。
毒殺ミステリとしても素晴らしいが、何よりラストシーンが素晴らしい余韻を残す。金田一ファンならば絶対に読んでおくべき作品。
<登場人物>
佐伯一郎 … 追憶に耽る義足の男。出征前4人に妻の保護を依頼。
佐伯由美 … 自殺した佐伯の若妻。百日紅の花を愛していた。
五味謹之助 … 佐伯の後輩。商社勤務。青酸カリを飲んで死亡。
志賀久平 … 佐伯の同窓。詩人。私立大学の講師。
鬼頭準一 … 佐伯家の元書生。軍需会社に勤務。
川地謙三 … 元不良少年。金田一の戦友。五味殺害の容疑者。
金田一耕助 … 川地謙三の訃報とことづけを伝えにきた復員兵。
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殺人鬼 (角川文庫 緑 304-42) 文庫 – 1976/11/1
横溝 正史
(著)
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日1976/11/1
- ISBN-104041304423
- ISBN-13978-4041304426
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (1976/11/1)
- 発売日 : 1976/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 276ページ
- ISBN-10 : 4041304423
- ISBN-13 : 978-4041304426
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,518,195位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2021年8月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
金田一シリーズ。
少々グロい部分もありますが、面白かったです。
少々グロい部分もありますが、面白かったです。
2023年4月23日に日本でレビュー済み
横溝正史というひとは、長編の構想力もたいしたものだが短編、中編の切れのよさもあり、器用な作家といえる。
古典ミステリ作家で長編も短編もレベルが高いといえば、ディクスン・カー、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティなどいる。
だだ、これらの作家と比べても横溝正史の器用さは際立っている。
名探偵物という枠に縛られた小説スタイルにも関わらず、演出方法が作品ごとに工夫がみられる。
印象深いものに限っても・・・
・失踪した人物がいた直前までいたはずの場所に発見される「鴉の死骸」。さらにまたしても人間が失踪・・・そしてその人物が直前までいたはずの場所には「鴉の死骸」が・・・・といった怪奇趣味的な謎が論理的に解決される『鴉』
・横溝正史といえば、「おどろおどろしい」といったものと思い込んでいるような読者なら「あれ?」と思うような人を食ったような諧謔趣味的な語り手が語る下宿屋の住居人への人間観察とその下宿屋で起きた殺人事件の顛末を描き、全体的に不思議なユーモアが漂う『蝙蝠と蛞蝓』
・手紙や新聞記事の積み重ねで事件を描く記述が印象手的なのと、『犬神家の一族』でも扱われた復員した男が戦争で身体の特徴的な部分が欠損したために本人なのかの疑惑がサスペンスを産む『車井戸はなぜ軋る』。
この作品、題名からして横溝の読者への挑戦が溢れている。
・歌舞伎の舞台上上映中に起きた事件と追うといった大掛かりな舞台設定が魅力的。また特殊な凶器、犯人を特定する手がかりなどから「センセー・・・エラリー・クイーンがお好きなんですね」とこちらがニヤニヤしてくる『幽霊座』。
・冒頭で探偵小説のトリック談義をYセンセーと金田一耕助の間で行われ、後日Yセンセーに金田一耕助から手紙が届く・・・
「センセー・・・先日の探偵小説のトリック談義は興奮させられました・・・しかし、そのあと私が関わった事件が、あのときのトリック談義と不可思議にも関連があったのです・・・」
・・・Yセンセーと金田一の間で語られる探偵小説談義という形で探偵小説のトリックのパターンを提示上で、後日金田一がそうしたパターンでは括れない事件と関わってしまった・・・と云う入組んだ構成。ひねった構成で読者へ「このトリックが見抜けるか?」と挑戦する『黒猫亭事件』
・・・扱う舞台設定、トリックをのアイディア、小説の表現方法など作品ごとに工夫が見られる。
変わらない舞台設定、変わらない小説の表現方法で書き続けたドイルのシャーロック・ホームズ物もいいが、横溝正史という人のこの果敢な挑戦精神は驚嘆しかない。
しかも、名探偵物という枠が決まったスタイルでこれを書いたのだから、いったいこのひとの才能はどうなっているのかと思ってしまう。
もっとも、横溝正史には『靨』、『カメレオン』、「消すな蝋燭』といった名探偵が出てこない傑作パズラーもあるので、それゆえに名探偵物であるこうした作品で自在な挑戦を試みているのが驚きを感じえない。
横溝正史=おどろおどろしい作品 と思っている人は、ぜひこうした作品を読んでもらいたい。
自身の横溝正史感が実に狭かったことに気づくことだろう。
この短編集に納らている作品もそれぞれ工夫がされていて興味深い。
表題作の『殺人鬼』
世の中には警察に捕まって裁判にかけられるような人物だけでなく、幾人もの人物を殺害しているのもかかわらず捕まっていない「殺人鬼」がいるのではないか?と探偵小説家の一人称の語りから始まる物語。
最終的に金田一耕助によって暴かれる殺人事件の真相も捻りがきいているが、この小説を探偵小説家の一人称で描いている部分が実に巧い。
横溝正史というひとが、探偵小説のトリックもさながら小説という形態の演出効果に気を配っている作家であったことがわかる一遍である。
『黒蘭姫』
この中では比較的ライトな作品。
都内の高級デパートで営業中の起きた事件を金田一耕助が解決する事件。
都会的な作品でエラリー・クイーンの「・・・・冒険」、『・・・新冒険」収めれていても不思議でないどころか、ハメットの『名無しオプシリーズ』のいちエピソードといわれても違和感がない。
横溝正史=おどろおどろしい とか エログロ とかいった印象を持った人が呼んだら「あれ?横溝正史なの?」と思うのでは?
『百日紅の下にて』
回想の殺人を扱っており、名作と名高い一品。
やや、楽屋落ち的なラストであるがそれが横溝正史ファンならば「そうきたかぁ」という感じで印象に残る。
もっともなにかとラストシーンばかりが取りざさされる作品であるが、なにも毒殺ミステリとして非常によくできている。
不可能状況がものの考えた方を少し変えるだけで氷解してく手際は素晴らしい。
また、源氏物語のあるエピソードがうまく絡めてあってその辺も面白い作品。
贔屓目にみても「傑作短編』といって問題ない作品であろう。
『香水心中』
個人的には名作と名高い『百日紅の下にて』よりも好きな作品。
この作品を褒める人ががあまりいないことに「違和感」すら感じる。
都会や小規模な身内間で起きた事件を扱った他の3編と違って、長編の岡山物などで扱っている資産家一族内で起きる殺人を扱っている。
話を含ませて長編にしても良かったのではと思わせる作品。
この作品の美点は、都筑道夫のいうモダーン・ディティクティブストーリーの格好のサンプルになっている点。
しかも、巧みなのが正面切って「これが謎です」と言わないので、気づかない読者なら読み終えるまで横溝正史の策略に気づかない。
ここは若干ネタバレになるのだが、資産家一族が経営している企業業態が「謎」が「謎」だと読者に気づかせない効果を上げている。
もし、事件の舞台になる資産家一族の企業業態が「あれ」でなければ読者も気づくだろうが、横溝正史が設定したことが「謎」が「謎」であることを読者に気づかせない効果をあげている。
誠に巧みだとしか言いようがない。
しかも、この作品は再読した時に冒頭のシーンが全く違う印象を読者に与える万華鏡のような作品であること。
似たような作品にブランドの『疑惑の霧』があるが、長編である『疑惑の霧』より短編である『香水心中』のほうがより効果的に読者を驚かせる。
もっとも作中で犯人が使う犯行隠蔽のトリック自体は、使い古されたものでしかない。
ひっとしたら、トリック、トリックと大騒ぎするミステリファンはこのあたりでこの作品の評価が低いのかも知れない。
しかし、使い古されたトリックをここまで巧みに使った横溝正史という人の小説家としての力量こそを評価すべきで、メイントリック自体は使い古されたものでも細かい状況設定で巧みな効果を上げている。
個人的に傑作と言ってもなんら問題ないがない作品である。
古典ミステリ作家で長編も短編もレベルが高いといえば、ディクスン・カー、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティなどいる。
だだ、これらの作家と比べても横溝正史の器用さは際立っている。
名探偵物という枠に縛られた小説スタイルにも関わらず、演出方法が作品ごとに工夫がみられる。
印象深いものに限っても・・・
・失踪した人物がいた直前までいたはずの場所に発見される「鴉の死骸」。さらにまたしても人間が失踪・・・そしてその人物が直前までいたはずの場所には「鴉の死骸」が・・・・といった怪奇趣味的な謎が論理的に解決される『鴉』
・横溝正史といえば、「おどろおどろしい」といったものと思い込んでいるような読者なら「あれ?」と思うような人を食ったような諧謔趣味的な語り手が語る下宿屋の住居人への人間観察とその下宿屋で起きた殺人事件の顛末を描き、全体的に不思議なユーモアが漂う『蝙蝠と蛞蝓』
・手紙や新聞記事の積み重ねで事件を描く記述が印象手的なのと、『犬神家の一族』でも扱われた復員した男が戦争で身体の特徴的な部分が欠損したために本人なのかの疑惑がサスペンスを産む『車井戸はなぜ軋る』。
この作品、題名からして横溝の読者への挑戦が溢れている。
・歌舞伎の舞台上上映中に起きた事件と追うといった大掛かりな舞台設定が魅力的。また特殊な凶器、犯人を特定する手がかりなどから「センセー・・・エラリー・クイーンがお好きなんですね」とこちらがニヤニヤしてくる『幽霊座』。
・冒頭で探偵小説のトリック談義をYセンセーと金田一耕助の間で行われ、後日Yセンセーに金田一耕助から手紙が届く・・・
「センセー・・・先日の探偵小説のトリック談義は興奮させられました・・・しかし、そのあと私が関わった事件が、あのときのトリック談義と不可思議にも関連があったのです・・・」
・・・Yセンセーと金田一の間で語られる探偵小説談義という形で探偵小説のトリックのパターンを提示上で、後日金田一がそうしたパターンでは括れない事件と関わってしまった・・・と云う入組んだ構成。ひねった構成で読者へ「このトリックが見抜けるか?」と挑戦する『黒猫亭事件』
・・・扱う舞台設定、トリックをのアイディア、小説の表現方法など作品ごとに工夫が見られる。
変わらない舞台設定、変わらない小説の表現方法で書き続けたドイルのシャーロック・ホームズ物もいいが、横溝正史という人のこの果敢な挑戦精神は驚嘆しかない。
しかも、名探偵物という枠が決まったスタイルでこれを書いたのだから、いったいこのひとの才能はどうなっているのかと思ってしまう。
もっとも、横溝正史には『靨』、『カメレオン』、「消すな蝋燭』といった名探偵が出てこない傑作パズラーもあるので、それゆえに名探偵物であるこうした作品で自在な挑戦を試みているのが驚きを感じえない。
横溝正史=おどろおどろしい作品 と思っている人は、ぜひこうした作品を読んでもらいたい。
自身の横溝正史感が実に狭かったことに気づくことだろう。
この短編集に納らている作品もそれぞれ工夫がされていて興味深い。
表題作の『殺人鬼』
世の中には警察に捕まって裁判にかけられるような人物だけでなく、幾人もの人物を殺害しているのもかかわらず捕まっていない「殺人鬼」がいるのではないか?と探偵小説家の一人称の語りから始まる物語。
最終的に金田一耕助によって暴かれる殺人事件の真相も捻りがきいているが、この小説を探偵小説家の一人称で描いている部分が実に巧い。
横溝正史というひとが、探偵小説のトリックもさながら小説という形態の演出効果に気を配っている作家であったことがわかる一遍である。
『黒蘭姫』
この中では比較的ライトな作品。
都内の高級デパートで営業中の起きた事件を金田一耕助が解決する事件。
都会的な作品でエラリー・クイーンの「・・・・冒険」、『・・・新冒険」収めれていても不思議でないどころか、ハメットの『名無しオプシリーズ』のいちエピソードといわれても違和感がない。
横溝正史=おどろおどろしい とか エログロ とかいった印象を持った人が呼んだら「あれ?横溝正史なの?」と思うのでは?
『百日紅の下にて』
回想の殺人を扱っており、名作と名高い一品。
やや、楽屋落ち的なラストであるがそれが横溝正史ファンならば「そうきたかぁ」という感じで印象に残る。
もっともなにかとラストシーンばかりが取りざさされる作品であるが、なにも毒殺ミステリとして非常によくできている。
不可能状況がものの考えた方を少し変えるだけで氷解してく手際は素晴らしい。
また、源氏物語のあるエピソードがうまく絡めてあってその辺も面白い作品。
贔屓目にみても「傑作短編』といって問題ない作品であろう。
『香水心中』
個人的には名作と名高い『百日紅の下にて』よりも好きな作品。
この作品を褒める人ががあまりいないことに「違和感」すら感じる。
都会や小規模な身内間で起きた事件を扱った他の3編と違って、長編の岡山物などで扱っている資産家一族内で起きる殺人を扱っている。
話を含ませて長編にしても良かったのではと思わせる作品。
この作品の美点は、都筑道夫のいうモダーン・ディティクティブストーリーの格好のサンプルになっている点。
しかも、巧みなのが正面切って「これが謎です」と言わないので、気づかない読者なら読み終えるまで横溝正史の策略に気づかない。
ここは若干ネタバレになるのだが、資産家一族が経営している企業業態が「謎」が「謎」だと読者に気づかせない効果を上げている。
もし、事件の舞台になる資産家一族の企業業態が「あれ」でなければ読者も気づくだろうが、横溝正史が設定したことが「謎」が「謎」であることを読者に気づかせない効果をあげている。
誠に巧みだとしか言いようがない。
しかも、この作品は再読した時に冒頭のシーンが全く違う印象を読者に与える万華鏡のような作品であること。
似たような作品にブランドの『疑惑の霧』があるが、長編である『疑惑の霧』より短編である『香水心中』のほうがより効果的に読者を驚かせる。
もっとも作中で犯人が使う犯行隠蔽のトリック自体は、使い古されたものでしかない。
ひっとしたら、トリック、トリックと大騒ぎするミステリファンはこのあたりでこの作品の評価が低いのかも知れない。
しかし、使い古されたトリックをここまで巧みに使った横溝正史という人の小説家としての力量こそを評価すべきで、メイントリック自体は使い古されたものでも細かい状況設定で巧みな効果を上げている。
個人的に傑作と言ってもなんら問題ないがない作品である。