山田風太郎は最高です。
文句なしに面白い!
もっと色々出して欲しい。
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銀河忍法帖 (角川文庫) 文庫 – 1977/7/1
山田 風太郎
(著)
銀河忍法帖 (角川文庫) [文庫]
- 本の長さ468ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日1977/7/1
- ISBN-104041356113
- ISBN-13978-4041356111
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (1977/7/1)
- 発売日 : 1977/7/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 468ページ
- ISBN-10 : 4041356113
- ISBN-13 : 978-4041356111
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,565,831位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1922年、兵庫県生まれ。東京医科大学卒業。47年、「宝石」新人募集に応募した「達磨峠の事件」がデビュー作。48年「眼中の悪魔」で第2回探偵作家 クラブ賞短編賞を受賞。その後「甲賀忍法帖」を始めとした忍法帖シリーズなどを精力的に発表した。2000年、日本ミステリー文学大賞受賞。01年7月死 去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 八犬傳 下(新装版) (ISBN-13: 978-4331614044)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年6月15日に日本でレビュー済み
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読了し、すべてを知ってしまった当方からすれば、今からこの物語の迷宮へ誘いこまれる者こそ幸いなれ、と言うしかない。『全仕事』(角川文庫)で、“無頼の徒、佐渡に立ち金銀の帝王に不敵に笑う”とキャッチ・コピーされた作品とはとても思えないことだけは約束する。念のため、“金銀の帝王”とは、大久保長安という実在の人物であることは申し述べておこう。そして、“無頼の徒”とは、六文銭の鉄と自称する者だ。つまり、正体は別にある。しかし、そんなことはどうでもいい。尤も、六文銭が依頼された「お朱鷺」だけは別だ。彼女と六文銭がどこから何をしにやってきたかということがどうでもいいだけだ。
何しろ、最後から六行目にはこうある。<地上の知覚を以てしては測ることの出来ない時間が流れた。>最終的にここに逢着する物語とはいったい何か?読む前には誰も想像すら及ばないだろう。いや、読んだ後でさえ、しばらく呆然としてしまうほどの境地と言ってしまいたい。その前に、ようやく巡り会えた2人の様子が次のように活写されている。<彼女は六文銭を見て、にいっと笑った。><いや、凱歌と哀しみがまじり、燃えあがり、名状しがたい凄愴な炎にふちどられている女の姿であった。><それを見つめたまま、六文銭は阿呆の銅像のように、いつまでもそこに立ちすくんでいるだけであった。>
いったいこの2人の関係は如何?確かに六文銭の正体は、この物語を底辺から覆すような意外性と衝撃性をそなえたものではある。それまでの彼は白痴に近い性欲の権化であり、それでも油断ならない使い手であるというだけの得体の知れない怪人であったのだから。ただただ「お朱鷺」(さま)の「ご褒美」をもらいたいためだけに命がけの修羅場をくぐってやまないだけの下僕のような男でしかないように見えていたのだから。それでも、彼の正体なぞより圧倒的に深い懸崖のような思いがけない想いに打たれてしまったのだ。
それは、いわば風太郎忍法帖でさんざん描かれてきた忍びの者の冷酷な掟といえないこともない。しかし、それをこれだけのポエジーにまで高めたことがかつてあっただろうか?そこに打たれたのだ。
従来であれば、服部半蔵(長安の婿!)の部下である安馬谷刀印、牛牧僧五郎、孤坂銀阿弥、象潟丈兵衛、魚ノ目一針と、長安の愛妾であるお船、お汐、真砂、お凪、お珊の、それぞれ忍法と近代兵器を駆使した腕比べだけでも腹いっぱい堪能してしまうのだが、本作では、それらは前菜でしかないと言い切ってもいい。彼らが本領を発揮しよう(としてし損なう)のは六文銭と絡むことで本望となるのだ。山風の作風の一つに、主人公はとんでもない危機の中でも決してうろたえたりしない。そして読者も決してハラハラすることなしに、今度はどんな手を使ってこの難事難関を乗り切ってくれるのかにワクワクしてしまう、というのがある。今回もその望みは次々にかなえられるが、最終的にはそれ以上の地獄の門が待っているという結構。そして、その地獄においてこそ咲き誇る花もあるという………あゝ、よけいなお饒舌はもはや不要だ。いつもよりさらに何重にも張りめぐらされた山田風太郎の幻妖なる迷宮の底の底に降りて行ける歓喜に浸り尽くさんことを!
何しろ、最後から六行目にはこうある。<地上の知覚を以てしては測ることの出来ない時間が流れた。>最終的にここに逢着する物語とはいったい何か?読む前には誰も想像すら及ばないだろう。いや、読んだ後でさえ、しばらく呆然としてしまうほどの境地と言ってしまいたい。その前に、ようやく巡り会えた2人の様子が次のように活写されている。<彼女は六文銭を見て、にいっと笑った。><いや、凱歌と哀しみがまじり、燃えあがり、名状しがたい凄愴な炎にふちどられている女の姿であった。><それを見つめたまま、六文銭は阿呆の銅像のように、いつまでもそこに立ちすくんでいるだけであった。>
いったいこの2人の関係は如何?確かに六文銭の正体は、この物語を底辺から覆すような意外性と衝撃性をそなえたものではある。それまでの彼は白痴に近い性欲の権化であり、それでも油断ならない使い手であるというだけの得体の知れない怪人であったのだから。ただただ「お朱鷺」(さま)の「ご褒美」をもらいたいためだけに命がけの修羅場をくぐってやまないだけの下僕のような男でしかないように見えていたのだから。それでも、彼の正体なぞより圧倒的に深い懸崖のような思いがけない想いに打たれてしまったのだ。
それは、いわば風太郎忍法帖でさんざん描かれてきた忍びの者の冷酷な掟といえないこともない。しかし、それをこれだけのポエジーにまで高めたことがかつてあっただろうか?そこに打たれたのだ。
従来であれば、服部半蔵(長安の婿!)の部下である安馬谷刀印、牛牧僧五郎、孤坂銀阿弥、象潟丈兵衛、魚ノ目一針と、長安の愛妾であるお船、お汐、真砂、お凪、お珊の、それぞれ忍法と近代兵器を駆使した腕比べだけでも腹いっぱい堪能してしまうのだが、本作では、それらは前菜でしかないと言い切ってもいい。彼らが本領を発揮しよう(としてし損なう)のは六文銭と絡むことで本望となるのだ。山風の作風の一つに、主人公はとんでもない危機の中でも決してうろたえたりしない。そして読者も決してハラハラすることなしに、今度はどんな手を使ってこの難事難関を乗り切ってくれるのかにワクワクしてしまう、というのがある。今回もその望みは次々にかなえられるが、最終的にはそれ以上の地獄の門が待っているという結構。そして、その地獄においてこそ咲き誇る花もあるという………あゝ、よけいなお饒舌はもはや不要だ。いつもよりさらに何重にも張りめぐらされた山田風太郎の幻妖なる迷宮の底の底に降りて行ける歓喜に浸り尽くさんことを!