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軽蔑 (角川文庫 な 22-3) 文庫 – 2011/3/25

3.7 5つ星のうち3.7 14個の評価

新宿歌舞伎町のポールダンスバーの踊り子、真知子と、名家の一人息子として生まれながら、上京しヒモになっていたカズ。熱烈に惹かれ合った二人は、故郷に帰って新しい生活を始めるが。
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商品の説明

著者について

1946年和歌山県新宮市生まれ。高校卒業と同時に上京、同人誌で執筆を開始、76年「岬」で第74回芥川賞。戦後生まれ初の受賞者となる。長編小説『枯木灘(かれきなだ)』で第31回毎日出版文化賞、第28回芸術選奨文部大臣賞新人賞受賞。92年8月享年46歳で没。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 角川書店(角川グループパブリッシング); 一般文庫版 (2011/3/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2011/3/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 462ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4041456126
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4041456125
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.5 x 1.8 x 15 cm
  • カスタマーレビュー:
    3.7 5つ星のうち3.7 14個の評価

著者について

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中上 健次
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1946年和歌山県新宮市生まれ。作家・批評家・詩人。『灰色のコカコーラ』でデビュー。73年、『十九歳の地図』が第69回芥川賞候補となる。76年 『岬』で第74回芥川賞を受賞。ウィリアム・フォークナーに影響を受け、土俗的な手法で紀州熊野を舞台に「紀州サーガ」とよばれる小説群を執筆。92年没(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 紀州 木の国・根の国物語 (ISBN-13: 978-4041456118 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

星5つ中3.7つ
5つのうち3.7つ
14グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2011年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
レビューを読むと評価が極端に分かれているが、私自身は心を揺さぶられるような思いでこの小説を読み終えた。主人公真知子は恋人カズさんに「五分と五分」の関係を求めるが、その背景にあるのは、雑多な人々が暮らす東京で誰に支えられるでもなく、たったひとり、自分の体ひとつで生きてきたという自負と孤独感だ。自分のことを「天女」という真知子はしかし、その立ち位置が東京でしか通用しない儚いものであることを自覚し、恐れている。東京では「紳士と淑女」の男と女が、ひとたびカズさんの田舎に行けば御曹司とストリッパーの関係となり、そのことが逆に真知子に「五分と五分」へのこだわりを強めさせ、ふたりを破滅へと向かわせていく。真知子は「五分と五分」ではなくなりつつある二人の関係に焦燥感をつのらせながら、カズさんを裏切る行為を重ねるが、それでもなおカズさんを思う愛情の深さ、強さ、その質量に圧倒される。自分の命を削るようにして人を愛し、男の運命を自分の運命として受け入れ、恋人が傷ついたなら自分も同じように傷つきたいと願う女の、生々しい生命力に満ちた小説だと思う。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年7月7日に日本でレビュー済み
中上健次は男なのに、女が書いたのではと思うくらい女の主人公がすごく女っぽい。だから、作者は女っぽい人なのかなと想像するのは自分だけではないと思う。「地の果て 至上の時」から続けて読んだので、ついつい比べてしまう。文章は凄い読みやすくなった。新聞連載だからなのでしょうか?それはさておき、自分は読み終わるまでずーっと、真知子ちゃん酷い目にあわなければいいが・・・とヒヤヒヤしてました。男達からずっと欲望混じりの目で見られ、時には自分から接近したりしてたからです。カズさんが甘ちゃんだから頼りにならないので、スリルありました。新聞連載当時、自分も主人公と同じような歳でしたが、自分は生身の女との恋愛経験がないので、この物語を流れる血のようなテーマは理屈でしか頭に入ってこないので、折角中上健次入門したのに、なにをあてに読み続ければいいのか、困惑しました。恋愛のベタベタと、地方都市の共同体の息がつまるベタベタ、そして男たちの欲望のベタベタで、自分は砂糖とミリンでくどく味付けしたノシイカを口一杯に詰め込まれているような不快感を味わいました。それは置いといて、人生というX軸は恋愛や青春というY軸を邪魔することはあっちゃならないと作者がいってるように思いました。都会でしか生きられないもの同士の恋愛してる人たちの読む本ですね。それいがいの人が読むと、中上さんの女の部分にノシイカを口に詰め込まれます。中上氏の小説は、頭で思ってるだけの、思考と、身も蓋もない事実そのものが、等しく価値あるものとして扱われているのが興味深い。想像してた部分が事実に打ち負かされて消えるという流れになってないところが面白い。自分が女っ気ない人生なので、星一つ減らしました。ラストはいいですね!
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年7月6日に日本でレビュー済み
若い男女の性愛について描かれていますが、全くいやらしさを感じさせない。
その性の描写が鮮明なほど、むしろ内面的なものが鮮やかに浮かびあがっくる。
切ないほどに、恋は人を狂わせる病であることが否応なしに伝わった。
そして、そんな病気を直す薬はないということも。
物語の最後は死。
命をかけた恋に巡りあえるのは、物語の中で充分!と思えるほどに、満喫しました。

なくしかけた自分の中の情熱を取り戻せるかも・・・です。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年6月13日に日本でレビュー済み
中上の作品を読み進んでいると、棟方志功の姿が思い浮かぶ。
古い映像で見た棟方の姿は、版木に一心不乱に向き合い、同じ箇所を何回も何回も、執拗に見えるくらい彫りを加え続けていた。それ自体は人を殺傷すらできる彫刻刀を、まるで本来、人や自分自身の身体を傷つけるために振り上げたものを、そうする代わりに版木に向かって線を刻み、乳房や女陰など自分の身体に存在しない器官はことさらに強く太く鋭角的に線をくわえ、そうすることで私たちの観念や想像をはるかに越える像を立ち現れさせる。

「軽蔑」では、“相思相愛の男と女、五分と五分”といった核となる言葉が、他の中上作品同様、技法的に何回も何回も繰り返される。その言葉が出るたび、私たちの胸中に強く太く描線が刻まれ、単なる男と女の物語として読み始めた読者の心に、読み進めるうちに、棟方の版画作品のように、聖なるもの俗なるものそのほかのあらゆるものがすべてその強く太い描線によって浮かび出されたかのように、読者はありふれた男と女の真知子とカズさんに手を合わせ、幸せを祈り不幸を悼み、2人の物語に自分の人生観を濃く重ねることができる。

しかし、私たちのように平凡に日々を安穏と生きる者は、この本を閉じれば、強く太く描かれた物語の登場人物の人生とは明確に区切られた日常空間に引き戻される。棟方作品に魅かれる者が、仏教界や宗教界に精神ごとどっぷりつかるとは限らないのと同じ。私たちは、人生について深く悩み、傷つき、死を考える前に、棟方が自分に彫刻刀を向ける代わりに版木に自分の魂を刻み付けたのと同様に、この作品を読み進めることで、自分の中の爆発しそうな魂を、本を閉じるのと同時に封じ込めることができるということになるのかなどと考えたりもする。

その一方で中上は、読者が心の中にもつ獣のように暴れる魂を、その一身で肩代わりしたかのように、この作品を書き終えた直後の1992年8月に逝ってしまった。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年9月19日に日本でレビュー済み
中上健次さんの作品は初めて読みました。
他の方のレビューであるように、
この本が、中上氏の中でも「読みやすい」部類であるとしたら、
今後、この方の本を読むことはないと思います。

同じフレーズが何度も出てきて、イライラしてきましたし、
表現が面倒くさく、なかなか読み進めません。
長ったらしい修飾語の使い方に得に違和感を感じ、すんなり
読めませんでした。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年5月5日に日本でレビュー済み
 2011年に映画化された作品。
 
 自分の場合は知らずに、「おお、中上健次のマイナーな作品が流行ってるのか」と手にとって見たのだが、残念ながら合わず。
 「真知子は踊り子だった。普通ではなかった。
  カズさんも普通ではなかった。」
 「相思相愛の男と女、五分と五分。
  片一方が崩れれば、もう片一方も崩れて当然なのだった」
といった文章が続くのも、そもそも二人が惹かれあっているところにリアリティを感じられず断念。

***************

 一番疑問だったのが、主人公の真知子の働いているという「トップレス・バー」だ。作品内でも書かれているが、ソープランドのような性的なサービスを直接行う仕事ではない、というところで、作者は主人公を「踊り子」という設定にしたのだろう。(映画では、ポールダンサー)
 そうでないと、差別が不当なもの、という印象を読者に与えられないからだ。

 ただ、現代の日本でそんな風俗店があるのかというと、少なくともメジャーなものではないだろう。「ストリップ劇場」はあるが、マイナーだし陰部を見せるのが大前提となっている。また、そんなに稼げる仕事でもないだろう。
 作品の書かれた91年ごろの歌舞伎町・六本木というのを詳しくは知らないが、接客なしの裸を出す店が日本でメジャーだった時代なんてないはず。
 「ディスコのお立ち台でスカウトされて」
と本文にあるが、そんなことが当時あったのだか。

 では、直接性的なサービスを行わないクラブなりキャバクラなりにするというのはどうだったか。(キャバクラは80年代半ばから始まる) その場合、「チンピラ」のカズさんに惹かれる真知子というのが、はっきり言うと頭が悪い感じになるし、「擬似恋愛」を提供する女ということで、まぁ「善人」ではなくなってしまう。

***************

 結局、お互いの肉体のみから惹かれあう男女、その破滅、といったところを中上は描きたくて、多少不自然な設定にしたのかなと思った。
 念頭にあったのは今はなき「キャバレー」だろうが、それだと裸にならないので足りないというところか。

 ともかく、自分みたいに作品の細かい設定が気になる人だけでなく、文章など、人を選ぶ作品ですね。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2003年1月20日に日本でレビュー済み
中上の文章は、何故こんなに人の気持ちを探るのだろう。
そう感じてやまない作品のひとつである。
独特の粘っこさ、下手すれば長々と続く連載向きの物語なのだが、
痛いほどリアルな女の主人公を強い洞察力で描かれてるので
読み手に様々な情を持たせる。
ストリッパーの主人公と田舎ボンボンの暴走族兄ちゃんの恋愛逃避行生活は、
純粋な気持ちのまま幕を閉じる。
女の愛し方、男の愛し方、それぞれが一方的なまでに傲慢に激しく描かれて、その二人に意味深な取り巻きたち何人も絡んで、物語を盛り上げる。
女性に読んでもらいたい小説だが、男性にもこれを読んで女性の心とはなんぞやと学んで欲しい。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年8月5日に日本でレビュー済み
これは中上健次の作品の中でも、かなり異色ではないでしょうか。
あんまり女が強調されすぎて、同性でもその心の動きに共感も理解も出来ません。
他の作品に比べて読みやすく話も明快、昼ドラになりそうな単純さと女くささで、それでも展開に引き込む力はさすがですが、
中上健次を初めて読むなら、他の作品を強くお勧めします。
枯木灘や千年の愉楽はとても好きな小説です。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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