無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ディファレンス・エンジン 下 (角川文庫 赤 キ 6-2) 文庫 – 1993/5/1
- 本の長さ420ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日1993/5/1
- ISBN-104042659020
- ISBN-13978-4042659020
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (1993/5/1)
- 発売日 : 1993/5/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 420ページ
- ISBN-10 : 4042659020
- ISBN-13 : 978-4042659020
- Amazon 売れ筋ランキング: - 2,330,008位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
37グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2012年2月16日に日本でレビュー済み
上巻に続きこちらも評価が低いようですが、ぼくは超名作だと思います。
2020年6月19日に日本でレビュー済み
上巻はストーリーが語られるのに合わせて次から次に出現する疑問で頭が一杯になったが、下巻も終盤までストーリーを追いかけることに精一杯。
日本でも比較的なじみ深い19世紀後半のロンドン。政治状況から夜の風俗まで膨大な情報で描かれる複雑な社会は史実と架空史が入り混じって混沌としており、主題を追いかけるのを困難にしている。
産業の基盤として国力を決定する蒸気コンピュータの性能を競う英国とフランス、一方、アメリカでは国を二分する対立の中で共産主義が地歩を築こうとしている。
下巻の主人公はマロリー博士からイギリス外務省に所属する自称ジャーナリストのローレンス・オリファントに移っていく。みなもとたろうの『風雲児たち』の東禅寺襲撃事件でも活躍したあの快男児がこのような人物であったとは、本書を読むまでまったく知らなかった。ボンド中佐の大先輩。・・・というよりもむしろMの大先輩か?
下巻を読み終えて一番の疑問は解決した。
なぜ、“サイバーパンク”のギブスンとスターリングが改変歴史小説を書いたのか? 解説によると、その疑問は30年前に本書が執筆されていた当時からあったようで、著者本人のインタビューと当時の時代風潮によって説明されるが、それは実際に読んで評者が感じたこととも合致する。
考えてみれば歴史改変小説というのは昔からSFの一分野だった。評者は、昔読んだ豊田有恒の『モンゴルの残光』と光瀬龍の『征東都督府』を思い出したが、昔はタイムトラベルものと呼ばれていたような気がする。
作家にとって良く知られている現実の歴史を改変して異なった歴史を作り上げることは、まったく架空の未来世界を作り上げるのと同等、またはそれ以上の興奮と満足感を約束するものなのかもしれない。
自分の好きな時代にタイムトラベラーを送り込み、好きなように改変する。日本では戦国時代や明治維新前後が人気だが、英米ではビクトリアン・エイジは人気があるのだろう。
本書には時間旅行は登場せず、もしかしたらあり得たかもしれない世界が描かれるが、このようなIFの世界は、ある意味でSFとしての原点に回帰するものかもしれないと思う。
この世の終わりを思わせる混乱したロンドンの様相はウェルズの『宇宙戦争』を思い出すが、あれも19世紀末のロンドンを舞台とする話だった。
しかし、本書の特徴は、単に娯楽小説として蒸気コンピュータが普及した19世紀を描くのではなく、過去と未来を対比させながら、現代にも通用する問題を追及している点だろう。
考古学者のマロリー博士が発掘した雷竜という過去の巨獣と、チャールズ・バベッジとレディ・エイダが夢想する巨大な蒸気コンピュータという未来の巨獣の対比。そして語られるのは19世紀後半の世界の物語でありながら、現代どころか、未来にも亘って存在し続ける政治権力による情報管理の危険性という問題意識である。
力作である。読書中も読書後も相当の時間、解釈のために頭をひねった。
しかし、評価は4点とした。
いくら頭をひねり、いくら解説を読んでも理解できない点がたくさんありすぎる。読解力不足を痛感する。
まず上巻、第一の反復。最初の場面が合成画像である理由は何だろう? また、その後の各章のエピローグが後世から振り返った視点で描かれている。これがなぜなのか、最後まで理解できなかった。
クラッカー及びクラッキングと呼んでいるのは、評者の理解ではハッカー及びハッキングと呼ぶ方がふさわしいのではないかと思うが、何か特別の意味があるのか?
オリファントが時々気づいていた、“すべてを見そなわす眼”とは何か?
モーダス・プログラムは圧縮プログラムの一種のように書かれているが、これはAIプログラムだったのか?
晩年のバベッジが取り組んでいた雷を利用する機関はどうなったのか?(1991年のロンドンで蒸気機関が人格を宿したとすると、電気式の機関は普及しなかったことになる。)
最大の問題は、上巻と下巻の2つの解説の“本書は蒸気コンピュータによって書かれた(私)小説である”という解釈。どこをどのように読めばそのように解釈できるのだろうか。
最後の一文を、“光あれ。我思うゆえに我あり。”と理解し、“歯車の塊(かたまり)に魂(自意識)が宿るわけがない。”という常識は捨てなければならないのか?
評者は、最終章モーダスのエピローグで描かれているのはエイダが夢想した未来のロンドンに過ぎないと思っているのだが、実は、その背後で・・・・ということなのか?
本書を読んで、『屍者の帝国』が、なぜ、あのような話になったのか少し理解できた気がする。
本書があったからこそ『屍者の帝国』が書かれたわけで・・・、言ってみれば本書が『屍者の帝国』の母親?
本書と比べると『屍者の帝国』の方が読みにくかったし、難しかったが、現時点での評者は、子供である『屍者の帝国』は生みの親たる本書を越えたと考えている。(最初のという歴史的意義を除けばという条件付きで。)
日本でも比較的なじみ深い19世紀後半のロンドン。政治状況から夜の風俗まで膨大な情報で描かれる複雑な社会は史実と架空史が入り混じって混沌としており、主題を追いかけるのを困難にしている。
産業の基盤として国力を決定する蒸気コンピュータの性能を競う英国とフランス、一方、アメリカでは国を二分する対立の中で共産主義が地歩を築こうとしている。
下巻の主人公はマロリー博士からイギリス外務省に所属する自称ジャーナリストのローレンス・オリファントに移っていく。みなもとたろうの『風雲児たち』の東禅寺襲撃事件でも活躍したあの快男児がこのような人物であったとは、本書を読むまでまったく知らなかった。ボンド中佐の大先輩。・・・というよりもむしろMの大先輩か?
下巻を読み終えて一番の疑問は解決した。
なぜ、“サイバーパンク”のギブスンとスターリングが改変歴史小説を書いたのか? 解説によると、その疑問は30年前に本書が執筆されていた当時からあったようで、著者本人のインタビューと当時の時代風潮によって説明されるが、それは実際に読んで評者が感じたこととも合致する。
考えてみれば歴史改変小説というのは昔からSFの一分野だった。評者は、昔読んだ豊田有恒の『モンゴルの残光』と光瀬龍の『征東都督府』を思い出したが、昔はタイムトラベルものと呼ばれていたような気がする。
作家にとって良く知られている現実の歴史を改変して異なった歴史を作り上げることは、まったく架空の未来世界を作り上げるのと同等、またはそれ以上の興奮と満足感を約束するものなのかもしれない。
自分の好きな時代にタイムトラベラーを送り込み、好きなように改変する。日本では戦国時代や明治維新前後が人気だが、英米ではビクトリアン・エイジは人気があるのだろう。
本書には時間旅行は登場せず、もしかしたらあり得たかもしれない世界が描かれるが、このようなIFの世界は、ある意味でSFとしての原点に回帰するものかもしれないと思う。
この世の終わりを思わせる混乱したロンドンの様相はウェルズの『宇宙戦争』を思い出すが、あれも19世紀末のロンドンを舞台とする話だった。
しかし、本書の特徴は、単に娯楽小説として蒸気コンピュータが普及した19世紀を描くのではなく、過去と未来を対比させながら、現代にも通用する問題を追及している点だろう。
考古学者のマロリー博士が発掘した雷竜という過去の巨獣と、チャールズ・バベッジとレディ・エイダが夢想する巨大な蒸気コンピュータという未来の巨獣の対比。そして語られるのは19世紀後半の世界の物語でありながら、現代どころか、未来にも亘って存在し続ける政治権力による情報管理の危険性という問題意識である。
力作である。読書中も読書後も相当の時間、解釈のために頭をひねった。
しかし、評価は4点とした。
いくら頭をひねり、いくら解説を読んでも理解できない点がたくさんありすぎる。読解力不足を痛感する。
まず上巻、第一の反復。最初の場面が合成画像である理由は何だろう? また、その後の各章のエピローグが後世から振り返った視点で描かれている。これがなぜなのか、最後まで理解できなかった。
クラッカー及びクラッキングと呼んでいるのは、評者の理解ではハッカー及びハッキングと呼ぶ方がふさわしいのではないかと思うが、何か特別の意味があるのか?
オリファントが時々気づいていた、“すべてを見そなわす眼”とは何か?
モーダス・プログラムは圧縮プログラムの一種のように書かれているが、これはAIプログラムだったのか?
晩年のバベッジが取り組んでいた雷を利用する機関はどうなったのか?(1991年のロンドンで蒸気機関が人格を宿したとすると、電気式の機関は普及しなかったことになる。)
最大の問題は、上巻と下巻の2つの解説の“本書は蒸気コンピュータによって書かれた(私)小説である”という解釈。どこをどのように読めばそのように解釈できるのだろうか。
最後の一文を、“光あれ。我思うゆえに我あり。”と理解し、“歯車の塊(かたまり)に魂(自意識)が宿るわけがない。”という常識は捨てなければならないのか?
評者は、最終章モーダスのエピローグで描かれているのはエイダが夢想した未来のロンドンに過ぎないと思っているのだが、実は、その背後で・・・・ということなのか?
本書を読んで、『屍者の帝国』が、なぜ、あのような話になったのか少し理解できた気がする。
本書があったからこそ『屍者の帝国』が書かれたわけで・・・、言ってみれば本書が『屍者の帝国』の母親?
本書と比べると『屍者の帝国』の方が読みにくかったし、難しかったが、現時点での評者は、子供である『屍者の帝国』は生みの親たる本書を越えたと考えている。(最初のという歴史的意義を除けばという条件付きで。)
2009年7月30日に日本でレビュー済み
読み終えるのがもったいなくて、じっくり読んだ。もう4回目なので、あらかた筋も覚えているんだけど、それでも、物語に引き込まれてしまう。1991年の作品とは思えないぐらい、新しさ。全然古臭さを感じさせない。
福沢諭吉なんかも登場して、二人の日本好みもあって、親しみが持てるし、それ以上に実在の人物がいろいろ登場し、虚実とり交えて、歴史改変小説の大傑作になっている。
それ以上に今回のハヤカワの新装版では、アイリーン・ガンの補遺も記述が加えられているし、そして何よりも角川版のハードカバー、文庫版にあった巽孝之氏のあとがき、さらには、今回のために書かれたあとがきが嬉しい。
サイバーパンクファンとしては、復刊されてうれしいが、苦労して角川のハードカバー版、文庫版を入手した身としては、ちょっと残念。
ギブスンの新作ももうすぐ出るし、そっちもあのしみだ。
福沢諭吉なんかも登場して、二人の日本好みもあって、親しみが持てるし、それ以上に実在の人物がいろいろ登場し、虚実とり交えて、歴史改変小説の大傑作になっている。
それ以上に今回のハヤカワの新装版では、アイリーン・ガンの補遺も記述が加えられているし、そして何よりも角川版のハードカバー、文庫版にあった巽孝之氏のあとがき、さらには、今回のために書かれたあとがきが嬉しい。
サイバーパンクファンとしては、復刊されてうれしいが、苦労して角川のハードカバー版、文庫版を入手した身としては、ちょっと残念。
ギブスンの新作ももうすぐ出るし、そっちもあのしみだ。
2010年8月12日に日本でレビュー済み
オリジナルは1991年発表。サイバーパンクの両巨頭であるウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの共著で,ヴィクトリア朝大英帝国の歴史改変ものといえばまさに期待大ですが,わたくし西洋史(や計算機史)には明るくないので,どこがどういじられていて面白いのかちっともわかりませんでした。ストーリーの転がり方も,ギブスンの加速して爆裂する疾走感よりも,スターリングの説明たくさんな語り口が際だっていて,読み進めるのに苦労しました。読み手を選ぶ小説というのが正直な感想です。