興味深い内容でした。
潜伏キリシタンの実態と明治6年の高札の撤去によるカトリックへの復帰の意味を深く知ることが出来た。
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潜伏キリシタンは何を信じていたのか 単行本 – 2018/2/22
宮崎 賢太郎
(著)
ゼ十ス様、丸や様とはだれか? 通説を覆すおどろきの信仰世界が明らかに
230年の長きにわたり、信仰を守った潜伏キリシタン。2018年6月には世界遺産登録も予定されている。しかし本当に彼らはキリシタンを唯一の宗教としていたのだろうか。潜伏キリシタンの驚きの姿を明らかにする
230年の長きにわたり、信仰を守った潜伏キリシタン。2018年6月には世界遺産登録も予定されている。しかし本当に彼らはキリシタンを唯一の宗教としていたのだろうか。潜伏キリシタンの驚きの姿を明らかにする
- 本の長さ296ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2018/2/22
- 寸法12.8 x 1.8 x 18.8 cm
- ISBN-104044003459
- ISBN-13978-4044003456
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商品の説明
著者について
●宮崎 賢太郎:1950年、長崎市生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。同大大学院人文科学研究科宗教学宗教史学修士課程中途退学。2016年3月、長崎純心大学人文学部比較文化学科教授を退官。現代も生きるカクレキリシタンの末裔たちの信仰世界を明らかにすべくフィールドワークを行い、日本人のキリスト教受容の歴史を研究している。
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2018/2/22)
- 発売日 : 2018/2/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 296ページ
- ISBN-10 : 4044003459
- ISBN-13 : 978-4044003456
- 寸法 : 12.8 x 1.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 427,479位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 75,911位ノンフィクション (本)
- - 83,646位人文・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年12月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宗教に縁のない私が読んでも「カクレキリシタン」に抱いていたモヤっとした疑問の霧が晴れました。
キリスト教伝来当時はインドからの新しい仏教宗派と勘違いされていたことや、大名・知識人・一般市民ではそれぞれキリシタンになることに意識のズレがあったエピソードなど、分かりやすく納得できる内容でした。
本の後半は筆者の主観を強く感じましたが、全体を通して信仰や祈りの理由について考えるいい時間となりました。
キリスト教伝来当時はインドからの新しい仏教宗派と勘違いされていたことや、大名・知識人・一般市民ではそれぞれキリシタンになることに意識のズレがあったエピソードなど、分かりやすく納得できる内容でした。
本の後半は筆者の主観を強く感じましたが、全体を通して信仰や祈りの理由について考えるいい時間となりました。
2018年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
長年ライフワークとして取り組まれた研究者の最新著書。この本は潜伏キリシタンの信仰の中味を問うものとなっている。限られた資料、証言者がほとんどいなくなった現状では、研究者の視点、資料の解釈によって結論がはっきり分かれる。大浦天主堂にやって来た潜伏者の「信徒発見」につていも定説を覆す。学術書というよりは、一般向けの内容になっており、長崎の潜伏キリシタン関連がユネスコの世界遺産に認定されようとする今、読んでおいても良いかもしれない。
2018年6月10日に日本でレビュー済み
俗に言う「隠れキリシタン」とは"夢とロマン"の産物であって存在せず、実際は文字通りの"神仏習合"の「カクレキリシタン」が存在した事を主張した書。1614年のキリシタン禁教令によって、「潜伏キリシタン」は確かに何物かを守り通したが、それはキリスト教そのものではなく、日本伝統の呪術的多神教(神道・仏教・キリスト教が混淆した民衆宗教)だったという趣旨である。
著者の主張の主な根拠は以下である。
(1) 布教に当っての言葉の壁(キリスト教の教義が日本人キリシタン(特に一般民衆)に本当に伝わったのか?)
(2) 禁教令以降、宣教師が皆無となってしまったという事実(それにも関わらず日本人キリシタン(特に一般民衆)は信仰を維持できたのか?)
新しい着眼点だとは思ったが、<信仰>は飽くまで"心の中"のものなので物的証拠に乏しいという恨みがある。上記の(1)、(2)の他に、僅かな史料を傍証として用いているが、希少な状況証拠から無理やり結論を外挿したという印象を免れなかった。
そして、分らないのは本書の意匠である。「隠れキリシタン」ではなく、「カクレキリシタン」が存在したと主張する事にどれ程の意義があるのか ?(特に、「隠れキリシタン」の世界遺産正式登録直前に) そもそも日本におけるキリスト教徒が少ない上に、実態が不明の禁教時代のキリスト教史をつついても枝葉末節の感を免れない。主旋律が「歴史は"夢とロマン"だけでは語れない」と言うのでは、余りにも寂しい気がした。
著者の主張の主な根拠は以下である。
(1) 布教に当っての言葉の壁(キリスト教の教義が日本人キリシタン(特に一般民衆)に本当に伝わったのか?)
(2) 禁教令以降、宣教師が皆無となってしまったという事実(それにも関わらず日本人キリシタン(特に一般民衆)は信仰を維持できたのか?)
新しい着眼点だとは思ったが、<信仰>は飽くまで"心の中"のものなので物的証拠に乏しいという恨みがある。上記の(1)、(2)の他に、僅かな史料を傍証として用いているが、希少な状況証拠から無理やり結論を外挿したという印象を免れなかった。
そして、分らないのは本書の意匠である。「隠れキリシタン」ではなく、「カクレキリシタン」が存在したと主張する事にどれ程の意義があるのか ?(特に、「隠れキリシタン」の世界遺産正式登録直前に) そもそも日本におけるキリスト教徒が少ない上に、実態が不明の禁教時代のキリスト教史をつついても枝葉末節の感を免れない。主旋律が「歴史は"夢とロマン"だけでは語れない」と言うのでは、余りにも寂しい気がした。
2018年9月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
表現の仕方が作者の個人的感想って感じの内容です。ただ、なるほどこういう視点もあるのかと気づかされました。それだけです。
2018年12月2日に日本でレビュー済み
本書は長崎県下の隠れキリシタンを地道にリサーチし、彼らが信じてきたものは、「キリシタン」と呼ばれる人達ながら「キリスト教」ではないという、とても刺激的なテーマを取り上げている。著者が生まれたのは長崎県だ。
民衆の信仰とはまったく関係ないところで行われるキリシタン大名による集団改宗の件や、その目的や実情、その後の弾圧の歴史など、興味深い項が続く。中でも「謎の日本人伝道師バスチャン」の件が面白い。そして今も「カクレキリシタン」が長崎県下に存在するという事実。でもこの人達はクリスチャンではない。
一回転半くらいねじれてるが、ならば、この人達が信仰するものはなんなのか?第八章「カクレキリシタンの神とは?」にそれが記されているが、なんというか、びっくりしてしまった。マジか?と思わず声が出た。
最終章の「日本ではなぜキリスト教徒が増えないのか」というテーマも、言われてみればというもの。では、なぜにミッション系の大学はこんなに多いんだろうか?そもそも、「What's your religion?」と尋ねられたら、「I'm no religion.」と答える人が多い国なのに。翻って、読後、自分はなぜに無宗教なのだろうか?そしてなぜにそのように至ったのだろう?と自問。キリシタン大名の街高槻市生まれ高槻市育ちとして。
KADOKAWAの歴史ものを読むと、いつも、「編集は元新人物往来社の方なのかなあ」と思ってしまう。本書は面白かった。
民衆の信仰とはまったく関係ないところで行われるキリシタン大名による集団改宗の件や、その目的や実情、その後の弾圧の歴史など、興味深い項が続く。中でも「謎の日本人伝道師バスチャン」の件が面白い。そして今も「カクレキリシタン」が長崎県下に存在するという事実。でもこの人達はクリスチャンではない。
一回転半くらいねじれてるが、ならば、この人達が信仰するものはなんなのか?第八章「カクレキリシタンの神とは?」にそれが記されているが、なんというか、びっくりしてしまった。マジか?と思わず声が出た。
最終章の「日本ではなぜキリスト教徒が増えないのか」というテーマも、言われてみればというもの。では、なぜにミッション系の大学はこんなに多いんだろうか?そもそも、「What's your religion?」と尋ねられたら、「I'm no religion.」と答える人が多い国なのに。翻って、読後、自分はなぜに無宗教なのだろうか?そしてなぜにそのように至ったのだろう?と自問。キリシタン大名の街高槻市生まれ高槻市育ちとして。
KADOKAWAの歴史ものを読むと、いつも、「編集は元新人物往来社の方なのかなあ」と思ってしまう。本書は面白かった。
2018年7月17日に日本でレビュー済み
潜伏キリシタンのその当時の人々の思いがどうであったのか、文献を背景にして知りたく購入しました。
他の人の意見が気になったのですが、本を目の前にしたところ、つい購入してしまいました。
文献による証明はほぼなされず、作者の思いが語られているだけ。
現代の時代背景と考え方をもとに、江戸期の潜伏キリシタンの考察をしているだけでした。
キリシタン宗門を信じるに至っての過程の考察は、かなり強引なものです。
ただ、潜伏期に入ってからの考察は、古文書からの考察がなされており、非常に面白いものでした。こちらは説得力あるのに...
宮崎健太郎さんはあくまでもキリスト教徒の教義にこだわられている。
教義は宣教師や神父がコントロールし、民衆はミサなどで説教を聞いて教義の一端を聞いてキリスト教を信じてきた。禁教期に入って教義を知っている神父がいなくなったことで、信者だけで禁教期を生き抜かねばならなくなった。そのような状態で、では民衆が信じているものは何だと言った際に、「いや、キリスト教の教義を知らないから、民衆が信じているのはキリスト教ではありません。」と、宮崎健太郎さんは言う。無謀な論理だと思う。では、どの時代でもそうだが、教義を知らないとキリスト教徒ではないのか、仏教徒ではないのか。。。
非常に残念な本です。
他の人の意見が気になったのですが、本を目の前にしたところ、つい購入してしまいました。
文献による証明はほぼなされず、作者の思いが語られているだけ。
現代の時代背景と考え方をもとに、江戸期の潜伏キリシタンの考察をしているだけでした。
キリシタン宗門を信じるに至っての過程の考察は、かなり強引なものです。
ただ、潜伏期に入ってからの考察は、古文書からの考察がなされており、非常に面白いものでした。こちらは説得力あるのに...
宮崎健太郎さんはあくまでもキリスト教徒の教義にこだわられている。
教義は宣教師や神父がコントロールし、民衆はミサなどで説教を聞いて教義の一端を聞いてキリスト教を信じてきた。禁教期に入って教義を知っている神父がいなくなったことで、信者だけで禁教期を生き抜かねばならなくなった。そのような状態で、では民衆が信じているものは何だと言った際に、「いや、キリスト教の教義を知らないから、民衆が信じているのはキリスト教ではありません。」と、宮崎健太郎さんは言う。無謀な論理だと思う。では、どの時代でもそうだが、教義を知らないとキリスト教徒ではないのか、仏教徒ではないのか。。。
非常に残念な本です。
2018年6月26日に日本でレビュー済み
もしも読者が「隠れキリシタン」という言葉を通じて西洋文化への憧れから軽薄な「夢とロマン」に耽溺する人ならば、この本は正にそういった人達の為に書かれた本です。
史実を求めてこの本を手にした人は、「考えたことであろう」「感じたに違いない」「できるわけがない」という文から、記録などの後ろ盾がないままに引き出されている結論の多さに不満を感じるだけでなく、「(筆者が想像するところの)夢とロマン」に向けられた攻撃の繰り返しに辟易させられるでしょう。
私は「筆者の仮説」と「史実」を確認しながら分けて読み進めるのにかなりの精神力と時間を必要としました。筆者が指摘するいくつかの伝承は確かに疑いを持って考えるべきですが、早急に「記録ねつ造」の被疑者を名指しするのなら、状況証拠(該当者の知的能力)以外の根拠もあるべきだと思うのは私だけでしょうか。
幾つかの記録の引用についても、「史実を明らかにする決定的な証拠」もしくは「作り話」と断定するにあたって学術的な根拠が提示されていません。「日本人はこれまでに大切に拝んできた神様や仏様をいともたやすく否定し、神棚や仏壇や先祖の位牌を焼き捨てたという宣教師の記録」を「戦国時代や江戸時代の日本人にそのようなことができたとは考えられない」事から「布教費獲得の為の作り話」と切り捨てておきながら、そのわずか14ページ後に、「彼らはキリシタンに改宗するときに仏像、仏壇、位牌、数珠、お札、お守りなどを破壊、焼却させられており、神仏像の代わりに新たな呪物を求めただけなのである」と信徒たちの偶像崇拝を強調する為に「作り話」が今度は史実として使われています。
また、「領主たちが経済的な目的から領民を強制的に改宗させた」事の決定的な証拠とされているヴァリニャーノによる報告書だけでは、「領地内の神社仏閣を打ち壊してまでの改宗」との間に飛躍があります。史実を追求する本ならば、傍点や補注よりもこの飛躍を埋める記述を私は求めます。確かに長崎は南蛮船貿易で栄えることができましたが、宣教師たちにある程度の安全を保障できるだけの国力と地の利があったからできたことであって、60ものキリシタン大名達全てが期待できた利益ではありません。現代の私達の視点からすれば、仏僧にまで改宗を強要したというのはむしろ「狂信的」という言葉が当てはまります。利益のためだけに全領土の改宗までする貿易は「商業」というより「隷属」ではないでしょうか。「日本国内の仏教勢力を敵に回しても得られる経済的な利益」とは何であったかの説明がなくてはヴァリニャーノによる記述は「16世紀の一人のヨーロッパ人の視点の記録」以上でもそれ以下でもありません。
大浦天主堂の宣教師たちによる再教育の成果を称える為に、浦上四番崩れで流罪にされた信者の口述が引用されています。筆者が本書を「一般民衆キリシタンの信仰を研究する」とし、布教期から潜伏期にわたって知識人層を「教義を理解し得た一部の例外」として視界の外に追いやっていたのならば、大浦司祭館内の神学校の最初の学生3人のうち2人の父親である男性の口述と潜伏期の信者の口述を比較したところで一体何が明らかになるというのでしょうか。
筆者が繰り返す「洗礼を受けていても信徒たちはキリスト教についてほとんど何も知らなかった」「布教期の庶民にとって日本の多神教にキリスト教の神が加えられただけで、従来の神仏信仰はほとんど変わることなく続いていた」「潜伏期のキリシタンたちの信仰はキリスト教ではなかった、当人たちもキリスト教徒であるとの自覚が無かった」という主張には、本書を読み進むだけで疑問が生じます。「洗礼に必要なこと以外は知らなかった」が、「一般の民衆キリシタンたちはキリストやマリアがどのような存在なのか、まったくといってよいほどわかっていなかった」と書き換えられている事が判りますし、身近なキリスト教以外の聖職者が追放された状態で「民衆の信仰生活に何も変わることがなかった」というのは説明が必要です。また、民衆キリシタンが異教の神を頼ったことを懺悔したのならば、彼らは「自分が属する宗教が多神教を認めない」ということを知っていたのではないのでしょうか。大浦天主堂でのフランス人神父との再会と、その後多数の隠れキリシタンたちが積極的にカトリックの教義を学ぼうとしたことは、彼らが自分達の信仰の根源がキリスト教にあるという自覚なしにどうしたら起こりうる出来事でしょうか。
「キリスト教布教にあたって教理教育は浅いレベルのものが不徹底な形で行われていた」という筆者の論点に立ち返って考えてみますと「当時行われていた洗礼前の教育をどれだけ尊重するか」ということがこの本を理解する障害になっている事が判ります。筆者が認めるキリスト教徒とは、「教えを正しく理解し、絶対唯一なる神の存在を信じ、聖書の教えに従って生きる」である以上、当然、布教期の教理教育では特権階級以外はキリスト教徒にはなりえません。ただ、「足りない」ということが「無しに等しい」というのはいささか乱暴すぎないでしょうか。「教義を理解するために、高い知性と教養が不可欠である」高邁なキリスト教の「真正な」教徒は現在でも世界中にどれだけいるというのでしょうか。それを16世紀の庶民に求めるのは無理があります。
キリスト教とは何でしょう。そもそも宗教とは何でしょう。宗教が大きくなると信者の中に自分の持つ信仰の形と違う宗教や宗派を真正ではないとして攻撃し、排除しようとする勢力が出てきます。不完全な教えが230年もの間隔離されて土着化し、その姿が他のクリスチャンやキリスト教愛好者達にとって好ましい形から乖離したからといって、隠れキリシタンの信仰をキリスト教から切り捨てなければいけない理由は何でしょう。一人一人の信者にとっての信仰を尊重するならば、自分たちの教えの源流をキリスト教に認めてそこから学び続ける姿勢を示した人たちの信仰は、私達もキリスト教の一派と認めてもよいのではないでしょうか。
史実を求めてこの本を手にした人は、「考えたことであろう」「感じたに違いない」「できるわけがない」という文から、記録などの後ろ盾がないままに引き出されている結論の多さに不満を感じるだけでなく、「(筆者が想像するところの)夢とロマン」に向けられた攻撃の繰り返しに辟易させられるでしょう。
私は「筆者の仮説」と「史実」を確認しながら分けて読み進めるのにかなりの精神力と時間を必要としました。筆者が指摘するいくつかの伝承は確かに疑いを持って考えるべきですが、早急に「記録ねつ造」の被疑者を名指しするのなら、状況証拠(該当者の知的能力)以外の根拠もあるべきだと思うのは私だけでしょうか。
幾つかの記録の引用についても、「史実を明らかにする決定的な証拠」もしくは「作り話」と断定するにあたって学術的な根拠が提示されていません。「日本人はこれまでに大切に拝んできた神様や仏様をいともたやすく否定し、神棚や仏壇や先祖の位牌を焼き捨てたという宣教師の記録」を「戦国時代や江戸時代の日本人にそのようなことができたとは考えられない」事から「布教費獲得の為の作り話」と切り捨てておきながら、そのわずか14ページ後に、「彼らはキリシタンに改宗するときに仏像、仏壇、位牌、数珠、お札、お守りなどを破壊、焼却させられており、神仏像の代わりに新たな呪物を求めただけなのである」と信徒たちの偶像崇拝を強調する為に「作り話」が今度は史実として使われています。
また、「領主たちが経済的な目的から領民を強制的に改宗させた」事の決定的な証拠とされているヴァリニャーノによる報告書だけでは、「領地内の神社仏閣を打ち壊してまでの改宗」との間に飛躍があります。史実を追求する本ならば、傍点や補注よりもこの飛躍を埋める記述を私は求めます。確かに長崎は南蛮船貿易で栄えることができましたが、宣教師たちにある程度の安全を保障できるだけの国力と地の利があったからできたことであって、60ものキリシタン大名達全てが期待できた利益ではありません。現代の私達の視点からすれば、仏僧にまで改宗を強要したというのはむしろ「狂信的」という言葉が当てはまります。利益のためだけに全領土の改宗までする貿易は「商業」というより「隷属」ではないでしょうか。「日本国内の仏教勢力を敵に回しても得られる経済的な利益」とは何であったかの説明がなくてはヴァリニャーノによる記述は「16世紀の一人のヨーロッパ人の視点の記録」以上でもそれ以下でもありません。
大浦天主堂の宣教師たちによる再教育の成果を称える為に、浦上四番崩れで流罪にされた信者の口述が引用されています。筆者が本書を「一般民衆キリシタンの信仰を研究する」とし、布教期から潜伏期にわたって知識人層を「教義を理解し得た一部の例外」として視界の外に追いやっていたのならば、大浦司祭館内の神学校の最初の学生3人のうち2人の父親である男性の口述と潜伏期の信者の口述を比較したところで一体何が明らかになるというのでしょうか。
筆者が繰り返す「洗礼を受けていても信徒たちはキリスト教についてほとんど何も知らなかった」「布教期の庶民にとって日本の多神教にキリスト教の神が加えられただけで、従来の神仏信仰はほとんど変わることなく続いていた」「潜伏期のキリシタンたちの信仰はキリスト教ではなかった、当人たちもキリスト教徒であるとの自覚が無かった」という主張には、本書を読み進むだけで疑問が生じます。「洗礼に必要なこと以外は知らなかった」が、「一般の民衆キリシタンたちはキリストやマリアがどのような存在なのか、まったくといってよいほどわかっていなかった」と書き換えられている事が判りますし、身近なキリスト教以外の聖職者が追放された状態で「民衆の信仰生活に何も変わることがなかった」というのは説明が必要です。また、民衆キリシタンが異教の神を頼ったことを懺悔したのならば、彼らは「自分が属する宗教が多神教を認めない」ということを知っていたのではないのでしょうか。大浦天主堂でのフランス人神父との再会と、その後多数の隠れキリシタンたちが積極的にカトリックの教義を学ぼうとしたことは、彼らが自分達の信仰の根源がキリスト教にあるという自覚なしにどうしたら起こりうる出来事でしょうか。
「キリスト教布教にあたって教理教育は浅いレベルのものが不徹底な形で行われていた」という筆者の論点に立ち返って考えてみますと「当時行われていた洗礼前の教育をどれだけ尊重するか」ということがこの本を理解する障害になっている事が判ります。筆者が認めるキリスト教徒とは、「教えを正しく理解し、絶対唯一なる神の存在を信じ、聖書の教えに従って生きる」である以上、当然、布教期の教理教育では特権階級以外はキリスト教徒にはなりえません。ただ、「足りない」ということが「無しに等しい」というのはいささか乱暴すぎないでしょうか。「教義を理解するために、高い知性と教養が不可欠である」高邁なキリスト教の「真正な」教徒は現在でも世界中にどれだけいるというのでしょうか。それを16世紀の庶民に求めるのは無理があります。
キリスト教とは何でしょう。そもそも宗教とは何でしょう。宗教が大きくなると信者の中に自分の持つ信仰の形と違う宗教や宗派を真正ではないとして攻撃し、排除しようとする勢力が出てきます。不完全な教えが230年もの間隔離されて土着化し、その姿が他のクリスチャンやキリスト教愛好者達にとって好ましい形から乖離したからといって、隠れキリシタンの信仰をキリスト教から切り捨てなければいけない理由は何でしょう。一人一人の信者にとっての信仰を尊重するならば、自分たちの教えの源流をキリスト教に認めてそこから学び続ける姿勢を示した人たちの信仰は、私達もキリスト教の一派と認めてもよいのではないでしょうか。