良書。一読して筆者の危機感がひしひしと伝わった。
プロレス雑誌は僕もよく目にする。アメプロのストーリーの流れもWTCの惨事以来確かに影響がある。あらゆるマスメディアから、必要以上のアメリカへの気遣いを感じる。
2002年現在のテレビをはじめとするマスコミ全体を包んでいる胡散臭い空気には確かに吐き気を覚えているし、世の風潮が同調と反発の真っ二つに分かれていることにも危惧を感じている。世論が顕著に二極化することは必ずしも良いことではないが、翼賛的一元化が最も危険なことは言うに及ばない事実だ。
文字メディアの中で「禁忌」に果敢に挑戦している筆者に敬意を表するとともに、気に入らないことには恐れずキッパリ反発の意を表することが僕たち読者に出来る身近な「禁忌」への挑戦だと知った。
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サブカルチャー反戦論 (角川文庫 お 39-9) 文庫 – 2003/8/1
大塚 英志
(著)
戦争をしてはいけない
9.11からアフガン戦争、イラク戦争まで「帝国」の拡張にサブカルチャーはいかに反戦を語るか真摯なメッセージ
9.11からアフガン戦争、イラク戦争まで「帝国」の拡張にサブカルチャーはいかに反戦を語るか真摯なメッセージ
- 本の長さ252ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2003/8/1
- ISBN-104044191174
- ISBN-13978-4044191177
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2003/8/1)
- 発売日 : 2003/8/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 252ページ
- ISBN-10 : 4044191174
- ISBN-13 : 978-4044191177
- Amazon 売れ筋ランキング: - 954,075位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1958年生まれ。まんが原作者、批評家。『「捨て子」たちの民俗学』(第五回角川財団学芸賞受賞)などがある。神戸芸術工科大学教授、東京藝術大学大学院兼任講師。芸術工学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 映画式まんが家入門 (ISBN-13: 978-4048685627 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2002年10月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2004年7月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文庫化にあたり、イラク戦争の項が加筆された、「サブカルチャー反戦論」です。
題名の割に真面目な本ですが、文章は平易。一部同じ著者の小説も入っています。多重人格探偵サイコの一部ですね。そちらの世界では徴兵制が復活していたりして、ちょっとどきっとさせられます。
また、著者は最近、護憲を目的とする「九条の会」に加入した模様です。新聞で読みました。
題名の割に真面目な本ですが、文章は平易。一部同じ著者の小説も入っています。多重人格探偵サイコの一部ですね。そちらの世界では徴兵制が復活していたりして、ちょっとどきっとさせられます。
また、著者は最近、護憲を目的とする「九条の会」に加入した模様です。新聞で読みました。
2004年11月21日に日本でレビュー済み
サブカルチャー反戦論、とはいうものの、最早、いまは大塚の主領域である
マンガやアニメこそがメインの地位を獲得しているといって過言でなかろう。
ここで「サブカルチャー」という言葉が意味するのは、メインの周辺として
のサブ、ということではなく、批評の方法やその視点がマンガ・アニメ的な
感性に裏付けられている、と考えたほうがおそらくは妥当であると思われる。
身も蓋もないことを言えば本書は憲法第九条を基軸とした反戦論風エッセイ
である。現実を見ずに思考停止して呪文のごとく九条の文言を唱え続けた
かつての「左翼」と称された連中とほぼ同じ轍をなぞりつつも、軍事的要請
に抗い日米安全保障条約を締結させた吉田茂と同じように九条を逆手に取った
戦略的な反戦論を試みようともしている。「ようとしている」と書いたのは、
それが反戦「論」というにはいささか隙のありすぎる散漫なものだからである。
たとえば、9・11のテロやイラク戦争におけるアメリカからの軍事的要請の
流れの中で憲法を変えるのは結局は同じ憲法の強要ではないか、と妥当にも
述べながら、一方では、「人を殺しては何故いけないのか」を莫迦正直に
考えなくてもいいのと同じように、大事なのは難解な理由はともかく「戦争
に加担するのは間違っている」「戦争は嫌だ」と発言することだ、とも述べ
ている。議論として評価するならこれは確かに無防備すぎる。しかし、混迷
した現実を真っ当な方向にもっていくための方便だと思えば、さして間違った
手段ではないように私は感じる。
大塚は言う、9・11のテロの際に貿易センタービルが突撃した二機のボーイング
と共に崩れ落ちていったあの光景を「ハリウッド映画のようだ」と感じた人々、
あるいは湾岸戦争の際にCNNを通じて流れてきたパトリオット・ミサイルの爆撃
映像を「テレビゲームのようだ」と感じた人々は、そこで映画やゲームに八つ
当たりする前に、何故それが映画やゲームのようだと感じてしまったのかと深く
考え込むべきだったのだ、と。全くその通りである。我々の理性は、こうした
素朴な感性によって強く影響されている。そして今や、その感性をかたちづくる
のは、マンガやアニメ、映画やゲームといったサブカルチャーなのである。
マンガやアニメこそがメインの地位を獲得しているといって過言でなかろう。
ここで「サブカルチャー」という言葉が意味するのは、メインの周辺として
のサブ、ということではなく、批評の方法やその視点がマンガ・アニメ的な
感性に裏付けられている、と考えたほうがおそらくは妥当であると思われる。
身も蓋もないことを言えば本書は憲法第九条を基軸とした反戦論風エッセイ
である。現実を見ずに思考停止して呪文のごとく九条の文言を唱え続けた
かつての「左翼」と称された連中とほぼ同じ轍をなぞりつつも、軍事的要請
に抗い日米安全保障条約を締結させた吉田茂と同じように九条を逆手に取った
戦略的な反戦論を試みようともしている。「ようとしている」と書いたのは、
それが反戦「論」というにはいささか隙のありすぎる散漫なものだからである。
たとえば、9・11のテロやイラク戦争におけるアメリカからの軍事的要請の
流れの中で憲法を変えるのは結局は同じ憲法の強要ではないか、と妥当にも
述べながら、一方では、「人を殺しては何故いけないのか」を莫迦正直に
考えなくてもいいのと同じように、大事なのは難解な理由はともかく「戦争
に加担するのは間違っている」「戦争は嫌だ」と発言することだ、とも述べ
ている。議論として評価するならこれは確かに無防備すぎる。しかし、混迷
した現実を真っ当な方向にもっていくための方便だと思えば、さして間違った
手段ではないように私は感じる。
大塚は言う、9・11のテロの際に貿易センタービルが突撃した二機のボーイング
と共に崩れ落ちていったあの光景を「ハリウッド映画のようだ」と感じた人々、
あるいは湾岸戦争の際にCNNを通じて流れてきたパトリオット・ミサイルの爆撃
映像を「テレビゲームのようだ」と感じた人々は、そこで映画やゲームに八つ
当たりする前に、何故それが映画やゲームのようだと感じてしまったのかと深く
考え込むべきだったのだ、と。全くその通りである。我々の理性は、こうした
素朴な感性によって強く影響されている。そして今や、その感性をかたちづくる
のは、マンガやアニメ、映画やゲームといったサブカルチャーなのである。
2011年7月26日に日本でレビュー済み
本著のあとがきで、本の代金の一割は自動的アフガニスタンの人々に使われるとなっているとしています。(P142 2001年11月18日)そういうわけで、購入当初、僕は「戦時下」における9.11から始まる戦争に対する誠実な反戦論と思っていました。特にP85-104においては、著者は柄谷行人に対する批判を行っています。
しかし、2008年2月の「新現実」vol.5号のp8〜p48の著者と柄谷行人の対談では、「おそらく、柄谷さんが対談された作家や批評家のなかでぼくがいちばん頭が悪いとおもうので(略)」という著者の言葉で始まり、2001年行った柄谷行人の批判は全くなく、悪く言えば著者が柄谷行人に擦り寄っているような対談でありました。2008年でも、現在でも戦時下(アフガニスタンなど)には違いはなく、「どうして大塚英志が心変わりしたか。」をぼくにはわからない。
しかし、2008年2月の「新現実」vol.5号のp8〜p48の著者と柄谷行人の対談では、「おそらく、柄谷さんが対談された作家や批評家のなかでぼくがいちばん頭が悪いとおもうので(略)」という著者の言葉で始まり、2001年行った柄谷行人の批判は全くなく、悪く言えば著者が柄谷行人に擦り寄っているような対談でありました。2008年でも、現在でも戦時下(アフガニスタンなど)には違いはなく、「どうして大塚英志が心変わりしたか。」をぼくにはわからない。
2005年3月24日に日本でレビュー済み
私は戦争をしたくない。
イラク戦争にも反対だ。
しかし現在の日本の中で、特に右傾化するネット社会においてそれを表明するのは非常に困難である。
私のような人は本当はたくさんいるはずである。だが私たちは反戦のための言葉を持たない。何と言えばいいのかわからない。
そこに大塚英志は言葉を与えてくれた。
戦いたくないから、でいい。
殺したくないから、でいい。
死にたくないから、でいい。
このままでは日本は本当に徴兵令を復活させかねない。
500円ちょっとであなたは一生自分のよって立つ根拠となるところの「言葉」を獲得することができるようになるはずだ。
イラク戦争にも反対だ。
しかし現在の日本の中で、特に右傾化するネット社会においてそれを表明するのは非常に困難である。
私のような人は本当はたくさんいるはずである。だが私たちは反戦のための言葉を持たない。何と言えばいいのかわからない。
そこに大塚英志は言葉を与えてくれた。
戦いたくないから、でいい。
殺したくないから、でいい。
死にたくないから、でいい。
このままでは日本は本当に徴兵令を復活させかねない。
500円ちょっとであなたは一生自分のよって立つ根拠となるところの「言葉」を獲得することができるようになるはずだ。
2006年10月11日に日本でレビュー済み
反戦を唱えること。
メディアに向かってそれを表現できる人間は、それを表現するべきだの主張は、正論だと思います。
何かを表現して残すことが作家の仕事であるわけなので、社会が緊張しているときに何かを表現することは、そんなときだからこそ表現者は非常に目立つし、ひょっとしたらいろんな意味で、後世に名が残るかもしれない。そういった意味では、主張が正しくても間違っていても、表現することは重要です。
そのような中で、自分の好きな作家や、思想家、オピニオンリーダーには、戦争について語ってほしいという素直な姿勢や一市民としての感情を吐露している部分は、とても共感がもてます。
ただ、本書は、いろいろなメディアに書き散らしたものの寄せ集めで、今ひとつ構成力に欠ける部分もあります。それも、ひとつの表現方法ではありますが、混乱する人もいるかもしれません。
まんがやアニメに無理やりメタファーを求め、こじつけているようなところも見受けられ、まぁそれも
ひとつの捉え方ではあるとは思うけれど、その部分については、今ひとつ共感が沸きませんでした。
「説得する」という意味では、この本はあまり論理的でない部分もあるので、あまりいい本ではないのですが、「喚起する」という意味では、程よいエッセイではあります。
メディアに向かってそれを表現できる人間は、それを表現するべきだの主張は、正論だと思います。
何かを表現して残すことが作家の仕事であるわけなので、社会が緊張しているときに何かを表現することは、そんなときだからこそ表現者は非常に目立つし、ひょっとしたらいろんな意味で、後世に名が残るかもしれない。そういった意味では、主張が正しくても間違っていても、表現することは重要です。
そのような中で、自分の好きな作家や、思想家、オピニオンリーダーには、戦争について語ってほしいという素直な姿勢や一市民としての感情を吐露している部分は、とても共感がもてます。
ただ、本書は、いろいろなメディアに書き散らしたものの寄せ集めで、今ひとつ構成力に欠ける部分もあります。それも、ひとつの表現方法ではありますが、混乱する人もいるかもしれません。
まんがやアニメに無理やりメタファーを求め、こじつけているようなところも見受けられ、まぁそれも
ひとつの捉え方ではあるとは思うけれど、その部分については、今ひとつ共感が沸きませんでした。
「説得する」という意味では、この本はあまり論理的でない部分もあるので、あまりいい本ではないのですが、「喚起する」という意味では、程よいエッセイではあります。
2006年1月30日に日本でレビュー済み
嫌韓流、小林よしのりを始めとして、尚武に走るサブカルチャー。こんなもので、平和が守れるか?甚だ疑問。というか、議論する以前に噴飯である。気骨があるやつ、反戦の主張を述べれるやつは、サブカルチャーなどにしがみ付いてはいない!
マンガ喫茶、ゲーム機にしがみ付いているにが、好軍的になっているのだ。サブカルで、嫌「嫌韓流」をやっていみるがいい。
マンガ喫茶、ゲーム機にしがみ付いているにが、好軍的になっているのだ。サブカルで、嫌「嫌韓流」をやっていみるがいい。