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編集者国木田独歩の時代 (角川選書 417) 単行本 – 2007/12/10
黒岩 比佐子
(著)
自然主義作家・国木田独歩は、優れた編集者としての一面をもち、日露戦争期に爆発的な人気を博したグラフ誌を創刊・発行した。独歩の編集者としての半生を綿密に追い、活気あふれる明治の時代を描き出す。
〈目次〉
序章 独歩社という「自由の国」
第一章 ジャーナリストとしての出発
第二章 『東洋画報』誕生
第三章 戦争報道メディアへの展開
第四章 近事画報社の黄金期
第五章 独歩社の旗揚げ
第六章 「破産」と謎の女写真師
第七章 失意と名声のなかで
終章 時代に先駆けすぎた独歩
主要参考文献
国木田独歩略年譜
あとがき
扉図版説明
人名索引
〈目次〉
序章 独歩社という「自由の国」
第一章 ジャーナリストとしての出発
第二章 『東洋画報』誕生
第三章 戦争報道メディアへの展開
第四章 近事画報社の黄金期
第五章 独歩社の旗揚げ
第六章 「破産」と謎の女写真師
第七章 失意と名声のなかで
終章 時代に先駆けすぎた独歩
主要参考文献
国木田独歩略年譜
あとがき
扉図版説明
人名索引
- 本の長さ350ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日2007/12/10
- ISBN-104047034177
- ISBN-13978-4047034174
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA/角川学芸出版 (2007/12/10)
- 発売日 : 2007/12/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 350ページ
- ISBN-10 : 4047034177
- ISBN-13 : 978-4047034174
- Amazon 売れ筋ランキング: - 40,721位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,094位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
婦人画報の編集者として活躍していた国木田独歩の人生について、丁寧な調査と資料の裏付けが述べられていて、驚きと納得の連続で手が止まらなかった。
2017年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
購入。わかりやすい文章で、独歩の編集者としての一面を浮き彫りにします。
明治のジャーナリズムに関心のある人にもオススメです。
明治のジャーナリズムに関心のある人にもオススメです。
2011年3月6日に日本でレビュー済み
国木田独歩が編集者であったことは知っていた。伊藤整の『日本文壇史』を読んでいたからだ。文庫版『
日本文壇史総索引 (講談社文芸文庫)
』を見てみると分かるが、「独歩社」「近事画報社」は、各々10数ページに出てくる。
それに、『日本文壇史』に登場する「独歩」は、350ページを越えるので、文壇における独歩及び、最初の妻とのいきさつについてもほぼ知っていた。
もちろん、著者は大量の第一次資料を収集し、調べているので、細かい部分では知らないことも多かった。なかでも、女写真師・梅子のモデル探しはミステリの謎解きを思わせて興味深い。ただ、全体として、すごく面白いとかぐいぐい興味を惹かれて仕方がないということはなかった。
そういう私にとって、本書でもっとも興味深かったのは、「近事画報」などを含めたグラフ誌にかかわる部分である。名取洋之助の仕事についても多少知っていたが、日本のグラフ誌の創世期の状況や矢野龍渓のかかわり、欧米でのグラフ誌の動向との比較などは知らなかったことばかりで、面白かった。
著者は、『パンとペン』を刊行した後で亡くなられたということだが、若かっただけに残念でならない。
それに、『日本文壇史』に登場する「独歩」は、350ページを越えるので、文壇における独歩及び、最初の妻とのいきさつについてもほぼ知っていた。
もちろん、著者は大量の第一次資料を収集し、調べているので、細かい部分では知らないことも多かった。なかでも、女写真師・梅子のモデル探しはミステリの謎解きを思わせて興味深い。ただ、全体として、すごく面白いとかぐいぐい興味を惹かれて仕方がないということはなかった。
そういう私にとって、本書でもっとも興味深かったのは、「近事画報」などを含めたグラフ誌にかかわる部分である。名取洋之助の仕事についても多少知っていたが、日本のグラフ誌の創世期の状況や矢野龍渓のかかわり、欧米でのグラフ誌の動向との比較などは知らなかったことばかりで、面白かった。
著者は、『パンとペン』を刊行した後で亡くなられたということだが、若かっただけに残念でならない。
2013年3月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
国木田独歩(1871-1908)といえば、自然主義文学の作家として知られる。本書では、その独歩がグラフ誌の編集者として活動し、その才能をあますとろなくつぎ込んだことを紹介されている。独歩研究者の間でもあまり知られていなかったことで、興味深く読ませてもらった。
その紹介によると、独歩は21歳で自由党の機関誌を発行する自由社に入って以来、国民新聞社、報知社、民声新聞社とジャーナリズムの世界に生きた。31歳で『東洋画報』の編集長、『近時画報』と改題後これをグラフ誌として成長させ、日露戦争年間には『戦時画報』と改題して人気を得た。さらに、『婦人画報』『新古文林』『実業画報』『美観画報』『遊戯雑誌』などを各ジャンルで創刊、その後「独歩社」を興して活動を続けた。「自由の國」と呼ばれた独歩社には若い文士、画家があつまり、さながらサロンのような空気もあった。
独歩自身ジャーナリズムという業界での編集者の仕事にはいたく気に入っていたようであり、その活動はみかけは華々しかったが、経営的には苦しく、組織として立ち行かなくなり、解散。もともと体が弱かったところへ、雑誌社経営の苦労が絶えず、肺をわずらい数え38歳(満36歳)で病没した。晩年は意欲的に作家活動を展開した。
このように、著者は独歩の人生にとって負の側面であり、忘れ去られた一面に光をあて、独歩の生涯を体系的に構築した。すばらしい業績である。独歩の妻、治子も小説を書き、独歩社の顛末をあつかった「破産」があるが、著者は仮名の登場人物を実在の人間に丹念に対照、そのなかに女性写真家がひとりいたことを知り、その人が誰かを調査。苦心惨澹の末、この女性写真家が愛媛出身の日野水ユキエであったことをつきとめる。
調査のプロセスは、本書で詳しく書かれている。明治期、雨後の筍のように生まれ、しかし経営が難しく消えていった雑誌の数々、それらの紹介も面白い。硯友社と自然主義の対立、田山花袋、小杉天外、真山青果、岩野泡迷鳴、窪田空穂、相馬御風など懐かしい作家が多く出てくる。
その紹介によると、独歩は21歳で自由党の機関誌を発行する自由社に入って以来、国民新聞社、報知社、民声新聞社とジャーナリズムの世界に生きた。31歳で『東洋画報』の編集長、『近時画報』と改題後これをグラフ誌として成長させ、日露戦争年間には『戦時画報』と改題して人気を得た。さらに、『婦人画報』『新古文林』『実業画報』『美観画報』『遊戯雑誌』などを各ジャンルで創刊、その後「独歩社」を興して活動を続けた。「自由の國」と呼ばれた独歩社には若い文士、画家があつまり、さながらサロンのような空気もあった。
独歩自身ジャーナリズムという業界での編集者の仕事にはいたく気に入っていたようであり、その活動はみかけは華々しかったが、経営的には苦しく、組織として立ち行かなくなり、解散。もともと体が弱かったところへ、雑誌社経営の苦労が絶えず、肺をわずらい数え38歳(満36歳)で病没した。晩年は意欲的に作家活動を展開した。
このように、著者は独歩の人生にとって負の側面であり、忘れ去られた一面に光をあて、独歩の生涯を体系的に構築した。すばらしい業績である。独歩の妻、治子も小説を書き、独歩社の顛末をあつかった「破産」があるが、著者は仮名の登場人物を実在の人間に丹念に対照、そのなかに女性写真家がひとりいたことを知り、その人が誰かを調査。苦心惨澹の末、この女性写真家が愛媛出身の日野水ユキエであったことをつきとめる。
調査のプロセスは、本書で詳しく書かれている。明治期、雨後の筍のように生まれ、しかし経営が難しく消えていった雑誌の数々、それらの紹介も面白い。硯友社と自然主義の対立、田山花袋、小杉天外、真山青果、岩野泡迷鳴、窪田空穂、相馬御風など懐かしい作家が多く出てくる。
2010年12月11日に日本でレビュー済み
文学にも文学史にも疎いので、国木田独歩というと『武蔵野』に見られるような、自然描写や情景描写がめっぽう上手い作家、くらいの印象しか持っていませんでした。
その国木田独歩が、編集者や発行人として、明治期の雑誌ジャーナリズム、とくにグラフ・ジャーナリズムを先導したという。
「ホンマかいな?」と思って読み始めたところ、「へえ〜〜!」という驚きの連続で、グイグイひき込まれました。
著書は元編集者で、古書のコレクターだそうで、国木田独歩が作った雑誌を集め、その編集手腕について、同業者ならではの視点で緻密に分析しています。
そこから読み取れる国木田独歩の姿は、着想がユニークで洒落心があって、時代の波頭を読むことにも長け、時には思いつきで「売らんかな」丸出しの企画を立てるものの、「売らんかな」企画がきっちり頓挫するという、愛すべきキャラクターの編集長でした。
本書の極めつきの「へえ〜〜!」は、明治期の滑稽系雑誌(今だとパロディ雑誌というのかな?)を巡るエピソード。
宮武外骨が発行する『滑稽新聞』、北沢楽天の『東京パック』の向こうをはって、国木田独歩は『上等ポンチ』を創刊します。ほぼ同じ時期、すでにあった滑稽系雑誌の『団団珍聞』を買収し、発行人になろうと試みた人物がいて、それが幸徳秋水。大逆事件で死刑になった社会主義者です。
国木田独歩、幸徳秋水、宮武外骨、北沢楽天が、雑誌を通して「お笑い」を競おうとしていた時代が、かつてこの国にあった!
そんな知られざる明治時の空気を、著者は膨大な量の文献調査と精査を通して、真摯に、しかもビビッドに(この点がすごく良い)伝えています。その情報精度の高さは、巻末の参考文献を見れば、納得できるのでは。
この人が書く明治ものを、もっともっと読みたかったし、驚かせて欲しかったです。訃報は残念ですが、本書は著者の命の何倍分も生きながらえる、名著ではないかと思います。
ちなみに編集者・国木田独歩も、「驚きたい」が口癖だったそうです。
その国木田独歩が、編集者や発行人として、明治期の雑誌ジャーナリズム、とくにグラフ・ジャーナリズムを先導したという。
「ホンマかいな?」と思って読み始めたところ、「へえ〜〜!」という驚きの連続で、グイグイひき込まれました。
著書は元編集者で、古書のコレクターだそうで、国木田独歩が作った雑誌を集め、その編集手腕について、同業者ならではの視点で緻密に分析しています。
そこから読み取れる国木田独歩の姿は、着想がユニークで洒落心があって、時代の波頭を読むことにも長け、時には思いつきで「売らんかな」丸出しの企画を立てるものの、「売らんかな」企画がきっちり頓挫するという、愛すべきキャラクターの編集長でした。
本書の極めつきの「へえ〜〜!」は、明治期の滑稽系雑誌(今だとパロディ雑誌というのかな?)を巡るエピソード。
宮武外骨が発行する『滑稽新聞』、北沢楽天の『東京パック』の向こうをはって、国木田独歩は『上等ポンチ』を創刊します。ほぼ同じ時期、すでにあった滑稽系雑誌の『団団珍聞』を買収し、発行人になろうと試みた人物がいて、それが幸徳秋水。大逆事件で死刑になった社会主義者です。
国木田独歩、幸徳秋水、宮武外骨、北沢楽天が、雑誌を通して「お笑い」を競おうとしていた時代が、かつてこの国にあった!
そんな知られざる明治時の空気を、著者は膨大な量の文献調査と精査を通して、真摯に、しかもビビッドに(この点がすごく良い)伝えています。その情報精度の高さは、巻末の参考文献を見れば、納得できるのでは。
この人が書く明治ものを、もっともっと読みたかったし、驚かせて欲しかったです。訃報は残念ですが、本書は著者の命の何倍分も生きながらえる、名著ではないかと思います。
ちなみに編集者・国木田独歩も、「驚きたい」が口癖だったそうです。
2008年1月12日に日本でレビュー済み
編集者あるいはジャーナリストとしての国木田独歩の業績はこれまで黙殺されてきたに等しいだろう。
たとえば山本健吉は『武蔵野』を論じるにあたって「彼自身、政治家、新聞記者、実業家、教育家、詩人、宗教家などはなはだ夢が多く、それらのいずれの夢にも失敗した果てに、遥か後になってようやく文人としての外生きることのできない自分を見出したことを、この場合考慮に入れなければならない」などとしてこの小説が小説というよりも回想記的なものであることを指摘したことがあった。
このような見方は年譜の上からも疑問が残るのであるが、この本の著者は独歩が創刊した「東洋画報」が、今日のようにメディアが発達していなかった時代における戦時下のフォト・ジャーナリズムとしていかに重要な役割を果たしていたか実にさまざまな角度から明らかにすることによってそうした見方を完全にくつがえしている。また本書における「近時画報」の「東北飢饉号」に関する記述は独歩が編集者として社会的に果たした役割が不当に看過されてきたことを読者に痛感させるに充分なものである。
「あとがき」によれば著者は「近時画報」や「戦時画報」を40冊以上収集したそうであるが、こうした資料収集にかける情熱もさることながら、たとえばその表紙にある住所やデザインなどから独歩社の内情について読み解いてゆく手腕もまた見事である。
著者が収集した資料がこうした形で日の目を見ることは実に喜ばしい限りであるが、さらに本書を魅力的にしているのは、実に豊富な資料に関してあえて注をもうけるようなことはせずに全て本文中で過不足なく説明していることにある。読者は一々注と本文を往復する手間が省け、一気に通読することができるのだが、これはとりもなおさず著者が取りあげる資料が隅に追いやられることなく全てきちんと説明されるべきものであることの証であろう。
生活者としての作家の姿を明らかにするとか、作家が生きた時代の中でとらえなおすといった評価や宣伝はこれまでもいくつもの評伝においてなされてきたが、これほどまでに作家の喜怒哀楽や見果てぬ夢を伝える傑作はあっただろうか。
むろん今日のいわゆる「文化研究」という枠組みにおいても本書は群を抜いている。
本書を読んだあとにあらためて第7章の扉にかかげられた集合写真の中の独歩を見れば後世の評価に満足げな表情を浮かべているようにさえ思えるほど、新鮮な驚きと感動を読者に与えてくれる快著である。
たとえば山本健吉は『武蔵野』を論じるにあたって「彼自身、政治家、新聞記者、実業家、教育家、詩人、宗教家などはなはだ夢が多く、それらのいずれの夢にも失敗した果てに、遥か後になってようやく文人としての外生きることのできない自分を見出したことを、この場合考慮に入れなければならない」などとしてこの小説が小説というよりも回想記的なものであることを指摘したことがあった。
このような見方は年譜の上からも疑問が残るのであるが、この本の著者は独歩が創刊した「東洋画報」が、今日のようにメディアが発達していなかった時代における戦時下のフォト・ジャーナリズムとしていかに重要な役割を果たしていたか実にさまざまな角度から明らかにすることによってそうした見方を完全にくつがえしている。また本書における「近時画報」の「東北飢饉号」に関する記述は独歩が編集者として社会的に果たした役割が不当に看過されてきたことを読者に痛感させるに充分なものである。
「あとがき」によれば著者は「近時画報」や「戦時画報」を40冊以上収集したそうであるが、こうした資料収集にかける情熱もさることながら、たとえばその表紙にある住所やデザインなどから独歩社の内情について読み解いてゆく手腕もまた見事である。
著者が収集した資料がこうした形で日の目を見ることは実に喜ばしい限りであるが、さらに本書を魅力的にしているのは、実に豊富な資料に関してあえて注をもうけるようなことはせずに全て本文中で過不足なく説明していることにある。読者は一々注と本文を往復する手間が省け、一気に通読することができるのだが、これはとりもなおさず著者が取りあげる資料が隅に追いやられることなく全てきちんと説明されるべきものであることの証であろう。
生活者としての作家の姿を明らかにするとか、作家が生きた時代の中でとらえなおすといった評価や宣伝はこれまでもいくつもの評伝においてなされてきたが、これほどまでに作家の喜怒哀楽や見果てぬ夢を伝える傑作はあっただろうか。
むろん今日のいわゆる「文化研究」という枠組みにおいても本書は群を抜いている。
本書を読んだあとにあらためて第7章の扉にかかげられた集合写真の中の独歩を見れば後世の評価に満足げな表情を浮かべているようにさえ思えるほど、新鮮な驚きと感動を読者に与えてくれる快著である。