無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
女は何を欲望するか? (角川oneテーマ21 A 79) 新書 – 2008/3/1
性差を取り払おうともがけばもがくほど、差別が助長される現実。世の中の悪の原因を頑なに男社会に求めたがる独特のフェミニズム論を、柔軟な論理力と明快な言語で喝破してゆく。
- 本の長さ226ページ
- 言語日本語
- 出版社角川書店
- 発売日2008/3/1
- ISBN-104047100900
- ISBN-13978-4047100909
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
登録情報
- 出版社 : 角川書店 (2008/3/1)
- 発売日 : 2008/3/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 226ページ
- ISBN-10 : 4047100900
- ISBN-13 : 978-4047100909
- Amazon 売れ筋ランキング: - 200,703位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
カスタマーレビュー
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
男たちはもうフェミニズムに付き合う必要はない。
他責的な言葉を大量生産する思考装置。男を悪者にして世界を説明する単純さ。
「たいていの場合私たちは秩序への異議申し立てをしているつもりで秩序の再生産をしているのである。」
これに尽きる。
フェミニズムそのものも(あまり勉強した訳じゃないけど)ひとりに一説という感じにどんどん意味合いが複雑になっていって、その根拠とするところもとても曖昧になってきている。
ただ気になるのはやはり、地位や名誉といった社会的リソースの公共的分配について闘うのはあまり意味がない、と断じられてしまっているところだ。
もちろん、一定量の上について過分な期待と労力を払うのはある意味無駄なのかもしれない。しかし、最低線を見たときの性差が明らかにある以上(少なくともこの国では)、やはりそれについては闘っていかなくてはいけないと思う。もちろんこういった戦いの現場にいわゆるフェミニストがいるかということについては甚だ疑問があるし、フェミニスト理論の実践性がどれほどのものかということも疑わしいけれど。
性というものは社会を切り分けるひとつの手段に過ぎない、という。それは正しい。しかし生来の、変えようのない要因に関して実利的な差別を受ける場合、それはやはり看過できないものがある。
兵士への敬意と愛情を持つ人によってなされるでしょう。
あるところまでは、思想的、政治的に成果をあげた
フェミニズムが、力尽きて死期を迎えてしまった。
その経緯を描いています。
フェミニズムに興味は無くても、
一つの社会思想が、どういう問題と取り組み、
発展し、間違いを犯したり、錯覚を起こしたり、
そして袋小路にはまって死期を迎えるのかという
プロセスをたどることは、とてもスリリングでした。
特に前半の言語論は、フェミニストの苦闘を通じて、
言語論について学ぶことができました。
また、フェミニズムの主要な論客(イリガライ、フェルマンなど)についての分析があり、これも興味深く読めます。フェミニズムについては、私個人は「目指しているものは共感できるし、主張について個人的に思い当たる事もたくさんあるのに、なぜか最終的には違和感の残る世界観」でしたが、この本を読んでその理由が少しわかったような気がしました。
「フェミニズム批判」は、「アンチ」の立場からされることが多く、「全否定」「潰すことが最終的ゴール」のような内容のものが多いですが、こちらはあくまでも「ものわかりのいい同情者があえてする批判」といった内容ですので、質のいい議論になっています。「底意地の悪い初老の男性」である内田氏が、赤毛のアンになりきって「赤毛のアン」を読むというところは圧巻でした(とても想像できるからです)。廉価版になりましたし、おすすめな1冊です。
内田樹のこの見解に、評者は大いに共感を覚え、同意する。別の言い方をすれば、評者がフェミニズムをめぐってもそもそと考えていることと、著者がこの本で書いていることとの間に、それほどの差を感じなかったのである。
違うのは、評者より内田樹のほうが、フェミニズムに対して、はるかに深い学識と愛情とを有しているという点である。言語論と映画論とを二本の柱として論じられる内田のフェミニズム論は、ある種のフェミニズムが陥った陥穽を鋭く指し示しつつ、その知的貢献にきちんと敬意を払うという姿勢については一貫している。
フェミニズムには、トランスフェミニンな想像力が必要なのではないか。評者がいくつかのフェミニストの議論に触れて抱いた感想を、この本の読了後にも再び抱いた。