なるほど、こういう考えもあるのかと。
一般教養の一つとして読みました。
役に立つかどうかは分かりません。
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無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21 C 164) 新書 – 2009/1/10
島田 裕巳
(著)
「あなたは宗教を信じますか?」。多くの人は答えられず、自分は宗教にいいかげんだと思っている。しかし、実は世界の宗教も無宗教で、日本人は宗教に熱心なのだ。無宗教、その""魅力と可能性""を初めて明かす!!!
- ISBN-104047101753
- ISBN-13978-4047101753
- 出版社角川グループパブリッシング
- 発売日2009/1/10
- 言語日本語
- 本の長さ183ページ
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商品の説明
著者について
1953年東京生まれ。宗教学者、文筆家。84年東京大学大学院人文科学研究科博士課程終了。現在は東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。主な著作に『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』『日本の10大新宗教』などがある。
登録情報
- 出版社 : 角川グループパブリッシング (2009/1/10)
- 発売日 : 2009/1/10
- 言語 : 日本語
- 新書 : 183ページ
- ISBN-10 : 4047101753
- ISBN-13 : 978-4047101753
- Amazon 売れ筋ランキング: - 468,318位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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宗教学者、作家。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文科学研究会博士課程修了(専攻は宗教学)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。
現代における宗教現象、新宗教運動、世界の宗教、葬式を中心とした冠婚葬祭など、宗教現象については幅広く扱う。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本人とは何か。
それは無宗教に表れているのだと思う。
臨機応変なのも固執する宗教がないからだろう
それは無宗教に表れているのだと思う。
臨機応変なのも固執する宗教がないからだろう
2018年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本人の宗教意識アンケートでは、「無宗教」という回答が70%くらいです。
著者は、この「無宗教」の内容を解説し、世界平和にも貢献できる可能性を持っているとの主張を繰り広げます。
私たち日本人は、宗教という言葉に、信者が熱心に宗教活動をしているイメージを持っています。
毎週日曜日に教会に通い賛美歌を歌うキリスト教、一日5回のお祈りを欠かさないイスラム教、熱心に信者獲得の布教活動をする新宗教などです。
かれらは生活の大きな部分を心身ともに宗教に捧げて敬虔に信仰生活を送っています。
平均的な日本人は、日常生活では特に宗教を意識せず、行事参加的に神道でお宮参り、七五三、合格祈願、結婚式、初詣、氏神様の祭礼参加は神道、葬式・法事は仏教と使い分けています。
葬式のときくらいに自分が仏教のどの宗派の檀家なのかを意識するくらいです。
神道、仏教はそれぞれ役割を分担しているのです。
明治以前は、宗教という言葉はなく、神仏習合が当たり前で、神道、仏教の区別はしていません。
明治政府の、国家統一、富国強兵政策、国家神道政策によって神道と仏教の区分けがハッキリさせられただけです。
当時の欧米列強に追いつけ追い越せの明治政府は、文明国になるためが宗教・学問・芸術も欧米から学ぼうと必死でした。
宗教も文明国の欧米で支配的なキリスト教を禁教から解きました。
同志社など多くのキリスト教系の学校が設立され、何となくハイブロウ立派なイメージを振りまきました。
第二次世界大戦で敗戦の日本は、戦勝国のアメリカのがキリスト教国家であることから、日本人は神道・仏教に負い目引け目をすり込まれます。
「無宗教」であるとの回答には信仰上の無節操さも含まれているとの自嘲的な気持ちがあります。
島田さんは、「無」について無心、無私、無我という言葉から、そこに価値があり、無宗教の再定義を主張します。
そして無宗教が戦争・紛争の絶えない世界の平和構築への道になるのではないかと、その主張を展開します。
JUNIVERSE(ジュニヴァース)という造語まで造っています。
これは勇み足です。
言い過ぎで実現性のない希望的観測というものです。
造語であれば、私は「神仏宗」を提案したいです。
神道と仏教を混在させている神仏混合が実態的に私たち日本人が現実に持っている宗教です。
外国人にあなたの宗教は何ですか、と聞かれたら「無宗教」ではなく「神仏宗」だと答えれえばいいのです。
著者は、この「無宗教」の内容を解説し、世界平和にも貢献できる可能性を持っているとの主張を繰り広げます。
私たち日本人は、宗教という言葉に、信者が熱心に宗教活動をしているイメージを持っています。
毎週日曜日に教会に通い賛美歌を歌うキリスト教、一日5回のお祈りを欠かさないイスラム教、熱心に信者獲得の布教活動をする新宗教などです。
かれらは生活の大きな部分を心身ともに宗教に捧げて敬虔に信仰生活を送っています。
平均的な日本人は、日常生活では特に宗教を意識せず、行事参加的に神道でお宮参り、七五三、合格祈願、結婚式、初詣、氏神様の祭礼参加は神道、葬式・法事は仏教と使い分けています。
葬式のときくらいに自分が仏教のどの宗派の檀家なのかを意識するくらいです。
神道、仏教はそれぞれ役割を分担しているのです。
明治以前は、宗教という言葉はなく、神仏習合が当たり前で、神道、仏教の区別はしていません。
明治政府の、国家統一、富国強兵政策、国家神道政策によって神道と仏教の区分けがハッキリさせられただけです。
当時の欧米列強に追いつけ追い越せの明治政府は、文明国になるためが宗教・学問・芸術も欧米から学ぼうと必死でした。
宗教も文明国の欧米で支配的なキリスト教を禁教から解きました。
同志社など多くのキリスト教系の学校が設立され、何となくハイブロウ立派なイメージを振りまきました。
第二次世界大戦で敗戦の日本は、戦勝国のアメリカのがキリスト教国家であることから、日本人は神道・仏教に負い目引け目をすり込まれます。
「無宗教」であるとの回答には信仰上の無節操さも含まれているとの自嘲的な気持ちがあります。
島田さんは、「無」について無心、無私、無我という言葉から、そこに価値があり、無宗教の再定義を主張します。
そして無宗教が戦争・紛争の絶えない世界の平和構築への道になるのではないかと、その主張を展開します。
JUNIVERSE(ジュニヴァース)という造語まで造っています。
これは勇み足です。
言い過ぎで実現性のない希望的観測というものです。
造語であれば、私は「神仏宗」を提案したいです。
神道と仏教を混在させている神仏混合が実態的に私たち日本人が現実に持っている宗教です。
外国人にあなたの宗教は何ですか、と聞かれたら「無宗教」ではなく「神仏宗」だと答えれえばいいのです。
2022年10月27日に日本でレビュー済み
島田裕巳(1953年~)氏は、東大文学部卒、東大大学院人文科学研究科博士課程満期退学、放送教育開発センター(現・メディア教育開発センター)助教授、日本女子大学教授、東大先端科学技術研究センター特任研究員等を経て、東京女子大学非常勤講師。宗教学者として、宗教に関連する一般向け書籍を多数執筆。
私は新書を含むノンフィクションを好んで読み、興味のある新刊はその時点で入手するようにしているが、今般、過去に評判になった新書で未読のものを、新・古書店でまとめて入手して読んでおり、本書はその中の一冊である。
章立て及び内容は以下の通り。序章:「無宗教」は恥ではない!、第1章:日本人は本当に「無宗教」と思っているのか?、第2章:日本人はなぜ「無宗教」なのか?、第3章:日本人はどうやって「無宗教」に至ったのか?、第4章:日本人はなぜ「無」に惹かれるのか?、第5章:「無宗教」は世界で大きな価値がある、第6章:世界の宗教も実は「無宗教」である、第7章:「無宗教」が世界を救う、補章:JUniverse(ジュニヴァース)の未来
本書において著者が最も言いたかったことは、日本人はこれまで、自らを「無宗教」であると言うときに、コンプレックスや引け目を感じることが多かったが、20世紀の終わり頃から、世界各地で様々な宗教の原理主義化が進み、対立や抗争を繰り返して、世界平和を脅かすようになり(サミュエル・ハンチントンのいう所謂「文明の衝突」が現実化した)、そうした中で、日本人の無宗教であるが故の排他性の無さは極めて貴重で、世界平和のために大いに役立つものである、ということで、この主張については同感である。
また、著者は、複数の宗教間で教義が異なるからといって、自動的に対立や抗争が起こるわけではなく、何らかの形でお互いの利害を犯すようにならなければ、暴力的な宗教対立に発展することはない、とも言っているが、これについても基本的に同意する。私の考えでは、現代において、多くの場合のきっかけとなるのは(経済)格差である。
一方、著者は、日本人が「無宗教」であるという結論を導くために、「無神論」、「多神教」の概念や、神道、仏教、神仏習合、新宗教、等々にも話が及ぶのだが、個々の解釈・説明においては、結論ありきの我田引水的な部分もあり、腑に落ちないところがあったのは残念である。
翻って2022年時点の世界を見ると(本書の出版は2009年)、米中対立の激化とロシアのウクライナ侵攻が、世界に大きな影響を与えており、これらが宗教対立によると言えるかはわからないが(前者は西方キリスト教と中華思想の宗教的対立と言えるかも知れない)、一方で、キリスト教世界とイスラム教世界の対立は依然続いており、著者の提起したテーマの重要性は変わらない。
そうした中で、我々日本人には何ができるのか。。。私の考えでは、宗教に端を発する問題の最大のポイントは、排他的な一神教同士の対立にあるので、我々日本人が「無宗教」であろうと、「無神論」であろうと、「多神教」であろうと、自分たちの心の安寧を得ることはできても、世界各地の対立を収めることは難しい。
著者は本書を次のように結んでいるが、その意味は深い。
「日本人は、今、無宗教であることの幸福を認識し、そこから次のステップを踏み出していかなければならない。世界は果てしなく広がっている。それを限定されたものとしてとらえるほど愚かなことはない。無宗教は、信仰の対象ではない。それは世界そのものであり、私のなかにも広がっている。可能性はそこにしかないとも言える。まだ、無宗教についての考察ははじまったばかりなのである。」
(2022年10月了)
私は新書を含むノンフィクションを好んで読み、興味のある新刊はその時点で入手するようにしているが、今般、過去に評判になった新書で未読のものを、新・古書店でまとめて入手して読んでおり、本書はその中の一冊である。
章立て及び内容は以下の通り。序章:「無宗教」は恥ではない!、第1章:日本人は本当に「無宗教」と思っているのか?、第2章:日本人はなぜ「無宗教」なのか?、第3章:日本人はどうやって「無宗教」に至ったのか?、第4章:日本人はなぜ「無」に惹かれるのか?、第5章:「無宗教」は世界で大きな価値がある、第6章:世界の宗教も実は「無宗教」である、第7章:「無宗教」が世界を救う、補章:JUniverse(ジュニヴァース)の未来
本書において著者が最も言いたかったことは、日本人はこれまで、自らを「無宗教」であると言うときに、コンプレックスや引け目を感じることが多かったが、20世紀の終わり頃から、世界各地で様々な宗教の原理主義化が進み、対立や抗争を繰り返して、世界平和を脅かすようになり(サミュエル・ハンチントンのいう所謂「文明の衝突」が現実化した)、そうした中で、日本人の無宗教であるが故の排他性の無さは極めて貴重で、世界平和のために大いに役立つものである、ということで、この主張については同感である。
また、著者は、複数の宗教間で教義が異なるからといって、自動的に対立や抗争が起こるわけではなく、何らかの形でお互いの利害を犯すようにならなければ、暴力的な宗教対立に発展することはない、とも言っているが、これについても基本的に同意する。私の考えでは、現代において、多くの場合のきっかけとなるのは(経済)格差である。
一方、著者は、日本人が「無宗教」であるという結論を導くために、「無神論」、「多神教」の概念や、神道、仏教、神仏習合、新宗教、等々にも話が及ぶのだが、個々の解釈・説明においては、結論ありきの我田引水的な部分もあり、腑に落ちないところがあったのは残念である。
翻って2022年時点の世界を見ると(本書の出版は2009年)、米中対立の激化とロシアのウクライナ侵攻が、世界に大きな影響を与えており、これらが宗教対立によると言えるかはわからないが(前者は西方キリスト教と中華思想の宗教的対立と言えるかも知れない)、一方で、キリスト教世界とイスラム教世界の対立は依然続いており、著者の提起したテーマの重要性は変わらない。
そうした中で、我々日本人には何ができるのか。。。私の考えでは、宗教に端を発する問題の最大のポイントは、排他的な一神教同士の対立にあるので、我々日本人が「無宗教」であろうと、「無神論」であろうと、「多神教」であろうと、自分たちの心の安寧を得ることはできても、世界各地の対立を収めることは難しい。
著者は本書を次のように結んでいるが、その意味は深い。
「日本人は、今、無宗教であることの幸福を認識し、そこから次のステップを踏み出していかなければならない。世界は果てしなく広がっている。それを限定されたものとしてとらえるほど愚かなことはない。無宗教は、信仰の対象ではない。それは世界そのものであり、私のなかにも広がっている。可能性はそこにしかないとも言える。まだ、無宗教についての考察ははじまったばかりなのである。」
(2022年10月了)
2010年1月19日に日本でレビュー済み
・自分が宗教を信仰することは一生ないだろうし、できれば宗教とは関わりたくない
・でも、世界の人口の大多数が特定の宗教を信仰しているのだから、
宗教を知らないことは世界を知らないことに等しい気がする
・かといって「私の神様は素晴らしいです」という本を何冊も読む気にはなれない
そんな方(私も含む)にぴったりの本だと思います。
日本における仏教と神道の関係の歴史や、
日本人が第二次世界大戦下の全体主義、新興宗教に絡む事件、
同時多発テロなどの事件に触れて
「無宗教」に積極的な意義を見いだすようになったことなど、
日本人と宗教の関わりについて詳しくかつわかりやすく書かれています。
海外の宗教情勢についてはさほど多くのページは割かれていませんが、
最低限の知識は身に付きます。
「教義の違いが直ちに対立を生むというのは大きな誤解である、
(領土拡大など)利害を正当化する大義名分として教義が用いられることで、
対立が深刻化する」という指摘には、強い共感を覚えました。
自分が信じる宗教を正当化するためではなく、
単純な学問的関心から宗教学を学んだ著者の作品だけあって、
客観的かつ論理的にまとめられた良書だと思います。
・でも、世界の人口の大多数が特定の宗教を信仰しているのだから、
宗教を知らないことは世界を知らないことに等しい気がする
・かといって「私の神様は素晴らしいです」という本を何冊も読む気にはなれない
そんな方(私も含む)にぴったりの本だと思います。
日本における仏教と神道の関係の歴史や、
日本人が第二次世界大戦下の全体主義、新興宗教に絡む事件、
同時多発テロなどの事件に触れて
「無宗教」に積極的な意義を見いだすようになったことなど、
日本人と宗教の関わりについて詳しくかつわかりやすく書かれています。
海外の宗教情勢についてはさほど多くのページは割かれていませんが、
最低限の知識は身に付きます。
「教義の違いが直ちに対立を生むというのは大きな誤解である、
(領土拡大など)利害を正当化する大義名分として教義が用いられることで、
対立が深刻化する」という指摘には、強い共感を覚えました。
自分が信じる宗教を正当化するためではなく、
単純な学問的関心から宗教学を学んだ著者の作品だけあって、
客観的かつ論理的にまとめられた良書だと思います。
2009年2月22日に日本でレビュー済み
「日本人に生まれた最大のメリットは、宗教に縛られないこと」とずっと思ってきた自分としては、
「我が意を得たり!」って感じかなと思って読んでみましたが...
なんだか勝手な決め付けが気になる本です。
「日本人は無宗教であることにコンプレックスを持っている」
「神社に初詣、葬式は寺、結婚式は教会、など宗教的に無節操なことに気恥ずかしさを感じている」
といったことがこの本の前提になっている語り口なのだけど、
そんなことを思っている人なんてほとんどいないと思う。
そんなことを思うことさえないほどに、宗教FREEなので。
あと個人的に非常に気になったのは、日本でのキリスト教布教の話で、
「カトリック系の学校だと、たとえカトリックの信者でなくても、生徒達は日常的に礼拝に参加させられる」
という一文。
酷い決め付けです。
自分は中高6年間カトリック系の学校でしたが、そんなのに参加したことは一度もありません。
筆者の言う「キリスト教の宗教教育」とやらを受けましたが、
「キリスト教ってクソだよなあ」と考える人間になってます。
全体として見れば面白いところも多々あるのですが、小さな決め付けのせいで
本全体としての信憑性に疑問を持ってしまいました。
「我が意を得たり!」って感じかなと思って読んでみましたが...
なんだか勝手な決め付けが気になる本です。
「日本人は無宗教であることにコンプレックスを持っている」
「神社に初詣、葬式は寺、結婚式は教会、など宗教的に無節操なことに気恥ずかしさを感じている」
といったことがこの本の前提になっている語り口なのだけど、
そんなことを思っている人なんてほとんどいないと思う。
そんなことを思うことさえないほどに、宗教FREEなので。
あと個人的に非常に気になったのは、日本でのキリスト教布教の話で、
「カトリック系の学校だと、たとえカトリックの信者でなくても、生徒達は日常的に礼拝に参加させられる」
という一文。
酷い決め付けです。
自分は中高6年間カトリック系の学校でしたが、そんなのに参加したことは一度もありません。
筆者の言う「キリスト教の宗教教育」とやらを受けましたが、
「キリスト教ってクソだよなあ」と考える人間になってます。
全体として見れば面白いところも多々あるのですが、小さな決め付けのせいで
本全体としての信憑性に疑問を持ってしまいました。
2009年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本人の多くは恥じながら自嘲気味に自分は無宗教と言うが、何も恥じる必要は無い、むしろ誇るべきだと、日本人を鼓舞するのが筆者の主要な意図だと感じた。その意図は成功している。その反面敬虔な信仰を持つ強さ、持たぬ弱さが捨象されているように思う。
無宗教と言っても初詣に行くなど神仏を敬っており、多神教といっても漠然と神仏を礼拝しているだけで個々の神仏の個性を信仰している訳ではない。信仰対象や教義に拘らぬ分他宗教に寛容だから、他国のように宗教でトラブルやテロを起こすことがない。国際化時代に適応しているのだから誇るべきだという論理であった。
宗教とは何か、無宗教とは何かを歴史的に、社会科学的に、国際関係的に解説していて判り易い。特に日本の宗教の歴史には筆者ならではの知見が光っている 183頁の小冊子は気軽に読破できる。
無宗教と言っても初詣に行くなど神仏を敬っており、多神教といっても漠然と神仏を礼拝しているだけで個々の神仏の個性を信仰している訳ではない。信仰対象や教義に拘らぬ分他宗教に寛容だから、他国のように宗教でトラブルやテロを起こすことがない。国際化時代に適応しているのだから誇るべきだという論理であった。
宗教とは何か、無宗教とは何かを歴史的に、社会科学的に、国際関係的に解説していて判り易い。特に日本の宗教の歴史には筆者ならではの知見が光っている 183頁の小冊子は気軽に読破できる。
2021年1月7日に日本でレビュー済み
普段感じる「無宗教」という言葉になんとなくなじめませんでした。生まれ変わりとか、運のめぐりあわせとか、奇跡を強く否定する人はあまりいません。そのモヤモヤ感がすっきり説明されています。
ものすごく簡単に紹介すると宗教的な大きな対立があって、人々は宗教を意識する。対立が無ければ意識に上ることもない という説明になっています。
そのあたりは良いのですが、それ故に他の国も無宗教であった というのは、少し論理をさぼっている感じがします。意識しない状態に名前を付けてくれればわかりやすいのに。ある問題があって、その見方、受け止め方を変え解決するのが宗教の役割だと思うのですが、この本では突然宗教的な規約・制約が理由もなくできたような展開になっていて物足りなさを感じます。
それはともかく、外国からの移民が増える日本の将来とその価値の分析は、非常に感心しました。排他的でも、諦観でもない見方はカッコいいです。
ものすごく簡単に紹介すると宗教的な大きな対立があって、人々は宗教を意識する。対立が無ければ意識に上ることもない という説明になっています。
そのあたりは良いのですが、それ故に他の国も無宗教であった というのは、少し論理をさぼっている感じがします。意識しない状態に名前を付けてくれればわかりやすいのに。ある問題があって、その見方、受け止め方を変え解決するのが宗教の役割だと思うのですが、この本では突然宗教的な規約・制約が理由もなくできたような展開になっていて物足りなさを感じます。
それはともかく、外国からの移民が増える日本の将来とその価値の分析は、非常に感心しました。排他的でも、諦観でもない見方はカッコいいです。