「危機」乗り越える統治能力を ポピュリズムと決別せよ
野田首相は、社会保障の財源としての消費税率引き上げに道筋をつけ、成長のカギを握る自由貿易を推進し、現実的なエネルギー政策を確立しなければならない。衆参ねじれ国会では、民主、自民、公明3党の合意があって、初めて政治が前に進む。政権を円滑に運営するには、政党間協議で合意を積み重ねる必要がある。政治を動かす「魔法の杖(つえ)」はない。次期衆院選が年内にも予想されるが、民自公3党は、党利党略を超え、合意を目指すべきだ。(中略)日本は、先進国の中で最も厳しい財政事情にある。国と地方を合わせた公的債務は900兆円弱に膨らみ、国内総生産(GDP)のほぼ2倍にも上っている。これまで、日本には1500兆円近くの個人金融資産があり、日本の国債は9割以上が国内の機関投資家や個人投資家に保有されているため、国債の消化を海外に頼る欧米諸国と比べて危険度が比較的小さい、とされてきた。しかし、個人金融資産は、住宅ローンなどの債務を差し引いた実体では1100兆円になる。公的債務との差は200兆円程度だ。今後、国債発行がこれまでのペースで増える一方、高齢化による貯蓄の取り崩しによって金融資産が目減りすれば、国民の資産だけでは国債を吸収できなくなる。財政状況が深刻化し、大震災に見舞われながらも、円に対する国際的信認はなお厚い。日本には欧州並みに消費税率を15〜25%に引き上げる「余地」があると思われているからだろう。しかし、日本の国債がいったん売られると、金利が上昇して利払い費が膨らみ、債務が拡大する。消費が冷え込み、設備投資の減少など景気低迷と税収減の悪循環に陥れば、財政破綻という悪夢のシナリオが現実になりかねない。消費税率引き上げによる財政再建を急ぐ理由は、ここにある。野田首相は、消費税率について「2014年4月に8%、15年10月に10%へ引き上げる」と言明している。3月末に、税制関連法案を国会に提出する方針だ。首相は、年金や医療、介護などの社会保障制度を持続可能にするには、消費税率引き上げによるしかないことを、国民に丁寧に説明し、理解を求めてもらいたい。社会保障と税の一体改革は、どの政党が政権を取っても、与野党で協力して実施に移さなければならないテーマだ。自民、公明両党も政権復帰の可能性を見据え、法案成立に協力すべきだろう。
負担減と給付増を求めるような大衆に迎合する政治(ポピュリズム)と決別することが、危機を克服する道である。(読売新聞社説,2012,1,1)
□
私がさらに注意を促したいのは2点ある。
ひとつはテレビメディアの報道姿勢に関してである。
具体的にいうと、「独裁者」の報道の仕方である。
独裁者が「改革」「解体」などという、象徴的で、単純で、一見わかりやすい言葉を、テレビメディアを利用して、大袈裟に大演出しながら、言葉を発する。その言葉は、特に普段新聞などを読む習慣のないような人たちの頭のデーターベースに、その内容がどういうことで、是か非か、という検証はほとんどされることなく、刷り込まれる。選挙における「無党派層」の投票率は増え、そこに異常なほどの大量の票が集中する。その後、その票は「民意」だと再びテレビメディアから連呼される。「衆愚政治」の完成だ。
さらにいうと、その無党派層の、自分にメリットをもたらしそうだ、というような、根拠が「なんとなく」の期待感に基づいた票は、実はその後、その人にデメリットをもたらすことになるという悲惨な票かもしれない。自滅的な投票とはこのことかもしれない。
テレビメディアは「衆愚化するための道具」としてうまく利用されるようなことがあってはならない。
もうひとつは、ギャンブル依存症への理解を促すことである。
政治において文化を廃し、カジノを建設する、という奇矯なことが普通に肯定されていいのかという問題がある。
それを提唱している人物が、「ギャンブル依存症」だという可能性は否定できない。
だとしたら、「政治がギャンブル化」していると言えはしないだろうか。しかし、そうだとして、ギャンブル依存症のやり方で政治を進めることで本当にこの国がよくなるのだろうか。私には逆の方向に進んでいってしまうという思いに至る。
政治の駆け引きにおいて、「改革」「解体」など、が成功したら、ギャンブルにおける勝利となる。その勝利は、得られるか、得られないか、わからない、という状態なのが、その勝利への渇望を、強迫的に、加速度的に、強める。それに勝利、したときは、おそらく覚醒剤をやっているときより気持ちいいのかもしれない。市民のため、ということはおそらく眼中にはなく、自分の頭の中の覚醒剤に邁進(まいしん)しているだけかもしれないことは一度考えておいても損ではないかもしれない。
□
目的は、この国をよくするとか、この国を幸福にするとか、この国を破綻させないとか、そいうことのはずである。その目的と合致したやり方を選択していくことが重要なことだと考えている。
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ポピュリズムへの反撃 現代民主主義復活の条件 (角川oneテーマ21 A 124) 新書 – 2010/10/9
山口 二郎
(著)
日本社会の更なる沈下を招いた小泉政権を当初歓迎したのは大衆のポピュリズムであった。新たな民主主義再生を実現する手がかりとは何か。9月民主党代表選も含めて検証。政治リテラシーを身につけるための一冊。
- ISBN-104047102563
- ISBN-13978-4047102569
- 出版社角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日2010/10/9
- 言語日本語
- 本の長さ221ページ
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商品の説明
著者について
1958年生まれ。政治学者。北海道大学法学部教授。東大法学部卒。民主党成立時のブレーン。現在は論壇の第一線でも活躍。著者は『政治革命』『日本政治の課題』など多数。
登録情報
- 出版社 : 角川書店(角川グループパブリッシング) (2010/10/9)
- 発売日 : 2010/10/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 221ページ
- ISBN-10 : 4047102563
- ISBN-13 : 978-4047102569
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,124,138位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
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2012年1月1日に日本でレビュー済み
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2012年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ポピュリズムはものごとを単純化し,ステレオタイプを利用する. だから著者はそれらに対抗する方法をさぐっている. ポビュリズムというとだれもが 小泉 純一郎 をあげる (ステレオタイプ!?) が,著者はそれにくわえて 橋下 徹 や東国原などのなまえもあげている. 政党としては社民党やみんなの党をポピュリズムの手法によっているといい,「事実を無視し,挙行のスローガンをふりま」 いているとまで書いている. その一方で民主党とくに鳩山元首相には好意的だ.
たしかに,ポピュリズムが悪であり反撃するべきものだという観点からはそういうことになるだろう. しかし,政治や政治家を判断するにはその手法だけでなく,経済や社会や,その他もろもろのことをあわせてかんがえる必要がある. この本でもそれをまったくかんがえていないわけではないが,視野狭窄しているという印象をうける. 共感することはできない.
たしかに,ポピュリズムが悪であり反撃するべきものだという観点からはそういうことになるだろう. しかし,政治や政治家を判断するにはその手法だけでなく,経済や社会や,その他もろもろのことをあわせてかんがえる必要がある. この本でもそれをまったくかんがえていないわけではないが,視野狭窄しているという印象をうける. 共感することはできない.
2015年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に読みやすい文章で、夕刊紙のコラムでも読むような勢いでスイスイと読み進められますが、内容は鋭い。
私も長いこと日本人やっていますので、世の中の動きを少しはみてきたつもりですが、あー自分の見識も狭かったなと反省させられます。
政治を観察する上での新たな観点を提供してもらった気がします。
内容に対する賛否はともかく、頭の体操にはなりますよ。
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私も長いこと日本人やっていますので、世の中の動きを少しはみてきたつもりですが、あー自分の見識も狭かったなと反省させられます。
政治を観察する上での新たな観点を提供してもらった気がします。
内容に対する賛否はともかく、頭の体操にはなりますよ。
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2014年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ポピュリズム関係のレポートを書くために購入しました。良かったです。
2010年10月17日に日本でレビュー済み
本書で著者が目指していることは「考える世論の育成」であると読んだ。
ここ十年の選挙を考えると、その時々のムードに強く引きずられている国民が浮かび上がる。また、その国民に更に引きずられる政治がある。一種の「愚のスパイラル」の中で、結果として社会が弱体化してきたことが、最近の日本だということが著者の最大の問題意識であろう。
では、その「考える」ということは何なのか。著者はそれを語る為に「考えない」ということをポピュリズムという概念を通じて、描き出す。物事を単純化し、ステレオタイプに分け、敵と味方という二元対立を構成することによる判断停止状態を描き出す部分が本書の白眉だ。
そこにはメディアの罪もうっすらと描き出されている。所詮、視聴率や購読者数という論理で動く私企業としてのメディアが、いかに小泉純一郎を始祖とする劇場政治に助けられたか。それは想像に難くない。政治のスポーツ化、ドラマ化はメディアにとって「美味しい」話だったに違いない。勿論 著者自身も、そんなメディアの構成要素の一人であるはずだ。
それでは「考えた」挙句にどんな社会が有り得るのか。この点に関しては、著者も明快なモデルを提出しているわけではない。もっと言うと、少なくとも本書で著者はそれを提出しようとは考えなかったはずだ。
著者は「複雑さに耐えること」「幻滅への慣れ」「悪さ加減の選択」を主張する。要は「考えたとは簡単に言うな」ということだ。それが副題である「現代民主主義復活の条件」なのだろう。
「考える」ことがいかに困難かは、人類の歴史を見れば良く分かる。但し、人類は途方もなく「考えてきた」ことも確かだ。「冷めた楽観、ねばり強い楽観」という著者の言葉が明るく感じられたのは、そんなところにあるのかもしれない。
例え足が徳俵に掛かっていても、押し返す力は、「社会」にはあるはずだ。
ここ十年の選挙を考えると、その時々のムードに強く引きずられている国民が浮かび上がる。また、その国民に更に引きずられる政治がある。一種の「愚のスパイラル」の中で、結果として社会が弱体化してきたことが、最近の日本だということが著者の最大の問題意識であろう。
では、その「考える」ということは何なのか。著者はそれを語る為に「考えない」ということをポピュリズムという概念を通じて、描き出す。物事を単純化し、ステレオタイプに分け、敵と味方という二元対立を構成することによる判断停止状態を描き出す部分が本書の白眉だ。
そこにはメディアの罪もうっすらと描き出されている。所詮、視聴率や購読者数という論理で動く私企業としてのメディアが、いかに小泉純一郎を始祖とする劇場政治に助けられたか。それは想像に難くない。政治のスポーツ化、ドラマ化はメディアにとって「美味しい」話だったに違いない。勿論 著者自身も、そんなメディアの構成要素の一人であるはずだ。
それでは「考えた」挙句にどんな社会が有り得るのか。この点に関しては、著者も明快なモデルを提出しているわけではない。もっと言うと、少なくとも本書で著者はそれを提出しようとは考えなかったはずだ。
著者は「複雑さに耐えること」「幻滅への慣れ」「悪さ加減の選択」を主張する。要は「考えたとは簡単に言うな」ということだ。それが副題である「現代民主主義復活の条件」なのだろう。
「考える」ことがいかに困難かは、人類の歴史を見れば良く分かる。但し、人類は途方もなく「考えてきた」ことも確かだ。「冷めた楽観、ねばり強い楽観」という著者の言葉が明るく感じられたのは、そんなところにあるのかもしれない。
例え足が徳俵に掛かっていても、押し返す力は、「社会」にはあるはずだ。
2012年1月18日に日本でレビュー済み
先日、著者がコメンテーターをつとめるTV番組にて、著者が"チンピラにいちゃ
ん"と銘したポピュリズム政治家を招き反撃を試みられましたが、敢え無く返り
討ちに遭われました。学問と実践との乖離を体を張って実証してみせた著者の
果敢さを顧みつつ、この本を読み返してみようと思いました。
ん"と銘したポピュリズム政治家を招き反撃を試みられましたが、敢え無く返り
討ちに遭われました。学問と実践との乖離を体を張って実証してみせた著者の
果敢さを顧みつつ、この本を読み返してみようと思いました。
2013年1月4日に日本でレビュー済み
ポピュリズムという言葉の定義(あるいは使われ方)が時代とともに変わってきてるということがわかった。本来の定義はこうなのに、著者は違った意味で使っておりけしからんなどと考えると本書を読む意味はなくなってしまう。
著者は開講の辞で「ポピュリズムとは、大衆のエネルギーを動員しながら一定の政治的目標を実現する手法」と言っている。多分これは間違っていないのだと思うが、「大衆のエネルギーの動員の仕方」が大きな問題なのではないだろうか。
例えば、小泉政権は、構造改革、規制緩和、民営化という聞こえの良いキャッチフレーズを並べ、マスゴミを利用し、大衆を扇動し実現した。扇動されて浮かれてしまった国民に責任があるが、その間で宣伝役になったマスゴミの責任がもっとも重いと思われる。本書でも「政治の商品化」という意味の言葉が使われているが、マスゴミにとって政治が商品になっており、部数を伸ばすため、視聴率を上げるための商品になっていることは間違いがない。
さらに最近では、インターネット、ツイッターなどのメディアが政治の場にも台頭してきている。これらの新しいメディアを政治にどう使っていくのか、国民はこのような扇動的情報に惑わされず正しい判断をしなければならない。
著者は開講の辞で「ポピュリズムとは、大衆のエネルギーを動員しながら一定の政治的目標を実現する手法」と言っている。多分これは間違っていないのだと思うが、「大衆のエネルギーの動員の仕方」が大きな問題なのではないだろうか。
例えば、小泉政権は、構造改革、規制緩和、民営化という聞こえの良いキャッチフレーズを並べ、マスゴミを利用し、大衆を扇動し実現した。扇動されて浮かれてしまった国民に責任があるが、その間で宣伝役になったマスゴミの責任がもっとも重いと思われる。本書でも「政治の商品化」という意味の言葉が使われているが、マスゴミにとって政治が商品になっており、部数を伸ばすため、視聴率を上げるための商品になっていることは間違いがない。
さらに最近では、インターネット、ツイッターなどのメディアが政治の場にも台頭してきている。これらの新しいメディアを政治にどう使っていくのか、国民はこのような扇動的情報に惑わされず正しい判断をしなければならない。
2011年7月7日に日本でレビュー済み
小泉政権以降、ポピュリズム政治という言葉が一般的に使われるようになった。
日本では「衆愚政治」とか「大衆迎合政治」とネガティブな意味で使用されることが多いが、本書はポピュリズム政治の成り立ちから歴史、そして現在の日本民主党政権のポピュリズム政策に至るまで、系統立てて分かりやすく説明と分析をしている。
民主政治において、ポピュリズムは常に内包されており、必要不可欠な要素であることを認めた上で、我々が政治や選挙にどの様に主体的に関わるかを考えさせる良書である。
ただ一点、ポピュリズム政治とメディアの関わりを入れて欲しかった。
日本では「衆愚政治」とか「大衆迎合政治」とネガティブな意味で使用されることが多いが、本書はポピュリズム政治の成り立ちから歴史、そして現在の日本民主党政権のポピュリズム政策に至るまで、系統立てて分かりやすく説明と分析をしている。
民主政治において、ポピュリズムは常に内包されており、必要不可欠な要素であることを認めた上で、我々が政治や選挙にどの様に主体的に関わるかを考えさせる良書である。
ただ一点、ポピュリズム政治とメディアの関わりを入れて欲しかった。