関東大震災は日本の多くの芸術家の創作活動に大きな影響を与えた。
東日本大震災も心ある芸術家の創作に多くの影響を与えた。
あの日の前と後は、物事が違う様相を示してみえる。
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あの日からのマンガ (ビームコミックス) コミック – 2011/7/25
しりあがり寿
(著)
緊急出版! 地震・津波・原発…「あの日」以降の日々を生きる日本に贈る、渾身のメッセージ。
- 本の長さ152ページ
- 言語日本語
- 出版社エンターブレイン
- 発売日2011/7/25
- 寸法13 x 1.3 x 18.8 cm
- ISBN-104047274747
- ISBN-13978-4047274747
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登録情報
- 出版社 : エンターブレイン (2011/7/25)
- 発売日 : 2011/7/25
- 言語 : 日本語
- コミック : 152ページ
- ISBN-10 : 4047274747
- ISBN-13 : 978-4047274747
- 寸法 : 13 x 1.3 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 180,191位コミック
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年4月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これね。
色々な作風とストーリーで出来上がった一冊だけど。
3.11に、
特別な想いがある人には?
効きます。
それ以外の人になると?
全く読む価値すら無いのかな。。。。
あの日に、
特別な想いを持っている人には?
読んで欲しい一冊。
取り上げている角度も、
レベルも、
作画も、
マチマチに広いけれど。
僕が今でも、
不定期に、
日々に、
手元に置いたまま、
手にしています。
色々な作風とストーリーで出来上がった一冊だけど。
3.11に、
特別な想いがある人には?
効きます。
それ以外の人になると?
全く読む価値すら無いのかな。。。。
あの日に、
特別な想いを持っている人には?
読んで欲しい一冊。
取り上げている角度も、
レベルも、
作画も、
マチマチに広いけれど。
僕が今でも、
不定期に、
日々に、
手元に置いたまま、
手にしています。
2012年8月3日に日本でレビュー済み
マンガを読んで泣いたのは、いつ以来でしょう?とにかく、『海辺の街』のラスト近く、原発跡地に立った無数の風車の上を、羽の生えた子供たちが飛び越えて行くカットが目に入った途端、その“祈り”の切なさに嗚咽をこらえきれませんでした。これはもはやサブカルチャーの域を超えている。あの「3.11」によって生み出された、新たな宗教画なのではないかと思いました。
僕はこのマンガを読んで改めて、あの「3.11」以前の僕たちが住んでいたのが、偽りの「エデンの園」だったのだということを、思い知らされた気がします。その楽園で僕たちは、既に地震の恐ろしさも津波の怖さも、十分に知っているはずでした。原発の危険性だって分かっていたし、政府や電力会社の人間の言うことなど、全く信用できないものであることも良く知っているはずでした。
しかし「3.11」に続いて実際に起きたことの全ては、そんな僕たちの「知っているはず/分かっているはず」という常識の防波堤を軽々と乗り越えて、それまでの僕たちが考えたこともない、何一つ確証のない世界へと、僕たちを連れ去ってしまったのです。なんだかんだと文句を言いながら、でも心の底ではいつまでも、今日と同じ明日が続くことを、何となく信じることが出来ていた懐かしい“楽園”は、僕たちの手から、もう永久に失われてしまいました。
しかし大切なことは、そんな僕たちにも、残されているのは絶望だけではないということです。
『海辺の街』には、おそらく「3.11」以前の“楽園の時代”を知っているのでしょう。もし実在しているとしたら今の40代かその辺かな?と思う「おじいさん」が登場します。彼は寝たきりで不自由になった身体で、かつての繁栄の時代を懐かしみ、「3.11後の世界」に呪詛の言葉を吐き続けるのですが、しかしその彼ですら最後には、「こんな美しい星空は見ることが出来なかった。」と言います。それは深い深い絶望の底にたった一つ残された、未来への希望だったのだと思います。
そして最初から「3.11」以後の世界に生まれ、「3.11」以前の時代などは知らない幼い孫・「ミライ」や、その友人たちの背中には、それは「おじいさん」にしてみればやはり呪詛の対象にすぎないのかもしれないし、大人たちにしても心配のタネに他ならないのですが、古い世代の大人たちは持っていない、小さな白い羽が生えています。そしてクライマックス、「ミライ」たちは彼らの身体を外側から縛り付け、彼らの羽を大人たちの視線から隠していた衣服をすべて脱ぎ捨てると、かつての偽りの楽園を生み出した文明の象徴とも言える原発の廃墟跡を、軽々と飛び越えて行くのです。
彼らには、大人たちが押し付ける衣服などは必要がありません。むしろ大人たちに与えられた衣服を脱ぎ捨て、大人たちに禁じられた「ゲンパツ」を飛び越えて行くことで、彼らは誇らしく、逞しく、彼ら自身の未来を築き上げて行こうとします。まるで沢山の墓標のようにも見える風車の林立する遥か上空を飛んでいく「ミライ」たちの姿こそは、「3.11」の絶望の先にも必ず存在するはずの「未来」であり、「希望」に違いないと、僕は思いました。
マンガ作品の中に挿入された作者のインタビュー記事にある通り、僕たちの世代は確かに、すでに「大きな賭け」に負けたのだと思います。だからもしかしたら、僕たちにはもう、残りの生涯を『海辺の町』の「おじいさん」のように、失われた楽園への愛惜と、やがて来る厳しい現在への呪詛で埋め尽くす他にはないのかもしれません。
しかしだからと言って、僕たちに明日がないわけではない。やがて「ミライ」が生まれる。そのことが、この「賭けに負けた」僕たちにとっての救いであり、希望です。
僕たちの将来がどんなに暗く、辛いものであっても、やがて必ず、白い羽の生えた「ミライ」たちが生まれるのですから、たとえ今、これまでの全てを失ったとしても、僕たちにはまだ、彼らに賭けること、彼らに託すこと、そして彼らを産み、彼らを育てることが残されています。許されています。そのために、僕たちもまた、これからの時代をそれなりに逞しく、それなりに精いっぱいに生きて、この世界を守っていかなければならない。そんな風に考えました。
もちろん、『海辺の町』以外の作品も素晴らしい作品です。特に『地球防衛家のヒトビト』は、新聞連載時にも読んではいたのですが改めて、「そして何もなくなった」という作品に、作者の受けた衝撃の重さを感じました。また作品集の最後、『そらとみず』という作品も、『海辺の町』と同様、「死と再生」が重要なテーマとなっています。
少し大袈裟なことを書くかもしれませんが、「3.11」はやはり、(たとえ直接被災してはいなかったとしても)僕たちに「生きることの意味」を突きつけた経験だったのだと思います。津波の濁流に多くの人々が呑み込まれて行く様をなす術もなく眺め、原発災害によって無人になったかつての「街」のありさまを見て、誰もが、「自分は何をして来たのだろう?」「これから何をしたら良いのか?」と、考えたはずです。その答えは今も、誰も見出すことが出来ていません。誰もがまだまだその答えを見つけ出すことが出来ずに、もがいているのだと思います。
しかし一つ大切なことは、いくら答えが出ないからと言って、その答えが出ないことが苦しいからと言って、その問いを忘れてはいけないということなんじゃないでしょうか。その問いに苦しみ続けることの中にこそ、実は、次の「ミライ」が生まれるに違いない。
しりあがり寿さんはきっと、そんな風に考えたのではないかと思いますし、もし著者が「別にそんなことは考えていなかった」と言ったとしても、僕は勝手に、この作品集を読んでそんなことを考えましたから、この作品集のメッセージは、僕にとってはそういうことです(笑)。
忘れないこと。そして苦しむことを恐れないこと。本書は本当に、これからの時代の「聖書(バイブル)」だと思います。ぜひ多くの方に、手に取っていただきたい一冊です。
Amazonで購入
マンガを読んで泣いたのは、いつ以来でしょう?とにかく、『海辺の街』のラスト近く、原発跡地に立った無数の風車の上を、羽の生えた子供たちが飛び越えて行くカットが目に入った途端、その“祈り”の切なさに嗚咽をこらえきれませんでした。これはもはやサブカルチャーの域を超えている。あの「3.11」によって生み出された、新たな宗教画なのではないかと思いました。
僕はこのマンガを読んで改めて、あの「3.11」以前の僕たちが住んでいたのが、偽りの「エデンの園」だったのだということを、思い知らされた気がします。その楽園で僕たちは、既に地震の恐ろしさも津波の怖さも、十分に知っているはずでした。原発の危険性だって分かっていたし、政府や電力会社の人間の言うことなど、全く信用できないものであることも良く知っているはずでした。
しかし「3.11」に続いて実際に起きたことの全ては、そんな僕たちの「知っているはず/分かっているはず」という常識の防波堤を軽々と乗り越えて、それまでの僕たちが考えたこともない、何一つ確証のない世界へと、僕たちを連れ去ってしまったのです。なんだかんだと文句を言いながら、でも心の底ではいつまでも、今日と同じ明日が続くことを、何となく信じることが出来ていた懐かしい“楽園”は、僕たちの手から、もう永久に失われてしまいました。
しかし大切なことは、そんな僕たちにも、残されているのは絶望だけではないということです。
『海辺の街』には、おそらく「3.11」以前の“楽園の時代”を知っているのでしょう。もし実在しているとしたら今の40代かその辺かな?と思う「おじいさん」が登場します。彼は寝たきりで不自由になった身体で、かつての繁栄の時代を懐かしみ、「3.11後の世界」に呪詛の言葉を吐き続けるのですが、しかしその彼ですら最後には、「こんな美しい星空は見ることが出来なかった。」と言います。それは深い深い絶望の底にたった一つ残された、未来への希望だったのだと思います。
そして最初から「3.11」以後の世界に生まれ、「3.11」以前の時代などは知らない幼い孫・「ミライ」や、その友人たちの背中には、それは「おじいさん」にしてみればやはり呪詛の対象にすぎないのかもしれないし、大人たちにしても心配のタネに他ならないのですが、古い世代の大人たちは持っていない、小さな白い羽が生えています。そしてクライマックス、「ミライ」たちは彼らの身体を外側から縛り付け、彼らの羽を大人たちの視線から隠していた衣服をすべて脱ぎ捨てると、かつての偽りの楽園を生み出した文明の象徴とも言える原発の廃墟跡を、軽々と飛び越えて行くのです。
彼らには、大人たちが押し付ける衣服などは必要がありません。むしろ大人たちに与えられた衣服を脱ぎ捨て、大人たちに禁じられた「ゲンパツ」を飛び越えて行くことで、彼らは誇らしく、逞しく、彼ら自身の未来を築き上げて行こうとします。まるで沢山の墓標のようにも見える風車の林立する遥か上空を飛んでいく「ミライ」たちの姿こそは、「3.11」の絶望の先にも必ず存在するはずの「未来」であり、「希望」に違いないと、僕は思いました。
マンガ作品の中に挿入された作者のインタビュー記事にある通り、僕たちの世代は確かに、すでに「大きな賭け」に負けたのだと思います。だからもしかしたら、僕たちにはもう、残りの生涯を『海辺の町』の「おじいさん」のように、失われた楽園への愛惜と、やがて来る厳しい現在への呪詛で埋め尽くす他にはないのかもしれません。
しかしだからと言って、僕たちに明日がないわけではない。やがて「ミライ」が生まれる。そのことが、この「賭けに負けた」僕たちにとっての救いであり、希望です。
僕たちの将来がどんなに暗く、辛いものであっても、やがて必ず、白い羽の生えた「ミライ」たちが生まれるのですから、たとえ今、これまでの全てを失ったとしても、僕たちにはまだ、彼らに賭けること、彼らに託すこと、そして彼らを産み、彼らを育てることが残されています。許されています。そのために、僕たちもまた、これからの時代をそれなりに逞しく、それなりに精いっぱいに生きて、この世界を守っていかなければならない。そんな風に考えました。
もちろん、『海辺の町』以外の作品も素晴らしい作品です。特に『地球防衛家のヒトビト』は、新聞連載時にも読んではいたのですが改めて、「そして何もなくなった」という作品に、作者の受けた衝撃の重さを感じました。また作品集の最後、『そらとみず』という作品も、『海辺の町』と同様、「死と再生」が重要なテーマとなっています。
少し大袈裟なことを書くかもしれませんが、「3.11」はやはり、(たとえ直接被災してはいなかったとしても)僕たちに「生きることの意味」を突きつけた経験だったのだと思います。津波の濁流に多くの人々が呑み込まれて行く様をなす術もなく眺め、原発災害によって無人になったかつての「街」のありさまを見て、誰もが、「自分は何をして来たのだろう?」「これから何をしたら良いのか?」と、考えたはずです。その答えは今も、誰も見出すことが出来ていません。誰もがまだまだその答えを見つけ出すことが出来ずに、もがいているのだと思います。
しかし一つ大切なことは、いくら答えが出ないからと言って、その答えが出ないことが苦しいからと言って、その問いを忘れてはいけないということなんじゃないでしょうか。その問いに苦しみ続けることの中にこそ、実は、次の「ミライ」が生まれるに違いない。
しりあがり寿さんはきっと、そんな風に考えたのではないかと思いますし、もし著者が「別にそんなことは考えていなかった」と言ったとしても、僕は勝手に、この作品集を読んでそんなことを考えましたから、この作品集のメッセージは、僕にとってはそういうことです(笑)。
忘れないこと。そして苦しむことを恐れないこと。本書は本当に、これからの時代の「聖書(バイブル)」だと思います。ぜひ多くの方に、手に取っていただきたい一冊です。
2016年7月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最初の4コマ漫画だけだったら★を5つ付けたでしょう。
物語も途中までは面白いと感じたのですが、
背中に羽が生えて空を飛ぶとかそのあたりで少し付いて行けなくなりました。
あの話は、おじいさんが星空を見るところまでで終わっていてほしかったです。
画に関しては4コマ漫画には向いている画風だと思いますが、
短編作品でも物語として見せる画としては、個人によって画の好き嫌いがけっこうはっきりと出やすい作品だと思います。
物語も途中までは面白いと感じたのですが、
背中に羽が生えて空を飛ぶとかそのあたりで少し付いて行けなくなりました。
あの話は、おじいさんが星空を見るところまでで終わっていてほしかったです。
画に関しては4コマ漫画には向いている画風だと思いますが、
短編作品でも物語として見せる画としては、個人によって画の好き嫌いがけっこうはっきりと出やすい作品だと思います。
2018年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あの日から確実に私たちのなかで何かが終わり始まった。鬼才しりあがり先生の軽妙かつ核心を突く泣けるけど笑える、辛いけどあるある、にひきこまれ一気に読みました。現地に行かれたこその説得力、先生にしか出来ない形で伝えてくださりありがとうございます。
2011年9月27日に日本でレビュー済み
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宮城県の者です。わたしの好きなユーモアに溢れていて、目の前に広がる状況の前で私がいだいた不謹慎さや恐怖、希望といった気持ちに同調してもらえたような、寄り添ってもらえる作品だった。
あるある〜って、つい(^-^)
311の前のことはつい忘れてしまい、震災前の事が遥か昔のことみたいな気がすること。
みんなで揺れた!揺れてない!と言って地震だとわかるとなぜかほっとする毎日のこと。
震災被害の深刻なニュースと、馬鹿騒ぎのバラエティーと、テレビを見ていると感情の持っていき方がわからないこと。
援助の自衛隊、テレビでは大きくみえるけど、現実の風景では小さく見えること。
ゲンパツというキャラクター「でもいいの…私は分かっていたの。私が皆の手に負えるような女じゃないって…」の台詞に笑った。
鳥がたくさん出てきて、Twitterを暗に象徴して面白いシーンも。
「ずっと大切にしていたものや
来るはずの明日や
馴染みだった風景や
すべてあたりまえのことが
奈落の底に落ちてゆく」
そんな今だ現在進行形の、震災の記憶のまんが。
あるある〜って、つい(^-^)
311の前のことはつい忘れてしまい、震災前の事が遥か昔のことみたいな気がすること。
みんなで揺れた!揺れてない!と言って地震だとわかるとなぜかほっとする毎日のこと。
震災被害の深刻なニュースと、馬鹿騒ぎのバラエティーと、テレビを見ていると感情の持っていき方がわからないこと。
援助の自衛隊、テレビでは大きくみえるけど、現実の風景では小さく見えること。
ゲンパツというキャラクター「でもいいの…私は分かっていたの。私が皆の手に負えるような女じゃないって…」の台詞に笑った。
鳥がたくさん出てきて、Twitterを暗に象徴して面白いシーンも。
「ずっと大切にしていたものや
来るはずの明日や
馴染みだった風景や
すべてあたりまえのことが
奈落の底に落ちてゆく」
そんな今だ現在進行形の、震災の記憶のまんが。
2015年7月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東日本大震災の直後、2011年3月15日からしりあがり寿が描いた作品・原稿を、日付順に並べている。『朝日新聞』夕刊に連載した「地球防衛家のヒトビト」、『月刊コミックビーム』の「海辺の村」「希望×」「震える街」「そらとみず」、『小説宝石』の「川下り 双子のオヤジ」が漫画だ。その他に朝日新聞に寄稿した文章と、未掲載のスケッチまであり、震災から4カ月までの日を追って見ることができる仕組みになっている。
明るく前向きな時事マンガ「地球防衛家」と3篇ある「川下り」では、まるで性格が違う。「川下り」は放射能が擬人化されてより幻想的で、同じ作者の「真夜中の弥次さん喜多さん」「オーイ♥メメントモリ」のような不気味さを感じた。
明るく前向きな時事マンガ「地球防衛家」と3篇ある「川下り」では、まるで性格が違う。「川下り」は放射能が擬人化されてより幻想的で、同じ作者の「真夜中の弥次さん喜多さん」「オーイ♥メメントモリ」のような不気味さを感じた。
2015年2月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コミックビームの宣伝で見かけて購入。朝日新聞、週間宝石、コミックビームに載っていた「あの日」以降のことをテーマにされたマンガ。
そうそう、そうだよね、という同じ国に住む生活者としての共感と、こういう描き方をしていいの?という微妙な疑問と、ここまで普通の漫画家さんは描けないだろうなあという驚嘆、一つの感想にまとめられないマンガで。コミックビームに掲載された「希望X」とラストの「そらとみず」はほんとにすごい。前者はこの時期によく載せた・・・としか。後者はこの国の人間なら誰もが、こうあってほしいと願うと思うようマンガだと思います。泣いた。
そうそう、そうだよね、という同じ国に住む生活者としての共感と、こういう描き方をしていいの?という微妙な疑問と、ここまで普通の漫画家さんは描けないだろうなあという驚嘆、一つの感想にまとめられないマンガで。コミックビームに掲載された「希望X」とラストの「そらとみず」はほんとにすごい。前者はこの時期によく載せた・・・としか。後者はこの国の人間なら誰もが、こうあってほしいと願うと思うようマンガだと思います。泣いた。