人間は理想や非現実的なものを(ロマン)を求めるものだと思います。芸術家はそのロマンの部分を形にして、受け手はそれに共感したり、感銘を受けたりする。
ばるぼらは創造者のロマンを引き出す女性で、彼女にあった芸術家・作家は彼女が居ないと創作ができないとまで思ってしまう。酒飲みで放浪癖のある現実的には最悪の女性、でも創造者には最高の女性。なぜか読者としてもばるぼらの魅力に引き込まれてしまいます。
手塚氏も創造者であったため、理想の女性を描いたのでしょうか。邪推かもしれませんが、手塚自身が創作に対するジレンマを感じたときに描いた作品のような気がします。
手塚作品の中でも私小説的な意味を含む作品のような気がします。
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ばるぼら (下) 単行本(ソフトカバー) – 1992/7/31
手塚 治虫
(著)
耽美派の作家美倉洋介のもとにころがり込んできた美少女バルボラ。彼女に触発されて出来上った小説が超ベストセラーになるが…。バルボラは悪魔か女神か。芸術と狂気の間をゆれ動く、作家の栄光と喪失。
- 本の長さ228ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日1992/7/31
- ISBN-10404852352X
- ISBN-13978-4048523523
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA; 特別版 (1992/7/31)
- 発売日 : 1992/7/31
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 228ページ
- ISBN-10 : 404852352X
- ISBN-13 : 978-4048523523
- カスタマーレビュー:
著者について
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1928年、大阪府豊中市生まれ。本名・治。大阪大学付属医学専門部を卒業後、医学博士号を取得。46年、『マアチャンの日記帳』でデビュー。翌年、ス トーリー漫画の単行本『新宝島』がベストセラーになり、注目される。以後、幅広い分野にわたる人気漫画を量産し、子どもたちに夢を与えつづけてきた。『ネ オ・ファウスト』など3作連載中の89年2月9日に胃ガンのため死去。無類の昆虫好きとして知られ、「オオムラサキを守る会」の理事や「日本昆虫倶楽部」 の初代会長を務めた(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 手塚治虫の昆虫博覧会 (ISBN-13: 978-4900963474)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年9月22日に日本でレビュー済み
手塚のピカレスクは「さるたひこ」像を除けばどれも今ひとつだ。作家の批評眼が問われる故だろう。
ブラックジャックで大学の医局を批判するほどには関心を払わなかった手塚。社会や政治批判に冷淡だったことが、端的にあらわれている作品だ。
悪女を素材にした「人間昆虫記」「奇子」「ばるぼら」…どれも後味が悪い。「MW」や「人間昆虫記」(尻切れトンボに終わるが)は優れた演出家の手にかかれば面白くなりそうな素材ではある。「MW」がマシなのは深読みすれば政治への皮肉があるからだ。
「ばるぼら」では反政府活動に身を捧げ、ばるぼらに去られたために創作できなくなった作家が出てくる。ばるぼらの母は冷然と政治などにうつつを抜かすからだと言い放つ。文脈からして手塚のホンネだ。ちょっと待てよと言う感じ。大いなる力への抵抗も立派な動機ではないか。でなければロシア文学は生まれなかった(罪と罰の漫画化は大島弓子の方が興味深かったのを思い出す)。本気で社会を変えるつもりの無い、デモンストレーションが目的化しているある種の左翼が論外としても、それはそれとして批判すべきだろう。
手塚の悪女が私にはちっとも魅力的でない。ばるぼらはその最たるものだった。
先ず、匂いもしそうなむちむちした女なのに、やたら少年のようだと形容する。これ見よがしにヴェルレーヌを諳んじさせる。ランボーとでも言いたいのか?
出口裕弘の小説「京子変幻」の影響で描いたものではないだろうか。設定がとても似ているのだ。小説は耽美といっていいのだろうが、決してじめじめしてはおらず、軽やかで、香気ある文章だ。併読をお奨めする。
ブラックジャックで大学の医局を批判するほどには関心を払わなかった手塚。社会や政治批判に冷淡だったことが、端的にあらわれている作品だ。
悪女を素材にした「人間昆虫記」「奇子」「ばるぼら」…どれも後味が悪い。「MW」や「人間昆虫記」(尻切れトンボに終わるが)は優れた演出家の手にかかれば面白くなりそうな素材ではある。「MW」がマシなのは深読みすれば政治への皮肉があるからだ。
「ばるぼら」では反政府活動に身を捧げ、ばるぼらに去られたために創作できなくなった作家が出てくる。ばるぼらの母は冷然と政治などにうつつを抜かすからだと言い放つ。文脈からして手塚のホンネだ。ちょっと待てよと言う感じ。大いなる力への抵抗も立派な動機ではないか。でなければロシア文学は生まれなかった(罪と罰の漫画化は大島弓子の方が興味深かったのを思い出す)。本気で社会を変えるつもりの無い、デモンストレーションが目的化しているある種の左翼が論外としても、それはそれとして批判すべきだろう。
手塚の悪女が私にはちっとも魅力的でない。ばるぼらはその最たるものだった。
先ず、匂いもしそうなむちむちした女なのに、やたら少年のようだと形容する。これ見よがしにヴェルレーヌを諳んじさせる。ランボーとでも言いたいのか?
出口裕弘の小説「京子変幻」の影響で描いたものではないだろうか。設定がとても似ているのだ。小説は耽美といっていいのだろうが、決してじめじめしてはおらず、軽やかで、香気ある文章だ。併読をお奨めする。
2016年11月23日に日本でレビュー済み
手塚治虫のダークな面がうまく出ています。MWと並んで黒手塚の名品です。鉄腕アトムやリボンの騎士とは全く違う大人向けの作品です。文庫本ではなく大きな画面で見たい!
2011年7月17日に日本でレビュー済み
芸術、アートは、ヒトを惹きつけてやまない存在ですが、一体芸術とは何かを考え出すとぬかるみに嵌りこんでしまいます。
ばるぼらは、都会から吐き出された排泄物のような女として登場します。
彼女は、大酒のみで、言葉を飾らず、本能の赴くままに行動し、やがて主人公の耽美小説家、美倉洋介を虜にしてしまいます。
下巻は、ぼるぼら、が魔女であったというエピソードから開始されます。
ばるぼら、に心を奪われ、結婚に破れ、捨てられた美倉は、普通の状態ではありません。
彼女を追い掛け回し、呆れ果てられますが、最後に彼女を題材にした作品を残します。
作家とは、創作の森に迷い込んで運よくばるぼらに出会えた人のことを言うのかもしれません。
ダビンチのモナリザと古寺の仏像を比較し、芸術とは何か、を語る場面もあります。
手塚先生は、いずれもが時代を超えて人々を深く啓発させる膨大な作品を作り続けましたが、漫画というジャンルで捉えられ、芸術家の地位を必ずしも認められていたわけではありません。
手塚先生の芸術論が、この作品の端々に表れています。読み手にとって、それらを読み取ることがこの作品の深さに比例しているかもしれません。
筒井康隆や松本麗児といった人物が特別出演のように登場しているのも嬉しい限りです。
手塚作品としては、異色。漫画というジャンルではあまりみかけない、芸術をテーマにした作品です。
傑作だと思います。
ばるぼらは、都会から吐き出された排泄物のような女として登場します。
彼女は、大酒のみで、言葉を飾らず、本能の赴くままに行動し、やがて主人公の耽美小説家、美倉洋介を虜にしてしまいます。
下巻は、ぼるぼら、が魔女であったというエピソードから開始されます。
ばるぼら、に心を奪われ、結婚に破れ、捨てられた美倉は、普通の状態ではありません。
彼女を追い掛け回し、呆れ果てられますが、最後に彼女を題材にした作品を残します。
作家とは、創作の森に迷い込んで運よくばるぼらに出会えた人のことを言うのかもしれません。
ダビンチのモナリザと古寺の仏像を比較し、芸術とは何か、を語る場面もあります。
手塚先生は、いずれもが時代を超えて人々を深く啓発させる膨大な作品を作り続けましたが、漫画というジャンルで捉えられ、芸術家の地位を必ずしも認められていたわけではありません。
手塚先生の芸術論が、この作品の端々に表れています。読み手にとって、それらを読み取ることがこの作品の深さに比例しているかもしれません。
筒井康隆や松本麗児といった人物が特別出演のように登場しているのも嬉しい限りです。
手塚作品としては、異色。漫画というジャンルではあまりみかけない、芸術をテーマにした作品です。
傑作だと思います。
2012年11月9日に日本でレビュー済み
手塚治虫先生の大人向け漫画の問題作といえば「奇子」「むう」そしてこの「ばるぼら」があります、彼女は果たして天使か悪魔か?、異色の現代神話「ばるぼら」、「奇子」と共に外国人が好む手塚作品だとテレビ特番でいっていました、「ブラックジャック」もですが、ずいぶんと大人向けな絵柄にストーリーですね、奇想天外なストーリー展開で夢中で読んでしまいました。
2011年3月9日に日本でレビュー済み
フェリーニの「悪魔の首飾り」、水木しげるの魔女ものの短編の影響はいくらかある。芸術家はいろいろな作品から影響を受ける。極端な模倣でなければその作品の価値を大きく損なうことはない。
手塚は「きりひと讃歌」で医局の有様を彼なりに徹底的に描ききっている。また彼には「アドルフに告ぐ」など、社会性、政治性のある長短編作品が多い。
「政治にかかわると云々」はムネーモシュネーの狭い思想であり、手塚も同じかどうかはこの作品だけでは判然としない。
ばるぼらは中性的に見える。途中で妖艶に変幻するが。
誰か映画化してほしい。
手塚は「きりひと讃歌」で医局の有様を彼なりに徹底的に描ききっている。また彼には「アドルフに告ぐ」など、社会性、政治性のある長短編作品が多い。
「政治にかかわると云々」はムネーモシュネーの狭い思想であり、手塚も同じかどうかはこの作品だけでは判然としない。
ばるぼらは中性的に見える。途中で妖艶に変幻するが。
誰か映画化してほしい。
2009年8月12日に日本でレビュー済み
ばるぼらはある意味作中で‘悪女’として描かれているが、無邪気で大酒飲みでなんだか憎めないキャラクターである。
一人称も「俺」と、かなり豪快だ。
登場人物の美倉は、三島由紀夫をモデルにしているそうで、その経緯も手塚治虫の人物像がうかがえる。
一人称も「俺」と、かなり豪快だ。
登場人物の美倉は、三島由紀夫をモデルにしているそうで、その経緯も手塚治虫の人物像がうかがえる。
2012年5月14日に日本でレビュー済み
才能や野心のある男が、魅力的な女とくっついていき、人生がずらされていくという手塚漫画の典型と言える作品。
少し不気味な描写が目立つが、主人公とその作品の運命が揺らいでいく様子がおもしろかった。
補足になるが、大都社では
「たとえるならばごくありふれたサラリーマンが創価学会や立正佼成会の信者であるように、」
のとこが角川のだと
「たとえるならばごくありふれたサラリーマンが新興宗教のの信者であるように、」
になっている。そのため、角川の方ではその時代の空気を少し損なっているのが残念なとこだった。
少し不気味な描写が目立つが、主人公とその作品の運命が揺らいでいく様子がおもしろかった。
補足になるが、大都社では
「たとえるならばごくありふれたサラリーマンが創価学会や立正佼成会の信者であるように、」
のとこが角川のだと
「たとえるならばごくありふれたサラリーマンが新興宗教のの信者であるように、」
になっている。そのため、角川の方ではその時代の空気を少し損なっているのが残念なとこだった。