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チワワちゃん (YOUNG ROSE COMICS DELUXE) コミック – 1996/6/1
岡崎 京子
(著)
突然チワワが死んだ。彼女にはたくさんの友達がいたが、でも本当は、誰も彼女のことを何も知らなかった…。珠玉の短編集!
- 本の長さ176ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日1996/6/1
- ISBN-104048526871
- ISBN-13978-4048526876
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登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (1996/6/1)
- 発売日 : 1996/6/1
- 言語 : 日本語
- コミック : 176ページ
- ISBN-10 : 4048526871
- ISBN-13 : 978-4048526876
- Amazon 売れ筋ランキング: - 472,129位コミック
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年4月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
10年以上前の作品なのに、いまでも、新鮮なまま。古くなっていなくて、今の時代を予言しているよう。とはいえ、若い世代、20歳前後が読むと違う感想があるのかもしれないな。
2015年7月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
チワワちゃんについて語る人たち
若くてかわいいチワワちゃんは時に軽やかで、時に自堕落で。
傍観者にはただ輝かしい若さも当事者は結構つらくて苦しい
そういえば私にもそんな時代があったな、とトゲトゲシイ気持ちを思い出しつつ読みました
80年代の女の子の危うさは岡崎作品に凝縮されている気がします
若くてかわいいチワワちゃんは時に軽やかで、時に自堕落で。
傍観者にはただ輝かしい若さも当事者は結構つらくて苦しい
そういえば私にもそんな時代があったな、とトゲトゲシイ気持ちを思い出しつつ読みました
80年代の女の子の危うさは岡崎作品に凝縮されている気がします
2017年3月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岡崎京子さんの作品で代表的なのは『pink』『リバーズエッジ』『ヘルタースケルター』だと思います。
内容全体として好きな単行本は『愛の生活』『UNTITLED』『ハッピィハウス』ですが、
細かな短編、長編すべてを挙げると、群を抜いて一番好きなのは本書の短編『チワワちゃん』です。
この方の作品は、バブル期以降の消費社会にうまく乗っかっているフリをして、
若い人達の愛憎や乱痴気騒ぎを、その向こうにある決して明るくない「何か」を、
冷徹なほど見透かしている印象があります。
その「何か」は、傷ついた愛情だったり、「死に至る病」だったり、人の儚さや浅ましさだったりして、
『チワワちゃん』にはそれが特に感じられるから好きなのかもしれません。
私事ですが、二年程前に世田谷の岡崎京子展で原画を見に行ったことがあります。
展示された原稿の数々には、沢山のホワイトで修正がなされていました。
一見すると雑に描き上げたような絵は、綿密に練られた表現手段だったことを改めて知りました。
また、『くちびるから散弾銃』のサカエのような人達が来るのかなと、勝手に勘ぐっていたのですが、
来場者の方々は慎ましいおじさんや眼鏡の女の子など、一般的な人達ばかりでした。
一見排他的なオシャレに映る作品は、世代を超えて色んな人達にその意味が伝わっていたのだな、と思った次第です。
鋭すぎる感性が先走っているような作品は、今でも読むに値すると思います。
ただ、表題作以外は好みが分かれるかもしれません。
読み返してみたら『GIRL OF THE YEAR』は結構好きでした。
『好き? 好き? 大好き?』はR.D.レインの詩を台詞にした実験的なお話です。
岡崎漫画の中では暴力的でもさほど鬱でもないライトな作品群ですが、他の単行本から読んでみるのも良いと思います。
内容全体として好きな単行本は『愛の生活』『UNTITLED』『ハッピィハウス』ですが、
細かな短編、長編すべてを挙げると、群を抜いて一番好きなのは本書の短編『チワワちゃん』です。
この方の作品は、バブル期以降の消費社会にうまく乗っかっているフリをして、
若い人達の愛憎や乱痴気騒ぎを、その向こうにある決して明るくない「何か」を、
冷徹なほど見透かしている印象があります。
その「何か」は、傷ついた愛情だったり、「死に至る病」だったり、人の儚さや浅ましさだったりして、
『チワワちゃん』にはそれが特に感じられるから好きなのかもしれません。
私事ですが、二年程前に世田谷の岡崎京子展で原画を見に行ったことがあります。
展示された原稿の数々には、沢山のホワイトで修正がなされていました。
一見すると雑に描き上げたような絵は、綿密に練られた表現手段だったことを改めて知りました。
また、『くちびるから散弾銃』のサカエのような人達が来るのかなと、勝手に勘ぐっていたのですが、
来場者の方々は慎ましいおじさんや眼鏡の女の子など、一般的な人達ばかりでした。
一見排他的なオシャレに映る作品は、世代を超えて色んな人達にその意味が伝わっていたのだな、と思った次第です。
鋭すぎる感性が先走っているような作品は、今でも読むに値すると思います。
ただ、表題作以外は好みが分かれるかもしれません。
読み返してみたら『GIRL OF THE YEAR』は結構好きでした。
『好き? 好き? 大好き?』はR.D.レインの詩を台詞にした実験的なお話です。
岡崎漫画の中では暴力的でもさほど鬱でもないライトな作品群ですが、他の単行本から読んでみるのも良いと思います。
2016年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本作上梓当時からは、スマホ、SNSなどの普及によってライフスタイルは大きく変わっているにもかかわらず、全編を通じてテーマとしている若者が感じる漠然とした退屈さや不安感、欲望などについて、これらを押し付けがましくなく、さり気なく且つ見事に読者に伝えることに成功しています。作者のアブラの乗っている時期の作品であり、必読です。
2010年3月31日に日本でレビュー済み
小さくて可愛くて胸が大きくて、社交的で友達も多い女の子、通称チワワちゃん。
物語は、彼女が無残な遺体で見つかったニュースを友人であった主人公が目にするところから始まります。
友人たちが集まり、それぞれ“自分の知っているチワワ”を語り出す。
それは繋がっているようで実はまとまりなく、事件の核心に触れることもなく、彼女の死も人生も謎のまま。
モデルの仕事などで、結構華やかであったはず…それは多くの普通の女の子が憧れるほどには…の彼女が、
男女関係や金銭問題が原因で少しずつ友人たちと疎遠になり、だんだん消息を知る者がいなくなる。
最後に会ったのは彼女をほぼ噂でしか知らない人物で、その感想は「聞いてた感じと違う」みたいなもの。
結局、誰も彼女を知らなかった。浅くて緩い友人関係の中で、彼女はいつも独りだった。
でも本当は、みんなそうなのだ。友人たちは同じ共同体の中で、自分もチワワと紙一重だとなんとなく解ってる。
自分を全て解ってくれる人がいるというのは、幸せな幻想だ。だからほとんどの友人が泣かない。
解ってあげられなかった、と泣く友人もいるが、たとえ時間が戻せても、きっとその友人は同じことをする。
チワワの死は起こってしまったこと。人生は常に選択の連続で、選んだ瞬間からその道しかない。そして戻れない。
泣く友人も、そしてチワワも、戻れない道の果てにいる。語り手の主人公も、そして私たち読者も。
冒頭のニュースで、親しい友人としてチワワを語る人物の存在とその言葉に、主人公が「嘘だぁ」と思うように、
現実でも「故人をよく知る人物」とか「近所の人」とかは、本当は被害者と親しくなんてないのではと思う。
そしてどんなに親しくても、愛してても、その人を完全に理解したと思うなんて、傲慢な気がする。
もっと傲慢なのは、何も知らないのに偏見で被害者を断罪してコメントするマスコミ関係者、
或いは勝手に憐れんだり軽蔑したりする、一般の人…視聴者という赤の他人だと思う。
そして、赤の他人同士の集合体がこの社会であり、私たちはその中でそれぞれ独りで漂っている。
岡崎京子氏は、そういう寂しさを決して湿っぽくなくお涙頂戴でなく、当たり前の事として受け止めた世代の代表だと思う。
物語は、彼女が無残な遺体で見つかったニュースを友人であった主人公が目にするところから始まります。
友人たちが集まり、それぞれ“自分の知っているチワワ”を語り出す。
それは繋がっているようで実はまとまりなく、事件の核心に触れることもなく、彼女の死も人生も謎のまま。
モデルの仕事などで、結構華やかであったはず…それは多くの普通の女の子が憧れるほどには…の彼女が、
男女関係や金銭問題が原因で少しずつ友人たちと疎遠になり、だんだん消息を知る者がいなくなる。
最後に会ったのは彼女をほぼ噂でしか知らない人物で、その感想は「聞いてた感じと違う」みたいなもの。
結局、誰も彼女を知らなかった。浅くて緩い友人関係の中で、彼女はいつも独りだった。
でも本当は、みんなそうなのだ。友人たちは同じ共同体の中で、自分もチワワと紙一重だとなんとなく解ってる。
自分を全て解ってくれる人がいるというのは、幸せな幻想だ。だからほとんどの友人が泣かない。
解ってあげられなかった、と泣く友人もいるが、たとえ時間が戻せても、きっとその友人は同じことをする。
チワワの死は起こってしまったこと。人生は常に選択の連続で、選んだ瞬間からその道しかない。そして戻れない。
泣く友人も、そしてチワワも、戻れない道の果てにいる。語り手の主人公も、そして私たち読者も。
冒頭のニュースで、親しい友人としてチワワを語る人物の存在とその言葉に、主人公が「嘘だぁ」と思うように、
現実でも「故人をよく知る人物」とか「近所の人」とかは、本当は被害者と親しくなんてないのではと思う。
そしてどんなに親しくても、愛してても、その人を完全に理解したと思うなんて、傲慢な気がする。
もっと傲慢なのは、何も知らないのに偏見で被害者を断罪してコメントするマスコミ関係者、
或いは勝手に憐れんだり軽蔑したりする、一般の人…視聴者という赤の他人だと思う。
そして、赤の他人同士の集合体がこの社会であり、私たちはその中でそれぞれ独りで漂っている。
岡崎京子氏は、そういう寂しさを決して湿っぽくなくお涙頂戴でなく、当たり前の事として受け止めた世代の代表だと思う。
2019年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
意外にも短編集のうちの一編にすぎなかったんですね。それだけ原石として輝いていたのか。映画は、この原石を豊かに膨らませたものでした。設定はけっこう忠実でしたが、ほとんどオリジナル化されたと言っていいと思います。とくにナガイという映画監督志望の青年は、チワワへの好意を「ファインダー越し」でしか表現することができず、映画や漫画が好きな若い人たちの代表みたいに改変されていました。こっちのほうがリアルですね。
2008年8月6日に日本でレビュー済み
表題作の【チワワちゃん】を読んだときの衝撃は大きかった。
読み切りとしても、そんなにページ数は多くないほうなのに、
オカザキ節とオカザキエキスがぎゅ〜っとつまってて、胸の真ん中撃ち抜かれた。
死んじゃったチワワちゃんの真の姿が、
周りの友人知人の語りでちょっとずつあぶり出されてゆくのだけれど、
いまどきのワカモノの愛とか、孤独とか、欲望とか、よくわからないものとか、
こんな短いお話の中で、きっちりあぶり出してゆくオカザキキョーコはすごい!
読み切りとしても、そんなにページ数は多くないほうなのに、
オカザキ節とオカザキエキスがぎゅ〜っとつまってて、胸の真ん中撃ち抜かれた。
死んじゃったチワワちゃんの真の姿が、
周りの友人知人の語りでちょっとずつあぶり出されてゆくのだけれど、
いまどきのワカモノの愛とか、孤独とか、欲望とか、よくわからないものとか、
こんな短いお話の中で、きっちりあぶり出してゆくオカザキキョーコはすごい!