著者によれば,日本は源氏物語の時代から,おおくの芸術や芸能をうみだしてきた.しかし,現代日本においては「今なお 80 年代の好景気から生まれた「モノづくり」に対する神話が残り続けている」,「人々はバブル時代のモノづくり神話を信じ続け,経済大国のノスタルジーに浸っている」という.ソニーのトップだった出井氏もそうだという.その神話をすてて,日本は「涼宮ハルヒ」で代表されるクールなコンテンツをのばすべきだと主張している.
だが,日本のモノづくりはむしろバブル時代におろそかにされていたのであり,それ以前につちかわれてきたはずである.また,ソニーは CBS やコロンビア映画を買収してコンテンツ・ビジネスをおこなってきた会社である.ジャパン・クールのコンテンツをいかすべきだという主張には賛成だが,モノづくりとくみあわせてこそ,つよみをいかせるのではないだろうか.
著者がソニーと対比するアップルは,たしかにコンテンツ中心に収益をあげているのだろうが,iPod にせよ iPhone にせよ,モノづくりによってもたらされるユーザ・エクスペリアンスを重視している会社である.その点で著者の認識は根本的にまちがっているとおもう.
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ジャパンクールと情報革命 (アスキー新書 81) 新書 – 2008/10/9
奥野卓司
(著)
バブル崩壊以降の「失われた10年」は、製造業を中心とした日本の産業構造に原因があった。一方でアニメ、マンガなどの日本産コンテンツは、「ジャパンクール」として世界に受け入れられている。ここに隠された情報革命の本質とは何か? 工業社会から情報社会への転換がもたらす、生活・文化とビジネスの変容を見通す。
- ISBN-10404867286X
- ISBN-13978-4048672863
- 出版社アスキー・メディアワークス
- 発売日2008/10/9
- 言語日本語
- 本の長さ192ページ
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商品の説明
著者について
1950年京都府生まれ。京都工芸繊維大学大学院修了。米国イリノイ大学人類学部客員准教授などをへて、97年から現職および関西学院大学大学院社会学研究科教授。国立国際日本文化センター客員教授。情報人類学専攻。アニメをはじめとする日本のコンテンツの世界への普及の実態を調査し、歌舞伎、落語などの伝統文化との対比で解読している。著書に『ジャパンクールと江戸文化』『日本発イット革命』(ともに岩波書店)などがある。
登録情報
- 出版社 : アスキー・メディアワークス (2008/10/9)
- 発売日 : 2008/10/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 192ページ
- ISBN-10 : 404867286X
- ISBN-13 : 978-4048672863
- Amazon 売れ筋ランキング: - 2,268,280位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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2008年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2009年10月26日に日本でレビュー済み
著者は私大社会学部の教授で、本書は日本製アニメ・マンガを社会学・文化人類学的視点で眺めたものだが、内容はそれほど専門的ではない。台湾のオタク事情など、東アジアでの日本のアニメやマンガの流通事情が詳しく書かれている箇所や、旧来の「モノづくり社会」を引きずったままのIT革命という掛け声への批判(日本の携帯電話会社が独自規格にこだわっている点等)は面白かったが、アニミズムなどの日本旧来の文化と結びつけて「モノ語りづくり社会」を目指せという文化論の部分には、説得力があまり感じられなかった。