もう少し実録、ドキュメンタリー風の内容を想像して買ったのですが、いざ読むと「地道な聞き取り調査など+かなりの筆者の推測」という感じ。かつ同じテーマで前書があるそうで、それを前提に論が展開するなど、初見ではかなり読みにくいです。
現場に足を運びかなりの聞き取りをされているようで、数少ない当事者や関係者インタビューはとても貴重で、地道な調査に頭が下がります。例えば「調査編」「それを踏まえた著者による仮設編」などとわかれていると個人的にはもっと読みやすかったかなと。
調査結果と推測が混ざり、かつどちらなのか判別しにくい文章となっているため、著者の推測なのか?と思われる文章ではっきりしない部分に出会うとかなりモヤモヤします。それと推測にもかなり断定的な表現を使っていて、え?その自信はどこから?私は読んでも理解、賛同できてないよ!という気持ちに。
しかし第一資料の転載、繰り返しになりますが聞き取り調査の内容などは初めて読むものばかりでとても楽しめました。
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津山三十人殺し 七十六年目の真実: 空前絶後の惨劇と抹殺された記録 単行本 – 2014/2/25
石川清
(著)
1938年5月21日、岡山県の寒村で一人の青年が一晩で30人もの村人を惨殺した「津山三十人殺し」。70年以上前に起きた惨劇の足跡を追った筆者は、知られざる事実と真相にたどり着いた。惨劇の真実と真相を明らかにするノンフィクション・ルポ。
- 本の長さ303ページ
- 言語日本語
- 出版社学研プラス
- 発売日2014/2/25
- 寸法13.6 x 2.6 x 19.5 cm
- ISBN-10405405949X
- ISBN-13978-4054059498
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登録情報
- 出版社 : 学研プラス (2014/2/25)
- 発売日 : 2014/2/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 303ページ
- ISBN-10 : 405405949X
- ISBN-13 : 978-4054059498
- 寸法 : 13.6 x 2.6 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 648,678位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
津山事件の本は、そんなに沢山あるわけではないので、入手出来て良かったです。
2019年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もこの事実は、出て来そうに有りませんね。当時、昭和初期に、田町(現在の出雲大社分社辺り)に有った津山署、管区内で起きた大量殺人事件、竹〇銃砲店の直ぐ近くです。犯行を犯す計画的な犯人ならここでまず購入しないでしょう。昭和の終わり先代は売って無いと言ったそうです。今田とゆ巡査は津山にも県警にも居ません。今の津山工業高校が高等小学校の有った場所で、商業高校が当時の津山商業、法務局辺りが1中2中だったかな?観光センターが高等女学校で、その南側が材木町、舟入町は忘れてしまいましたが城の東側だた様な。(昭和9年の室戸台風で被害があった)
昭和初期、材木町の貸座は高瀬舟の衰退と共に廃れて、鉄砲町に移って居ました。材木町の宿は稲荷の隣に1軒だけ貸座は営んでいませんでした(つまり調書は嘘だらけ)。教育施設が2km圏にありますから。
小学校は遠縁の家宅から通ってましたか貝尾の住民は見ていませんし高等小学校は津山市内から1中2中は寮生活、
使われてる都井睦雄の写真は別人です(私は本人を知っています故人ですが)。寮長として生徒会長として学校を引っ張り卒業後は伝説に成った男、犯人都井睦夫は身長168を少し超える。色の浅黒いたくましい。草刈政雄に似た日本人離れの顔つきの男。副会長が倉見の(寺井ゆり子ではなく〇村菊代、当時、都井菊代)菊代さん。従兄弟名乗った老婆は支援してた人の、ご息女で幼少期の記憶でしかなくその印象を「学校から帰って来て、絵本を読んでくれる優しいお兄ちゃん」と語りました。新聞や週刊誌に書かれた記事を住民が投げ返した。それが津山事件の真相です。証拠?
2人の小説家が状況証拠を残しました。松本清張、おそらく共産党本部の調書を元にしたと思われるが。今田巡査の供述としての犯行計画、嘘ですね。警部は知らないと言いました。そもそも存在しない人間です。横溝正史、「展示会で見た」当時、県警で調べて貰いましたが、そういった記録は確認出来ず。後の警部の証言だと遺書を含めネガ、写真の類い。遺書は全て処分されたそうです。なのでこれも嘘です。雲南で聞いたら、出生は呉で産院も教えてくれました(有りましたよ記録、戸籍の登録が福岡だった)。まあ広義な意味では広島かな?遺書は1通だけで3通目と言われている物(死の直前)が警部の左手書き(ホントあの映画よく出来てる)。YouTubeのコメントにレス付けてくれたのが、生き残りの赤ん坊のご子息でした。夜中に起きて、たまたま銃声を聞き家族を起こし.7歳位の娘に裏の山に逃げて朝まで出てくるな。と社に有る半鐘を鳴しに飛び出し、下ってくる睦夫と道でばったり会い「なにか有ったのか・・・」これがお爺さんの最後の言葉だそうです(一人だけ外で倒れていた被害者)。犯人は懐中電灯を頭の両脇に取り付けて居なかったと思われる。これは調書写真で映画を撮ろうとしたところ。自然光では夜中まぶしくて前が見えないと俳優が言ったので、「角の様に取り付けた」映画関係者の証言として聞きました。これも警部の推測の格好です
生き残りが加害者の証言として話した供述と幼い子供が記憶していたのは、暗闇の中父親に「おまえは裏山に隠れろ」と言われ夢中で藪の中に逃げた事だけ。「住民の結束は固くG7の諜報機関相手にするより手こずり再調査の3年も掛かりました。」そう機関の係官は話しました。全部で確か54部創られた調書で53が国の関係部署に配られたそうですが岡大三朝地質研究所の物がロストナンバー54だったか?写真5枚、調書の物と違う写真で調書の銃殺体は写真では
刺殺体だそうです。係官が話したNoのうち国立図書館が1旧司法省が2。3.4.5のうちいずれかが津山朝日新聞の蔵書で確か東大図書館からの盗品のはず。地検倉敷支部、岡山地検にも目録には有りましたが実物は有りませんでした。公的機関の物は処分されて存在しません。あ写真ですが、新聞記者が自分の所にやって来たので、新聞記事に不審を抱いて居たので、自分の写真を渡したそうです。本人を前にしてるはずなのにそのまま他で確認も取らずに載ったと。1中の時だったかで当時と身長は変わらないそうで写真から身長が割り出せると思いますが158cm位の人です。津山のヤクザから匕首を購入も嘘で、警部が鉈の傷口を小型の刃物と誤認したためで、購入は神戸出張のおりにで値段が高いのは出張費用で落としたから。拳銃は自費だそうです。津山は城下町で戦前ヤクザ者は居たかもしれませんが集団としては、昭和30年の終わりに商店街の川側の倉を改築して姫路から竹中武が来るまで無かった。本人がそう言いましたから。
昭和初期、材木町の貸座は高瀬舟の衰退と共に廃れて、鉄砲町に移って居ました。材木町の宿は稲荷の隣に1軒だけ貸座は営んでいませんでした(つまり調書は嘘だらけ)。教育施設が2km圏にありますから。
小学校は遠縁の家宅から通ってましたか貝尾の住民は見ていませんし高等小学校は津山市内から1中2中は寮生活、
使われてる都井睦雄の写真は別人です(私は本人を知っています故人ですが)。寮長として生徒会長として学校を引っ張り卒業後は伝説に成った男、犯人都井睦夫は身長168を少し超える。色の浅黒いたくましい。草刈政雄に似た日本人離れの顔つきの男。副会長が倉見の(寺井ゆり子ではなく〇村菊代、当時、都井菊代)菊代さん。従兄弟名乗った老婆は支援してた人の、ご息女で幼少期の記憶でしかなくその印象を「学校から帰って来て、絵本を読んでくれる優しいお兄ちゃん」と語りました。新聞や週刊誌に書かれた記事を住民が投げ返した。それが津山事件の真相です。証拠?
2人の小説家が状況証拠を残しました。松本清張、おそらく共産党本部の調書を元にしたと思われるが。今田巡査の供述としての犯行計画、嘘ですね。警部は知らないと言いました。そもそも存在しない人間です。横溝正史、「展示会で見た」当時、県警で調べて貰いましたが、そういった記録は確認出来ず。後の警部の証言だと遺書を含めネガ、写真の類い。遺書は全て処分されたそうです。なのでこれも嘘です。雲南で聞いたら、出生は呉で産院も教えてくれました(有りましたよ記録、戸籍の登録が福岡だった)。まあ広義な意味では広島かな?遺書は1通だけで3通目と言われている物(死の直前)が警部の左手書き(ホントあの映画よく出来てる)。YouTubeのコメントにレス付けてくれたのが、生き残りの赤ん坊のご子息でした。夜中に起きて、たまたま銃声を聞き家族を起こし.7歳位の娘に裏の山に逃げて朝まで出てくるな。と社に有る半鐘を鳴しに飛び出し、下ってくる睦夫と道でばったり会い「なにか有ったのか・・・」これがお爺さんの最後の言葉だそうです(一人だけ外で倒れていた被害者)。犯人は懐中電灯を頭の両脇に取り付けて居なかったと思われる。これは調書写真で映画を撮ろうとしたところ。自然光では夜中まぶしくて前が見えないと俳優が言ったので、「角の様に取り付けた」映画関係者の証言として聞きました。これも警部の推測の格好です
生き残りが加害者の証言として話した供述と幼い子供が記憶していたのは、暗闇の中父親に「おまえは裏山に隠れろ」と言われ夢中で藪の中に逃げた事だけ。「住民の結束は固くG7の諜報機関相手にするより手こずり再調査の3年も掛かりました。」そう機関の係官は話しました。全部で確か54部創られた調書で53が国の関係部署に配られたそうですが岡大三朝地質研究所の物がロストナンバー54だったか?写真5枚、調書の物と違う写真で調書の銃殺体は写真では
刺殺体だそうです。係官が話したNoのうち国立図書館が1旧司法省が2。3.4.5のうちいずれかが津山朝日新聞の蔵書で確か東大図書館からの盗品のはず。地検倉敷支部、岡山地検にも目録には有りましたが実物は有りませんでした。公的機関の物は処分されて存在しません。あ写真ですが、新聞記者が自分の所にやって来たので、新聞記事に不審を抱いて居たので、自分の写真を渡したそうです。本人を前にしてるはずなのにそのまま他で確認も取らずに載ったと。1中の時だったかで当時と身長は変わらないそうで写真から身長が割り出せると思いますが158cm位の人です。津山のヤクザから匕首を購入も嘘で、警部が鉈の傷口を小型の刃物と誤認したためで、購入は神戸出張のおりにで値段が高いのは出張費用で落としたから。拳銃は自費だそうです。津山は城下町で戦前ヤクザ者は居たかもしれませんが集団としては、昭和30年の終わりに商店街の川側の倉を改築して姫路から竹中武が来るまで無かった。本人がそう言いましたから。
2014年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者の地道な取材力には頭が下がる思いで、前作から読んでいます。
特に第3章は、読み応えのある力作だと思います。
でも、共犯者がいたとしても睦雄の子孫がいたとしても、それは読み物にはできないかなと。
みな子が息子や孫に厳し過ぎると思われる躾をしたのは、祖母いねの教育方針をそのまま受け継いだのではなくて、睦雄のように跡取り息子だからと甘やかせたくなかった、あんな事件をしでかした血縁だから、その事が明るみに出でも折れる事なく強くなって欲しいから、とも取れます。
ノンフィクションの辛いところで、生存されている関係者の方たちがいると書けないところもあるし。
特に第3章は、読み応えのある力作だと思います。
でも、共犯者がいたとしても睦雄の子孫がいたとしても、それは読み物にはできないかなと。
みな子が息子や孫に厳し過ぎると思われる躾をしたのは、祖母いねの教育方針をそのまま受け継いだのではなくて、睦雄のように跡取り息子だからと甘やかせたくなかった、あんな事件をしでかした血縁だから、その事が明るみに出でも折れる事なく強くなって欲しいから、とも取れます。
ノンフィクションの辛いところで、生存されている関係者の方たちがいると書けないところもあるし。
2014年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この事件について、10年以上にわたって現地取材を続けている著者の最新作です。
前著『津山三十人殺し 最後の真相』レビューにも書いたように、筆者は豊富な現地取材の内容と、そこから得られた事件関係者からの貴重な証言を「事実」として示しています。そして、そこからの筆者の考察・推察は明確に弁別して叙述しています。それを「物足りない」という人もいるかもしれません。しかし、この事件に関する他の本に見られるような、センセーショナリズムに基づく筆者の創作や推測をあたかも事実のように書き散らすやり方よりも、ずっと信頼できる態度であると個人的には思います。
そのような冷静な筆致の中にあって、今回の本でも様々な新発見や研究成果が示されています。
個人的に今回の本の白眉は、第三章と第五章だと思います。
第三章では、睦雄、「祖母」、姉の3人が、睦雄が生まれた倉見を離れて事件が起きた貝尾へ移り住んだ経緯を都井家関係者への取材で明らかにしています。そして、その経緯はまた、事件の遠因にもなっていることが明らかにされています。第五章では、現地に根強く伝わる「睦雄の子供が存在する」という噂について、従来の推測とは異なる観点から一つの仮説を提示しています。この内容は個人的には衝撃的でした。
前著『津山三十人殺し 最後の真相』も近々改訂版を再販予定とのことです。津山事件に少しでも興味がある方は、併せて一読されることを強くお勧めします。
前著『津山三十人殺し 最後の真相』レビューにも書いたように、筆者は豊富な現地取材の内容と、そこから得られた事件関係者からの貴重な証言を「事実」として示しています。そして、そこからの筆者の考察・推察は明確に弁別して叙述しています。それを「物足りない」という人もいるかもしれません。しかし、この事件に関する他の本に見られるような、センセーショナリズムに基づく筆者の創作や推測をあたかも事実のように書き散らすやり方よりも、ずっと信頼できる態度であると個人的には思います。
そのような冷静な筆致の中にあって、今回の本でも様々な新発見や研究成果が示されています。
個人的に今回の本の白眉は、第三章と第五章だと思います。
第三章では、睦雄、「祖母」、姉の3人が、睦雄が生まれた倉見を離れて事件が起きた貝尾へ移り住んだ経緯を都井家関係者への取材で明らかにしています。そして、その経緯はまた、事件の遠因にもなっていることが明らかにされています。第五章では、現地に根強く伝わる「睦雄の子供が存在する」という噂について、従来の推測とは異なる観点から一つの仮説を提示しています。この内容は個人的には衝撃的でした。
前著『津山三十人殺し 最後の真相』も近々改訂版を再販予定とのことです。津山事件に少しでも興味がある方は、併せて一読されることを強くお勧めします。
2016年1月14日に日本でレビュー済み
「本書における“新たな事実・新たな着眼点”として、大きな点を三つ挙げてみたい。
第一は、睦雄の犯行動機と非常に深く関わる『倉見』(睦雄が生まれ、3歳まで
育った地域)時代に、睦雄一家が被った悲劇がある程度明らかになったこと。
第二は、30人殺しの事件現場である『貝尾』に今も住む被害者や遺族から聞いた
話をようやく解禁できることで、事件の実態をより具体的に提示できること。
第三は、筑波昭氏が著した『 津山三十人殺し 』……によって生み出された、
誤った津山事件や“都井睦雄”のイメージを修正する試みをしていること」。
今もなお、少なからぬ被害者遺族はこの忌まわしき集落に暮らすという。
血にまみれた記憶をまとってなお、断ち切れぬ地の「絆し」。
にもかかわらず、片や加害者は「ロウガイスジ」(結核の出やすいとされた家系)を
理由に郷里を追われ、逃れ着いた地においてもなお、そのレッテルで辱めを受ける。
「睦雄が怒るのも無理はない」と、同情を寄せる者もあるらしい。
凶行の背後に横たわる、そんな重すぎる「絆し」を描き出した点においては
相応の達成は認められる。
とはいえ、総じてみれば、破綻したテキストと評価せざるを得ない。
何せ仔細に検討せずとも、記述の不整合がひたすら目につく。
例えば事件に根幹にすら関わるだろう睦雄のパーソナリティについての記述。
小学校時の欠席数の多さを祖母の過保護の証とする見立ても大概だが、
そのことで「他の子供たちと十分な人間関係を結ぶことができなかった」とまで断言。
にもかかわらず、その同じページにこんな証言が掲載される。
「小学校では3年生くらいから、いつも級長をしていました。……学校の成績は
良くあり続け、人からも恨まれているようなことはなく、むしろ選挙などしてもらう
くらいの人望はあった」。
アタマ、大丈夫?
暴走は止まらない。
遺書において繰り返し罵倒を浴びせるとある女性が、それにも関わらず惨劇を
逃れ遂せた理由について、その長女が睦雄の落とし子だったため、との推測を
貧弱な論拠から披露。そんなことを睦雄がもし信じ込んでいたならば、
他の男とも夜這いを重ねていたことなど、わざわざ遺書に記すだろうか。
酷さの極みは、それを示唆するようなさしたる証拠もないのに、「共犯者と
までは言わないが、協力的だった人間が凶行に関係していたのではないかと
推察している」と前置いて、ある人物を名指ししていること。
巷の墓荒らし系ウェブサイトでも、もう少し慎重にことばを選ぶだろうに、
最低限のエチケットすらも本書からは見えてこない。
バブル期以上の老害家畜に固有の俗流心理学と現代若者批判なんて、
稚拙に過ぎてもはや取り上げるにも値しない。
「日本」が「二本」、「書記」が「初期」、なんて具合の誤字脱字が頻発する点から
しても編集サイドのコミットメントが見えず、独善的な妄想に終始しただけの一冊。
第一は、睦雄の犯行動機と非常に深く関わる『倉見』(睦雄が生まれ、3歳まで
育った地域)時代に、睦雄一家が被った悲劇がある程度明らかになったこと。
第二は、30人殺しの事件現場である『貝尾』に今も住む被害者や遺族から聞いた
話をようやく解禁できることで、事件の実態をより具体的に提示できること。
第三は、筑波昭氏が著した『 津山三十人殺し 』……によって生み出された、
誤った津山事件や“都井睦雄”のイメージを修正する試みをしていること」。
今もなお、少なからぬ被害者遺族はこの忌まわしき集落に暮らすという。
血にまみれた記憶をまとってなお、断ち切れぬ地の「絆し」。
にもかかわらず、片や加害者は「ロウガイスジ」(結核の出やすいとされた家系)を
理由に郷里を追われ、逃れ着いた地においてもなお、そのレッテルで辱めを受ける。
「睦雄が怒るのも無理はない」と、同情を寄せる者もあるらしい。
凶行の背後に横たわる、そんな重すぎる「絆し」を描き出した点においては
相応の達成は認められる。
とはいえ、総じてみれば、破綻したテキストと評価せざるを得ない。
何せ仔細に検討せずとも、記述の不整合がひたすら目につく。
例えば事件に根幹にすら関わるだろう睦雄のパーソナリティについての記述。
小学校時の欠席数の多さを祖母の過保護の証とする見立ても大概だが、
そのことで「他の子供たちと十分な人間関係を結ぶことができなかった」とまで断言。
にもかかわらず、その同じページにこんな証言が掲載される。
「小学校では3年生くらいから、いつも級長をしていました。……学校の成績は
良くあり続け、人からも恨まれているようなことはなく、むしろ選挙などしてもらう
くらいの人望はあった」。
アタマ、大丈夫?
暴走は止まらない。
遺書において繰り返し罵倒を浴びせるとある女性が、それにも関わらず惨劇を
逃れ遂せた理由について、その長女が睦雄の落とし子だったため、との推測を
貧弱な論拠から披露。そんなことを睦雄がもし信じ込んでいたならば、
他の男とも夜這いを重ねていたことなど、わざわざ遺書に記すだろうか。
酷さの極みは、それを示唆するようなさしたる証拠もないのに、「共犯者と
までは言わないが、協力的だった人間が凶行に関係していたのではないかと
推察している」と前置いて、ある人物を名指ししていること。
巷の墓荒らし系ウェブサイトでも、もう少し慎重にことばを選ぶだろうに、
最低限のエチケットすらも本書からは見えてこない。
バブル期以上の老害家畜に固有の俗流心理学と現代若者批判なんて、
稚拙に過ぎてもはや取り上げるにも値しない。
「日本」が「二本」、「書記」が「初期」、なんて具合の誤字脱字が頻発する点から
しても編集サイドのコミットメントが見えず、独善的な妄想に終始しただけの一冊。
2015年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を手に取る方で、津山事件や八ツ墓村をまったく知らない人はいないであろう。
筑波氏の著作の問題点についての考察であったり、著者の主観でしかない駄文が多すぎたりするのが問題点だと感じた。
他レビューにも述べられているように、岡山県と鳥取県の県境の町に足を運ばれ、当時を知る人々にインタビューをなさっているのには頭が下がる。
80年近くも前の事で、推論が多くなってしまうのが仕方が無いが、読者にとって著者のイメージした当時の会話等は不要であり、インタビューで得られた情報を箇条書きで人物事にまとめて、最後に著者の考察を述べる等、ルポルタージュ風に事実を列挙し、当時の司法省検察局「津山事件報告書」現代訳に、もっとページを割くべきではなかったかと感じた。
構成はじめ、著者の文章や考察は切れ味が悪く新書で充分な内容と感じたが、マニアにとっては必読の一冊だと感じた。
筑波氏の著作の問題点についての考察であったり、著者の主観でしかない駄文が多すぎたりするのが問題点だと感じた。
他レビューにも述べられているように、岡山県と鳥取県の県境の町に足を運ばれ、当時を知る人々にインタビューをなさっているのには頭が下がる。
80年近くも前の事で、推論が多くなってしまうのが仕方が無いが、読者にとって著者のイメージした当時の会話等は不要であり、インタビューで得られた情報を箇条書きで人物事にまとめて、最後に著者の考察を述べる等、ルポルタージュ風に事実を列挙し、当時の司法省検察局「津山事件報告書」現代訳に、もっとページを割くべきではなかったかと感じた。
構成はじめ、著者の文章や考察は切れ味が悪く新書で充分な内容と感じたが、マニアにとっては必読の一冊だと感じた。
2020年10月16日に日本でレビュー済み
内容云々より、あまりに悪筆で、読み難い。編集者も仕事をしていないのだろう。