途中で昔読んだことに気が付きました(笑)。とてもいい本です。ところで、統合失調症の治療のスタンスに気になる点があったので少しコメントします。
著者は<統合失調症という精神の異常を「気の毒」と思って「治療」しようとする私たちの努力は、私たち「正常者」の自分勝手な論理にもとづいている>と本書の最後に書いています。
確かに、この気の毒が、単に、正常じゃないから気の毒、という正常者の一方的な態度であれば、統合失調症者の世界を理解できない正常者の自分勝手、と言えるでしょう。
でも、気になったのは、統合失調症の人は、苦しいから助けて欲しい、地に足をつけて自明性のある世界に生きたい、と思っていないのか?ということ。
もし思っているとすれば、「治療」は正常者の自分勝手な論理にもとづいているわけではなくて、患者の意に沿った行為になります。
そんな疑問を抱きながら渡辺哲夫氏の解説を読んでいたら、多くの統合失調症者は治って社会人に戻りたい自立したい、と切望しているとのこと(本書に出てくる症例のアンネもそんな感じがします)、なので「治療」は正常者の自分勝手な論理にもとづいているとは言い切れないでしょう。--- 読者の持ちそうな疑問に答えて頂いている渡辺氏の解説にも感謝。
久永公紀『意思決定のトリック』・『宮沢賢治の問題群』
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異常の構造 (講談社現代新書) 新書 – 1973/9/20
木村 敏
(著)
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精神異常の世界では、「正常」な人間が、ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。
「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より
「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より
- 本の長さ182ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1973/9/20
- 寸法10.6 x 1 x 17.4 cm
- ISBN-104061157310
- ISBN-13978-4061157316
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商品の説明
著者について
1931年、外地に生まれる。1955年、京都大学医学部卒業。現在、河合文化教育研究所主任研究員。道元禅や西田哲学を精神医学にとりいれ、独自の人間学を提起して注目されている。著書に、『自覚の精神病理』――紀伊国屋書店、『時間と自己』中公新書、『人と人との間』『分裂病の現象学』――弘文堂、『偶然性の精神病理』――岩波書店――などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1973/9/20)
- 発売日 : 1973/9/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 182ページ
- ISBN-10 : 4061157310
- ISBN-13 : 978-4061157316
- 寸法 : 10.6 x 1 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 19,316位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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- - 399位講談社現代新書
- - 6,037位ノンフィクション (本)
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2024年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルは異常の構造とあるが、
それ以上の問題提起をしてくれる本。
他人の思惑に巻き込まれやすい人は
この本を読むと、若干理解しやすくなるかな。
それ以上の問題提起をしてくれる本。
他人の思惑に巻き込まれやすい人は
この本を読むと、若干理解しやすくなるかな。
2023年9月29日に日本でレビュー済み
現代と異常
自然の合理性という虚構
異常の意味
常識の意味
共通感覚から常識へ
常識の病理としての精神分裂病
ブランケンブルクの症例
アンネ 妄想における常識の解体
世界の二重構造
◆常識的日常世界の世界公式
精神分裂病者の論理構造
合理性の根拠
異常の根源
社会存在概念としての全と一
あとがき
解説(渡辺哲夫)
自然の合理性という虚構
異常の意味
常識の意味
共通感覚から常識へ
常識の病理としての精神分裂病
ブランケンブルクの症例
アンネ 妄想における常識の解体
世界の二重構造
◆常識的日常世界の世界公式
精神分裂病者の論理構造
合理性の根拠
異常の根源
社会存在概念としての全と一
あとがき
解説(渡辺哲夫)
2022年10月5日に日本でレビュー済み
本書の大半は、異常について、特に精神分裂症(現在では、統合失調症と呼ぶ)の事例とその考察です。
木村敏氏は前段で、「虚構を虚構として暴露されなくてはならない。これが本書の意図だ」と書いて
います。
はじめは、「異常者」の見ている(であろう)虚構の世界を探究しているつもりになって読み進めて
行くのですが、途中から、実は「正常者」だと思い込んでいる大方の私たちこそが、合理性の名のもと
に便宜上作られた正常という虚構の範囲内で生きているに過ぎないのかもしれない、という懐疑が
脳裏から離れなくなります。
わりと多くの人が幼少の頃に、なぜ1+1は2なのだろうか?と疑問に思ったことがあるのではないで
しょうか。
本書では、それをさらに極限にまで突き詰めて、1=1の意味を追求していきます。
そこからわかるのは、私たちのほとんどは、共通理解の枠組みがなければうまく生きていくことのでき
ない、つまり「1=1の公式に基づいた論理を理解する理解しか持ち合わせていない」だけという
ことです。
昨今の情報化社会は、著者が問題視している「情報過剰」な状態を制御不能な水準にまで増大させて
います。
そのことが、いわゆる「正常者」の「著しい視野狭窄」をさらに著しいものにしています。
読了したあとに襲われるのは、解説で渡辺哲夫氏が書いているように、「妄想患者を了解不能と刻印を
捺しているわれわれの側にこそ、了解無能力の刻印が捺される」という感覚です。
最後の最後に書かれている、「正常の構造は、われわれの生への執着という原罪が由来する虚構だ」
という言葉が重いです。
木村敏氏は前段で、「虚構を虚構として暴露されなくてはならない。これが本書の意図だ」と書いて
います。
はじめは、「異常者」の見ている(であろう)虚構の世界を探究しているつもりになって読み進めて
行くのですが、途中から、実は「正常者」だと思い込んでいる大方の私たちこそが、合理性の名のもと
に便宜上作られた正常という虚構の範囲内で生きているに過ぎないのかもしれない、という懐疑が
脳裏から離れなくなります。
わりと多くの人が幼少の頃に、なぜ1+1は2なのだろうか?と疑問に思ったことがあるのではないで
しょうか。
本書では、それをさらに極限にまで突き詰めて、1=1の意味を追求していきます。
そこからわかるのは、私たちのほとんどは、共通理解の枠組みがなければうまく生きていくことのでき
ない、つまり「1=1の公式に基づいた論理を理解する理解しか持ち合わせていない」だけという
ことです。
昨今の情報化社会は、著者が問題視している「情報過剰」な状態を制御不能な水準にまで増大させて
います。
そのことが、いわゆる「正常者」の「著しい視野狭窄」をさらに著しいものにしています。
読了したあとに襲われるのは、解説で渡辺哲夫氏が書いているように、「妄想患者を了解不能と刻印を
捺しているわれわれの側にこそ、了解無能力の刻印が捺される」という感覚です。
最後の最後に書かれている、「正常の構造は、われわれの生への執着という原罪が由来する虚構だ」
という言葉が重いです。
2022年9月3日に日本でレビュー済み
本書が対象とするのは現在の統合失調症、1973年に本書が出版されていた時点では精神分裂病と呼ばれていた症状であり、この症状を問うことによって「正常人」にとっての「常識」とは何かを分析する内容となっている。本文は約170ページ、全10章。
情報過剰で異常さに貪欲な関心を示す現代社会の傾向について考える第一章を読んだ時点では、精神病についての記述もなく、軽めのエッセイの集成にも思えたが、一冊全体を通して先に触れたような分裂病と常識をめぐる探求に費やされている。第一章は前フリにあたり、本来のテーマである分裂病について触れられるのはようやく第四章になってからになる。それまでは人間にとっての合理性、常識が何であるのかを考察し、章を追うに従って徐々に深みへと下っていく。
著者が「常識」「合理性」と対比させて本書のテーマとなるのは分裂病患者の症状である。分裂病は知的能力については問題がない病であり、その特徴は「精神分裂病者における行動の異常が、もっぱら対人関係の相を帯びた領域にのみ出現する」ことにあるという。また、多くの患者は生育した家庭環境の人間関係には独得の歪みがあり、仮に類型化するならば、過保護・過干渉にあたる「密着型」と、いまでいうネグレクトという言葉が該当するであろう「分散型」に分かれる。両極端に見える二つの関係性だが、いずれも相互信頼や相互理解の欠如という点では共通しており、これらの欠如が「常識的日常性の世界に安住する能力」の獲得から疎外してしまう。
著者は分裂病者の本質を見極めるとともに、逆に彼らを締め出そうと躍起になる「正常人」にとっての「常識」が何であるのかを追求する。「常識」とはそもそも「知識」ではなく「感覚」の一種であって、「人と人との間を支配している共通感覚」である。この常識の観念は、「個物の個別性」「個物の同一性」「世界の単一性」から成り、つまりは「1=1」、自分が自分自身であるという基本的公理によって支えられる。さらには、このような常識の観念が何によって生み出されてきたかといえば、私たちの生存への意志、執着が根源にある。だからこそ、分裂病者は私たちにとって自明である生存への意志を脅かすものとして忌避される。
それでは私たちが分裂病という病に対して何ができるのかといえば、結局のところこのような病の分類自体が、私たち「正常者」の側の論理にもとづくことを知っておくということぐらいしかない。「合理」に対する「非合理」、「常識」に対する「非常識」は結局のところ一方的関係にあたる非対称の対概念であり、それぞれは「合理」「常識」に従属してしまうように、分裂病者は私たち「正常者」にとってそれに従属する意味での「異常者」としてしか認識されえない。私たちが「常識」の側にいる限りは本当の意味では彼らを理解できないのだが、私たちは「常識」を離れるわけにはいかないというジレンマに行き着いてしまう。
一冊を通してスムーズな構成で、コンパクトながら誰にとっても当たり前の「常識」の奥底にある動機にまで届いている。分裂病の分析からの反照で「正常人」にとっての「常識」「合理」を掘り崩し、私たちが根拠にするそれらも、あくまで人間が社会を営み、生存を肯定するために編み出された便宜上の観念にすぎないともいえる。精神病理の分析でありながら、人間社会を洞察した哲学的な論考でもあって、私たちを支える自明な観念について思わせられる興味深い内容だった。半世紀近く前の著書だが、とても新鮮に読むことができた。
情報過剰で異常さに貪欲な関心を示す現代社会の傾向について考える第一章を読んだ時点では、精神病についての記述もなく、軽めのエッセイの集成にも思えたが、一冊全体を通して先に触れたような分裂病と常識をめぐる探求に費やされている。第一章は前フリにあたり、本来のテーマである分裂病について触れられるのはようやく第四章になってからになる。それまでは人間にとっての合理性、常識が何であるのかを考察し、章を追うに従って徐々に深みへと下っていく。
著者が「常識」「合理性」と対比させて本書のテーマとなるのは分裂病患者の症状である。分裂病は知的能力については問題がない病であり、その特徴は「精神分裂病者における行動の異常が、もっぱら対人関係の相を帯びた領域にのみ出現する」ことにあるという。また、多くの患者は生育した家庭環境の人間関係には独得の歪みがあり、仮に類型化するならば、過保護・過干渉にあたる「密着型」と、いまでいうネグレクトという言葉が該当するであろう「分散型」に分かれる。両極端に見える二つの関係性だが、いずれも相互信頼や相互理解の欠如という点では共通しており、これらの欠如が「常識的日常性の世界に安住する能力」の獲得から疎外してしまう。
著者は分裂病者の本質を見極めるとともに、逆に彼らを締め出そうと躍起になる「正常人」にとっての「常識」が何であるのかを追求する。「常識」とはそもそも「知識」ではなく「感覚」の一種であって、「人と人との間を支配している共通感覚」である。この常識の観念は、「個物の個別性」「個物の同一性」「世界の単一性」から成り、つまりは「1=1」、自分が自分自身であるという基本的公理によって支えられる。さらには、このような常識の観念が何によって生み出されてきたかといえば、私たちの生存への意志、執着が根源にある。だからこそ、分裂病者は私たちにとって自明である生存への意志を脅かすものとして忌避される。
それでは私たちが分裂病という病に対して何ができるのかといえば、結局のところこのような病の分類自体が、私たち「正常者」の側の論理にもとづくことを知っておくということぐらいしかない。「合理」に対する「非合理」、「常識」に対する「非常識」は結局のところ一方的関係にあたる非対称の対概念であり、それぞれは「合理」「常識」に従属してしまうように、分裂病者は私たち「正常者」にとってそれに従属する意味での「異常者」としてしか認識されえない。私たちが「常識」の側にいる限りは本当の意味では彼らを理解できないのだが、私たちは「常識」を離れるわけにはいかないというジレンマに行き着いてしまう。
一冊を通してスムーズな構成で、コンパクトながら誰にとっても当たり前の「常識」の奥底にある動機にまで届いている。分裂病の分析からの反照で「正常人」にとっての「常識」「合理」を掘り崩し、私たちが根拠にするそれらも、あくまで人間が社会を営み、生存を肯定するために編み出された便宜上の観念にすぎないともいえる。精神病理の分析でありながら、人間社会を洞察した哲学的な論考でもあって、私たちを支える自明な観念について思わせられる興味深い内容だった。半世紀近く前の著書だが、とても新鮮に読むことができた。
2018年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
どのような世界に住み、どんなロジック(論理)に支配されているのか、その苦悩や、「彼らが住む世界」のロジック(論理)を、木村敏という京都大学の教授が、可能な限り、自らの専門知識から分析し、解明しています。
知り合いの精神科の医者に紹介して読んでもらった本の中で、彼女が「最も印象的だった」と述べた本です。
知り合いの精神科の医者に紹介して読んでもらった本の中で、彼女が「最も印象的だった」と述べた本です。
2021年5月17日に日本でレビュー済み
いわゆる、"常識"と言われているもの、"正常"と言われているものが、いかに偏った考え方にもとづいて
いるか、こちら側の都合だけで口にされているかを、考えさせてくれます。
発行された当時の1973年には、まだ、精神分裂症と呼ばれていた統合失調症ですが、載っている事例を
読んでみると、なるほど、これが臨床の現場で語られることだと頷かされます。
「全」としてのありかたから「一」としての自己になるときにも、1=1を意識できた「一」であること
とあわせて、
"...彼らを社会の共同生活の中へ迎え入れようとする方向で動いている。しかし、この運動が単なる感傷的な
ヒューマニズムの立場からなされるものであるならば、それは事態の真相をまったく理解しないばかりか、
偽善的自己満足以外のなにものでもないところの無意味な運動に終わらざるをえない。「異常者」を真の意味
で私たちの仲間として受け入れようとするためには、私たちはみずからが日常なんの疑問もなく自明のことと
して受け入れている自己の生存という現実を、あるいはそもそも「生きている」ということの意味を、
もう一度あらためて問いなおしてみるだけの勇気を持たなくてはならない。生の事実を盲目的に、無反省に
肯定する立場からは、「異常」の差別に対する反省は不可能なのである"
...日常の私自身をふり返らせてもらいました。
いるか、こちら側の都合だけで口にされているかを、考えさせてくれます。
発行された当時の1973年には、まだ、精神分裂症と呼ばれていた統合失調症ですが、載っている事例を
読んでみると、なるほど、これが臨床の現場で語られることだと頷かされます。
「全」としてのありかたから「一」としての自己になるときにも、1=1を意識できた「一」であること
とあわせて、
"...彼らを社会の共同生活の中へ迎え入れようとする方向で動いている。しかし、この運動が単なる感傷的な
ヒューマニズムの立場からなされるものであるならば、それは事態の真相をまったく理解しないばかりか、
偽善的自己満足以外のなにものでもないところの無意味な運動に終わらざるをえない。「異常者」を真の意味
で私たちの仲間として受け入れようとするためには、私たちはみずからが日常なんの疑問もなく自明のことと
して受け入れている自己の生存という現実を、あるいはそもそも「生きている」ということの意味を、
もう一度あらためて問いなおしてみるだけの勇気を持たなくてはならない。生の事実を盲目的に、無反省に
肯定する立場からは、「異常」の差別に対する反省は不可能なのである"
...日常の私自身をふり返らせてもらいました。
2010年9月18日に日本でレビュー済み
木村敏は精神病理学者として異常と日常的に向き合っている。
この本は、「異常」ということについて根本から考えた深い思索である。
赤ん坊は「全」としての存在から徐々に「一」としての存在に移る。
私たちが「在る」と言っているものは、私たち自身の知覚行為の中から生じるものであり対象から由来するものではない。
しかし、人間はその奥に不可視の合理的とはいえない「こころ」とか「精神」をつくった。
また、科学そのものが人間の生への意志(無明)から生じたものである。自然から離れ、自然を支配しようとするものである。
合理的自然観である物理的存在というのは人間に都合のいい錯覚(仮象)である。
(離人症の人は、世界は実存性・現実性を失って単なるモザイクに変わってしまう)
この二重の虚構は人間に限りない不安をもたらす。
そして、「異常者」は「正常者」によって構成されている合理性・常識性の世界の存立を根本から危うくする。
このことが、世界から異常者を排除しなくてはならないという理由である。
(あらゆる差別の淵源ではないだろうか)
私たちが「なぜ、生きているか」という、答えのない通奏低音が深く響いてくる。
この本は、「異常」ということについて根本から考えた深い思索である。
赤ん坊は「全」としての存在から徐々に「一」としての存在に移る。
私たちが「在る」と言っているものは、私たち自身の知覚行為の中から生じるものであり対象から由来するものではない。
しかし、人間はその奥に不可視の合理的とはいえない「こころ」とか「精神」をつくった。
また、科学そのものが人間の生への意志(無明)から生じたものである。自然から離れ、自然を支配しようとするものである。
合理的自然観である物理的存在というのは人間に都合のいい錯覚(仮象)である。
(離人症の人は、世界は実存性・現実性を失って単なるモザイクに変わってしまう)
この二重の虚構は人間に限りない不安をもたらす。
そして、「異常者」は「正常者」によって構成されている合理性・常識性の世界の存立を根本から危うくする。
このことが、世界から異常者を排除しなくてはならないという理由である。
(あらゆる差別の淵源ではないだろうか)
私たちが「なぜ、生きているか」という、答えのない通奏低音が深く響いてくる。