名作。ボロボロになってしまい、これで2冊目です。
孫武、孫繽の人間性もドラマも、ほんとうに面白い。
世界がドーンと広がってくる感じで、引き込まれます。
軽すぎもせず、リアリティ感満載、そして、読みやすい。
これは読みでしょう。ぜひ、お勧めです。
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孫子 (講談社文庫 か 1-1) 文庫 – 1974/2/1
海音寺 潮五郎
(著)
“兵法とは究極には己れに勝つこと”呉楚の確執が続く古代中国。卓越した戦略家的素質と隠者的性格を合わせ持つ孫武と、復讐に憑かれて生涯を賭ける伍子胥の生き様。骨肉相食む戦乱の世の諸王・将軍・刺客等人間群像を、「春秋左氏伝」「呉越春秋」「史記」から掘り起こし、独自の解釈のもと鮮やかに甦らせる。
- 本の長さ656ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1974/2/1
- ISBN-104061312375
- ISBN-13978-4061312371
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1974/2/1)
- 発売日 : 1974/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 656ページ
- ISBN-10 : 4061312375
- ISBN-13 : 978-4061312371
- Amazon 売れ筋ランキング: - 718,913位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何度読み返したことか。無くしたり、汚れたり4冊目です。こんな本は滅多にお目にかかれません。
2009年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
孫武と、その子孫である孫'。中国の春秋戦国時代に「孫子」と呼ばれた、2人の著名な兵法家を主人公とした傑作。
世界一有名な兵法書『孫子』の作者とされる孫武。しかし、その人となりを示すエピソードは、史書から殆ど見出すことができない。かつては「孫武非実在説」が唱えられたこともあったほどだ。もともとは中国文学の研究を志していた著者は、『春秋左氏伝』・『呉越春秋』・『史記』などの史料を博捜し、綿密な考証を行った上で、史料には記されていない空白部分を想像力で見事に埋めている。これぞ歴史小説の醍醐味であろう。
著者の話の膨らませ方は実にリアルである。孫武の詳細な作戦指揮は「さもありなん」と思わせる。孫武の具体的な軍隊指揮は史書からは全く窺うことができないのだが、史料から判明する当時の呉軍の軍事行動と、兵法書『孫子』の軍事理論を重ね合わせて、兵法の実践者としての孫武を生き生きと浮かび上がらせている。
また孫武の性格設定も卓抜で、風采は上がらず妻にも頭が上がらない気弱で淡泊な人物という、意表を突いた設定になっている。容貌魁偉で名誉を重んじ、激烈な性格の伍子胥との対比を通じて、孫武の隠者的生き方を違和感なく描いている。確かに、孫武がこのような性格の人間だったとしたら、彼に関する逸話が非常に乏しいのも、頷ける。「講談師、見てきたような嘘をつき」ではないが、ともかく著者の想像には無理がなく、納得させられてしまう。
引き際を心得て人生を全うした賢人と、功成り名を遂げながらも出処進退を誤って哀れな末路を辿った才人とを対比するというのは司馬遷の『史記』に顕著な手法だが、本書の筆法も、絶妙な処世術と清貧な隠遁生活を尊ぶ中国社会の雰囲気を良く捉えている。
天才で恬淡とした孫'と、秀才で欲深な'涓との違いの際立たせ方も秀逸。様々な創作を交えて、一見すると僅かに思えるが決定的な両者の断絶を浮き彫りにしている。そして、この創作がまた、非常にリアリティ溢れるもので、「実際にこうだったのではないか」と唸らせる。
特に感心したのが'涓が孫'を罠にかける動機の設定である。『史記』は、'涓が同門の孫'の兵法の才能に自分のそれが及ばないことを感じていたため、と説くが、これだけでは同門であり、在野の人間にすぎない孫'を陥れる理由としてはちと弱い。著者が想定した、孫'と'涓との関係はより複雑で、かつ'涓が孫'を危険視した動機としてより説得的である。また呉起や商鞅まで登場させたことで、孫'と'涓との対決の物語に奥行きが生まれた。
最後があまりにあっさりとしているのが、ちょっと物足りない。
世界一有名な兵法書『孫子』の作者とされる孫武。しかし、その人となりを示すエピソードは、史書から殆ど見出すことができない。かつては「孫武非実在説」が唱えられたこともあったほどだ。もともとは中国文学の研究を志していた著者は、『春秋左氏伝』・『呉越春秋』・『史記』などの史料を博捜し、綿密な考証を行った上で、史料には記されていない空白部分を想像力で見事に埋めている。これぞ歴史小説の醍醐味であろう。
著者の話の膨らませ方は実にリアルである。孫武の詳細な作戦指揮は「さもありなん」と思わせる。孫武の具体的な軍隊指揮は史書からは全く窺うことができないのだが、史料から判明する当時の呉軍の軍事行動と、兵法書『孫子』の軍事理論を重ね合わせて、兵法の実践者としての孫武を生き生きと浮かび上がらせている。
また孫武の性格設定も卓抜で、風采は上がらず妻にも頭が上がらない気弱で淡泊な人物という、意表を突いた設定になっている。容貌魁偉で名誉を重んじ、激烈な性格の伍子胥との対比を通じて、孫武の隠者的生き方を違和感なく描いている。確かに、孫武がこのような性格の人間だったとしたら、彼に関する逸話が非常に乏しいのも、頷ける。「講談師、見てきたような嘘をつき」ではないが、ともかく著者の想像には無理がなく、納得させられてしまう。
引き際を心得て人生を全うした賢人と、功成り名を遂げながらも出処進退を誤って哀れな末路を辿った才人とを対比するというのは司馬遷の『史記』に顕著な手法だが、本書の筆法も、絶妙な処世術と清貧な隠遁生活を尊ぶ中国社会の雰囲気を良く捉えている。
天才で恬淡とした孫'と、秀才で欲深な'涓との違いの際立たせ方も秀逸。様々な創作を交えて、一見すると僅かに思えるが決定的な両者の断絶を浮き彫りにしている。そして、この創作がまた、非常にリアリティ溢れるもので、「実際にこうだったのではないか」と唸らせる。
特に感心したのが'涓が孫'を罠にかける動機の設定である。『史記』は、'涓が同門の孫'の兵法の才能に自分のそれが及ばないことを感じていたため、と説くが、これだけでは同門であり、在野の人間にすぎない孫'を陥れる理由としてはちと弱い。著者が想定した、孫'と'涓との関係はより複雑で、かつ'涓が孫'を危険視した動機としてより説得的である。また呉起や商鞅まで登場させたことで、孫'と'涓との対決の物語に奥行きが生まれた。
最後があまりにあっさりとしているのが、ちょっと物足りない。
2007年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小説「孫子」は、孫武の巻、孫ピンの巻の二部構成で、孫子兵法の妙をリアルに描いたものであるが、人間の描写にも極めて優れていると思う。劣等感や名誉欲といった、人間の持つ愚かさや哀しさを十全に表していると感じるのである。
例えば、孫ピンの親友ホウ涓。彼は確かに保身のために友を貶めた不義の人ではある。しかし彼にも苦しみはあったのだ。彼は実家のため何としても出世しなければならなかった。だから若い頃から必死に勉学に励んできた。ところが孫ピンは富裕な家に生まれ、ホウ涓と出会うまで遊び暮らしていながら、学問に目覚めるや、あっという間に才幹を発揮し、ホウ涓を追い越してしまう。どんなに努力しても超えられない天賦の才。これを孫ピンに認めた時、彼はどれほど悔しく苦しんだであろう。ホウ涓はその後苦労して魏の将となるが、その地位が安定した頃、孫ピンはふらりとやって来て、魏に仕官したいなどと言い出した。ホウ涓がやっとの思いで手に入れたものまで、孫ピンは奪おうというのか。このようにホウ涓が感じ、悪魔が心に入り込んだとしても無理はないだろう。
肝心の孫武、孫ピンの性格設定も非常に興味深く、史書から極端に逸脱することなく歴史を現代に甦らせている手腕は見事である。ぜひ、多くの人に読んでもらいたい名著だと思う。
例えば、孫ピンの親友ホウ涓。彼は確かに保身のために友を貶めた不義の人ではある。しかし彼にも苦しみはあったのだ。彼は実家のため何としても出世しなければならなかった。だから若い頃から必死に勉学に励んできた。ところが孫ピンは富裕な家に生まれ、ホウ涓と出会うまで遊び暮らしていながら、学問に目覚めるや、あっという間に才幹を発揮し、ホウ涓を追い越してしまう。どんなに努力しても超えられない天賦の才。これを孫ピンに認めた時、彼はどれほど悔しく苦しんだであろう。ホウ涓はその後苦労して魏の将となるが、その地位が安定した頃、孫ピンはふらりとやって来て、魏に仕官したいなどと言い出した。ホウ涓がやっとの思いで手に入れたものまで、孫ピンは奪おうというのか。このようにホウ涓が感じ、悪魔が心に入り込んだとしても無理はないだろう。
肝心の孫武、孫ピンの性格設定も非常に興味深く、史書から極端に逸脱することなく歴史を現代に甦らせている手腕は見事である。ぜひ、多くの人に読んでもらいたい名著だと思う。
2018年4月18日に日本でレビュー済み
この小説を読んで中国史がめちゃくちゃ好きになった。そんくらい傑作です。
前半の孫武が面白すぎて、二部の孫ピンの箇所になるとやや熱が冷めている感があり残念。
それでも十分おもしろかったですが。
前半の孫武が面白すぎて、二部の孫ピンの箇所になるとやや熱が冷めている感があり残念。
それでも十分おもしろかったですが。
2018年10月15日に日本でレビュー済み
平易な文調、ほのぼのとした描写、繊細な心理描写で古代中国の文化理解に役立つ。
2009年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
兵法の大家として著名な「孫子」の生涯を描いた大作。現存する兵法書「孫子」が春秋時代に書かれた事を否定する立場を採る作者は、春秋時代の孫武、戦国時代の孫濱の二人を合わせて「孫子」として捉える大胆な構想で読者に迫る。
孫武の章の内容は主に「呉越春秋」、「史記列伝」に依ったようだ。孫武は戦場経験なしの在野の研究者で、風采の上がらない小心者として描かれるが、その彼が「合戦を"戦術"によって勝利に導く」と言う当時としては画期的なアイデアを発案したのだから面白い。勝敗を易経や宿命で占った時代なのだ。孫武が孔子とほぼ同時代の人と言うのも初耳。しかし、孫武には自身の兵法を武器に諸侯に仕官すると言うような大望はない。作者は当時の世情を反映して、権謀、弑逆、色欲、義談と言った逸話を数多く提供する。その中で楚の要人でありながら父兄を楚の王に殺され、逃亡先の呉で復讐を誓う子胥が主要人物として描かれるが、英雄好みの中国人らしい造形で、結局は復讐鬼である。その徳のない子胥のために孫武が「孫子」を書いたのは、歴史の皮肉か。結局、孫武は呉の将軍に推挙されるのだが、楚攻めを急ぐ呉公や子胥を「戦わざる以前に勝つべし」と言って諌めるのは真骨頂。その後の楚との戦いで孫武の智略は冴え渡るが、軍規の乱れ等のため、現場を忌避し隠遁する。清貧な処世術である。孫濱の章は、「孫子」を現在へと繋ぐためのものだが、それ自身凄惨な因果物語となっている。
兵法の大家「孫子」が在野の清貧な人であったとの着想外の構想をベースに、春秋・戦国時代を描いた力作。
孫武の章の内容は主に「呉越春秋」、「史記列伝」に依ったようだ。孫武は戦場経験なしの在野の研究者で、風采の上がらない小心者として描かれるが、その彼が「合戦を"戦術"によって勝利に導く」と言う当時としては画期的なアイデアを発案したのだから面白い。勝敗を易経や宿命で占った時代なのだ。孫武が孔子とほぼ同時代の人と言うのも初耳。しかし、孫武には自身の兵法を武器に諸侯に仕官すると言うような大望はない。作者は当時の世情を反映して、権謀、弑逆、色欲、義談と言った逸話を数多く提供する。その中で楚の要人でありながら父兄を楚の王に殺され、逃亡先の呉で復讐を誓う子胥が主要人物として描かれるが、英雄好みの中国人らしい造形で、結局は復讐鬼である。その徳のない子胥のために孫武が「孫子」を書いたのは、歴史の皮肉か。結局、孫武は呉の将軍に推挙されるのだが、楚攻めを急ぐ呉公や子胥を「戦わざる以前に勝つべし」と言って諌めるのは真骨頂。その後の楚との戦いで孫武の智略は冴え渡るが、軍規の乱れ等のため、現場を忌避し隠遁する。清貧な処世術である。孫濱の章は、「孫子」を現在へと繋ぐためのものだが、それ自身凄惨な因果物語となっている。
兵法の大家「孫子」が在野の清貧な人であったとの着想外の構想をベースに、春秋・戦国時代を描いた力作。
2012年9月6日に日本でレビュー済み
刻々変わる時世に流されながら立身出世に狂奔するホウ'涓と一度は復讐の修羅に身を投じながらも結局本来の天然自然に還帰する孫ビン'、一生をかけた復讐に生きる伍子胥と悠久を生きる孫武−一冊の中に凝縮された対をなす二組の兵法家の生き様を通じて、人間が生きていくための価値や調子の尺度ひいては生きることの目当てそのものにつき考えさせられる一冊である。月日に生きるものは十年百年を生きるものに敗れ、十年百年を生きるものは結局は悠久の永遠を生きるものに屈する、ただ悠久の永遠を生きる境涯に達してしまえば、天下の大事たる勝敗そのものすら「豚の煮付けの味付け」(「孫ビンの巻」)や「孩児の破顔」(「孫武の巻」)と何ら変わるところのない、この世の平凡な営みの一齣に帰してしまう。
心の内奥が欲することと外界の有為転変の照応の中で、来るものを受け入れ去るものを見送ることの外に決して立つことはできない。にもかかわらず我々はホウ涓や伍子胥のように目の前の事象の奴隷となり、それに振り回されながら一生を終える。せめて心のうちにそこより出でそこ帰る「孫家屯」のような子宮をはぐくむ者は幸いなるかな。ともあれ不動の内面世界の形象としての、「孫家屯」や富春の荘園の桃花源のような穏やかな風光(ミクロコスモス)と、呉楚の戦場や魏斉の王宮の激動する世界(マクロコスモス)の交差が作品に深い立体感を与えている。そしてこの両者を繋ぐ者こそ異界からの闖入者たる伍子胥でありホウ涓である。波がしとしきり水面をかき乱すがその波動は再び滑らかな水面に立ち戻る。歴史の中の孫武や孫ビンの活動とてそのような一瞬の波動に過ぎない。
一人一人の人間の心中からこうした永遠の境位が無くなり、我々の生活が分刻みのスケジュールに追い使われていくようになるに応じて、世の中全体でも功を焦る小賢しい「どや顔の」あるいは米国MBA風の小人がありとあらゆる場所ではびこるようになってしまった(なんとか政経塾の連中などその際たるものだ)。その頃から世の中がおかしくなってきたことは皆さんご存じの通り。いまこそこうした古人の叡智の滋味をかみしめるべき時であろう。
古より名高い孫武・孫ビン−二人の孫子の物語を綴る海音寺潮五郎の一切の巧みを廃した伸びやかな文体が、この本に描かれた孫子の生き方そのものを具現している。何度読んでも読み飽きることのない正に大人の文体で、噛めば噛むほど味わいが滲み出てくる。離れ小島に流刑に処されるなら、心の支えとして是非携えたいと思う本の一冊である。
心の内奥が欲することと外界の有為転変の照応の中で、来るものを受け入れ去るものを見送ることの外に決して立つことはできない。にもかかわらず我々はホウ涓や伍子胥のように目の前の事象の奴隷となり、それに振り回されながら一生を終える。せめて心のうちにそこより出でそこ帰る「孫家屯」のような子宮をはぐくむ者は幸いなるかな。ともあれ不動の内面世界の形象としての、「孫家屯」や富春の荘園の桃花源のような穏やかな風光(ミクロコスモス)と、呉楚の戦場や魏斉の王宮の激動する世界(マクロコスモス)の交差が作品に深い立体感を与えている。そしてこの両者を繋ぐ者こそ異界からの闖入者たる伍子胥でありホウ涓である。波がしとしきり水面をかき乱すがその波動は再び滑らかな水面に立ち戻る。歴史の中の孫武や孫ビンの活動とてそのような一瞬の波動に過ぎない。
一人一人の人間の心中からこうした永遠の境位が無くなり、我々の生活が分刻みのスケジュールに追い使われていくようになるに応じて、世の中全体でも功を焦る小賢しい「どや顔の」あるいは米国MBA風の小人がありとあらゆる場所ではびこるようになってしまった(なんとか政経塾の連中などその際たるものだ)。その頃から世の中がおかしくなってきたことは皆さんご存じの通り。いまこそこうした古人の叡智の滋味をかみしめるべき時であろう。
古より名高い孫武・孫ビン−二人の孫子の物語を綴る海音寺潮五郎の一切の巧みを廃した伸びやかな文体が、この本に描かれた孫子の生き方そのものを具現している。何度読んでも読み飽きることのない正に大人の文体で、噛めば噛むほど味わいが滲み出てくる。離れ小島に流刑に処されるなら、心の支えとして是非携えたいと思う本の一冊である。