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キャラクター小説の作り方 (星海社新書) 新書 – 2013/10/25
大塚 英志
(著)
「ラノベ」も「文学」も、キャラクター小説である
「人は何故、小説家になりたいのか」「スニーカー文庫のカバーイラストは何故、アニメ絵か」「『オリジナリティが欠けている』とはどういうことか」……。全十二講に及ぶ挑発的な「ラノベ」=「キャラクター小説」の「作り方」を通じて、ゼロ年代の「文学」の可能性を追求した不滅の文学入門書、星海社新書に登場。補講「もう一度、キャラクターとは何かを考える」を書き下ろし。
「人は何故、小説家になりたいのか」「スニーカー文庫のカバーイラストは何故、アニメ絵か」「『オリジナリティが欠けている』とはどういうことか」……。全十二講に及ぶ挑発的な「ラノベ」=「キャラクター小説」の「作り方」を通じて、ゼロ年代の「文学」の可能性を追求した不滅の文学入門書、星海社新書に登場。補講「もう一度、キャラクターとは何かを考える」を書き下ろし。
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社星海社
- 発売日2013/10/25
- 寸法10.8 x 1.7 x 17.4 cm
- ISBN-104061385402
- ISBN-13978-4061385405
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商品の説明
著者について
大塚 英志
まんが原作者・批評家・国際日本文化研究センター教授
1958年東京都生まれ。筑波大学卒。80年代を徳間書店、白夜書房、角川書店で編集者として活動。詳細は『「おたく」の精神史』、「二階の住人とその時代」(『熱風』連載中)を参照。まんが原作者としての著作に、『多重人格探偵サイコ』『アンラッキーヤングメン』、批評家としては、文学・民俗学・政治についての著書多数。本書に関連する批評として『物語消費論改』『物語消滅論』がある。
まんが原作者・批評家・国際日本文化研究センター教授
1958年東京都生まれ。筑波大学卒。80年代を徳間書店、白夜書房、角川書店で編集者として活動。詳細は『「おたく」の精神史』、「二階の住人とその時代」(『熱風』連載中)を参照。まんが原作者としての著作に、『多重人格探偵サイコ』『アンラッキーヤングメン』、批評家としては、文学・民俗学・政治についての著書多数。本書に関連する批評として『物語消費論改』『物語消滅論』がある。
登録情報
- 出版社 : 星海社 (2013/10/25)
- 発売日 : 2013/10/25
- 言語 : 日本語
- 新書 : 352ページ
- ISBN-10 : 4061385402
- ISBN-13 : 978-4061385405
- 寸法 : 10.8 x 1.7 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 229,118位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 162位作家研究
- - 4,340位外国文学研究
- - 7,473位評論・文学ガイド (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1958年生まれ。まんが原作者、批評家。『「捨て子」たちの民俗学』(第五回角川財団学芸賞受賞)などがある。神戸芸術工科大学教授、東京藝術大学大学院兼任講師。芸術工学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 映画式まんが家入門 (ISBN-13: 978-4048685627 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年3月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キャラクターを自分の好みのキャラで考えたりしては限界がありますが、この本でキャラクターをダイスに任せることによって、自分では思いもつかないキャラを作りだせる方法などが紹介してあり、とても参考になります。
キャラ作りでみんなと似たようなキャラを作ってしまう方、ファンタジー系を書きたくて個性的なキャラを作るのに苦心している方は、一読の価値があると思います。
キャラ作りでみんなと似たようなキャラを作ってしまう方、ファンタジー系を書きたくて個性的なキャラを作るのに苦心している方は、一読の価値があると思います。
2004年4月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
儂がこれを買ったのはあの手の小説の批判の材料、資料としてだったのだが、これはなんと、内側から自分の住処を批判するという形になっているではないか。即ちこの著者は、キャラクター小説の現状を批判的に見ていて、その内側に自らが住み、頑張ってキャラクター小説をちゃんとしたジャンルにしたい、と志している。だからキャラクター小説はこんな簡単な事で書けてしまい、これで作家気取りの奴がいるんだから笑っちゃうね、ちゃんとしろよボケが、という事ではないのか。
だから実用本としての内容は薄く、恐ろしい事に、そんな稀薄で容易なノウハウでキャラクター小説は書けてしまい、また恐ろしい事に、売れてしまうのであるから、もう怖い怖い怖い怖い。
著者の持つ志は当然と思う。漫画家だって二三十年くらい前はこんな感じの志を抱いて描いてたんだもの。でも、現状のキャラクター小説に満足、もう富士見最高、なんて思ってる人には、煩わしかったり、憎かったり、つまらなかったりするんじゃなかろうか。儂は志の美しさだけを評価して星三つ。本の目的には触れません。
だから実用本としての内容は薄く、恐ろしい事に、そんな稀薄で容易なノウハウでキャラクター小説は書けてしまい、また恐ろしい事に、売れてしまうのであるから、もう怖い怖い怖い怖い。
著者の持つ志は当然と思う。漫画家だって二三十年くらい前はこんな感じの志を抱いて描いてたんだもの。でも、現状のキャラクター小説に満足、もう富士見最高、なんて思ってる人には、煩わしかったり、憎かったり、つまらなかったりするんじゃなかろうか。儂は志の美しさだけを評価して星三つ。本の目的には触れません。
2012年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今まで、なかなかなかった商品。解りやすく、読んだ後には、すぐに執筆したくなる。
2019年10月6日に日本でレビュー済み
読み手である自分は個人的にライトノベルあるいはそれに類する小説の作り手の講演に
足を運ぶことが多いのだが、多くの作家や編集者が異口同音に本書は多くの
ライトノベル作家や編集者たちの考え方を反映させたものであると言及しており、
おそらく多くのライトノベル作家や編集者たちにとっての事実上の教科書的な存在
なのだろうという推察から本書を入手。版権の引き上げがあったのか、版元・レーベルが
講談社現代新書→角川文庫→星海社新書と変遷しており、レビュー日現在新品では
星海社新書版が入手可能だが、ここでは講談社現代新書版をもとにレビュー
することにする。
スニーカー編集部が『ザ・スニーカー(2011年休刊。2018年1号のみ復刊)』にて
呈示した『第一次選考の選考過程で目についた、さまざまな問題点』――別の言い方を
すれば『これらの問題をクリアしない限り永遠に第一次選考を突発することはできない』
をたたき台に、現に出版されている多くのスニーカー文庫作品が指摘している内容に
引っかかるという矛盾の指摘とともにそれをひとつひとつ紐解いている。
ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』(阪急コミュニケーションズ)に
よれば、新しいアイデアは既存のアイデアの組み合わせでしか生まれないとしているが、
本書では直接同書に言及はなされていないものの、おおむね同意するような意見が
述べられており、分かりやすい具体例を挙げながら既存の作品が如何に数多くの
パターンから抽出したものであるかを説明している。
つまりは、世の中の著作物の99.999%は既存のアイディアをマッシュアップ
させたものであり、新たに生まれた作品あるいはスニーカー大賞、電撃小説大賞応募作品
に対し『オリジナリティが無い』という批判は無意味であるということだということを
ロジカルに証明している。(もしそれでも『オリジナリティが無い』という考えを
持ち続けるのであれば、『指輪物語』や『とりかへばや物語』、はたまた『聖書』
などといったルーツ的な作品だけ読めばすべてを知ったことになるという非常に
おかしな状況に陥ることとなる)
本書で語られているのは『ここはこういうお約束だからこう書け』という表面上の
ことではなく、『そもそもなぜこうなのか』という根本的なことや方法論であり、
決して『句読点はどのタイミングで付けるか?』『原稿を綴じるにはどうすればいい?』
といったレベルの初心者向けのハウツーではないということを読書、特にレビューで
低い評価をつけた読者は認識しなければならない。
TRPGはゲームではなく創作であり、物語を構築する基礎的な訓練になるとプレイを
推奨しており(平坂読『妹さえいればいい。』(小学館ガガガ文庫)においても登場人物
である作家たちが訓練と遊びを兼ねてTRPGに興じる姿が描かれている)、これも
直接的な言及は無いものの、TRPGにヒントを得て作者が行った、『世界観の構築』
『ストーリーの作成』『執筆・作画』という分業制はのちに『ドラゴン桜』
『クロカン』の原作者である三田紀房が導入し、ブラッシュアップさせたもので
あることが分かる。
作品の世界観の作り方として、現実世界とは一つだけ設定を変えることによって
それが他の事柄に波及し、その結果世界観が形成されるとしており、本書では
水面上昇や核物質で汚染された地球を使った例が挙げられ、それが『第3新東京市の
少年が使徒と戦う』や『宇宙戦艦でイスカンダルに向かう』というストーリーに
繋がると説明している。
終盤における物語と戦争との関係性では、かつてのタリバンやISといったテロ組織と
アメリカおよび同盟国による『テロとの戦争』において、アメリカを絶対的な善と
定義し、テロ組織がなぜテロリズムに身を投じることになったのかという背景に
ついて一切の考察が存在しないこと、そして富野由悠季がガンダムよりも前に
演出した『海のトリトン』の最終回を通じ、『敵を「正義」のために次々と倒し、
最後には必ず勝つ「無敵」の主人公をあなたたちが全く無自覚で書いてしまうことは、
自分の小説の可能性をせばめることに他ならない』と警告を発している。
(バットマンの敵役を主人公とした『ジョーカー』であったり、少し前であれば
スター・ウォーズにおいてアナキン・スカイウォーカーがなぜ暗黒面(ダークサイド)に
墜ちてダース・ベイダーとなったのかが描かれていることから、『悪役の論理』に
対し無頓着であったりまったく無視されていたりするわけではない)
足を運ぶことが多いのだが、多くの作家や編集者が異口同音に本書は多くの
ライトノベル作家や編集者たちの考え方を反映させたものであると言及しており、
おそらく多くのライトノベル作家や編集者たちにとっての事実上の教科書的な存在
なのだろうという推察から本書を入手。版権の引き上げがあったのか、版元・レーベルが
講談社現代新書→角川文庫→星海社新書と変遷しており、レビュー日現在新品では
星海社新書版が入手可能だが、ここでは講談社現代新書版をもとにレビュー
することにする。
スニーカー編集部が『ザ・スニーカー(2011年休刊。2018年1号のみ復刊)』にて
呈示した『第一次選考の選考過程で目についた、さまざまな問題点』――別の言い方を
すれば『これらの問題をクリアしない限り永遠に第一次選考を突発することはできない』
をたたき台に、現に出版されている多くのスニーカー文庫作品が指摘している内容に
引っかかるという矛盾の指摘とともにそれをひとつひとつ紐解いている。
ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』(阪急コミュニケーションズ)に
よれば、新しいアイデアは既存のアイデアの組み合わせでしか生まれないとしているが、
本書では直接同書に言及はなされていないものの、おおむね同意するような意見が
述べられており、分かりやすい具体例を挙げながら既存の作品が如何に数多くの
パターンから抽出したものであるかを説明している。
つまりは、世の中の著作物の99.999%は既存のアイディアをマッシュアップ
させたものであり、新たに生まれた作品あるいはスニーカー大賞、電撃小説大賞応募作品
に対し『オリジナリティが無い』という批判は無意味であるということだということを
ロジカルに証明している。(もしそれでも『オリジナリティが無い』という考えを
持ち続けるのであれば、『指輪物語』や『とりかへばや物語』、はたまた『聖書』
などといったルーツ的な作品だけ読めばすべてを知ったことになるという非常に
おかしな状況に陥ることとなる)
本書で語られているのは『ここはこういうお約束だからこう書け』という表面上の
ことではなく、『そもそもなぜこうなのか』という根本的なことや方法論であり、
決して『句読点はどのタイミングで付けるか?』『原稿を綴じるにはどうすればいい?』
といったレベルの初心者向けのハウツーではないということを読書、特にレビューで
低い評価をつけた読者は認識しなければならない。
TRPGはゲームではなく創作であり、物語を構築する基礎的な訓練になるとプレイを
推奨しており(平坂読『妹さえいればいい。』(小学館ガガガ文庫)においても登場人物
である作家たちが訓練と遊びを兼ねてTRPGに興じる姿が描かれている)、これも
直接的な言及は無いものの、TRPGにヒントを得て作者が行った、『世界観の構築』
『ストーリーの作成』『執筆・作画』という分業制はのちに『ドラゴン桜』
『クロカン』の原作者である三田紀房が導入し、ブラッシュアップさせたもので
あることが分かる。
作品の世界観の作り方として、現実世界とは一つだけ設定を変えることによって
それが他の事柄に波及し、その結果世界観が形成されるとしており、本書では
水面上昇や核物質で汚染された地球を使った例が挙げられ、それが『第3新東京市の
少年が使徒と戦う』や『宇宙戦艦でイスカンダルに向かう』というストーリーに
繋がると説明している。
終盤における物語と戦争との関係性では、かつてのタリバンやISといったテロ組織と
アメリカおよび同盟国による『テロとの戦争』において、アメリカを絶対的な善と
定義し、テロ組織がなぜテロリズムに身を投じることになったのかという背景に
ついて一切の考察が存在しないこと、そして富野由悠季がガンダムよりも前に
演出した『海のトリトン』の最終回を通じ、『敵を「正義」のために次々と倒し、
最後には必ず勝つ「無敵」の主人公をあなたたちが全く無自覚で書いてしまうことは、
自分の小説の可能性をせばめることに他ならない』と警告を発している。
(バットマンの敵役を主人公とした『ジョーカー』であったり、少し前であれば
スター・ウォーズにおいてアナキン・スカイウォーカーがなぜ暗黒面(ダークサイド)に
墜ちてダース・ベイダーとなったのかが描かれていることから、『悪役の論理』に
対し無頓着であったりまったく無視されていたりするわけではない)
2008年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の言いたいことは、「まずキャラクター設定ありきで、そのキャラクターが自由に世界を駆け回る形で書いていきましょう」ということにつきます。それはキャラクター小説の定義そのものなのでことさら本のテーマにすべきことでもありません。
それ以前に、文体がひどく散文的で、読みにくいことこの上なしです。愚痴っぽい内容も多いので読んでいて気分が悪くなってきます。
おすすめしません。
それ以前に、文体がひどく散文的で、読みにくいことこの上なしです。愚痴っぽい内容も多いので読んでいて気分が悪くなってきます。
おすすめしません。
2015年10月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
うーん。という感じ。
きちんとレビューを読んでから買えばよかった。
手塚治虫の漫画キャラクターがどのように作られているのか、という考察は「へえ」と思ったが、小説へ転用できるかと言われると、難しい。
しかも戦争の話の比重がやけに多く、唐突に「南京大虐殺は有ったと思います」と持論が展開されるなど、どういった読者を想定てしいるのかよく分からない本だという印象を持った。
きちんとレビューを読んでから買えばよかった。
手塚治虫の漫画キャラクターがどのように作られているのか、という考察は「へえ」と思ったが、小説へ転用できるかと言われると、難しい。
しかも戦争の話の比重がやけに多く、唐突に「南京大虐殺は有ったと思います」と持論が展開されるなど、どういった読者を想定てしいるのかよく分からない本だという印象を持った。
2022年6月5日に日本でレビュー済み
この『キャラクター小説の作り方』は絶版の新書ですが、文芸評論を志す者なら是非購入すべき一冊だと思います。題名を見てこの本は小説家志望の人のための入門書だと思われそうですが、実態としてはキャラクター小説の本質の探求に多くのページが割かれていました。キャラクター小説とはいかなるジャンルなのか。キャラクター小説と自然主義文学はどこで袂を分かったのか。小説の真髄を真剣に考察するためのヒントが、この本には詰まっています。
この本を読んで、私にとって印象的だった大塚さんの提言は以下の通りです。
・自然主義文学が文章で現実を正確に写生しようとする一方、キャラクター小説はアニメや漫画などの虚構の世界を写生する。
・日本純文学では語り手の「私」に作者自身が投影されがちだが、キャラクター小説の「私」はあくまでも架空のキャラクターである(!?)。
・中世、近世、戦後など時代を超えて、その時代時代の物語表現はあらかじめデータベースに存在するパターンの組み合わせでできている(らしい)。
・手塚治虫は自分の漫画を写実的ではない「記号」だとみなしたに関わらず、人間の死や戦争の現実を描こうとした。
・テーブルトークRPGの実演は、キャラクター小説を執筆するための実用性に富んだトレーニングになる。
・私小説の「私」も所詮虚構に過ぎないのだから、キャラクター小説の「私」はキャラクターであることを自覚して文学になってしまえばいい(!)。
東浩紀は『ゲーム的リアリズムの誕生』で、この『キャラクター小説の作り方』の内容をかなり批判しています。しかし令和の人間である私が両方とも読んでみますと、『ゲーム的リアリズムの誕生』よりもこの『キャラクター小説の作り方』の内容のほうが反って新しいと感じました。なぜなら現時点では、RPGのような世界観を描いた異世界転生ライトノベルが大人気だからです。「キャラクター小説は虚構のゲームを写生すれば書ける」「テーブルトークRPGは小説の修行になる」という大塚さんの説は、異世界転生ライトノベルの執筆に大いに役立つことが予想されます。そのため、この本は令和の日本で再評価されるべき評論の一つだと私は思っています。
この本を読んで、私にとって印象的だった大塚さんの提言は以下の通りです。
・自然主義文学が文章で現実を正確に写生しようとする一方、キャラクター小説はアニメや漫画などの虚構の世界を写生する。
・日本純文学では語り手の「私」に作者自身が投影されがちだが、キャラクター小説の「私」はあくまでも架空のキャラクターである(!?)。
・中世、近世、戦後など時代を超えて、その時代時代の物語表現はあらかじめデータベースに存在するパターンの組み合わせでできている(らしい)。
・手塚治虫は自分の漫画を写実的ではない「記号」だとみなしたに関わらず、人間の死や戦争の現実を描こうとした。
・テーブルトークRPGの実演は、キャラクター小説を執筆するための実用性に富んだトレーニングになる。
・私小説の「私」も所詮虚構に過ぎないのだから、キャラクター小説の「私」はキャラクターであることを自覚して文学になってしまえばいい(!)。
東浩紀は『ゲーム的リアリズムの誕生』で、この『キャラクター小説の作り方』の内容をかなり批判しています。しかし令和の人間である私が両方とも読んでみますと、『ゲーム的リアリズムの誕生』よりもこの『キャラクター小説の作り方』の内容のほうが反って新しいと感じました。なぜなら現時点では、RPGのような世界観を描いた異世界転生ライトノベルが大人気だからです。「キャラクター小説は虚構のゲームを写生すれば書ける」「テーブルトークRPGは小説の修行になる」という大塚さんの説は、異世界転生ライトノベルの執筆に大いに役立つことが予想されます。そのため、この本は令和の日本で再評価されるべき評論の一つだと私は思っています。