本書で書かれていることを簡単に言えば「読みやすい、わかりやすい本ばかり読んでいては、読解力も思考力も向上しないし質のよい読書もできない」ということです。
わたしはここで書かれていることに共感します。わかりやすい本(アルファ語)をいつまでもわかりやすく読んでいても(アルファ読みしていても)、読みにくい、わかりにくい硬い本(ベーター語)をベーター的に読むことはできません。
著者はたとえとしてアルファー語を母乳語、ベーター語を離乳語ということばを使って説明しています(P99、P118)。つまり消化吸収を助けてくれるやさしい読み物とあまりに硬くて読んでいて頭が痛くなるような消化不良を引き起こす読み物ということです。
著者は後者の重要性を述べています。ベーター語を読む、ベーター読みは修行のような読みであり、とにかく繰り返して読む。頭ではなく体で読む、いわば善の公案のような読みをする(P168)。かつての口承文学などもそのようにして引き継がれてきたのです。
ですので、何々入門という本はアルファー語、アルファー読みに属すると思います。
たとえば「ニーチェ入門」という本。これはある作者、たとえば三島憲一がニーチェを研究して、その解釈を披露している本です。この本を読んだだけで「ニーチェについてわかった」という気になってはいけません。わかったのは単に「ニーチェについての三島憲一の解釈を解釈した私の考え」だけです。「ニーチェ=三島憲一=私」のように思考のシンクロが行われることはありません。それができるのなら、あなたは人間ではありません(P178)。入門書のように誰かの解釈を自分の解釈のように錯覚させる点こそ、アルファ読みの問題点でもあります。
「読者は、作者とは別の意味において、創造的である。すべてのベーター読みは、作品、表現になにがしかの新しい意味を生み出すことで作品の再生に寄与できる。読みはただ、たんに受動的であるのではない」(P182)
「作者の意図と読者の読みとるものは、つねに、不一到である。言いかえると、それが読者の創造性のしるしになる」(P183 )
速読もしかりです。ニーチェの著作を読む前に基礎知識として入門などの情報を頭に入れておく必要があります。既知情報が新しい情報の理解を助けてくれるそうです。これも単にアルファ読みにすぎません。
「高度の読みがなされないまま、いたずらに量が問題にされがちになる。質に不安があるから量でまぎらせようとする」(P146)
簡単な本をいつまでも読んでいてはそれどまりです。それから先はありません。同じ読むなら進歩のある読み方をした方が良いのではありませんでしょうか。
速読のようにどれだけ多くの本をどれだけ速く読んだのかを自慢するのではなく、本からどれらくらい学ぶことができたかという質の面こそ重要かと思います。
その上で本書はとても良い指摘をしている本かと思います。
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読書の方法: 未知を読む (講談社現代新書 633) 新書 – 1981/11/1
外山 滋比古
(著)
一度さっと読んだが何とも意味がわからない。読みつ戻りつ、考え考え何度も読んでみる。ついに言わんとすることがわかる。登頂のよろこびに似た感激の一瞬である。読書におけるこの“発見”を、現代人はなぜ忘れてしまったのか。予備知識のある内容ばかりを読んでいては、いつまでも発見はない。どうすれば〈未知〉のことを読み解けるのか。今まで一様と考えられてきた読みを、既知で読むアルファー読みと未知を読むベーター読みに分け、悪文の効用、素読の再評価、耳で読む法など、豊富なヒントを提示しながら、豊かな読書生活への方策をさぐった。
“一挙に本丸から攻めよ”――泳ぐのはたいへんだからといって、いくら畳の上で稽古していても、いつまでも泳げるようにはならない。水に入るのがこわいから、砂場で泳ごうか、などと言っているのでは話にならない。どうせ一度は苦しい目にあわなくては泳げるようにならないのなら、ひと思いに、まるで泳げないのを承知で海の中へ突き落としてしまえ。何とか泳げるものだ。素読にはそういう読者への信頼感をもっている。それと同時に、へたにやさしいものを読ませたりしていると、いつまでたっても、四書五経のようなところへはたどりつけまい、という考えもある。アルファー読みからベーター読みへ切り換えて、などといっていては、本当の読みができるようになるまでにどれほどの時間がかかるか知れない。一挙に本丸から攻めよ。それが素読の思想である。――本書より
“一挙に本丸から攻めよ”――泳ぐのはたいへんだからといって、いくら畳の上で稽古していても、いつまでも泳げるようにはならない。水に入るのがこわいから、砂場で泳ごうか、などと言っているのでは話にならない。どうせ一度は苦しい目にあわなくては泳げるようにならないのなら、ひと思いに、まるで泳げないのを承知で海の中へ突き落としてしまえ。何とか泳げるものだ。素読にはそういう読者への信頼感をもっている。それと同時に、へたにやさしいものを読ませたりしていると、いつまでたっても、四書五経のようなところへはたどりつけまい、という考えもある。アルファー読みからベーター読みへ切り換えて、などといっていては、本当の読みができるようになるまでにどれほどの時間がかかるか知れない。一挙に本丸から攻めよ。それが素読の思想である。――本書より
- 本の長さ193ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1981/11/1
- ISBN-104061456334
- ISBN-13978-4061456334
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商品の説明
著者について
1923年愛知県に生まれる。1947年東京文理科大学英文科卒業。現在、お茶の水女子大学名誉教授。主著に、『修辞的残像』『異本論』――みすず書房、『日本語の個性』――中央公論社――があり、本新書には『知的創造のヒント』がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1981/11/1)
- 発売日 : 1981/11/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 193ページ
- ISBN-10 : 4061456334
- ISBN-13 : 978-4061456334
- Amazon 売れ筋ランキング: - 93,131位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1923(大正12)年愛知県生れ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学英文学科卒業後、同大学特別研修生修了。’51(昭和 26)年より、雑誌「英語青年」(現・web英語青年)編集長となる。その後、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授を務め、’89(平成元)年、同大名誉教授。専門の英文学に始まり、思考、日本語論の分野で活躍を続ける。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 日本語の作法 (ISBN-13: 978-4101328317)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年12月9日に日本でレビュー済み
既知を読むアルファ読みと未知を読むベータ読みという区別が出されているが、それ以上の価値は本書にはない。アルファからベータへの移行にあたって、物語やら素読・暗唱やらが提唱されている。だが、正直に言ってそれは難しいのではないだろうか。
もちろん、この背後には、読書=人格の陶冶という教養主義があるわけだが、その立場で読書論を語ると、古典を読めという話になってしまう。
しかし、今や、アルファ読みすらしてくれない、その結果、アルファ読みすら退化していくという状況なので、素読や暗唱といっても実現するのは不可能に近い。
また、著者の特権的な解釈的地位を否定しているにもかかわらず(「読者によって古典はつくられる」183ページ)、本書冒頭の中学生による筆者への批判を一刀両断に切り捨てているのは、自分自身については「筆者という立場からの特権化(あるいは独善化)」ではないということができるのだろうか。
現実に利用可能な方法論を述べていないという点で、「読書の方法」としては、極めて不備だといわざるを得ない。したがって、星は一つ。
もちろん、この背後には、読書=人格の陶冶という教養主義があるわけだが、その立場で読書論を語ると、古典を読めという話になってしまう。
しかし、今や、アルファ読みすらしてくれない、その結果、アルファ読みすら退化していくという状況なので、素読や暗唱といっても実現するのは不可能に近い。
また、著者の特権的な解釈的地位を否定しているにもかかわらず(「読者によって古典はつくられる」183ページ)、本書冒頭の中学生による筆者への批判を一刀両断に切り捨てているのは、自分自身については「筆者という立場からの特権化(あるいは独善化)」ではないということができるのだろうか。
現実に利用可能な方法論を述べていないという点で、「読書の方法」としては、極めて不備だといわざるを得ない。したがって、星は一つ。
2010年8月13日に日本でレビュー済み
知ってる事ばかり読んでないで、知らない知識を読んで知るようにしましょう。
本書の内容はたったこれだけです。
全く面白くなかった。
本書の内容はたったこれだけです。
全く面白くなかった。
2005年2月17日に日本でレビュー済み
「未知を読む」というサブタイトルが、内容と完全なまでに一致している本です。
知っていることを改めて読む「アルファ読み」と、知らないことを読む「ベータ読み」
のそれぞれの方法がこの本のメイン。
この二つがうまく対比されて書かれており、無駄がなく、本を知識の血肉とするような読み方が
記されています。
このメインテーマに加え、素読や音読の効果などにも触れています。
章立ても非常に明快。文句無しの星五つです。
知っていることを改めて読む「アルファ読み」と、知らないことを読む「ベータ読み」
のそれぞれの方法がこの本のメイン。
この二つがうまく対比されて書かれており、無駄がなく、本を知識の血肉とするような読み方が
記されています。
このメインテーマに加え、素読や音読の効果などにも触れています。
章立ても非常に明快。文句無しの星五つです。