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働くということ -実社会との出会い- (講談社現代新書 648) 新書 – 1982/3/17
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働くことと遊ぶこと――「労働」と「遊び」を互いに背反するものと考えるのではなく、むしろ、相互補完的な人間の営みとして受けとめようとする姿勢こそが重要なのだ。「労働」の中には「遊び」がひそんでおり、「遊び」の底には自己表現を核とする「労働」が沈んでいる事実が忘れられてはならないのである。「労働」は疎ましく「遊び」は好ましい、という単純な感覚論をもってしては、「労働」そのものはおろか、「遊び」の本質さえ掴みそこなうことになるだろう。つまり、「労働」のあり方が正確におさえられていなければ、「遊び」のありようも探れぬわけである。いずれにしても、「遊び」に向けられた欲求のこれほどまでの肥大を、生活レベルの向上による文化的豊熟の表現であると喜んでばかりはいられない。「労働」が病んでいる時には、「遊び」もまた病んでいるのだ。――本書より
- 本の長さ182ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1982/3/17
- 寸法10.6 x 0.9 x 17.4 cm
- ISBN-104061456482
- ISBN-13978-4061456488
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1982/3/17)
- 発売日 : 1982/3/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 182ページ
- ISBN-10 : 4061456482
- ISBN-13 : 978-4061456488
- 寸法 : 10.6 x 0.9 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 174,453位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 261位労働問題社会学
- - 1,219位講談社現代新書
- - 19,654位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
1932・5・28~。小説家。東京生まれ。学童疎開を経験。新制三期生として都立西高を卒業。高校時代から創作を始め野間宏に手紙を出して文学への志を 述べる。東大在学中メーデー事件に遭遇。1955年、東大経済学部卒業。富士重工に入社して15年間サラリーマン生活を送り70年退社。同年「時間」で芸 術選奨文学部門新人賞受賞。84年、『群棲』で谷崎潤一郎賞、94年、『カーテンコール』で読売文学賞、2001年、『羽根と翼』で毎日芸術賞、06年、 『一日・夢の柵』で野間文芸賞を受賞するなど旺盛な作家活動を続ける(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『一日 夢の柵』(ISBN-10:4062901005)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
だから、今の社会とずれているところもあります
しかし、今の労働に関わる諸問題に通ずる話もあり、それ故に働くことを考えることを助けてくれると思います
ただ、この方の私見であることを忘れずに(^-^)(どの本でも言えますけどね)
著者がその体験のなかで見いだした重要なキーワードが「仕事の人格化」(仕事における「自己表現」)です。原材料から製品を作り出し、手ずから消費者に売るという産業革命以前的な労働からはかけ離れた、われわれ現代のサラリーマンも含めて、この概念で、働くことの意味を普遍的に説明できるのではないか、それが本書の最大の示唆だと思います。これによって、「仕事とは何か」「何のために働くのか」といった問題にひとつのヒントを提示してくれます。
読者は、マズローの〈自己実現〉やアーレントの〈仕事〉等へと探求を進める出発点としても本書を楽しめると思います。
ソルジェニーツィンの小説の例で、強制収容所の無償の労働のエピソードは、確かに面白い着眼ではあるが、この例と、毎日、何十年も同じような仕事を繰り返すにも関わらず、飽きずに、より良い仕事をしたくなるという私たちの何気ない所作を同根として、「自己実現」というのは、少し違和感を感じないでもない。
むしろ、配偶者や子供にすら自分の仕事を誇らしく語れない私たちの日常の仕事の中ですら、なぜか頑張れる労働の源泉は何かというレベルで働くことの意味を解明していただいた方が実感が伴うのではないかと思うが。
自分がなんとなく感じていることを上手に言葉にしてあります。
体験談自体は、1955年〜1970年の話なのですが本質は今とあまり変わりません。
それも時代や国が違っても一緒のようです。
また、なぜ働くのか?ということを深堀りしてあり、
仕事に対して取り組む意義が見えにくい大企業に勤めている人ほど読むべきです。
会社の指示をこなして給料をもらうことが仕事なのか?
私は違うと思います。
筆者も同じ考えの様です。
読み終えた時にはちょっと違う視点で仕事ができると思います。
エピソードはもちろん具体的なのだが、その割に内容がないような……。
本書には、仕事の真髄、智恵、職業意識、覚悟などが随所にちりばめられています。例えば、ソルジェニーツィンの処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』のスターリン時代の強制収容所の一人の男シューホフの話が挙げられます。過酷な労働条件のもとに、何らの報酬がある訳でもないにも関わらず、単純な労働に没入している男の姿が描かれています。
しかも驚いたことに、彼の作業班は一日働いた後、
5段目のブロックを積みあげる仕事がもう少しで片づくことを知ると、
他の班は作業を終えて工具をかえしに行っているにもかかわらず、
その完成にむけて猛然と突進するのである。
集合に遅れれば、遅刻した者はチェックされ、営倉へ叩きこまれる決まりになっている。
にもかかわらず、人員の点呼が始まってもまだ彼等は働き続ける。
ようやく五段目が積みあがって仕事の終わりがくる。
『畜生、やっと終ったか!』とセンカが叫んだ。
『さあ、いこう!』モロッコをかつぐと、タラップをおりていった。
しかし、シューホフは、たとえいま護送兵に犬をけしかけられたとしても、
ちょっとうしろへさがって、仕事の出来ばえを一目眺めずにはいられなかった。
うむ、悪くない。今度は近づいて、右から左からと、壁の線をたしかめる。
さあ、この片目が、水準器だ!ぴったりだ!まだこの腕も老いぼれちゃいないな。
多少の労賃は支払われることがあるのかもしれないが、それで生活が維持されているわけではない。
そもそもラーゲルには、金で支えるべき自由な生活など初めからありはしないのだ。
命令され、看視された十一時間の強制労働がくる日もくる日も課せられているに過ぎない。
それだというのに、なぜ彼等はかくも働いてしまうのか。
ほとんど無償の行為に近い労働の中に没入してしまうのか。
集合に遅れて処罰される危険までも犯して-。
作業が熱してくると、同じ囚人ではありながらも監督者の立場にある班長と
いつしか対等の言葉を交わしてさえいるのである。
労働には麻薬的な要素があると著者は言います。私もそう思います。 それは「仕事は作品(アート)」であるという発想にあらわれています。仕事を自らの作品と捉えなおすことで、仕事に対する我々のスタンスも随分と変わってくると思いました。「仕事が自分の中に入ってくる」という表現も印象的です。そして、そのような仕事への没入が、先の作業員も監督者もない、対等の世界に繋がってくるのでしょう。仕事の中だけの奇妙な対等関係、何ともいえない連帯感です。正に仕事の本質に触れる思いがします。チーム医療の現場においても、同様な感覚を持ちます。患者さんを中心として、それぞれのスタッフが、対等に意見を述べ合い仕事をすすめていきます。そして、それらの仕事の成果は、患者さんの回復という作品となって現れます。また、個々の患者さんへの働きかけだけでなく、病院全体のシステムを構築するというのも大事な仕事です。病院自体の在り様を見るときにも、われわれはアーティスティックな喜びを感じることができるはずなのです。「理想の病院」にかける私の想いも、その辺に根ざしています。
労働に出会うことが、労働の中で自己を確かめようとすることこそが
人間の成長にとって不可欠の要件である。
労働さらにいえば、人の生きる場所としての会社の実態のみならず、
自らの日々の仕事を通して、労働という営みが人間に対して持つ抜きさしならぬ意義までをも、
自然に考えざるを得ぬ地点にぼくは近づいていた。
働くということは生きるということであり、
生きるとは、結局、人間とはなにかを考え続けることに他ならない。
「働くということは生きるということであり、生きるとは、結局、人間とはなにかを考え続けることに他ならない。」この言葉を胸に、これからも私は「病院で働くということ」の意味をじっくりと考えていきたいと思います。