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上杉謙信―川中島の決戦 (講談社 火の鳥伝記文庫) 新書 – 1986/6/15
力ずくで国をうばいあう戦国の世におどりでた越後の国の名将上杉謙信。宿敵武田信玄との信濃の国川中島で対決した川中島の合戦。関東への出兵。天下統一を目ざしながら病にたおれた上杉謙信の一生を描く。
- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1986/6/15
- 寸法11.5 x 1.3 x 17.4 cm
- ISBN-104061475622
- ISBN-13978-4061475625
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商品の説明
著者について
1927年、茨城県に生まれる。早稲田大学文学部に学ぶ。『醗酵』『徳川家康』『風船爆弾』『試験管の夏』などの小説、ほかにルポルタージュ、講演など、いろいろな分野で精力的に活躍している。現在、日本文芸家協会会員、日本ペンクラブ会員。本シリーズに『織田信長』『徳川光圀』『大隈重信』がある。
【画家紹介】
1910年、愛知県に生まれる。児童図書の装画やさし絵を中心に、幅広く活躍している。現在、出版美術家連盟・日本作家クラブに所属し、各クラブの副理事長。
【画家紹介】
1910年、愛知県に生まれる。児童図書の装画やさし絵を中心に、幅広く活躍している。現在、出版美術家連盟・日本作家クラブに所属し、各クラブの副理事長。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1986/6/15)
- 発売日 : 1986/6/15
- 言語 : 日本語
- 新書 : 206ページ
- ISBN-10 : 4061475622
- ISBN-13 : 978-4061475625
- 寸法 : 11.5 x 1.3 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 658,897位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 49位講談社火の鳥伝記文庫
- - 869位ノンフィクション・伝記 (本)
- - 42,392位歴史・地理 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
直ぐにポストに届き、中古でもとても綺麗でした。お安く購入できて大満足です!
2017年8月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小学生にも分かりやすく、子どもも喜んでいます。読みやすい内容です。
2017年7月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最高戦国時代好きにはたまりません❗️❗️お母さんが買ってくれました
2012年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
子供が戦国時代の武将に興味をもち読みたがっていました。
私も好きな武将の一人なので、買ってあげることにしました。
楽しんで読んでいるようです。
私も好きな武将の一人なので、買ってあげることにしました。
楽しんで読んでいるようです。
2007年11月28日に日本でレビュー済み
越後の国の名将、上杉謙信の生涯を描く。
ライバル、武田信玄と信濃の国川中島で対決した川中島の合戦。
武田信玄と上杉謙信は何故、天下統一を目指しながら志半ばで急死したのか・・・・・・。
NHK大河ドラマ「風林火山」も面白いです。
ライバル、武田信玄と信濃の国川中島で対決した川中島の合戦。
武田信玄と上杉謙信は何故、天下統一を目指しながら志半ばで急死したのか・・・・・・。
NHK大河ドラマ「風林火山」も面白いです。
2020年3月30日に日本でレビュー済み
著者は「歴史作家」である。
『上杉謙信』に読者が関心を持っていると思われる(1)いつ、どこで、誰の子として生まれたか、(2)幼少時には何をしていたか、(3)成人して何をしたか、(4)いつ、どこで、どうような状況下で亡くなったか、である。(3)と(4)についての記載はないが、「表題」が『川中島の決戦』なので何とか合格である。
『上杉謙信(長尾景虎)』は「享録3年」(1530年)1月21日に越後國守護代「長尾為景」の末子(4男)として居城の「春日山城」(現在の上越市高田)生まれた。時は「戦国時代」である。彼は末子ということもあって家督を継ぐということは考えられなかったので「佛門」(禅寺)に入った。当時『上杉家』は「越後國」の各地の武将と抗争を続けており安定は遠い夢であった。そこで家臣たちは「長尾為景」は力量がないと「長尾景虎」を担ぎ出して「栃尾城主」に据えた。どうして「佛門」から「城主」になったかは知りたいが記されていない。
やがて『上杉謙信(長尾景虎)』は請われて「天文17年」(1548年)「春日山城」に入り城主となった。前城主の「長尾晴信」では「越後國」を治められないと引退させられたのである。
『長尾景虎』は「室町幕府」より「関東管領」(関東一円を支配する守護大名)に推挙され、その地位にあった「上杉憲政」の養子となって『上杉謙信』と改名した。
『上杉謙信』は<戦上手>として知られ、生涯13度も他国と戦ったが一度も敗れたことはなかった。「武田信玄」との「川中島合戦」が有名であるが、「武田信玄」との一騎討ちがあった「天文22年」(1553年)の第2回目の「川中島合戦」でも戦死者・戦傷者とも「武田信玄軍」の方が多かったのである。この戦いは「武田信玄軍」が勝利したとする者が多いが、これは検証に欠け「上杉謙信軍」の勝利だった。『上杉謙信』はその後の他国との戦いにも負け知らずで『織田信長軍』さえも「天正5年」(1577年)「手取川の戦」(現在の石川県白山市)で壊滅させている。
『上杉謙信』最強軍団を作り得たかは(1)金・銀銅山の開発-佐渡金山は「江戸時代」に発掘されたもので彼の時代にはなかったので「越後國」の村上や魚沼など)、(2)「青苧(あおむし)」(麻織物-「越後縮」(「越後上布」-魚沼で今でも作られている)、で特に(2)が莫大な富をもたらした。『上杉謙信』の跡を継いだ『上杉景勝』が「春日山城」に入ったときには<2萬7140両(約7億8670萬円>があったというから驚きの財政力であった。
本書には記されてないが、『上杉謙信』は翌年「天正6年」(1578年)に「脳出血」で亡くなった。49歳であった。
『上杉謙信』に読者が関心を持っていると思われる(1)いつ、どこで、誰の子として生まれたか、(2)幼少時には何をしていたか、(3)成人して何をしたか、(4)いつ、どこで、どうような状況下で亡くなったか、である。(3)と(4)についての記載はないが、「表題」が『川中島の決戦』なので何とか合格である。
『上杉謙信(長尾景虎)』は「享録3年」(1530年)1月21日に越後國守護代「長尾為景」の末子(4男)として居城の「春日山城」(現在の上越市高田)生まれた。時は「戦国時代」である。彼は末子ということもあって家督を継ぐということは考えられなかったので「佛門」(禅寺)に入った。当時『上杉家』は「越後國」の各地の武将と抗争を続けており安定は遠い夢であった。そこで家臣たちは「長尾為景」は力量がないと「長尾景虎」を担ぎ出して「栃尾城主」に据えた。どうして「佛門」から「城主」になったかは知りたいが記されていない。
やがて『上杉謙信(長尾景虎)』は請われて「天文17年」(1548年)「春日山城」に入り城主となった。前城主の「長尾晴信」では「越後國」を治められないと引退させられたのである。
『長尾景虎』は「室町幕府」より「関東管領」(関東一円を支配する守護大名)に推挙され、その地位にあった「上杉憲政」の養子となって『上杉謙信』と改名した。
『上杉謙信』は<戦上手>として知られ、生涯13度も他国と戦ったが一度も敗れたことはなかった。「武田信玄」との「川中島合戦」が有名であるが、「武田信玄」との一騎討ちがあった「天文22年」(1553年)の第2回目の「川中島合戦」でも戦死者・戦傷者とも「武田信玄軍」の方が多かったのである。この戦いは「武田信玄軍」が勝利したとする者が多いが、これは検証に欠け「上杉謙信軍」の勝利だった。『上杉謙信』はその後の他国との戦いにも負け知らずで『織田信長軍』さえも「天正5年」(1577年)「手取川の戦」(現在の石川県白山市)で壊滅させている。
『上杉謙信』最強軍団を作り得たかは(1)金・銀銅山の開発-佐渡金山は「江戸時代」に発掘されたもので彼の時代にはなかったので「越後國」の村上や魚沼など)、(2)「青苧(あおむし)」(麻織物-「越後縮」(「越後上布」-魚沼で今でも作られている)、で特に(2)が莫大な富をもたらした。『上杉謙信』の跡を継いだ『上杉景勝』が「春日山城」に入ったときには<2萬7140両(約7億8670萬円>があったというから驚きの財政力であった。
本書には記されてないが、『上杉謙信』は翌年「天正6年」(1578年)に「脳出血」で亡くなった。49歳であった。