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手塚治虫: 時代と切り結ぶ表現者 (講談社現代新書 1004) 新書 – 1990/6/1
桜井 哲夫
(著)
日本に巨大な漫画文化を築き、つねにそのトップランナーとして疾走しつづけた手塚治虫。アトム、レオ、0マン、火の鳥などのキャラクター、差別と反抗、生と死、歴史と正当性などのテーマ。苛烈な戦後空間をくぐりぬけた天才の燃える作品宇宙に迫る。
近代日本最大の知的職人――ぼくが、個人的に興味をひかれたのは、この作品の中で、創作者というものに対する手塚の考え方が提示されているとおもわれる部分だった。一つは、ベートーヴェンにむかって、モーツァルトがつぎのようにいいはなつ場面である。「新人というのは、自分で一番書きやすい作品をイソイソと持ってくる……だが、こっちからこういうものを書けというテーマを与えると、たいてい書けずに閉口する。そこがその新人の実力なんだ」あたえられたテーマがどんなものであれ、自分はすべてこなしてきたぞ、という強烈な自負。スポーツ物ならスポーツ物だけにかたまってしまう分業システムに安住しているマンガ家連中に対する痛烈な皮肉。モーツァルトの口を借りた、近代日本における最大の知的職人たる手塚ならではの発言といえないだろうか。――本書より
近代日本最大の知的職人――ぼくが、個人的に興味をひかれたのは、この作品の中で、創作者というものに対する手塚の考え方が提示されているとおもわれる部分だった。一つは、ベートーヴェンにむかって、モーツァルトがつぎのようにいいはなつ場面である。「新人というのは、自分で一番書きやすい作品をイソイソと持ってくる……だが、こっちからこういうものを書けというテーマを与えると、たいてい書けずに閉口する。そこがその新人の実力なんだ」あたえられたテーマがどんなものであれ、自分はすべてこなしてきたぞ、という強烈な自負。スポーツ物ならスポーツ物だけにかたまってしまう分業システムに安住しているマンガ家連中に対する痛烈な皮肉。モーツァルトの口を借りた、近代日本における最大の知的職人たる手塚ならではの発言といえないだろうか。――本書より
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1990/6/1
- ISBN-104061490044
- ISBN-13978-4061490048
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商品の説明
著者について
1949年、栃木県生まれ。1973年、東京外国語大学フランス語科卒業。1979年、東京大学大学院博士課程修了。現在、東京経済大学教授。専攻は現代社会史、理論社会学。主な著書に、『知職人の運命』――三一書房、『〈近代〉の意味――制度としての学校・工場』――日本放送出版協会、『サン・イヴ街からの眺め』――岩波書店、『思想としての60年代』――講談社――などがあるほか、本新書にも、『ことばを失った若者たち』と訳著『ダンディ』がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1990/6/1)
- 発売日 : 1990/6/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 222ページ
- ISBN-10 : 4061490044
- ISBN-13 : 978-4061490048
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,037,673位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,231位コミック・アニメ研究
- - 2,702位講談社現代新書
- - 7,508位アート・建築・デザイン作品集
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年5月3日に日本でレビュー済み
少年期から手塚漫画に親しみ、その枠組を自己の無意識としてきた(200頁)、1949年生まれの社会学研究者が、1990年に刊行した、「生涯現役の知的な漫画職人」手塚治虫(1928〜1989年)の評伝。手塚は新興郊外住宅地宝塚のかなり富裕な家庭で育ち(祖先については22頁)、父には嫌悪感を、母には親近感を持っており、戦前からモダンな感覚を身につけていたが、空襲体験から、ヒューマニズムへの不信感や破滅願望をもいだいた。彼は戦後の解放感の中で、医学部に通いながら(医師免許取得)、赤本漫画を描き始め、スピード感溢れる絵で一躍有名漫画家となった。彼は西欧近代的な限界を示しつつも、差別問題を中心的に扱い、長編ストーリー漫画を創出し、さまざまな漫画界の約束事(116頁)を考案した。1961年には虫プロを設立し、日本初のテレビアニメ製作・放映を行うが、キャラクターの商品化で何とかもたせたものの、リミテッド・アニメ手法の採用と価格ダンピングによる過重労働、多忙な手塚(当時漫画雑誌の週刊化も進展)によるワンマン体制のため、1973年には経営に失敗し、倒産に至る。この時期、彼は劇画やスポ根ものの人気に追い上げられ、焦っており、それが暗い漫画表現やライバルへの辛辣な批評にも現れている。この時期の失敗の経験は、手塚の人間観察を深化させ、人間の暗部を鋭く描く作品を生み出すと共に、日本の近現代史の再検討や自然破壊の告発・エコロジー思想の啓蒙にもつながってゆき、手塚は数々の賞を受賞した。彼は多作でありながら、生涯自分で原作・脚色・作画をこなし、常に作家精神と商業主義とのはざまで苦闘していた。この苦闘を支えたのは、彼の強烈な承認願望とライバルへの対抗意識であった。本書は「漫画の神様」の明暗を鋭く描き出した分析であるが、手塚作品の分析に主眼があり、社会変化との関わりの分析は少ない。
2016年2月13日に日本でレビュー済み
手塚治虫の愛読者だった作者が手塚の死後、その漫画を分析した本である。手塚の強烈な自負が紹介されるのは、新人は自分の得意なものを持ってきて評価されようとするが、新しい課題には対応できないのが現実だ、と漫画のセリフで書いている部分である。手塚はあらゆる分野の漫画を自分に鞭打つように取り組んだ。その時代のトップの漫画は赤胴鈴之助、やまぼろし探偵などであった時代、劇画が大流行した時代であっても、原作に依らず、新しい分野の漫画を開拓したことを評価する。少年週刊誌にゼロマンのような高級な内容の漫画を載せたことも評価している。人類文明を超える、新しい文明の生物たちが現れると言う内容は、確かにヒーロー漫画からはかけ離れていたし、高級だった。連載漫画としては雄大すぎたかもしれないが、火の鳥の先駆けのようなものだった。大家であっても障害を何度もきりぬけた素晴らしさがわかりました。
2012年7月18日に日本でレビュー済み
各時代をつうじての手塚治の作品を時代状況とリンクさせながら論じた本書。
わたしからみると、手塚は「大巨匠!!!」というイメージがどーんと張り付いているのだが、本書を読むと実はリアルタイムでは常にナンバーワンというわけでもなかったという。手塚が強烈な「承認欲望」の持ち主であり、ライバル意識むきだしで、他者を批判するなど、意外な言動も知ることができる。
「火の鳥」は、白土三平の「カムイ伝」に対抗しようという意欲のもとに始められ、当初は日本古代史をあつかって、騎馬民族征服説をもちいながら、日本人のルーツ探しと天皇制の問題をあつかおうとしていた・・・など、分析に伴って触れられる個々の情報も興味深い。
手塚マンガがまた読みたくなる。
わたしからみると、手塚は「大巨匠!!!」というイメージがどーんと張り付いているのだが、本書を読むと実はリアルタイムでは常にナンバーワンというわけでもなかったという。手塚が強烈な「承認欲望」の持ち主であり、ライバル意識むきだしで、他者を批判するなど、意外な言動も知ることができる。
「火の鳥」は、白土三平の「カムイ伝」に対抗しようという意欲のもとに始められ、当初は日本古代史をあつかって、騎馬民族征服説をもちいながら、日本人のルーツ探しと天皇制の問題をあつかおうとしていた・・・など、分析に伴って触れられる個々の情報も興味深い。
手塚マンガがまた読みたくなる。
2022年5月27日に日本でレビュー済み
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全6章のうち、アニメ版「鉄腕アトム」が登場するのは、第5章である。そして、このアニメ制作こそ、手塚にとって大いなる陥穽であった。何となく、「鉄腕アトム」が成功裡に終わり(国内のみならずアメリカ進出まで果たしたのだから)、彼こそ日本アニメのパイオニアと思ってしまう。しかし、そのパイオニアのしでかした恐るべき負の遺産のほうが、どうやら遥かに大きいらしい。手塚自身、どこかで、「漫画は女房、アニメは愛人」と言っていた。つまり、金がかかるし、おまけに思い通りにいかないということだろう。彼の後半生は、この愛人に振り回されたとも言える。実は、1957年生れの当方にとっては、「鉄腕アトム」と初めて出遭ったのは、このアニメであった。いや、手塚作品だけではない。横山光輝、桑田次郎、白土三平、辻なおき、久松文雄、藤子不二雄、ちばてつや、といった作家たちとの出遭いは、ことごとくアニメであった、はずだ。それくらい、われわれが10歳になる以前にアニメはテレビを占拠していた。そのパイオニアであったはずの手塚を、石子順造が当時、鋭く批判している。「久里洋二がやっているように、厳密に助手といえるものだけを使っての、極小規模でならともかく、「虫プロ」のような規模でのアニメ制作では、原作者による個人独裁はどだい無理な相談というものではないのか」。要するに、手塚は自らのマンガをアニメ化することを安易に考えすぎていた。アニメは何より集団で創られるものなのだ。「スタッフを信頼せよ、彼らの創意工夫をまて、という石子の忠告に対して手塚は過剰な反応を示した」という。しかし、それでも、<マンガパージ><劇画><スポ根><巨大な負債>などと闘いながら、暗い作品群(「空気の底」「上を下へのジレッタ」「きりひと賛歌」「ばるぼら」「MW」など傑作ぞろいだが)をへて、「ブラック・ジャック」で復活し、「陽だまりの樹」、「アドルフに告ぐ」などの本格的でありながら、初期の正統的ではない作風を蘇生させた代表作をものにした手塚治虫の軌跡は、何度読んでも面白い。それは、ディケイドで駆け抜けることのできたザ・ビートルズよりも興味深いし、彼に匹敵するのは、少なくとも我が国においては、江戸川乱歩くらいではないだろうか?