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動物裁判 (講談社現代新書 1019) 新書 – 1990/9/17
池上 俊一
(著)
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法廷に立つブタ、破門されるミミズ、モグラの安全通行権、ネズミに退去命令……13世紀から18世紀にかけてヨーロッパに広くみられた動物裁判とは何だったのか?自然への感受性の変化、法の正義の誕生などに言及しつつ革命的転換点となった中世に迫る「新しい歴史学」の旅。
- 本の長さ236ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1990/9/17
- 寸法10.6 x 1.1 x 17.4 cm
- ISBN-104061490192
- ISBN-13978-4061490192
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商品の説明
著者について
1956年、愛知県に生まれる。1983年、東京大学大学院西洋史学科博士課程中退。1986〜88年、フランス国立社会科学高等研究院留学。現在、東京大学教養学部助教授。専攻は西洋中世史。主な著書に、『歴史としての身体』──柏書房、『狼男伝説』──朝日選書、『魔女狩り』(監訳)──創元社、『中世の夢』(訳)──名古屋大学出版会など。講談社現代新書にも、『魔女と聖女』がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1990/9/17)
- 発売日 : 1990/9/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 236ページ
- ISBN-10 : 4061490192
- ISBN-13 : 978-4061490192
- 寸法 : 10.6 x 1.1 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 85,769位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 198位ヨーロッパ史一般の本
- - 766位講談社現代新書
- - 1,450位日本文学研究
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人間と同じように動物を裁判にかける。やり方は全て人間の裁判と同じ、出頭を申し入れてもどうやれば被告のカタツムリやバッタに伝わり、どうやって期日までに来るのか?そんなところから始まる、まるで絵本の中のような情景にも、やはり当時なりの理由がある。 歴史を知る面白さを改めて感じられる本だ
2013年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全体は第一部と第二部からなります。第一部は実際におこった動物裁判の様子を、記録を紐解いて割と淡々と紹介しており、後半では動物裁判が行われる理由についての旧来的な見解を幾つか紹介しております。第二部においてその理由を著者自身の考えで追及しています。著者の態度として、まずは動物裁判が起こるまでの社会状況や慣習、宗教を総浚いし、そして動物裁判が起きた当時の世相を勘案し、その変遷を丁寧に追うことによって解説しております。そのため、特に中世史の紹介は詳細を極めるため、第二部に関してはやや難しい部分があるのかもしれません。
さて、では動物裁判が行われた理由についてですが、本書を読み終えた感想といたしましては、やはり旧説は単純すぎるきらいがあると思います。歴史は一度きりのものです。それは、例え同じ状況が訪れたとしても、必ずしも同じ出来事が起きるとは限らないからです。ある種、複雑系のようなもので、事件・出来事は大きなものではなくとも、バタフライ効果がごとく世界からの影響は免れえず、その原因は多要因的でしょう。たった一つの原因で起こる物事は、我々の複雑なコミュニケーション生活の中ではごく少数ではないでしょうか。まあ、そこまでいかなくとも、例えばフランス革命の原因については、旧説と比較して随分と様変わりしております。それは、物事を単純化せず、歴史的経緯を丹念に追うことにより初めて浮かび上がってきたものです。というわけで、変化する解釈・概念・慣習の変遷を見るということは、歴史の本質を見る上では欠かせないことであると私は思います。
本書においても、というよりは西洋史を学ぼうとすれば必ず出てくる問題として、自然の克服が挙げられます。本書においてもそうです。自然に抱かれていた人間が、やがて自然を征服するに至る。この断絶こそが西洋世界における巨大な変革の要因となるものではないでしょうか。それは、西洋中心主義や機械論哲学、単線的な歴史観、進歩史観などを準備する大きな契機であったことは確かでしょう。動物裁判もこの大きな流れの正当なる嫡子であるということが、本書を読むことによって納得いく理解が得られました。
さて、では動物裁判が行われた理由についてですが、本書を読み終えた感想といたしましては、やはり旧説は単純すぎるきらいがあると思います。歴史は一度きりのものです。それは、例え同じ状況が訪れたとしても、必ずしも同じ出来事が起きるとは限らないからです。ある種、複雑系のようなもので、事件・出来事は大きなものではなくとも、バタフライ効果がごとく世界からの影響は免れえず、その原因は多要因的でしょう。たった一つの原因で起こる物事は、我々の複雑なコミュニケーション生活の中ではごく少数ではないでしょうか。まあ、そこまでいかなくとも、例えばフランス革命の原因については、旧説と比較して随分と様変わりしております。それは、物事を単純化せず、歴史的経緯を丹念に追うことにより初めて浮かび上がってきたものです。というわけで、変化する解釈・概念・慣習の変遷を見るということは、歴史の本質を見る上では欠かせないことであると私は思います。
本書においても、というよりは西洋史を学ぼうとすれば必ず出てくる問題として、自然の克服が挙げられます。本書においてもそうです。自然に抱かれていた人間が、やがて自然を征服するに至る。この断絶こそが西洋世界における巨大な変革の要因となるものではないでしょうか。それは、西洋中心主義や機械論哲学、単線的な歴史観、進歩史観などを準備する大きな契機であったことは確かでしょう。動物裁判もこの大きな流れの正当なる嫡子であるということが、本書を読むことによって納得いく理解が得られました。
2018年10月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『動物裁判』というキャッチ―なタイトルとアオリ文に惹かれて購入を希望する方には少々面白みに欠けるかもしれない。いや、特にインチキな内容という訳でも不誠実で不確かなという訳でもなくて、ただ明朗な意見だけがない。
「動物に対する裁判、及び処刑は実在していて、それはコメディとしてでもパロディとしてでもなくいたって大真面目に執り行われていた。その理由は不明である」
これが本著の全てであって、後は史料的な肉付けが行われているに過ぎない。何かしらのレポートのかさましには最良ではなかろうか。
「動物に対する裁判、及び処刑は実在していて、それはコメディとしてでもパロディとしてでもなくいたって大真面目に執り行われていた。その理由は不明である」
これが本著の全てであって、後は史料的な肉付けが行われているに過ぎない。何かしらのレポートのかさましには最良ではなかろうか。
2018年12月15日に日本でレビュー済み
出版されたのは1990年。執筆当時、著者は東京大学大学院総合文化研究科の教授で、専門は西洋中世史です。
以前、この著者の『 森と山と川でたどるドイツ史 』(岩波ジュニア新書)に大変感銘を受けたことがありますが、その書と同じ著者だということにうっかり気づかないまま、その奇妙な書名に引き寄せられて手にしました。
第一部と第二部を使って著者は、12世紀ころから中世ヨーロッパの各地で盛んに見られた動物裁判の具体例を次々と紹介していきます。
ゆりかごの嬰児をかみ殺したノルマンディーの雌豚は死刑宣告を受けた。
ピカルディーの男の獣姦相手となった雌ロバは火あぶりの形に処せられた。
パリ盆地北部のブドウ畑を荒らした毛虫は教会によって破門された。
アルザス地方の森の中で発生した殺人事件の犯人が見つけられなかった結果、現場となった森に死刑が言い渡され、樹林がすべて伐採されてしまった。
こうした当時の裁判の記録を著者は資料を丹念に調査して明らかにしていきます。
ただし、こうした “公判記録”は現代人の目から見れば甚だしく馬鹿馬鹿しいものばかりで、読み続けていくうちにげんなりとしてしまいます。こうした記述が書の後半も続けられるのではないかと臆してしまい、頁を繰る手も滞りがちでした。
ところが、です。書の後半には抜群の面白さが待っていました。こうした非常識かつ滑稽に見える裁判劇に、中世ヨーロッパ人たちがいたってまじめに取り組んでいたその背景が明かされていくのです。
著者は動物裁判が12世紀から18世紀のヨーロッパにしか存在しなかったことに着目し、当時の社会背景や思想背景に照らしてこの裁判の意味するところを解明していきます。
12世紀ころにはヨーロッパに広く農業技術の進歩が見られました。重量有輪犂・風車・水車そして三圃制です。農作業の省力化によって節約された労働力は新たな土地の開墾へと回されます。農民たちは森を切り開き、沼沢地を埋め立て、海面を干拓していくのです。人間が自然の征服を推し進めた時代といえます。
自然を風車・水車・時計のようなメカニカルなものに例えるようになるのも13世紀からあとの時代です。自然を機械と同じく分解・組み立て・修繕できる対象とみなすようになるわけです。
こうした自然観の変遷は美術の世界にも見られます。ロマネスク式教会の柱頭彫刻に見られる植物模様は一般的にかなり抽象化されたものでしたが、12世紀以降のゴシック教会ではより写実的で複雑な模様にとってかわられます。自然を正確に観察する姿勢が新たに興ってきたのです。
自然を見極めたうえで恐れることなく自らの世界へと取り込もうとするこうした営みが、動物裁判の背景にあると著者は見ます。つまり法や訴訟手続きを適用して人間の理性や条理のもと自然界を組み伏せていく行為こそが動物裁判だというのです。
動物裁判の理屈はその後、18世紀の啓蒙主義と科学的合理主義の近代が到来すると、凌駕され淘汰されていきます。しかしここで著者は筆を置きません。動物裁判は姿を消しましたが、人間による自然の征服作業は歩みを止めなかったことを指摘します。
その作業は当然のことながら環境の破壊をもたらしました。そして執筆当時(1990年)、むしろ人々は自然を原告として企業相手に訴訟を起こすようになります。環境破壊の一途をたどる世界に警鐘を鳴らすため、人間と自然(・動物)との裁判関係が逆転したわけです。
この書が書かれてから28年が経ちます。そしてアメリカのトランプ政権はパリ協定を脱退し、温暖化などはフェイクニュースだと声高に主張し続けています。
過去の事象の中に現在と未来を生きるヒントを見出す営みこそが歴史を学ぶ醍醐味です。そのことをこの『動物裁判』は読者に強く意識させることでしょう。
全くの良書です。
---------------------------------
ヨーロッパの自然観について書かれた以下の書を紹介しておきます。
◆田中利典/正木晃『 はじめての修験道 』(春秋社)
:日本と西洋が<森>に関してもつ視点の違いを論じています。『ハリー・ポッター』や『指輪物語』を引いて、キリスト教文化のもとでは<森>は邪悪なものが存在する場所として忌み嫌われてきたことを説きます。それが<自然に学ぶ>という日本の宗教風土とは全く異質なものであることが分かります。
◆森涼子『 グリム童話と森 (ドイツ環境意識を育んだ「森は私たちのもの」の伝統) 』(築地書館)
:ドイツ人が森を愛するようになったのはいつごろからなのかをテーマに、中世期からロマン派の時代を経て、ナチス・ドイツ時代、そして環境重視国家になった現代までの1000年の道のりをたどる書です。
◆池上俊一『 森と山と川でたどるドイツ史 』(岩波ジュニア新書)
:多神教を信仰した古代ゲルマンの時代から説き起こし、フランス啓蒙主義に対するドイツロマン主義の森林観、ナチスのエコロジー感覚など、『グリム童話と森』と同様に歴史をたどる知的な読書が楽しめます。
◆小林弘利『 ハリウッド映画の暗号 ~神と映画との対話~ 』(三栄書房)
:映画『スター・ウォーズ』を俎上に載せ、「砂漠」と「森」の二項対立関係を読み解いていきます。中東で生まれた砂漠の宗教であるユダヤ・キリスト教は、ヨーロッパの森を邪悪な存在とみなし、それを開拓して都市とすることで制御してきました。しかし、組織化されて強大な権力となった宗教にうさん臭さを感じた人々は、かつて「邪」の存在だった森との融和を図っている。それが近年のハリウッド映画には顕著だというのが著者の主張のようです。
◆中野京子『 中野京子と読み解く 運命の絵 』(文藝春秋)
:風景画をめぐる西洋と日本の違いに触れています。17世紀後半のオランダの風景画は自然を征服して作り出した人工の景色であり、これは「土木技術の匠とオランダ人たる誇りを込め」た絵だと著者は記します。
一方、日本の風景画の第一義は自然それ自体にあります。自然の脅威に翻弄された歴史に彼我の差はありませんが、自然と戦ってそれを切り開いたオランダ人と、災害との戦いよりも自然の美しさを称え続けた日本人との間には、やはり絵画表現に違いがあったということです。
◆ウィラ・キャザー『 大司教に死来る 』(須賀敦子訳/河出書房新社)
:19世紀後半のアメリカ南西部の町に赴任した2人のフランス人カトリック司祭、ジャン・マリー・ラトゥールとジョセフ・ヴァイヨンの生と死を描いたアメリカの長編小説です。
この小説に登場する先住民が「ヨーロッパ人のように、自然を『支配』し、これを置きかえ、再編成する望み」を「まるきり持っていない」ことをヨーロッパ人の宣教師たちが柔軟に理解しようとする場面が出てきます。
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以前、この著者の『 森と山と川でたどるドイツ史 』(岩波ジュニア新書)に大変感銘を受けたことがありますが、その書と同じ著者だということにうっかり気づかないまま、その奇妙な書名に引き寄せられて手にしました。
第一部と第二部を使って著者は、12世紀ころから中世ヨーロッパの各地で盛んに見られた動物裁判の具体例を次々と紹介していきます。
ゆりかごの嬰児をかみ殺したノルマンディーの雌豚は死刑宣告を受けた。
ピカルディーの男の獣姦相手となった雌ロバは火あぶりの形に処せられた。
パリ盆地北部のブドウ畑を荒らした毛虫は教会によって破門された。
アルザス地方の森の中で発生した殺人事件の犯人が見つけられなかった結果、現場となった森に死刑が言い渡され、樹林がすべて伐採されてしまった。
こうした当時の裁判の記録を著者は資料を丹念に調査して明らかにしていきます。
ただし、こうした “公判記録”は現代人の目から見れば甚だしく馬鹿馬鹿しいものばかりで、読み続けていくうちにげんなりとしてしまいます。こうした記述が書の後半も続けられるのではないかと臆してしまい、頁を繰る手も滞りがちでした。
ところが、です。書の後半には抜群の面白さが待っていました。こうした非常識かつ滑稽に見える裁判劇に、中世ヨーロッパ人たちがいたってまじめに取り組んでいたその背景が明かされていくのです。
著者は動物裁判が12世紀から18世紀のヨーロッパにしか存在しなかったことに着目し、当時の社会背景や思想背景に照らしてこの裁判の意味するところを解明していきます。
12世紀ころにはヨーロッパに広く農業技術の進歩が見られました。重量有輪犂・風車・水車そして三圃制です。農作業の省力化によって節約された労働力は新たな土地の開墾へと回されます。農民たちは森を切り開き、沼沢地を埋め立て、海面を干拓していくのです。人間が自然の征服を推し進めた時代といえます。
自然を風車・水車・時計のようなメカニカルなものに例えるようになるのも13世紀からあとの時代です。自然を機械と同じく分解・組み立て・修繕できる対象とみなすようになるわけです。
こうした自然観の変遷は美術の世界にも見られます。ロマネスク式教会の柱頭彫刻に見られる植物模様は一般的にかなり抽象化されたものでしたが、12世紀以降のゴシック教会ではより写実的で複雑な模様にとってかわられます。自然を正確に観察する姿勢が新たに興ってきたのです。
自然を見極めたうえで恐れることなく自らの世界へと取り込もうとするこうした営みが、動物裁判の背景にあると著者は見ます。つまり法や訴訟手続きを適用して人間の理性や条理のもと自然界を組み伏せていく行為こそが動物裁判だというのです。
動物裁判の理屈はその後、18世紀の啓蒙主義と科学的合理主義の近代が到来すると、凌駕され淘汰されていきます。しかしここで著者は筆を置きません。動物裁判は姿を消しましたが、人間による自然の征服作業は歩みを止めなかったことを指摘します。
その作業は当然のことながら環境の破壊をもたらしました。そして執筆当時(1990年)、むしろ人々は自然を原告として企業相手に訴訟を起こすようになります。環境破壊の一途をたどる世界に警鐘を鳴らすため、人間と自然(・動物)との裁判関係が逆転したわけです。
この書が書かれてから28年が経ちます。そしてアメリカのトランプ政権はパリ協定を脱退し、温暖化などはフェイクニュースだと声高に主張し続けています。
過去の事象の中に現在と未来を生きるヒントを見出す営みこそが歴史を学ぶ醍醐味です。そのことをこの『動物裁判』は読者に強く意識させることでしょう。
全くの良書です。
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ヨーロッパの自然観について書かれた以下の書を紹介しておきます。
◆田中利典/正木晃『 はじめての修験道 』(春秋社)
:日本と西洋が<森>に関してもつ視点の違いを論じています。『ハリー・ポッター』や『指輪物語』を引いて、キリスト教文化のもとでは<森>は邪悪なものが存在する場所として忌み嫌われてきたことを説きます。それが<自然に学ぶ>という日本の宗教風土とは全く異質なものであることが分かります。
◆森涼子『 グリム童話と森 (ドイツ環境意識を育んだ「森は私たちのもの」の伝統) 』(築地書館)
:ドイツ人が森を愛するようになったのはいつごろからなのかをテーマに、中世期からロマン派の時代を経て、ナチス・ドイツ時代、そして環境重視国家になった現代までの1000年の道のりをたどる書です。
◆池上俊一『 森と山と川でたどるドイツ史 』(岩波ジュニア新書)
:多神教を信仰した古代ゲルマンの時代から説き起こし、フランス啓蒙主義に対するドイツロマン主義の森林観、ナチスのエコロジー感覚など、『グリム童話と森』と同様に歴史をたどる知的な読書が楽しめます。
◆小林弘利『 ハリウッド映画の暗号 ~神と映画との対話~ 』(三栄書房)
:映画『スター・ウォーズ』を俎上に載せ、「砂漠」と「森」の二項対立関係を読み解いていきます。中東で生まれた砂漠の宗教であるユダヤ・キリスト教は、ヨーロッパの森を邪悪な存在とみなし、それを開拓して都市とすることで制御してきました。しかし、組織化されて強大な権力となった宗教にうさん臭さを感じた人々は、かつて「邪」の存在だった森との融和を図っている。それが近年のハリウッド映画には顕著だというのが著者の主張のようです。
◆中野京子『 中野京子と読み解く 運命の絵 』(文藝春秋)
:風景画をめぐる西洋と日本の違いに触れています。17世紀後半のオランダの風景画は自然を征服して作り出した人工の景色であり、これは「土木技術の匠とオランダ人たる誇りを込め」た絵だと著者は記します。
一方、日本の風景画の第一義は自然それ自体にあります。自然の脅威に翻弄された歴史に彼我の差はありませんが、自然と戦ってそれを切り開いたオランダ人と、災害との戦いよりも自然の美しさを称え続けた日本人との間には、やはり絵画表現に違いがあったということです。
◆ウィラ・キャザー『 大司教に死来る 』(須賀敦子訳/河出書房新社)
:19世紀後半のアメリカ南西部の町に赴任した2人のフランス人カトリック司祭、ジャン・マリー・ラトゥールとジョセフ・ヴァイヨンの生と死を描いたアメリカの長編小説です。
この小説に登場する先住民が「ヨーロッパ人のように、自然を『支配』し、これを置きかえ、再編成する望み」を「まるきり持っていない」ことをヨーロッパ人の宣教師たちが柔軟に理解しようとする場面が出てきます。
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2003年3月8日に日本でレビュー済み
13~18世紀の西欧で実際に行われていた奇異な「動物裁判」をモチーフに、アナール派的史観によるアプローチによって、アニミズムの駆逐とキリスト教社会成立を背景にして、当時の法が対象にしていたものや社会風俗などが描かれています。ただ、Reviewerの方が指摘されているように、説明の方向性や主張が曖昧な部分も否定できませんので、新書というフォーマットの性質上、あくまでも読み物あるいは西欧中世の社会史の導入書という位置付けですね。
2004年2月12日に日本でレビュー済み
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大きく第一部「動物裁判とはなにか」、第二部「動物裁判の風景―ヨーロッパ中世の自然と文化」に分かれるが、圧倒的に面白いのは第一部。
幼子を食い殺した罪で法廷に立つブタ、破門されるミミズやイナゴ。しかし、意外にもそれらを弁護する法学士はモグラの安全通行権や毛虫の居住権までも勝ち取るという史実のバカさかげんに圧倒される。そして、圧倒的に多かったであろう獣姦罪の数々。獣姦罪で有罪となった人と動物はほとんどの場合、炭になるまで焼かれ、裁判記録も不浄のものとされて同時に燃やされるかしていたのに、それでも残っている数々の記録は、獣姦がいかに多かったかをうかがわせるという。
ここまでワクワクさながら(新書という構成上しかたないのかもしれないが)第二部は尻すぼみ感がいなめない。
実は中世において本当の意味でのルネサンスや産業革命はなされていたのだという、今日では主流派の考え方にのっとり、人間と動物(自然)を対等と見てという精神が出現した重大さを指摘する。本来恐るべきものであった森に代表とされる自然が、農業の発達とともに、人間が征服し始めることによって、人間の従属物へと変化していく。動物裁判とは、そうした時代の過渡期に現れた現象であるという指摘は、べつに合っていてもあっていなくてもつまらん。
これも『歴史学ってなんだ?』小田中直樹に紹介されていて読んだ本で、3冊目。
幼子を食い殺した罪で法廷に立つブタ、破門されるミミズやイナゴ。しかし、意外にもそれらを弁護する法学士はモグラの安全通行権や毛虫の居住権までも勝ち取るという史実のバカさかげんに圧倒される。そして、圧倒的に多かったであろう獣姦罪の数々。獣姦罪で有罪となった人と動物はほとんどの場合、炭になるまで焼かれ、裁判記録も不浄のものとされて同時に燃やされるかしていたのに、それでも残っている数々の記録は、獣姦がいかに多かったかをうかがわせるという。
ここまでワクワクさながら(新書という構成上しかたないのかもしれないが)第二部は尻すぼみ感がいなめない。
実は中世において本当の意味でのルネサンスや産業革命はなされていたのだという、今日では主流派の考え方にのっとり、人間と動物(自然)を対等と見てという精神が出現した重大さを指摘する。本来恐るべきものであった森に代表とされる自然が、農業の発達とともに、人間が征服し始めることによって、人間の従属物へと変化していく。動物裁判とは、そうした時代の過渡期に現れた現象であるという指摘は、べつに合っていてもあっていなくてもつまらん。
これも『歴史学ってなんだ?』小田中直樹に紹介されていて読んだ本で、3冊目。