この本はキリスト教文化について少しでも関心をもたれた方のための、
実際にどのような場面があるか、全般的なガイドブックです。
ですから宗教について書かれたものでも、
ましてやキリスト教がいかにすばらしいかについて押し付けるものでもありません。
「文化」に重点を置いているので、
どちらかといえば、カトリックの文化について色が濃くなっています。
例えば、欧米人の名前が何から来ていて、
世界中という視点から眺めたら、どうつながっているのか、
ごく平易に書かれています。
また、とかく日本人が区別を誤ることばの使い方についてや、
暦のあらましについてや、
映画の中でのキリスト教文化の実際についてが書かれているのです。
私たち日本人は、海外に出る時に、
キリスト教文化についてただ単純に知識不足だったために、
思いがけず恥ずかしい思いをしたり、
人間関係で誤解を生むことになってしまったりします。
そんな些細なことでややもすると単純に国粋主義に走ってしまったり、
やたらに敵対視する、劣等感のかたまりになってしまったりする人がいます。
そうしたことは、私たちが宗教に対して、
あまりにも鈍感でいられる特殊な性質によっています。
なにもキリスト教を知ったから国際人なのではなく、
いかに相手の人格を尊重することができるか、ということだと思います。
ですから、イスラム教について知ることも今日では必要です。
この本はその、一つのキリスト教文化について紹介した良書です。
まず最初に紐解くものとして、私は友人にもこれを薦めています。
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キリスト教文化の常識 (講談社現代新書) 新書 – 1994/10/17
石黒 マリーローズ
(著)
毎日のあいさつや人名、地名、祝祭日、ライフスタイルなどに密接に関連したキリスト教の言葉と精神――その由来と意味を簡明に説く。欧米人の性格と価値観を伝える国際化のためのガイドブック。(講談社現代新書)
- ISBN-104061492225
- ISBN-13978-4061492226
- 出版社講談社
- 発売日1994/10/17
- 言語日本語
- 本の長さ230ページ
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商品の説明
著者について
1943年、レバノン・ベイルートに生まれる。聖ヨセフ大学哲学科卒業、アンシティチュー・カトリック・ドゥ・パリー大学修了。現在、英知大学助教授。著書に『レバノン杉と桜』―廣済堂出版、『レバノンの黒い瞳』―日本教育研究センター、『父の心―娘への手紙―』―中央出版社―など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1994/10/17)
- 発売日 : 1994/10/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 230ページ
- ISBN-10 : 4061492225
- ISBN-13 : 978-4061492226
- Amazon 売れ筋ランキング: - 612,823位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,038位キリスト教入門
- - 1,386位キリスト教一般関連書籍
- - 2,116位講談社現代新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年8月27日に日本でレビュー済み
2004年9月29日に日本でレビュー済み
キリスト教徒から別れぎわに“God bless you”と言われたら、同じ言葉を返さなければなりません。あなたの宗教が何かは関係ありません。同じ言葉を返す、それが常識です。礼儀です。世界の政治、経済、軍事、文化を支配しているのはキリスト教徒です。だからキリスト教、キリスト教徒は優れているのです。
その優れたキリスト教徒の一人である著者が、無知な日本人の蒙を啓き、キリスト教徒に対する礼儀を教えてくださるというのが、本書の主旨です。日本人が国際人となるためには、英語が堪能になるだけでは足りないのです。キリスト教徒に合わせる(=従う)必要があるのです。
筆者が解説する「内容」はたいしたことありません。読みとるべきは筆者の「態度」です。それを感じとることによって、わたしたちがキリスト教徒に対してどのような態度をとるべきかが見えてきます。筆者は英語が堪能なキリスト教インテリ層ですから、紛うかたなき国際人です。だから説得力があります。キリスト教徒に失礼のないようにするためには、かの女に従っておけば間違いはないでしょう。その意味で、たいへん役に立つ一冊です。
例外はあるものの、ほとんどの日本人は「神」を知りません。だから筆者の意図は痛いほどよく分かります。ちくちく刺さります。日本人は三位一体も知らず、処女懐胎も復活の奇蹟も信じないくせに十字架のペンダントをさげ、神父さまの前で愛を誓うことに憧れ、降誕祭に浮かれています。しかしそんな無知な日本人から、ひとつ申し上げたいことがあります。「高慢」はキリスト教の七つの大罪のひとつです。
その優れたキリスト教徒の一人である著者が、無知な日本人の蒙を啓き、キリスト教徒に対する礼儀を教えてくださるというのが、本書の主旨です。日本人が国際人となるためには、英語が堪能になるだけでは足りないのです。キリスト教徒に合わせる(=従う)必要があるのです。
筆者が解説する「内容」はたいしたことありません。読みとるべきは筆者の「態度」です。それを感じとることによって、わたしたちがキリスト教徒に対してどのような態度をとるべきかが見えてきます。筆者は英語が堪能なキリスト教インテリ層ですから、紛うかたなき国際人です。だから説得力があります。キリスト教徒に失礼のないようにするためには、かの女に従っておけば間違いはないでしょう。その意味で、たいへん役に立つ一冊です。
例外はあるものの、ほとんどの日本人は「神」を知りません。だから筆者の意図は痛いほどよく分かります。ちくちく刺さります。日本人は三位一体も知らず、処女懐胎も復活の奇蹟も信じないくせに十字架のペンダントをさげ、神父さまの前で愛を誓うことに憧れ、降誕祭に浮かれています。しかしそんな無知な日本人から、ひとつ申し上げたいことがあります。「高慢」はキリスト教の七つの大罪のひとつです。
2011年11月27日に日本でレビュー済み
本書の題が、『キリスト教の常識』ではなく、『キリスト教「文化」の常識』であるところがミソである。
文化というものが、単に芸術作品などだけでなく、
むしろ日常生活の中に溶け込んだ行動様式とかものの考え方のことであるとすれば、
本書はまさにそうした日常の中にあるキリスト教を教えてくれるものであり、それが興味深い。
キリスト教というものがあることは誰もが知っているが、
ぼんやりしたイメージを超えて、具体的にどういうものであるかというと、
信者でもなければ語れる人は多くはないのではないか。
キリスト教についての本はむろん数多くあるし、解説書も少なくない。
それらもむろん有意義な本なのだろうが、何となく仰々しくて敷居の高いことが多い。
そのような本を読んでも、ごく素朴な疑問や知識、
たとえばカトリックは離婚できないとか、カトリックの神父は妻帯できない、
などという事実にはなかなかたどり着けないのが実情だろう。
一般庶民にとっては、いわば日常会話のレベルで学べる媒体が欲しいのであって、本書はそういう稀な本である。
そうした特徴を表すのが、たとえば「メディアの中のキリスト教」の章で、
いろんな映画の中にあるキリスト教の要素がどういうものかを解説してくれるところである。
楽しい。
ほかにも、名前、カレンダー、挨拶、ことわざ、ジョークなどといった興味深い話題の中で、
いかにキリスト教が日常の中に入り込んでいるかを教えてくれる。
我々は日本は基本的に仏教の国だと思っているが、同時に西洋文化の影響が大きいことも知っている。
ところがその西洋文化の核心にキリスト教があり、
したがって我々の生活の中にも、想像をはるかに超えてキリスト教の要素があることにはなかなか気がつかない。
それを知ってあっと驚くことになるのだ。
長くはないこの本の中にもそうした事例はたくさんあって、
まさに「目からうろこ」である(ただしこの「目からうろこ」という言葉自体も聖書に由来することには触れていない)。
こういう、ありそうで実はなかなかない本がいかにして可能になったかといえば、
もちろん著者の人柄であり教養でもあるのだが、その生い立ちに負う部分が大きいと思われる。
「文明の十字路」と言われる中東レバノンに生まれ育ち、
日本人と結婚して日本にも長く住んで日本の学生を教え、
ということは異文化を対比もでき、かつ説明する機会も多かった、ということである。
本人はカトリックだが、基本的にプロテストタントの国であるアメリカなど、各国の事情にも通じている。
少しでもキリスト教に興味があるなら、手元に置いていい一冊だと思う。
文化というものが、単に芸術作品などだけでなく、
むしろ日常生活の中に溶け込んだ行動様式とかものの考え方のことであるとすれば、
本書はまさにそうした日常の中にあるキリスト教を教えてくれるものであり、それが興味深い。
キリスト教というものがあることは誰もが知っているが、
ぼんやりしたイメージを超えて、具体的にどういうものであるかというと、
信者でもなければ語れる人は多くはないのではないか。
キリスト教についての本はむろん数多くあるし、解説書も少なくない。
それらもむろん有意義な本なのだろうが、何となく仰々しくて敷居の高いことが多い。
そのような本を読んでも、ごく素朴な疑問や知識、
たとえばカトリックは離婚できないとか、カトリックの神父は妻帯できない、
などという事実にはなかなかたどり着けないのが実情だろう。
一般庶民にとっては、いわば日常会話のレベルで学べる媒体が欲しいのであって、本書はそういう稀な本である。
そうした特徴を表すのが、たとえば「メディアの中のキリスト教」の章で、
いろんな映画の中にあるキリスト教の要素がどういうものかを解説してくれるところである。
楽しい。
ほかにも、名前、カレンダー、挨拶、ことわざ、ジョークなどといった興味深い話題の中で、
いかにキリスト教が日常の中に入り込んでいるかを教えてくれる。
我々は日本は基本的に仏教の国だと思っているが、同時に西洋文化の影響が大きいことも知っている。
ところがその西洋文化の核心にキリスト教があり、
したがって我々の生活の中にも、想像をはるかに超えてキリスト教の要素があることにはなかなか気がつかない。
それを知ってあっと驚くことになるのだ。
長くはないこの本の中にもそうした事例はたくさんあって、
まさに「目からうろこ」である(ただしこの「目からうろこ」という言葉自体も聖書に由来することには触れていない)。
こういう、ありそうで実はなかなかない本がいかにして可能になったかといえば、
もちろん著者の人柄であり教養でもあるのだが、その生い立ちに負う部分が大きいと思われる。
「文明の十字路」と言われる中東レバノンに生まれ育ち、
日本人と結婚して日本にも長く住んで日本の学生を教え、
ということは異文化を対比もでき、かつ説明する機会も多かった、ということである。
本人はカトリックだが、基本的にプロテストタントの国であるアメリカなど、各国の事情にも通じている。
少しでもキリスト教に興味があるなら、手元に置いていい一冊だと思う。
2020年9月26日に日本でレビュー済み
なかなか興味深い本でした。他の方がおっしゃったように、確かに”今までありそうでなかった本”です。
本書によってマザー・テレサの発言の意味が分かりました。
キリスト教が関係する映画をいくつか紹介しているので見てみたいと思いました。
ただし、キリスト教徒が発するキリスト教由来の挨拶などに対して、非キリスト教徒がどう返答すればよいか、ちょっとよく分からなかった。
例えば「ゴッド・ブレス・ユー・トゥー」と返しましょうと著者は言うのですが、非キリスト教徒がたやすく神を口にしていいものか、どうなんでしょう。
非キリスト教徒が「オー・マイ・ゴッド」と言うと嫌がられるという話を聞いたことがあるので。
少し物足りないと感じる箇所もままありました。他のキリスト教関連の本も探してみましょう。
本書によってマザー・テレサの発言の意味が分かりました。
キリスト教が関係する映画をいくつか紹介しているので見てみたいと思いました。
ただし、キリスト教徒が発するキリスト教由来の挨拶などに対して、非キリスト教徒がどう返答すればよいか、ちょっとよく分からなかった。
例えば「ゴッド・ブレス・ユー・トゥー」と返しましょうと著者は言うのですが、非キリスト教徒がたやすく神を口にしていいものか、どうなんでしょう。
非キリスト教徒が「オー・マイ・ゴッド」と言うと嫌がられるという話を聞いたことがあるので。
少し物足りないと感じる箇所もままありました。他のキリスト教関連の本も探してみましょう。